1997年10月14日午後、長崎県壱岐の海から渦が近づいた。目撃者は最初に水を巻き上げる「シャー」という音を聞き、上陸するとそれが「ゴー」という音へ変わったと気象庁へ証言した。竜巻は時速18キロで東へ進み、幅100メートル、長さ5キロの痕跡を残した。住宅4棟と非住家4棟を損傷させ、船3隻を沈めた。

海上竜巻は、遠くからなら美しい気象現象に見える。水面と雲を結ぶ細い漏斗、根元に広がる白い飛沫。しかし「海で生まれた弱い渦は、陸の建物にぶつかれば消える」という直感は、防災判断として危うい。壱岐の記録は、海と陸の境界が必ずしも終点ではないことを示す実例だった。

京都大学大学院理学研究科の博士課程学生だった佐藤宏樹氏(現・名古屋大学研究員)と、京都大学防災研究所の竹見哲也教授は、その境界をコンピューターの中に作った。2026年7月29日、研究成果は米国気象学会のJournal of the Atmospheric Sciencesに掲載された。

結論は「上陸すると強くなる」ではない。 低速・中速・高速で結果は異なり、建物の密度と高さ、渦のスワール比でも変わった。研究が示したのは、地表摩擦を単純なブレーキとして扱えないこと、そして平均的な移動速度の渦が上陸後も維持され得ることだ。
約50件/年2007~2025年の日本の確認数(海上竜巻を含む)
約19件/年同期間、上陸しない海上竜巻を除いた確認数
約29km/h研究が中速条件とした日本の平均的な移動速度
10分ごと気象庁の竜巻ナウキャスト更新間隔

水柱ではなく、空気の渦

海上竜巻は水でできた柱ではない。回転する空気が水面の飛沫を吸い上げ、凝結した雲とつながって見える現象だ。漏斗雲が地面まで完全に見えなくても、地表付近の回転と飛散物は存在し得る。

一般には二つの成り立ちが区別される。発達した積乱雲やスーパーセルに伴う「竜巻性」の海上竜巻と、比較的穏やかな気象で水面付近から成長する「好天性」の海上竜巻である。後者は弱いことが多いが、船を転覆させ、海岸施設を壊す力はある。上陸すれば水煙が消えるため、目で追いにくくなる一方、空気の渦そのものが同時に消えるとは限らない。

日本では2007~2025年平均で、海上を含む竜巻が年約50件確認され、上陸しない海上竜巻を除くと約19件だった。差の大きさは、日本の長い海岸線と観測機会を表す。ただし2007年以降は現地調査、携帯端末、SNS、目撃情報の収集が強化された。確認数の増加を、そのまま気候変動による発生増加と読むことはできない。

コンピューターに作った「移動する風洞」

研究チームが再現したのは、特定の日の特定の海上竜巻ではない。数値計算領域の上部に人工的な竜巻状渦を発生させる「Ward型チャンバー」を作り、上部を固定したまま下部の地面を動かした。渦から見れば、滑らかな海面から粗い市街地へ進んでいるのと同じ相対運動になる。

陸地は規則的に並べた粗度ブロックで表現した。研究者はブロックの配置、密度、高さ、地面の移動速度、外部スワール比を系統的に変えた。スワール比は、渦へ入る流れに対して回転成分がどれほど強いかを表す。小さい値は細く単純な低スワール渦、大きい値はより大きく強い循環を持つ高スワール渦に対応する。

この方法の強みは、一つの条件だけを変えて因果を見られることだ。実際の海岸では、雲の強さ、雨、地形、海水温、風向、建物が同時に変わる。数値チャンバーはそれらを切り離し、「地面の粗さと移動速度が渦へ何をするか」を問い直した。

移動条件低スワール渦の反応物理的な解釈
低速:約5.8km/h粗い地表へ移ると段階的に弱化。高スワール条件では一時的強化も障害物が流入を乱し、滑面と粗面の定常状態をゆっくり移る
中速:約29km/h低速なら弱まる粗度でも強さを維持移動と摩擦が作る正の角運動量を持つ下層空気が渦へ取り込まれる
高速:約58km/h密で高い障害物上では構造が歪み、下層渦が急速に弱化流入の非対称と乱れが渦構造を崩す
高速・高スワール最高速度でも大きく弱まらない場合大きく強い循環は摩擦による乱れへ耐える

摩擦はブレーキであり、燃料の入口でもある

床を滑る物体なら、摩擦は速度を奪う。だが竜巻は固体ではなく、周囲の空気を絶えず取り込む渦だ。建物や樹木は接地風を遅らせ、乱す一方、地表近くに新しい水平・鉛直の渦度をつくる。その回転成分を持つ空気が中心へ流れ込めば、渦の角運動量を支えることがある。

中速条件では、渦に対する下層空気の相対速度がこの取り込みに好都合になった。軌跡解析で、正の角運動量を持つ空気が低層から供給され、粗い地表でも強さが維持された。摩擦が直接「竜巻を強めた」というより、摩擦が作った回転を、移動する渦が効率よく回収したのである。

海から陸へ渡る時、渦が出会うのは壁ではない。エネルギーを奪いながら、新しい回転もつくる複雑な境界だ。

高速の低スワール渦では、密で高い障害物が流れを強く非対称にし、下層構造が崩れた。だが高スワール渦は最高速度でも大幅に弱まらなかった。したがって「時速58キロなら安全」という読み方も間違いだ。速度は単独の安全指標ではなく、渦の大きさと内部構造、粗度と組み合わせて初めて意味を持つ。

実際の海岸が残した三つの異なる答え

気象庁の被害記録は、同じ「海から上陸した竜巻」でも挙動が一つではないことを示す。

事例移動と強さ上陸後の記録
1990年4月・沖縄県金武町時速9km、F2、約10分16人負傷、住宅8棟、車両6台、街路樹約160本などに被害
1991年4月・沖縄県久米島時速57km、F2、約2分1人負傷、住宅19棟、ビニールハウス10棟、車両5台などに被害
1997年10月・長崎県壱岐時速18km、F1、約14分長さ5km、住宅・非住家各4棟、船3隻沈没

これらは新研究の条件を実地検証した事例ではない。古いFスケール評価であり、雲の環境も地表も異なる。ただし、低速でも高速でも上陸後に被害が出た事実は、移動速度だけで危険を切り捨ててはいけないという研究の含意と整合する。

藤田哲也から数値チャンバーへ

竜巻は小さく、寿命が短く、風速計の真上を通ることがほとんどない。日本出身の気象学者、藤田哲也は1971年、建物や樹木の被害から風速を逆算する藤田スケールを考案した。日本は2016年、国内の建築物や車両などに合わせた日本版改良藤田スケール(JEF)へ移行した。

被害調査は実際に何が起きたかを教えるが、摩擦が渦内部のどこへ作用したかまでは見えにくい。風洞実験は制御しやすいが、測定器と模型の限界がある。高解像度数値実験は速度、圧力、渦度、空気粒子の軌跡を三次元で追える。佐藤氏はこの手法を「計算機の中に仮想的な実験装置を作成して動かす」面白さと表現し、理学と風工学の接点に置いた。

1971年 ・ 藤田哲也が被害から竜巻強度を推定するFスケールを考案。

2008年 ・ 気象庁が竜巻注意情報を開始。

2010年 ・ 10km格子、1時間先までの竜巻ナウキャストを開始。

2016年 ・ 日本版改良藤田スケールを導入。

2021年 ・ 佐藤氏が非一様粗度上の上陸過程に関する初期研究を発表。

2025年 ・ 建物配置と高さが定常的な竜巻状渦へ与える影響を査読論文で報告。

2026年 ・ 移動速度と粗度を組み合わせた今回の研究を発表。

この研究がまだ答えていないこと

数値チャンバーは理想化された渦であり、現実の積乱雲を丸ごと予報したものではない。海面からの熱・水蒸気、雨や雹、冷気外出流、複雑な海岸地形、不規則な高層建築、渦を生み維持する親雲の変化は、結果を左右し得る。粗度ブロックは「市街地の密度」を切り分ける道具で、京都、大阪、原子力発電所など特定地点の被害予測図ではない。

また、シミュレーション上の強度維持は、家一軒ごとの被害を直接計算したものでもない。現実の最大風速は、渦の回転風に移動速度が重なって左右非対称になり、飛来物、屋根形状、開口部、建築強度で損傷が変わる。研究結果を運用へつなぐには、実際の上陸事例、レーダー、映像、被害経路との比較が必要だ。

研究から言えること/言えないこと
  • 言える: 粗い地表の摩擦効果は移動速度とスワール比で変わる。
  • 言える: 日本の平均的な移動速度に近い条件では、上陸後も渦が維持され得る。
  • 言えない: 時速29キロの海上竜巻が必ず強いまま上陸する。
  • 言えない: 高速の竜巻は必ず弱まり、安全になる。
  • 言えない: このモデルだけで特定海岸の到達範囲や被害を予報できる。

予報と沿岸防災をどう変えるか

日本の都市、港湾、石油化学コンビナート、発電所、物流拠点の多くは沿岸平野にある。竹見教授は、台風・低気圧・竜巻に加え、地震被害後に竜巻が重なる複合災害まで想定する必要を指摘した。屋根や窓が既に損傷し、避難所や仮設施設が置かれた地域では、同じ風でも被害は増幅する。

気象庁の竜巻ナウキャストは10キロ四方で発生しやすさを解析し、10分ごとに1時間先まで更新する。「気象防災速報(竜巻注意/竜巻目撃)」の有効期間も約1時間だ。これは個々の漏斗の進路を精密に予報するものではない。新研究が直ちに警報アルゴリズムへ入るわけではないが、沿岸で目撃された渦を「上陸すれば終わる」と扱わず、その後の移動と地表条件を追う物理的根拠になる。

海岸で漏斗、筒状の飛散物、異常な轟音を認めたら、撮影のため外に残るべきではない。頑丈な建物へ入り、窓から離れ、できるだけ低い階の中心部で頭を守る。水煙が消えたことは、危険が消えた証拠ではない。

未来――海岸線の先まで渦を追う

次の段階は、理想化した実験と現実の間を狭めることだ。実在都市の不規則な建物、海岸段丘や丘陵、熱と水蒸気を含む親雲、移動する降水域を組み込み、レーダーやドローン、映像から得た上陸事例と比べる。将来のナウキャストでは「竜巻があるか」だけでなく、移動速度と構造、進行方向の粗度から、上陸後の維持確率を示せる可能性がある。

今回の研究が変えるのは、まず想像の仕方だ。海と陸の境界を、渦の停止線ではなく、流れの収支が組み替わる場所として見る。建物は単なる盾ではなく、空気を遅らせ、乱し、時には渦が取り込む回転を生む。

壱岐で聞こえた音は、水上の「シャー」から陸上の「ゴー」へ変わった。現象の見え方と音が変わっても、危険は続いていた。京都大学の仮想実験室は、その短い境界の中にある物理を、初めて速度ごとにほどいてみせた。

取材・参考資料

編集注: 数値実験は理想化された竜巻状渦を用い、特定の実在災害を再現したものではない。Fスケールの歴史事例と現在のJEF評価は直接比較できない。確認数には観測・収集方法の変更が影響する。