写真を見て、そこに写るものを確かめる。その前に、この像は何から、どのようにつくられたのかを考えてみる。東京都写真美術館で9月30日から開催予定の「ふたたびくみたてる 日本の新進作家 vol.23」は、五人の作家の制作を通して、見ることと意味を与えることの関係を問い直す展覧会だ。会期は2027年1月17日まで、会場は3階展示室。[1]

素材は、写真用紙だけではない。黒板に刷られた校舎の断片、テレビのノイズを経た風景、燃える写真が発する光。完成した画面に加え、そこへ至る操作や、素材が持っていた時間に目を向けると、「写真を組み立て直す」という言葉の幅が見えてくる。[1]

写真と映像を扱ってきた美術館の、23回目の新進作家展

同館は1990年6月の一次施設開館を経て、1995年1月21日に恵比寿ガーデンプレイス内で総合開館した。当初から写真と映像を扱う施設であり、紙に定着した静止画像だけを対象としてきたわけではない。[3]

「日本の新進作家」展は2002年に始まり、今回は23回目となる。出品するのは市田小百合(いちだ・さゆり)、苅部太郎(かりべ・たろう)、野村在(のむら・ざい)、橋本麦(はしもと・ばく)、藤倉麻子(ふじくら・あさこ)。それぞれの活動にはすでに蓄積があり、「新進」という名称を、全員が初めて作品を発表するという意味で受け取るべきではない。[1],[12]

市田小百合――校舎の記憶を、黒板へ戻す

市田の〈空席(Kūseki)〉について、制作を支援したPhotoworksは、日本の人口減少と学校の空洞化を背景に、写真、コラージュ、音、立体的な展示を用いる仕事として紹介する。学校は建物であるとともに、人が集まることで成り立つ場所でもある。[4]

美術館の予告によれば、本展では校舎の断片を再構成し、黒板を支持体としてシルクスクリーンで刷ったインスタレーションを日本で初めて展示する。何が写っているかだけでなく、何に刷られているかが作品を読む手がかりになる。[1]

黒板は、書き、消し、また書くための面だ。そこに校舎の像が置かれると、記録を残すことと消えることが一つの物の上で重なる。写真を過去の保存容器として眺めるだけでなく、その過去を受け止める場所そのものに注意を向ける見方が生まれる。これは、発表された制作方法から考えられる鑑賞の入り口である。

苅部太郎――ノイズを風景として読む

苅部の《あの海に見える岩を、弓で射よ》では、液晶テレビに生じさせたグリッチを撮影し、その画像をAIを用いた風景認識の仕組みに読み込ませる。作家の説明によると、そこから現実の場所を撮ったものではない風景が生成される。写真撮影は工程の一部だが、最終的な像が実在の風景の記録になるとは限らない。[5]

この手順で面白いのは、入力が乱れても、風景として意味を与えようとする働きが現れることだ。鑑賞する側も、輪郭や明暗のかたまりを見て、海や岩などの名を与えたくなる。作家の実験は、機械の認識だけでなく、見る人自身の判断も意識させる。

ただし、作品から人間とAIの認知が同じだと科学的に結論づけることはできない。ここで問えるのは、もっと身近なことだ。自分が何かを「見つけた」とき、その像のどこまでが与えられ、どこからが解釈だったのか。作品名を読んだ後で、同じ画面が違って見えるかどうかも試せる。

野村在――消える写真から、別の光を記録する

野村は、過去の肖像写真を燃やし、その炎を長時間露光で撮影する制作を続けてきた。2024年の第17回shiseido art egg賞の発表でも、写真の燃焼を含む複数の方法によって、人の存在の痕跡をどう記憶し、記録するかに取り組んだ点が紹介されている。[6]

今回の美術館の案内も、収集したポートレイト写真を燃やし、その光を記録する過程に着目する。これは元の肖像をそのまま保存する方法ではない。元の像が失われる出来事を、別の像として残すという関係にある。[1]

何かを記録する際、同時に何が失われるのか。炎の写真を前にしたとき、その問いは抽象論だけでは済まなくなる。撮影された人の姿、紙という物、燃焼の時間は、同じ仕方で残るわけではない。変換された像を元の人物そのものと取り違えず、その距離を考えることが鑑賞の要点になる。

橋本麦――動く像を生む、装置と手順

橋本の制作では、道具をつくることも表現の一部になる。作家が2022年に公開した「Milling Stop-Motion」の説明では、CNC切削機とコマ撮りを使い、物理的に制作した映像であることが明記されている。これは今回の新作そのものの仕様を示す資料ではないが、物の変化と撮影を結びつける仕事の前史を知る手がかりだ。[7]

本展では自作の装置や道具を用いた新作インスタレーションに加え、会期中の公開制作も予定されている。完成映像に加えて制作過程を見せる構成は、動いて見える像を、撮影と操作の積み重ねへと開いていく。[1]

滑らかな動きを見るとき、私たちは一枚ごとの区切りを忘れやすい。装置や作業へ目を戻すと、その連続性を誰がどのようにつくったかが問題になる。技術を知ることは、作品の驚きを解消するだけではない。驚きの所在を、結果から制作の選択へ移すことにもなる。

藤倉麻子――都市の仕組みから、架空の社会へ

藤倉は、都市と郊外を通るインフラや、その周囲の風景を題材に、主に3DCGアニメーションで制作してきた。作家の略歴が示す関心は、都市の見た目だけでなく、それを支える物流や空間の配置にも及ぶ。[8]

大村高広と進める《記録の庭》では、写真や文章、物を3DCG上の架空の土地へ配置し、現実の空き家や庭の改修と行き来させる構想を示している。この別プロジェクトは本展への出品を意味しないが、仮想空間を現実から切り離さずに扱う制作姿勢を知る参考になる。[9]

本展では実写映像、CG、AIなどによって架空の都市と社会を構築するという。見る際には、個々の物が現実らしいかだけでなく、何と何が隣り合い、どう移動できる世界なのかにも目を向けたい。都市の像は、そこでどのような生活が可能かという想像を伴う。[1]

写真の加工は、生成AIから始まったのではない

写真史をさかのぼると、像の組み替えはデジタル以前から行われてきた。メトロポリタン美術館が2012~13年に開催した「Faking It」は、1840年代以降のフォトモンタージュ、複数のネガを用いた合成プリント、加筆や修整などをたどった。[10]

この歴史は、写真には何も信じられるものがないという話ではない。どのように制作され、何を伝えるものとして示されているかが重要だということだ。構成を明らかにする美術作品と、現実の出来事を伝える報道写真とでは、見る人との約束が違う。異なる用途を混同しなければ、表現を楽しむことと資料を確かめることは両立する。

まず見て、説明を読み、もう一度見る

通常の開館時間は10~18時、木・金曜は20時までで、入館は閉館30分前まで。一般観覧料は700円。月曜休館を基本とし、祝休日に当たる場合は翌平日が休館となる。今回の会期中の年末年始休館は12月28日~1月1日。割引、無料公開日、公開制作などの最新情報は展覧会の公式ページで確認したい。[1],[11]

説明を読む前に感じたことと、制作方法を知った後で気づくことを比べてみる。同じ像なのに意味が変わるなら、その変化も鑑賞の一部だ。五人の作品に共通する問いを自分の側へ引き寄せると、写真は何を見せているのかという疑問に、私は何を補って見ているのかという疑問が加わる。