全英を制した夏の先に、国内で勝ち切る秋が来た。女子ゴルフの第53回ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンゴルフトーナメントは9月27日、宮城県利府町の利府ゴルフ倶楽部で最終ラウンドが行われ、桑木志帆(くわき・しほ)が通算12アンダーで逆転優勝した。木戸愛に2打差をつけ、今季のJLPGAツアー3勝目、同ツアー通算6勝目を挙げた。[1],[2],[5]
8月のAIG女子オープンで海外メジャー初制覇を果たした23歳にとって、今回はその後初めての優勝となる。「今季3勝」は国内のJLPGAツアーでの数字であり、全英での1勝とは別だ。世界の大舞台で得たタイトルに、国内で積み重ねる成績が重なってきた。[2],[10]
1打差を追う最終日、68で逆転
首位と1打差の2位タイから出た桑木は、最終日を68で回った。通算10アンダーの木戸が単独2位、9アンダーの永井花奈と福山恵梨が3位タイ。大会は3日間54ホールのストロークプレーで争われ、桑木はプレーオフを待たずに決着をつけた。[1],[3]
この勝利は、メルセデス・ランキングで首位に立つ桑木の年間女王争いにも意味を持つ。JLPGAは優勝報告で、2位の佐久間朱莉との差が広がったと伝えた。ただし、9月27日の優勝は年間女王決定を意味しない。一大会の勝者になることと、シーズンを通じた評価で頂点に立つことは、別の到達点である。[1]
主催者によると、全英優勝後の国内ツアーでは2位や3位と、あと一歩の結果が続いていた。上位に入り続ける力があっても、優勝には最後に競り勝つ必要がある。利府で得た2打差は、その一歩を踏み越えた結果だった。[2]
最初の目標は、国内ツアーの1勝だった
桑木は2003年1月29日生まれ、岡山市出身。4歳でゴルフを始め、2021年6月25日にプロテストに合格した。現在の勝利数だけを見ると、頂点まで一直線に進んだようにも映るが、プロ入り当初から順にたどれば、目標は段階ごとに変わっている。[4]
JLPGAが2022年2月に掲載した紹介記事では、飛距離に加え、短い距離の打ち分けや状況に応じたクラブ選択を磨く姿が描かれていた。当時掲げていた目標は、JLPGAツアーでの初優勝。同じ岡山市出身の渋野日向子のように、海外でも応援される選手を目指していた。これは今回の優勝後の発言ではなく、プロ入り間もない時期の抱負である。[5]
その初勝利が実現したのは2024年6月30日、横浜市の戸塚カントリー倶楽部西コースで開かれた資生堂 レディスオープンだった。通算11アンダー、堀琴音に2打差。前年に敗れた大会で、今度は優勝を手にした。[6]
当時のJLPGAの報告で桑木は、ボギーをすぐバーディーで取り返そうとして焦っていた以前の自分と、ラウンド中に向き合ったと説明している。技術を増やすだけでなく、失敗の後にどう判断するか。後の成績を理解するうえで、この課題は見逃せない。[6]
3勝の2024年、未勝利の2025年
2024年はニトリレディスでも勝ち、11月のJLPGAツアーチャンピオンシップリコーカップで年間3勝目を挙げた。リコーカップは各ラウンド終了時に首位を守る完全優勝で、JLPGAの公式競技では初タイトル。最終的には小祝さくらを1打上回った。[4],[7]
初優勝から約5カ月で、シーズン最終戦のタイトルまで届いたことになる。だが、2025年は優勝がなかった。勝つ方法を一度つかんだからといって、翌年も勝利が約束されるわけではない。その間隔を踏まえると、2026年の3勝は単なる前年からの上積みではなく、勝ち切る力を取り戻したシーズンの記録として読める。[8]
再び優勝したのは5月17日のSky RKBレディスクラシック。通算15アンダーで、約1年半ぶりにJLPGAツアーの優勝を手にした。JLPGAの取材に桑木は、無理にピンを狙わずとも済むよう、コースマネジメントやゲームの組み立てが改善したと説明した。[8]
攻めることと、毎回ピンへ真っすぐ打つことは同じではない。次の一打をどこから打つか、外した場合にどんな難しさが残るか。結果に至る道筋を選ぶ判断が、桑木自身の説明では今季の変化になっていた。
神戸で得た出場権が、全英優勝につながる
6月14日、宮里藍 サントリーレディスオープンゴルフトーナメントを通算19アンダーで制し、国内2勝目を挙げた。この大会で桑木と2位の永井花奈が手にしたのは、賞金や順位だけではない。AIG女子オープンの出場権も与えられた。[9]
最終日の16番パー3は、桑木の判断を示す具体的な場面だった。JLPGAの報告によれば、左側に池がある状況でピンを直接狙わず、グリーンの右から左への傾斜を使って寄せ、バーディーにつなげた。国内の優勝争いを制する一打が、海外メジャーへ向かう道を確かなものにした。[9]
そして8月2日、英国のロイヤルリザム・アンド・セントアンズで初の海外メジャータイトルを獲得した。大会公式記録によると、通算5アンダーで並んだエスター・ヘンゼライトとのプレーオフを2ホール目で制した。出場権を得た大会から約7週間で、全英の優勝者になった。[10]
日本のツアーと海外の舞台を別々に眺めると、このつながりは見えにくい。国内大会は独自の優勝を争う場であると同時に、国際舞台への出場機会にもつながる。桑木の2026年は、その経路を一人の選手の成績としてたどれる年になった。
宮里藍を送り出した、宮城の大会
利府での勝利には、開催地の歴史も重なる。JLPGAの大会回顧によると、ミヤギテレビ杯は1973年、ミヤギテレビ開局3周年を記念した「松島国際女子オープン」として始まり、第1回優勝者は樋口久子だった。2003年から利府ゴルフ倶楽部が舞台となり、その年、東北高校に通うアマチュアの宮里藍が優勝した。[11]
半世紀を超える大会の歩みには、2011年の東日本大震災もある。2017年のJLPGA記事は、コースが被災し、開催の可否が議論されたものの、選手側の開催を望む声やコースの復旧を経て大会が行われたと振り返っている。勝者の名前を刻むだけでなく、地域で大会を続けるための仕事も積み重なってきた。[11]
2026年大会は宮城テレビ放送が主催し、DUNLOP(住友ゴム工業)が特別協賛。賞金総額は7,000万円、優勝賞金は1,260万円だった。地方局が主催する大会が全国放送され、地域のコースを国内トップ選手の競技の場にする。その仕組みの上に、今回の桑木の優勝もある。[3]
次に問われるのは、秋の成績をどう重ねるか
宮里の名を冠した神戸の大会で全英への道を開き、全英優勝を経て、宮里がアマチュアで勝った宮城の大会を制した。これは桑木本人が語った筋書きではなく、今年の結果と大会史をたどると浮かぶつながりである。
利府の1勝で、今季すべての目標が片付いたわけではない。年間女王争いは続く。それでも、未勝利だった前年から国内3勝と海外メジャー優勝へ転じた歩みは明確だ。初優勝を待っていた選手が、世界で勝った後も国内の最終日に勝ち切る選手になった。その変化を示す秋の一戦だった。

