日曜の午後、播州織の一反の布は、これまでその価値を知る人が集まっていた場所――機場、染工場、見本室――を離れ、神戸港のまったく異なる空間へ入っていく。
神戸ポートミュージアムのフードホールをモデルが歩く。来場者は生地やバッグ、衣服に触れ、ラベルの向こうにいる作り手へ質問できる。ショーの前には、次世代を担う二人の経営者が話す。イベント名は「播州織コレクション2026~未来へ続く、産地の軌跡~」だ。
名称は祝祭的で、会場は親しみやすく設計されている。しかし、この催しの本当の重みは、ランウェイでも隠せない緊張にある。播州織はよく知られた布でありながら、着る人から見れば、その産地が長く見えにくかった。
北播磨の企業は、他社へ生地を供給することに卓越してきた。糸を染め、経糸と緯糸を整え、一本ずつ交差させて柄をつくり、生機を洗い、仕上げる。シャツは別の企業の名前で百貨店へ並び、その色と肌触りが西脇周辺から始まったことは、表から分からないことも多かった。
いま一部の企業は、有能な供給者であるだけでなく、つくり手として名前を持とうとしている。製品を企画し、店を運営し、工場を公開し、ブランドを育て、消費者へ直接語る。8月23日の催しは、その変化を一つの会場に凝縮する。
産業の仕組みを、公共の場で見せる
「播州織コレクション」は、神戸ポートミュージアム1階の「TOOTH TOOTH MART FOOD HALL&NIGHT FES」で開かれる。マルシェは午前11時から午後4時、本編は午後1時から4時まで。入場は無料だが、通常席の利用はフードホールで飲食する客に限られる。2000円の優先観覧席には、同額の食事券と播州織のオリジナル品が付く。
午後1時から、斎藤商店社長の齋藤公志郎氏と丸萬社長の丸山洵平氏が「播州織の魅力」を語る。午後1時25分ごろからは、Boon Life Base、hatsutoki、jisetsu、POLSの4ブランドが、衣服とブランドの考え方を紹介する。
午前11時からのマルシェには、POLS、Re:BANSHUORI、WOVE MELT、Boon Life Base、大城戸織布、遠孫織布の6組が出店する。主催は公益財団法人北播磨地場産業開発機構。会場が協力し、Sonomano.incが制作演出を担う。2025年に続き、この会場では2回目の開催となる。
日程表だけを見れば、5時間の販売会に3時間のショーとトークを組み合わせた催しだ。しかし産業政策として見れば、三つの仕事を同時に行う。
第一に、ランウェイは布を動かす。スワッチでも色と組織は確認できるが、衣服になれば、落ち感、重さ、光を受けた表情が分かる。第二に、マルシェは作り手と、その価値に代金を払う人との距離を縮める。第三に、トークは長い供給網の中で匿名になりがちだった素材へ、人、判断、土地を結びつける。
布になる前に、色がある
播州織は「先染織物」と説明される。その短い言葉に、布の美しさと産業構造の両方が含まれている。
反物を織ってから色を付ける後染めに対し、先染めでは織る前の糸を染める。色の付いた経糸が縦に走り、緯糸が横切る。チェックやストライプ、複雑な柄は、白い布の表面へ後から印刷されるのではなく、色糸の交差そのものとして構成される。
この方法は、細やかな配色、鮮明な柄、柔らかな風合いを生みやすい。西脇市は、加古川、杉原川、野間川がもたらす豊かな水が染色業の発展を支え、温暖な播州での綿花栽培が初期の材料基盤になったと説明する。
ただし、理想化された一軒の工房が最初から最後まで布をつくるわけではない。播州織は分業産地として発達した。産元は企画と受注を組み立てる。染色業者が糸に色を入れ、別の事業者が経糸をそろえ、準備する。機屋は、張力、湿度、糸の性質、機械の状態を見ながら織る。最後に整理加工業者が洗い、整え、寸法と最終的な肌触りを決める。
分業網が厚ければ、それぞれが難しい一工程に熟達し、産元は多品種・小ロットの注文に合わせて技術を組み合わせられる。同時に、それは弱点にもなる。一社を失うことは競争相手が一社減るだけではない。複数のブランドが必要とする工程そのものが消える可能性がある。
| 工程団体 | 加入企業 | 従業員 | 産地での役割 |
|---|---|---|---|
| 産元 | 11社 | 215人 | デザインと受注を、産地内の工程へ落とし込む |
| 染色 | 6社 | 159人 | 織機へかける前の糸に色を定着させる |
| 織布 | 87社 | 400人 | 準備した糸から布と柄を構成する |
| 加工 | 2社 | 110人 | 洗い、安定させ、最終的な風合いをつくる |
数字は北播磨地場産業開発機構が2026年3月時点で公表した組合加入企業の集計で、播州織に関わるすべての個人・独立事業者を数えた全数調査ではない。それでも、後継者問題がデザイナーを増やすだけでは解けない理由は見える。87社の織布企業がある一方、終端を担う加工の加入企業は2社である。
宮大工が持ち帰った織機
伝承上の始まりは1792年である。比延庄村の宮大工、飛田安兵衛は、京都の菅大臣神社再建に携わった。西陣で織機の知識を学び、帰郷後に木工の技を生かして織機をつくったとされる。
初期の織物は、京都の神社名に結びつく「勘大寺縞」と呼ばれ、後に「播州縞」になった。農家の副業として村々へ広がった当時、織ることは独立した「ブランド産業」ではない。地元の綿、農閑期、家族労働を現金収入へ変える手段だった。
明治初めには、後の津万村周辺に60~70軒の綿布業者があったとされる。明治後期、力織機の普及で生産の中心は家の一室から工場へ移った。「播州織」という名称は、1906年の連合織物品評会で県知事が行った訓諭に初めて使われたと伝わる。
大正期の鉄道開通は、産地の可能性を広げた。布は都市へ運びやすくなり、播州織の名は全国へ広がった。第一次世界大戦後、産業は東南アジアを中心とする海外市場へ軸足を移す。
日中戦争の前後には、年産1億平方ヤード、業者数270軒の黄金期に達したという。繁栄の記憶だけでは、労働史は見えない。工場は県内外、さらに朝鮮半島からも女性労働者を集めた。高度成長期には、西日本各地の若い女性が集団就職で西脇へ来た。
彼女たちの仕事は、産地物語の脇役ではない。大量生産を可能にした中心の労働だった。播州織を文化遺産として語るなら、機械の間にあった手と移動の記憶も残さなければならない。
1792年 ・ 京都から戻った飛田安兵衛が織機をつくったと伝わる。
明治後期 ・ 力織機により、農家副業から工場生産へ移行。
1906年 ・ 品評会の県知事訓諭で「播州織」が使われたとされる。
1920~30年代 ・ 鉄道と輸出市場で大産地へ成長。
戦後 ・ 米国向け販売と高度成長で「ガチャマン景気」。
1985年以降 ・ 円高、輸入品、市場変化で縮小が加速。
2006~08年 ・ ファッション特区が始まり、地域団体商標を取得。
2026年 ・ 直販、オープンファクトリー、ブランドの発信を拡大。
一度の「ガチャ」が一万円になった時代
第二次世界大戦後、新製品と米国市場の開拓が、もう一度大きな拡張をもたらした。時代には「ガチャマン景気」という有名な呼び名が付いた。織機が一度「ガチャ」と鳴れば1万円儲かる、という土地の言い回しである。
この言葉は、町の経済全体を一つの音へ圧縮する。織機が動けば、受注、賃金、運送、修理、地域の消費が動く。生産拡大の中で、西脇は1952年、播磨内陸部で初めて市制を施行した。
一方、その繁栄は産地を大量生産と輸出経路へ深く結びつけた。1970年代のドルショックとオイルショック、低賃金国の技術向上、1985年プラザ合意後の急激な円高、バブル崩壊、国内デフレ、安価な輸入生地・衣料――打撃は重なった。
西脇市の歴史統計では、播州織の生産量は1987年の約3億8800万平方メートルがピークだった。2016年は約3422万平方メートルで、ピークの8.8%。輸出比率も60%超から14.8%へ低下した。
北播磨地場産業開発機構の最新値は、対象範囲や定義が異なる可能性があるため、過去の系列へ機械的につなぐべきではない。それでも、現在の姿ははっきりしている。2026年3月の集計は、生産量895.4万平方メートル、織機1010台、仕向け先の89.2%が国内だった。
これは衰退だけの物語ではない。量が小さくても、多品種、短いロット、高い付加価値を支えられる。2004年、地元の片山商店などは、素材や太さの異なる糸をつないで連続生産する「アレンジワインダー」を開発した。複雑な小ロット生産を現実的にし、2005年の第1回ものづくり日本大賞で内閣総理大臣賞を受けた。
しかし、柔軟性は安定と同義ではない。小さな注文は創造的で利益を生む可能性があるが、すべての専門工程を動かすだけの注文が、都合よく連続する保証はない。
ブランドが担う、もう一つの工程
神戸に集まるブランドは、受託生地の先へ進む複数の道を示す。
POLSは2015年、1901年創業の先染織物メーカー丸萬と、テキスタイルデザイナー梶原加奈子氏の協業から生まれた。電子ジャカードの技術を衣服、ストール、バッグ、インテリアへ移す。西脇のジャカードで使う1インチ144本の密度設計を、見えない仕様にとどめず、製品の個性として語る。
hatsutokiは、1948年設立の産元、島田製織の中から生まれた。同社は、産地の職人と開発した生地の価値を確認し、示すために自社レーベルを始めたと説明する。完成した衣服は販売品であると同時に、開発の検証装置でもある。裁断し、縫い、着て、洗った時に布がどう振る舞うかを、つくり手へ返す。
東播染工が2025年春夏に始めたjisetsuは、先染織物づくりの現場からアパレルへ進んだブランドである。今年春の東京イベントでは、衣服とともに生地づくりの工程を展示した。生産工程を舞台裏に隠さず、ファッションの内容そのものにする試みだ。
播が2024年に開いたBoon Life Baseは、産地の生地と自社縫製を組み合わせ、オーダーシャツも扱う。産地が布だけを売れば、最終製品の価格と顧客情報の多くは別の場所に残る。縫製と小売を持つことは、その両方をものづくりの近くへ戻す。
マルシェは実験の幅をさらに広げる。Re:BANSHUORIは生産時の端切れを商品へ変える。WOVE MELTは綿とPLA(ポリ乳酸)素材を組み合わせ、熱成形やレーザーカットを可能にし、通常の縫製に依存しない用途へ織物を広げる。大城戸織布と、ENMAGOの名でも発信する遠孫織布は、消費者ブランドの隣で、織る事業そのものを見える存在にする。
一つのモデルだけが勝つ必要はない。ジャカードのファッション、オーダーシャツ、素材実験、アップサイクル、専門の機屋が、それぞれ異なる理由で同じ産地へ仕事をつくる方が、分業網は強くなる。
神戸は橋であり、リスクでもある
神戸での開催は、単に人通りを求める行為ではない。北播磨は内陸、神戸は港町であり、交易、異文化、アパレル、近代的な消費と結びついてきた。工場見学を計画していない観光客や都市の買い物客でも、食事の場で産地と出会える。
距離があるからこそ、播州織は新しい人に理解される。同時に、魅力的な表面だけが産地から切り離される危険もある。来場者が心地よいチェックのシャツだけを覚えて帰れば、顧客は一人増えても、北播磨は匿名のままかもしれない。
すべての衣服へ長い歴史講義を付ける必要はない。必要なのは、確かめられ、追いやすい来歴である。誰が布を企画し、どこで糸を染め、誰が織り、誰が仕上げ、地域商標が何を保証し、次にどこで買い、どこを訪ねられるか。
「播州織」は2008年に地域団体商標を取得した。西脇市によると、産地内で企画され、糸染めされ、織られ、加工され、一定の品質基準を満たす製品を認定する。この印は、製品から産地の分業網をたどる土台になる。課題は、産業を守る印で終わらせず、買い手にとって役立つ情報へ育てることだ。
工場を「訪ねる場所」に変える
北播磨では、産地の側でも見える化が進む。西脇の「播州織産地博覧会」、通称「播博」は2018年、「織物のまちに、織物の名物市を!」を合言葉に始まった。今年5月は36の出展者が市役所・市民交流施設から旧来住家住宅周辺まで並び、市は約1万8000人が来場したと発表した。前年の約1万2000人から増えている。
2026年の播博は、生地販売に西脇高校生のファッションショーを組み合わせた。前夜祭ではメーカー同士のトークと製品販売を行った。別の「ひょうごフィールドパビリオン」では、オープンファクトリーや産地史の体験を、活動現場そのものを展示に見立てて提供する。
これは製造業へ観光を貼り付けるだけではない。工場訪問は、産業上の役割を持てる。繊維を職業として想像したことのない人材を採用へつなげる。デザイナーへ織機のできること、できないことを示す。小ロットがなぜ高いのかをバイヤーに理解してもらう。分業網へ名前と顔を戻す。
歩みは一直線ではない。のこぎり屋根の旧工場を再生し、2007年に開いた「播州織工房館」は、2026年3月15日に閉館した。産地公開の流れ全体が止まったわけではないが、文化を見せる施設にも持続可能な運営が必要だと分かる。
人口環境は課題を鋭くする。西脇市の2026年7月1日時点の人口は3万6770人。年に一度、多くの来訪者を集めることと、月曜の朝に布をつくる住民、機械技術者、後継者を確保することは、同じではない。
ランウェイでは直せないもの
盛況なコレクションは注目を生む。注目と産業再生は同義ではない。
ブランド運営には、運転資金、在庫判断、写真、EC、顧客対応、返品が必要になる。仕様通りの布をつくる能力とは別の仕事だ。直販は利益率と顧客情報をもたらす一方、アパレル企業が負っていた在庫リスクを工場側へ戻す。小さな企業が、メーカー、メディア、小売の三役を同時に担い、疲弊する可能性もある。
各社を別々の「暮らしのブランド物語」にしてしまう危険もある。播州織の競争力は共同体にある。消費者には異なる個性を見せながら、染色能力、加工、機械修理、人材育成、環境投資、産地証明では協力する方が強い。
したがって、成功は来場者数やSNSの反応だけで測れない。神戸の催しから、継続顧客、卸の問い合わせ、適正価格の受注が生まれたか。その仕事は北播磨の複数社を通ったか。若い人が求人へ応募したか。織機への投資や加工技術の継承につながったか。神戸で知った人が、後に西脇を訪ねたか。
ショーより写真映えしない問いだが、ショーが意味を持つかを決める。
- 受注:会場売上だけでなく、リピートと卸取引。
- 地域への還元:染色、織布、縫製、加工のどこまで北播磨に残るか。
- 人:見習い、中途採用、機械知識の継承。
- 共有基盤:ボトルネック工程、修理、環境性能への共同投資。
- 土地:神戸での認知が、消費者とデザイナーを産地へ運ぶか。
工場とともに、工場の先へ
播州織は、規模と販路を変えながら生き残ってきた。農家の副業から工場へ、国内向けの布から輸出産業へ、大量生産から多品種・小ロットへ。現在の転換は、名を出さない技術力から、見える作り手へ進む動きである。
すべての機屋がデザイナーになり、すべての染工場が店を開く必要はない。産地で生まれた価値が認識され、産地へ戻る道を十分につくればよい。ブランドは名前を運ぶ。市場は需要を示す。高校生のショーは、産業を将来の職業として想像させる。オープンファクトリーは生産知識を公共資産に変える。地域商標は完成品を分業網へ結び直す。
8月23日、神戸の照明の下を通る時、布は機場から最も遠く見えるだろう。実際には、その色と折り目のすべてが工場を運んでいる。宮大工がつくった最初の織機、川の水、集団就職の女性たち、輸出の時代、円高の衝撃、専門工場、そして今ここに残るかを決めている人々である。
播州織の未来は、伝統かファッションか、工場かランウェイかの二者択一ではない。北播磨が、それらを同じ一枚の布へ織り込めるかにかかっている。
- 名称:播州織コレクション2026~未来へ続く、産地の軌跡~
- 日時:2026年8月23日(日)
- マルシェ:午前11時~午後4時 トーク・ショー:午後1時~4時
- 会場:TOOTH TOOTH MART FOOD HALL&NIGHT FES(神戸ポートミュージアム1階、神戸市中央区新港町7-2)
- 入場:無料。通常席はフードホール利用客向け。優先観覧席は2000円で、2000円分の食事券と播州織オリジナル品付き。
- 北播磨地場産業開発機構「播州織コレクション2026開催のお知らせ」 — 主催者発表と参加者。
- ポトマック/TOOTH TOOTH MART、2026年8月7日発表 — 日程、会場、料金。
- 北播磨地場産業開発機構「播州織データ」(2026年3月現在) — 企業数、従業員、織機、生産量、仕向け先。
- 西脇市「地場産業『播州織』」 — 起源、工業化、労働、輸出、最盛期、構造変化。
- 西脇市「地場産業『播州織』活性化への取組」 — ファッション特区、地域団体商標、産官学連携。
- 西脇市「播州織産地博覧会『播博』」 — 出展者、内容、前年来場者数。
- 西脇市長公務日誌(2026年5月) — 約1万8000人の来場発表。
- 西脇市「ひょうごフィールドパビリオン」 — オープンファクトリーと産地体験。
- 西脇市「播州織工房館」 — 2026年3月の閉館。
- 西脇市「最新の人口と世帯数」 — 2026年7月1日現在。
- POLS/丸萬、島田製織、Boon Life Base、WOVE MELT — 各ブランドと素材開発の公式説明。
- FASHIONSNAP「jisetsu」工程展示、Kiss PRESS「Re:BANSHUORI」端切れ活用製品。
編集注: 最新の産地統計は組合加入企業を対象としており、すべての独立した作り手の全数調査ではない。過去と現在の生産量は集計範囲・定義が異なる可能性があるため、別々に記した。催しは記事公開時点で未開催であり、産業上の意味に関する記述は公表資料に基づくJapan.co.jpの分析である。
