日本の地方に足りないものは、観光客だけではない。朝食を運ぶ手、収穫を手伝う手、旅館の布団を整える手、漁港で箱を運ぶ手、祭りの準備をする手、季節のピークを越えるための数日間の人手である。おてつたびは、その不足を「仕事」としてだけでなく、「旅の入口」として組み替えた。
株式会社おてつたびは、登録者数が10万人を突破したと発表した。2021年に5,000人だった登録者は、2024年に5万人、2025年に7万人、2026年初めに9万5,000人台へ増え、ついに10万人の節目を越えた。さらに6月時点の関連発表では、登録者数は10万6,000人以上とされている。
この数字が面白いのは、利用者が若い旅行者だけではなくなっている点である。おてつたびは、参加者の約半数を10代・20代のZ世代が占める一方、50代以上の中高年・シニアにも広がっている。2026年2月時点では、参加者全体の約29%が50代以上とされ、早期退職者、子育てを終えた人、地方移住を考える人が「お試し地域生活」として利用するケースが増えている。
おてつたびとは何か
「おてつたび」は、「お手伝い」と「旅」を合わせた言葉である。仕組みはシンプルだ。人手不足に悩む地域の事業者が、短期間の仕事を掲載する。旅行者はその地域へ行き、数日から数週間、場合によっては2か月未満の期間で働く。受け入れ先は報酬と宿泊場所を用意し、旅行者は仕事の前後や休日に地域を歩き、食べ、買い、話し、知る。
対象は、ホテルや旅館だけではない。農業、漁業、ゲストハウス、キャンプ場、酒造会社、水産加工、飲食店、観光施設などへ広がっている。人手不足のピークは、桜や紅葉の観光期、夏休み、年末年始、収穫期、漁の時期、祭りの時期など、地域ごとに違う。おてつたびは、その「数日だけ足りない」を全国の旅人に見える形にした。
従来の観光は、見る、泊まる、食べる、帰る、だった。おてつたびはそこに「手伝う」を入れた。すると旅は消費だけではなくなる。地元の人と同じ時間に起き、同じ道具を使い、同じ昼食を食べ、同じ天候に左右される。観光パンフレットの外側にある地域の現実に触れる。
なぜ今、伸びているのか
おてつたびの伸びには、三つの力が重なっている。第一に、旅費の問題である。物価高と円安で、旅行は以前よりも高くなった。交通費、宿泊費、食費、観光費が積み上がる中で、旅先で働いて報酬を得られる仕組みは、若者にもシニアにも現実的な選択肢になる。
第二に、旅の価値観が変わった。SNSと動画で有名観光地の景色はいつでも見られる。だからこそ、現地でしか得られない体験、人との会話、土地の匂い、作業の手触りが価値を持つようになった。旅館の裏方、農家の畑、漁港の朝、酒蔵の仕込みは、普通の観光では入りにくい場所である。
第三に、働き方が変わった。テレワーク、ワーケーション、スポットワーク、副業、早期退職後の再設計。2020年代の日本では、働く場所と旅する場所の境界が以前よりも柔らかくなった。おてつたびは、この時代の空気を、地方の人手不足という現実に接続した。
シニアが増える意味
おてつたびがシニア世代に広がることは、単なるユーザー年齢の変化ではない。日本の高齢化社会が、受け身の「支えられる世代」から、地域を支える「参加する世代」へ少しずつ見方を変えていることを示している。
日本では65歳以上が人口の29.3%を占める。政府は高年齢者雇用安定法の改正などを通じて、70歳までの就業機会確保を企業に促してきた。だが、すべての人が同じ会社で同じ仕事を続けたいわけではない。体力、時間、生活費、家族事情、人生の興味は人によって違う。数日から数週間、旅を兼ねて地域を手伝う仕組みは、フルタイム再雇用とは別の選択肢になる。
シニアにとって、おてつたびは「安く旅する」だけではない。自分の経験が役に立つ感覚、若い世代や地元の人と話す時間、知らない町にもう一つの居場所を作る機会である。受け入れる地域にとっても、若者とは違う落ち着き、生活経験、接客経験、責任感を持つ人材が来る意味は大きい。
日本の旅と労働の歴史
旅と働くことは、実は昔から近い関係にあった。江戸時代の旅人は、宿場町、茶屋、港、寺社、温泉地をつなぎながら移動した。農閑期の出稼ぎ、季節労働、杜氏、漁業、林業、山村の手伝い、奉公、商家の見習い。日本の地域社会は、定住者だけでなく、季節ごとに動く人々にも支えられていた。
戦後の高度成長期には、若者が地方から都市へ出た。集団就職、工場、建設、サービス業。地方の人口は都市へ吸い寄せられ、観光地は団体旅行と温泉宴会で賑わった。だが平成以降、地方は高齢化し、旅館は後継者不足に悩み、農漁村は担い手を失い、観光は都市や有名地へ偏った。
2000年代以降、地方創生、移住促進、関係人口、ワーケーション、二拠点居住、ふるさと納税など、都市と地方を再接続する言葉が増えた。おてつたびは、その流れの中にある。特徴は、理念を語るだけでなく、実際の仕事と宿泊を媒介にしていることだ。「地方を応援しよう」ではなく、「明日から三日間、ここで人手が足りません」と言う。その具体性が強い。
受け入れ先にとっての価値
地方の旅館や農家にとって、人手不足は抽象的な問題ではない。予約は入っているのに部屋を回せない。畑に実っているのに収穫が追いつかない。繁忙期だけ人を雇いたいが、長期雇用では採算が合わない。地域内で人を探しても、そもそも若者が少ない。
おてつたびは、そこに外からの短期人材を送る。もちろん、未経験者が多ければ教育コストはかかる。仕事の安全管理、最低賃金、労災、宿泊環境、勤務時間、コミュニケーションの設計も必要になる。けれど、うまく回れば、事業者は人手を得るだけでなく、将来のリピーター、移住候補者、地域のファンを得る。
特に観光業では、働き手がそのまま地域の語り手になる。旅館で働いた人は、その土地の料理、温泉、客層、朝の空気を知る。帰った後、友人に話す。SNSに書く。翌年また来る。別の仕事で関わる。これは広告では作りにくい「関係人口」の増え方である。
関係人口という日本らしい言葉
「関係人口」は、移住者でも観光客でもない、地域と継続的に関わる人を指す言葉である。観光客は一度来て帰る。移住者は住民になる。その間に、何度も通う人、手伝う人、買う人、紹介する人、ふるさとのように思う人がいる。
人口減少の日本では、すべての地域が定住人口を増やすことは難しい。だが、関係人口を増やすことはできる。年に数日でも、繁忙期に手伝ってくれる人がいる。収穫物を買ってくれる人がいる。災害時に寄付や支援をする人がいる。地域の名前を覚えている人がいる。おてつたびは、関係人口を「気持ち」ではなく「作業」と「滞在」によって生む仕組みだ。
課題もある:美談だけでは続かない
ただし、おてつたびを美談だけで語るのは危うい。働く以上、労働条件は明確でなければならない。最低賃金、労働時間、休憩、保険、安全教育、宿泊環境、交通費負担、キャンセル対応。地域の人手不足を旅人の善意に頼りすぎれば、制度は長く続かない。
また、短期人材は地域の根本的な人手不足を完全には解決しない。高齢化、後継者不足、低賃金、交通の不便さ、住居不足、保育や医療の不足といった構造問題は残る。おてつたびは、万能薬ではない。むしろ、地方の現場に人を入れることで、問題の輪郭を見えるようにする装置である。
それでも、現場で人が出会うことには力がある。都会の人が「地方は人がいない」と言うのと、実際に朝5時の畑で収穫を手伝うのとでは、理解の深さが違う。地方の事業者が「若者は来ない」と思うのと、実際に全国から応募が届くのとでは、希望の形が違う。
Japan.co.jpの見方
おてつたび10万人は、日本の小さな変化の大きなサインである。旅行は消費から参加へ、労働は会社から地域へ、シニアは引退から再参加へ、地方創生は補助金から関係づくりへ、少しずつ意味を変えている。
日本の地方は、これからさらに人手が足りなくなる。2040年に約1,100万人の労働供給不足が予測されるなら、都市だけでなく、農村、漁村、温泉地、離島、山間部が先にその現実に直面する。ロボットやAIは一部を助ける。外国人労働者も重要になる。だが、人が人に会い、土地に触れ、もう一度来たいと思う仕組みもまた、地方には必要だ。
おてつたびの本質は、「安い旅行」でも「便利なバイト」でもない。それは、人口減少時代の日本が、都市と地方の関係を作り直すための実験である。手伝うことで旅が深くなる。旅することで地域が助かる。その循環が本当に続くなら、日本の地方にはまだ新しい物語がある。
読者のための要点
| 項目 | 読み方 |
|---|---|
| 何が起きたか | おてつたびの登録者数が10万人を突破し、6月時点では10万6,000人以上との関連発表もある。 |
| なぜ重要か | 旅先で働く仕組みが、地方の人手不足、旅費高騰、シニア就労、関係人口づくりをつないでいる。 |
| シニアの意味 | 50代以上の利用が増え、早期退職者や子育て後の人が地域参加の入口として使っている。 |
| 地域側の価値 | 繁忙期の人手だけでなく、将来のリピーター、移住候補者、地域ファンを作る可能性がある。 |
| 注意点 | 労働条件、安全、宿泊環境、賃金、教育コストを整えなければ、美談だけでは続かない。 |
Sources and references
この記事は、おてつたびの公式発表、PR TIMES、Mainichi、JapanGov、Recruit Works Institute、内閣府高齢社会白書、厚生労働省の高年齢者雇用資料、Reutersなどを参考にしました。登録者数、事業者数、利用者構成は各発表時点の数字であり、今後更新される可能性があります。
- PR TIMES: おてつたび、登録者数が10万人を突破。
- PR TIMES: JR東日本「大人の休日倶楽部」とシニア世代向け連携。
- PR TIMES: 人手不足を“旅の目的”に変えるビジネスモデル。
- Mainichi Japan: Japanese service matches traveling workers with inns seeking staff.
- Recruit Holdings / Recruit Works Institute: Future Predictions 2040 and worker shortage estimate.
- Cabinet Office: Annual Report on the Ageing Society, FY2025 summary.
- MHLW: Current state of employment measures for the elderly.
- Reuters: Japan’s labor crunch and small-town businesses.
