オリエンタルベーカリーの名を知らずに、そのパンを食べた人は多い。大阪の喫茶店で朝のトーストを頼んだ人。関西のホテルで小さなロールパンを皿に取った人。飛行機のトレーを開いた人。病院の朝食で個包装を破った人。店頭で社名を売る会社ではない。厨房、栄養士、購買担当、配膳現場の要求に合わせ、見えないところから一日を支える業務用パンメーカーである。

その「見えない強さ」が、会社の生死を分けた。新型コロナウイルスが外食、観光、航空を同時に止めた2020年春、同社の4~6月売上高は感染拡大前の半分に落ちた。原田幸博社長は「これで潰れる」と感じ、解雇も頭をよぎったと中小機構のJ-Net21に語っている。喫茶店、レストラン、機内食の注文はほぼ消えた。それでも病院と福祉施設では、患者と入居者の朝食を止められない。全売上の約半分まで育てていた医療・福祉向けが残り、雇用維持支援とともに会社を底で支えた。

危機の前には、年商約90億円から100億円が見えていた。遠回りの後、2023年度に初めて100億円を超え、2026年3月期の売上高はグループ144億3300万円、単体127億200万円となった。社員318人、パート・アルバイト1234人。次の目標は2030年度、グループ売上高200億円である。だが、この物語の核心は目標額ではない。なぜ病院向けという地味で厳しい仕事が危機に強かったのか。なぜ一個ずつ包み、毎日遠くへ運ぶ非効率が競争力になったのか。その答えに、日本の食生活、医療、物流、人手不足の75年が折り重なる。

144億3300万円2026年3月期のグループ売上高。単体は127億200万円
200億円2030年度のグループ売上目標
約1万8000社病院、介護施設、ホテル、外食、機内食などの取引先
1400超顧客の細かな用途に合わせる商品アイテム数
約半分病院・福祉施設向けが占める売上比率
半減2020年4~6月の売上高がコロナ前比で落ち込んだ幅

パンではなく、用途を売る会社

スーパー向けの大手製パンは、少数の大型工場から全国へ大量の商品を送り、棚でブランドを競う。オリエンタルベーカリーのモデルは逆だ。取引先は、ホテル、機内食、レストラン、カフェ、喫茶店、病院、介護施設、幼稚園など。パンはそのまま売られることも、サンドイッチや給食の一部になることもある。大きさ、塩分、アレルゲン、包装、食感、納品単位、時刻が違う。

だから同社は1400を超すアイテムを持つ。食パンとロールパンだけでなく、菓子パン、総菜パン、無塩・減塩、卵不使用、たんぱく質や鉄分を補う商品まで並ぶ。原田氏は、顧客に言われた品を運ぶだけでなく、その店や施設がどうすれば繁盛し、作業を減らし、利用者を喜ばせられるかまで提案することが営業の仕事だと説明する。

多品種は製造を複雑にし、小口配送は物流費を上げる。それでも顧客を業態ごとに絞らず、一つの地域で喫茶店、病院、ホテル、施設を束ねれば、配送車のルート密度が上がる。点在する顧客をつないで「面」にする。競合が遠い、面倒、小さすぎると避けた先へ毎日通うことで、模倣しにくいインフラができた。

コロナが証明したのは、病院向けパンが特別に高収益だったことではない。需要の時計が、ホテル、外食、航空と違っていたことだ。異なる顧客を一台の配送網に乗せた多角化が、突然、事業継続の保険へ変わった。

難波のケーキ運びから始まった

創業は1950年。原田氏の父は、戦前の台湾から引き揚げた電気技師で、大阪の光学機器メーカーに勤めていた。母は神戸から大阪へケーキを運び、喫茶店へ納めて家計を支えた。西洋菓子がまだ珍しい時代、その売れ行きを見た父が会社員を辞め、職人を雇って難波で製造を始める。父が営業、母が工場を担った。

創業の場所と時代には意味がある。戦後の日本では食糧不足を救うため、米国などの援助物資を使った学校給食が再開され、パンと脱脂粉乳が子どもの日常へ入った。高度成長期には都市の喫茶店、洋食、ホテル、ファミリーレストランが広がった。パンは非常食や珍しい洋食から、朝食、外食、給食の基盤へ変わった。オリエンタルベーカリーは、その変化を小売の棚ではなく業務厨房の裏側から捉えた。

父は大阪ミナミの喫茶店を一軒ずつ訪ね、断られてもまた訪ねる「ローラー作戦」で商圏を広げた。洋菓子中心から食パンへ軸足を移し、1970年代にファミリーレストランと企業取引が伸びると、伊丹空港の機内食メーカーへ納入した。1987年、来日した英国のダイアナ妃が搭乗した航空機で同社のパンが供された話は、無名の業務用メーカーに営業上の信用を与えた。

「遠くへ毎日」が堀になった

原田氏が1970年代初めに家業へ入った時、売上高は2億2000万円、従業員約50人だった。同業者が地元の縄張りを守るなか、同社は配送を嫌がられる地域へ進んだ。1982年の阪神販売、1983年の泉佐野工場と南大阪販売、東大阪、北大阪、京都、奈良、姫路へ。工場と販売拠点を置き、北は京都、南は和歌山、西は姫路、東は滋賀まで、毎日の線を重ねた。

これは食品版のネットワーク効果である。初めの一軒へ遠距離配送すれば赤字でも、同じ道沿いに十軒、百軒が加われば、一個当たりの物流費は下がる。注文頻度が異なるホテル、喫茶店、病院を組み合わせれば車両稼働も平準化できる。顧客から見れば、1400品から小ロットで選び、焼きたてに近い商品を継続して受け取れる。競争相手が同じ価値を提供するには、工場だけでなく顧客密度と配送時間を再現しなければならない。

その強みは同時に弱点でもある。燃料、運転手、人件費が上がれば、毎日配送のコストは直撃する。深夜に焼き、早朝に届ける仕事は採用が難しい。商品を増やしすぎれば、段取り替え、在庫、誤配、アレルゲン管理の複雑さが膨らむ。200億円への成長は、配送網を広げるだけでなく、密度と生産性を落とさず広げる問題である。

1990年代、衛生基準が会社を変えた

病院と老人ホームへの本格進出は1990年代だった。医療現場が求めたのは、単に柔らかくおいしいパンではない。交差汚染を防ぐ管理、安定した栄養成分、配膳しやすい個包装、確実なロット管理、決めた時刻に届く供給である。一つずつ包む工程は材料と手間を増やすが、病棟や施設では衛生と作業時間を買う。

同社の製造思想とも合った。原田氏によると、一般的な方法より生地調整と機械化が難しい「100%中種法」を量産化し、約20年前からは、ほんのり甘く、時間がたってもパサつきにくい湯種法を取り入れた。食べる時刻が焼成直後ではない病院や機内食では、時間経過後の食感が商品価値になる。毎日自社のパンを食べ、気温、湿度、水温の変化を記録して改善する習慣も徹底したという。

厳しい基準に応えた実績は、次の病院への信用になった。病院・福祉施設向けはやがて売上の約半分に達した。通常時には、外食より派手でなく単価交渉も厳しいかもしれない。しかし需要は人口、病床、入居者の毎日の食事に結びつく。景気や観光客数だけで動かない。その安定性が2020年に企業価値をむき出しにした。

売上半減の春――「全部なくなる」寸前

パン工場は止めても固定費が消えない。大型設備、工場、配送車、衛生管理、雇用。コロナ直後には月次で2億~3億円規模の赤字に陥ったと、同社幹部による後年の説明は振り返る。ホテルが閉まり、航空便が消え、レストランが休業すれば、業務用メーカーの注文は一晩で蒸発する。

経営は「固定費の変動費化」を合言葉に、配送、在庫、作業を見直した。政府の雇用維持支援も利用した。それでも最も大きな防波堤は、医療と介護の注文だった。患者と入居者は施設から消えず、食事は一日三回必要だった。病院で感染対策が強まるほど、衛生的な個包装の価値も明確になった。

原田氏は生き残りを「ちょっとした差」「運がよかった」と語る。謙虚な評価だが、その運は30年前の選択に入り込む場所を持っていた。単一顧客、単一業態、単一販路へ効率化しすぎていれば、売上は半分残らなかった。危機耐性は、平時には余分に見える多様性から生まれた。

100億円は到達点ではなく、生還の印

2023年度に売上高100億円を超えた時、原田氏は達成感より「助かった」という思いが強かったという。現在のグループ売上高は、入社時の60倍を超える。ただし、会社は名目成長を割り引いて見ている。小麦、油脂、包装、エネルギー、物流、人件費が上がり、コロナ後に4回の値上げを実施した。原田氏は、コロナ前の価格水準で換算すれば、実質的な規模は現在も100億円程度だとJ-Net21に説明した。

この自己認識は200億円目標を読むうえで重要だ。2026年3月期の144億3300万円から200億円までは55億6700万円、38.6%の上積みが必要になる。単純に2030年3月期まで4年間と置けば、年平均約8.5%の成長だ。これはJapan.co.jpによる計算で、会社の公式予測ではない。値上げだけで届けば利益と数量は伴わない。目標の質は、販売個数、新規顧客、生産性、賃金、営業利益がどれだけ増えるかで決まる。

成長の柱会社が進める施策越えるべき壁
首都圏東京、横浜、千葉の営業網と千葉工場。得意な病院・介護施設から密度を作る。関西より米飯志向が強い病院、低い知名度、配送ルートの立ち上げ費。
高級ホテル国産小麦や地域素材、常温小ロットの日配ブランド「NukumOri」。品質、物語、安定供給を同時に満たし、価格競争から離れられるか。
医療・介護個包装、無塩・減塩、卵不使用、栄養調整、調理省力化。給食予算の制約、栄養・嚥下の個別性、人手不足、制度価格。
EC・冷凍焼成後急速冷凍、退院後の個人、健康志向、小規模事業者へ直接販売。宅配費、広告費、顧客獲得、B2B営業とは異なるデジタル能力。
生産性工場能力、物流最適化、マンツーマン教育、若手主導のマーケティング。深夜製造・早朝配送の採用、賃上げ、技能伝承、1400品の複雑性。

首都圏は「工場」より先に密度を作る戦い

同社は2016年に東京へ進出し、2020年に横浜、2023年に千葉営業所を開いた。千葉工場は2022年に生産を始めた。焼成地を市場へ近づければ鮮度と配送時間は改善する。だが、工場を建てただけでは関西の強みは移植できない。必要なのは、配送車一台のルートを埋める顧客の密度である。

入口は、同社が最も理解している病院と福祉施設だ。首都圏の病院は関西より患者の米飯志向が強く、パン食の普及余地があると原田氏はみる。勝負は「米かパンか」という文化論だけではない。個包装パンなら前日にトレーへ置ける。早朝の炊飯と仕込みを減らし、総菜パンなら一品を置き換えられる。人が集まりにくい早朝時間帯の負担を下げられるという、厨房の損益計算である。

ただし、パンがすべての患者に適するわけではない。嚥下機能、アレルギー、腎疾患、糖尿病、塩分、文化的嗜好を個別に見る必要がある。パン食の価値は米飯を排除することではなく、栄養士が選べる献立と、厨房が回る選択肢を増やすことにある。

超高齢社会で「自分で食べる」を支える

日本の65歳以上人口は3624万人、高齢化率29.3%。要支援・要介護認定者は681万人を超える。医療・介護給食は、人口が減る国で数少ない構造的需要の市場である。同時に、予算と人材が最も厳しい現場の一つでもある。

個包装のパンは、こぼしにくく片手で持ちやすい。自分で食べられる人には自立を残し、介助者には負担軽減になる。無塩・減塩、卵不使用、一個約8グラムのたんぱく質、高鉄分などの品揃えは、栄養士が限られた献立の中で条件を組み合わせる道具になる。湯種によるしっとりした食感も、時間がたつ施設給食では意味がある。

ここでは「おいしい」は贅沢ではない。食欲が落ちた高齢者が一個を食べ切れるか、食事を楽しみにできるかは、栄養摂取と生活の質に結びつく。厚生労働省の2025年版食事摂取基準が高齢者の低栄養、フレイル、たんぱく質を重視するなか、パンは炭水化物の塊ではなく、栄養を運ぶ設計媒体になった。

失敗した「アスリートパン」が介護食で生き返る

同社の「たんぱくカスタード」は2019年、部活動の学生向け補食として発売された。ところがバナナや手作りおにぎりより高く、月に数十個しか売れなかった。製品が悪いのではなく、顧客と用途が違った。

2020年版の食事摂取基準改定を受け、必要なたんぱく質を献立で満たすことに苦労する老人保健施設の声を知った同社は、「からだ想いパン」として栄養士へ提案し直した。一個で三大栄養素を補え、献立を組みやすい。販売は月間約5000個へ増え、2025年時点で累計27万個を超え、介護食品・スマイルケア食コンクールの審査委員長賞を受けた。

これは製品開発の教科書的な転換である。失敗品を廃棄せず、機能が最も価値を持つ課題を探した。競合は別の高機能パンではなく、学生にとっては安いバナナ、施設にとっては栄養基準と作業時間だった。価値は製法の中に固定されず、使う現場との組み合わせで生まれる。

病院の外へ――ECが顧客との距離を変える

業務用パンには、退院した患者が買えないという矛盾があった。入院中に無塩パンや栄養調整パンを気に入っても、小売店の棚には並ばない。同社は2025年からECを拡充し、2026年2月には健康、地域事業者、食文化の三本柱でサイトを全面改修した。病院で食べたパンを自宅へ届ける回路ができた。

焼成後に急速冷凍するパンは、配送圏を日帰りルートから全国へ広げる。長期保存でき、必要な分だけ解凍すれば廃棄も抑えられる。キッチンカーや小規模飲食店には、小ロットで仕入れられる選択肢となる。ホテル向け「NukumOri」は逆に常温・日配を売りにし、冷凍庫を使わず毎日小ロットで納める。チャネルごとに保存技術を使い分ける。

一方、ECは同社の得意な「足で稼ぐ営業」と違う。検索、広告、写真、再購入、宅配原価、顧客データがものをいう。ネット通販は配送単価が高く、冷凍便はさらに高い。若手が中心となるデジタルマーケティングは、パン製造とは別の組織能力であり、200億円への実験場でもある。

高級ホテルは量ではなく単価と物語

医療・介護が安定需要を作るなら、高級ホテルは付加価値を作る。2025年に立ち上げた「NukumOri」は、国産小麦や産地を語れるフィリング、什器を含む朝食演出、カット済み、小ロット日配を組み合わせる。冷凍庫と解凍作業を減らし、廃棄を抑えながら、客には地域性と「焼きたて感」を届ける設計だ。

これは、同じ配送網に異なる需要を重ねる原点の現代版でもある。病院は栄養と衛生、ホテルは香りと非日常、カフェはメニュー提案を買う。工場の基礎能力は共有しても、価値の言葉は変える。商品数が多いだけでは複雑性になるが、営業が用途に翻訳できれば、1400品は参入障壁になる。

200億円より先に守るべき利益

目標はコロナ前に決められた。その後、小麦と油脂、包装、エネルギー、物流、人件費が上昇した。採用難に対応する賃上げも必要だ。原田氏は2026年、売上を最優先すれば利益が出ないこともあるとして、まず利益重視の経営を掲げた。年商200億円は会社を大きく見せるが、低採算の配送を積み上げれば現場を疲弊させる。

人材育成も生産能力である。同社は営業なら先輩と同行し、製造なら一対一で教える方式を重視する。中小企業大学校へ延べ200人以上を送り、部署別を含む損益情報を社内で共有するという。深夜製造と早朝配送を機械だけで解決できない以上、離職を抑え、技能と改善力を増やすことは新工場と同じほど重要だ。

200億円を「良い成長」にする五つの条件
  • 数量:値上げではなく、販売個数と稼働率が増えること。
  • 密度:首都圏で配送一台当たりの顧客と売上を高めること。
  • 利益:小麦、燃料、賃金を価格へ適切に転嫁し、再投資資金を残すこと。
  • 人材:賃上げ、休日、教育で深夜・早朝の仕事を持続可能にすること。
  • 社会価値:患者、入居者、厨房の問題を解き、単なるパンの量以上の対価を得ること。

危機に強い会社は、平時には少し非効率に見える

オリエンタルベーカリーの歴史は、効率化の常識に小さな反論を突きつける。遠い顧客、小さな注文、手間のかかる個包装、多すぎる品揃え。四半期の利益だけを見れば、削りたくなるものばかりだ。しかし、遠距離配送は地域網になり、小口顧客は密度になり、個包装は医療の信用になり、多業態はコロナの保険になった。

もちろん、すべての複雑性が価値を生むわけではない。使われない商品、空いた配送車、赤字の顧客は整理しなければならない。教訓は非効率を守ることではなく、顧客の困難を解く能力を、短期的な数字だけで切り捨てないことだ。

1950年、神戸から大阪へ運んだケーキが喫茶店で売れた。2020年、病院へ運んだ個包装パンが会社を救った。2030年への問いは、その次にどこへ、何を運ぶかである。200億円へ到達するだけなら、値上げと市場回復が数字を助けるかもしれない。全国首位の会社になるには、関西で75年かけて作った「毎日、必要な人へ、必要な形で届ける」という信用を、首都圏でも一台、一施設、一食ずつ積み上げなければならない。

主要資料と方法

本稿は、2026年7月24日に中小機構のJ-Net21が公開した原田幸博社長への取材を中心に、会社の公式情報、医療・介護向け商品資料、政府統計を照合した。非上場企業のため、売上高以外の詳細な利益、顧客別売上、数量は公開されていない。200億円までの差額と年平均成長率は、公表売上高を基にしたJapan.co.jpの単純計算であり、会社予測ではない。