南砺の夜気へ最初のギターが届く前に、誰かが奏者の寝床を用意している。別の誰かが、まかないの数を数え、出演者の移動経路を確かめ、倉庫から資材を運び、看板を掛け、舞台を試し、カフェを飾り、パレードのコースを決め、どのリストバンドでどの扉を通れるかを覚えている。観客に見えるのは音楽祭だ。その後ろで、小さな市が「知らない人を迎える技術」を稽古している。

第35回は8月21日金曜、市民と来日アーティストが出演する無料の野外プログラムで始まる。土曜と日曜は、円形劇場ヘリオスと屋外のガーデンステージに、南アフリカ、ギニア、マラウイ、ロシア連邦トゥバ共和国、レユニオン島、日本の音楽が集う。ワークショップ、子ども向け企画、食と工芸の市場、DJ、パレード、フィナーレが続く。主催者は「日本最大規模」のワールドミュージック・フェスティバルと説明する。

最も重要な数字は、料金でも開演時刻でもない。主催者によれば、小学生から大ベテランまで200人を超えるボランティアが企画と運営を担う。数か月かけて準備する人も、本番だけ参加する人もいる。商業イベントなら有給の複数部署へ分ける仕事を、彼らが一つの市民組織として引き受ける。

第35回旧福野町で第1回が開かれたのは1991年8月
200人超企画、設営、本番、撤収を担うボランティア
4万4634人2026年6月末の南砺市人口
3日間8月21~23日、福野文化創造センター周辺

三日間の中に隠れた仕事

ボランティア制度は、単に「手が足りないから手伝って」と呼びかけるものではない。役割表を持つ組織である。2026年の募集ページは、参加者を専門班へ分け、それぞれに異なる勤務時間と責任を示す。会議は春から8月まで続く。一般客がプログラムを見るより前に、ボランティアはアーティスト選定、企画内容、会場レイアウトにも参加できる。

活動班実際に担うこと
ヘリオス班・ガーデン班客席設営、入場確認、観客誘導と警備、野外会場の装飾、舞台進行、出演者ケア。
テクニカル班舞台監督の指導の下、屋内・屋外舞台の設営、転換、技術作業を支える。
エクストラ班ワークショップ、展示、スキヤキッズを企画・運営し、募集、受付、音響、講師対応を担う。
パレード班行列の企画、コース装飾、出演者誘導、交通整理、広報を行う。
ランナー班出演者を会場間で運び、楽屋をつくり、宿泊を計画する。
スタッフ班マニュアル作成、受付、警備計画、スタッフルーム、本番中の問題対応。
ケータリング班出演者・スタッフの食事場所を設営し、食数と楽屋への提供を管理する。
カフェ・市場・案内材料購入、カフェ販売、出店管理、当日券・物販、看板づくり、来場者案内。

日程を見ると、深さがさらに分かる。プロジェクト会議と班別打合せは4月に始まる。全体会を2回開き、今年の内容と細かな配置を決める。8月16日、倉庫から備品と部材を出し、装飾を始める。17~20日は最終準備。本番最終日の夕方から資材を倉庫へ戻し、月曜は出演者を見送り、周辺を点検し、客とスタッフが使った場所を片づける。

これは、プロがつくった商品周辺での無給の案内係だけではない。住民は、芸術と物流の判断が行われる上流へ参加する。登録時には、得意な言語、免許、経験を伝えるよう求められる。大型車を運転できる人、通訳できる人、献立を考えられる人、舞台転換を知る人を、同じ「人手」に均してしまわない。能力そのものが祭りの一部になる。

この祭りで最も深い文化行為は、権限を渡すことかもしれない。住民は国際文化を消費するためだけに招かれない。「出会い」をつくる側として信頼される。

五つの青年団体、新しい劇場、一人の海外音楽家

始まりの物語は、現在とは別の行政地図に属する。1991年、南砺市はまだなかった。祭りは福野町で始まった。2004年11月、周辺の8町村が合併して南砺市になる、その一つである。1991年4月、別々に動いていた町内五つの青年組織がまとまり、「スキヤキ・ネットワーク」を立ち上げた。町立文化センター「ヘリオス」は同年3月に完成。ネットワークとセンターが、8月に第1回を共同開催した。

サントリー文化財団の記録によると、最初に招けた海外音楽家は一組だけだった。目的は初めから大きい。アジア、アフリカ、ラテンアメリカの音楽を通じ、地方の町では直接触れる機会が少なかった暮らしと文化に接点をつくる。来日音楽家には町へ滞在してもらい、コンサートだけでなく、ワークショップ、食、文化的背景の対話を重ねた。

この仕組みは、迎えるだけでなく、外へ学びにも行った。1992年から、フランス・アングレムの音楽祭「ミュージック・メティス」とスタッフ交流を始め、毎年実行委員2人を派遣し、相手側のスタッフも福野へ受け入れた。2002年にサントリー地域文化賞を受けた頃には、年間10組近くを招き、出演者の出身国は17か国以上、ボランティアは約80人へ増えた。住民は海外講師から1か月、トリニダード・トバゴのスティールドラムやアフリカのジャンベを学び、誕生した市民楽団は帰国後も演奏を続けた。

成長とともに評価も加わった。1996年の北日本新聞社地域社会賞、2002年のサントリー地域文化賞、2009年の国際交流基金地球市民賞、その後の地域再生や自治に関する表彰。賞が芸術の生気を証明するわけではない。ただ、外部が何を珍しいと見たかは示す。年1回の行事が、継続する市民教育になっていた。

1991年 — 五つの青年組織がスキヤキ・ネットワークを結成。ヘリオスで第1回を開く。

1992年 — フランス・アングレムのミュージック・メティスと運営者交流を開始。

2002年 — サントリー地域文化賞。ボランティアは約80人。

2004年 — 福野町など8町村が南砺市へ合併。祭りはすでに13年続いていた。

2009年 — 国際交流基金が継続的な異文化活動を評価。

2010年 — 南砺で多国籍の作品をつくるスキヤキ・レジデンス開始。

2026年 — 第35回。主催者は200人を超えるボランティアが支えるとする。

「ワールドミュージック」は、一つの音楽ではない

祭りの名称は、示唆的な時代に生まれた。第1回の4年前、ロンドンに集まった独立系レーベルと関係者が、「ワールドミュージック」をレコード販売の分類名として広めた。英米のポップス棚に収まらない音楽を、店で見つけやすくする実務的な問題を解いた。同時に、概念上の問題を生んだ。膨大な伝統、ポップス、実験的な混成が、一つの「遠くの異国」として扱われかねない。

この緊張は消えていない。オックスフォード大学出版局の研究は、ワールドミュージックを、伝統音楽、新しくつくられるルーツ音楽、現代ポップまで含む、意図的に曖昧な市場分類として説明する。祭りも、国旗と衣装と「世界の味」で平らに並べるだけなら、その問題を再現する。反対に、固有の名前、歴史、関係を戻すこともできる。

スキヤキの力は、後者へ進む時に現れる。ODUCHUは単に「ロシアの音楽」ではない。ホーメイ、民謡旋律、ギター、電子音を使い、トゥバの継承を現在へ更新する二人組だ。シブシレ・シャバは、マダラ・クネネやフィリップ・タバネに学びながら、ジャズだけに収まらない南アフリカの音楽家。ギニアのシア・トルノは、日本のJariBu Afrobeat Arkestraと共演し、国名の飾りではなく、社会的な言葉と生きたレパートリーの中で出会う。

日曜には、OKI DUB AINU BANDがトンコリとアイヌの音楽的主体性をダブ、電気楽器のアンサンブルへ置く。マラウイからマダリツォ・バンド。レユニオン島のランディゴ・ファミリーは、奄美大島の唄者・三線奏者、里アンナと組む。これらは同じジャンルではない。違いを、距離のまま固定せずに聴く舞台を共有している。

2026年――縁が開かれたプログラム

金曜の開幕は、方法そのものを短く示す。午後7時からの野外ステージでは、ワークショップで練習した市民が、来日アーティストとともに一夜限りの演奏を行う。シャバ、ODUCHU、マダリツォ・バンドも短いステージへ加わる。観覧無料。完成品を住民へ見せるのではなく、住民の演奏を完成品の内側へ置く。

土曜は、無料のガーデンステージと有料の円形劇場ヘリオスへ広がる。屋内は、市民楽団スキヤキ・スティール・オーケストラとトリニダード・トバゴのレネゲイズから来るキャンディス、エマニュエルの共演で始まり、シャバ、シア・トルノとJariBu、日本の「賽」へ続く。屋外ではODUCHUや国内勢を無料で聴ける。午後5時30分から1時間のパレード。夜までDJがつなぐ。

日曜は、奄美とレユニオン島の共同作をガーデンで、シャッポ、OKI DUB AINU BAND、マダリツォ・バンドをヘリオスで上演する。午後5時30分からフィナーレ。ワークショップは、奄美島唄、マラウイの路上から世界へ進んだ音楽、トゥバのホーメイの故郷を扱う。スキヤキッズでは子どもが楽器や工作を体験できる。

会場とチケット
  • 金曜のオープニング、ガーデンステージ、パレード、ワークショップ、ヘリオス以外の多くの企画は無料。
  • ヘリオスは土曜午後2時30分、日曜午後0時30分に開場。
  • 2日通し券1万円。1日券は前売り6000円、当日7000円。
  • 高校生以下はヘリオスも入場無料。
  • 会場はJR城端線福野駅から徒歩約10分。

料金設計にも意味がある。文化への開放を語りながら、肝心な出会いを高い一枚の門の内側へ置く音楽祭もある。スキヤキは有料の劇場公演を持ちつつ、その周りを無料演奏、パレード、ワークショップ、市場で囲む。家族は、券を買うか決める前から祭りの多くに出会える。若い世代はヘリオスにも無料で入れる。

パレードが、思想を歩かせる

土曜の行列は、どんな理念文よりもスキヤキを説明するかもしれない。公開された出走順には、福野夜高あんどん、棟方志功ねぶた、アフリカの打楽器、小学生のスティールドラム、地域の吹奏楽部、高校野球部、太神楽太鼓、ブラジルのマラカトゥ、巨大人形が同じ流れの中へ並ぶ。

ここで「地域」は「国際」の反対語ではない。福野の灯りを押しのけて世界らしさを置くのでも、来日文化を遠い舞台へ封じ込めるのでもない。道を一緒に使う。学校の部活動は、文化とは自分たちで担いで動かせるものだと知る。海外の音楽家は、すでに独自のリズム、紙、木工、祭りの技、記憶を持つ場所に出会う。

これは、「ワールドミュージック」という古い問題への、最も説得力のある答えだ。すべての伝統が交換可能だとは装わない。同じものにせず、協調をつくる。各団体は自分の拍を保ちながら、行列全体の速度で進まなければならない。

招聘ではなく、制作する

レジデンス企画は、紹介の先へこの原理を伸ばす。2010年から、各国の音楽家が南砺で共同生活し、文化的な知識を交換し、到着前には存在しなかった作品をつくってきた。主催者は、表面的な「ミックス」を超え、音楽を「シェア」する豊かさを目指すと説明する。

2026年には強い例が二つある。ランディゴ・ファミリーと里アンナは、2025年のレジデンスで、レユニオン島のマロヤと奄美島唄を結ぶ作品をつくった。アフリカ、フランスでのツアーを経て、誕生した場所へ戻る。南砺は既製ツアーを買った一公演地ではない。起点になった。

今年1月には、ブラジルのマリア・カウ・レヴィ、アナ・フランゴ・エレトリコと、五箇山和紙の里の石本泉がCASCAを制作した。五箇山和紙の工程を調べながら作品をつくり、南砺で展示し、後に駐日ブラジル大使館へ運んだ。音楽祭が、季節と分野を越える文化機関として動いた例である。ブラジルの現代表現と地域工芸を結び、どちらも土産物にはしない。

人口が減る市の、市民制度

6月末の南砺市人口は4万4634人。市が誕生した2004年は5万9230人だった。21年余りで1万4596人、ほぼ4分の1が減った。大都市なら200人のボランティアは募集実績かもしれない。広い農山村を抱え、人口減少と向き合う市では、市民が共同で動ける力の可視化である。

だからといって、音楽祭が人口問題を逆転させるわけではない。週末は、医療、交通、学校、住宅、安定した仕事の代わりにならない。無償の熱意を、文化予算を減らす理由にもしてはならない。賃金がなくても負担はある。仕事後の夜、組み替える家族の予定、設営の肉体疲労、経験者数人が不可欠になりすぎる危険。

成果:住民の関心と能力を、公の文化をつくる力へ変えた。責任:主催者と公的な協力者は、安全と支援と開放性を保ち、参加の熱意を消耗へ変えないこと。

募集要項には、実務的な支えも見える。スタッフはステージやワークショップへ参加できる。事前登録すれば、期間中5食のまかないが無料で用意され、人数限定で安価な共同宿泊もある。仕事は班ごとのシフト制で、空き時間には公演を見られる。雇用になるわけではない。それでも、もてなしが、もてなす側にも届く必要を認めている。

世代をまたぐ設計も重要だ。子ども、親、学生、ベテランが登録でき、18歳以下は午後9時まで。若い人が工作や受付から入り、舞台技術者を知り、学校で学んでいない言葉を聞き、数年後に別の能力を持って戻れる。組織の記憶は、事務局だけに保管されず、参加によって更新される。

フィナーレの後に残るもの

日曜午後5時30分、公式のフィナーレが始まる。観客に見える終幕には、音楽と舞台前に集まる身体がある。運営の終幕は静かだ。資材を数え、部屋を掃除し、看板を外し、出演者を送り、鍵を返す。その二つ目の終わり方に、何をつくったかが表れる。

最大の遺産は、南砺が数日だけ大都市をまねられることではない。35年かけて、独自の国際性をつくったことだ。文化センターと五つの青年団体から始まり、料理をする人、運転する人、学校の楽団、海外の名手を通り、時には日本の外へ巡演する音楽として戻ってくる。世界が包装済みで届くのを待たない。部屋を整え、ワークショップへ入り、その先に生まれるものを一緒につくる。

200人を超えるボランティアが、見える三日間を動かす。さらに大きな成果は見えにくい。接触を、繰り返せるものにした。遠い土地の歌が、平日の稽古になる。来日音楽家が共同制作者になる。観客席の子どもが演奏者になり、やがて舞台スタッフや実行委員になる。「スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド」において、ミーツは二つの名詞の間に置かれた標語ではない。仕事である。

調査・出典

編集注:本稿は上記の公開資料に基づき、独自インタビューは含まない。「200人を超える」「日本最大規模」は主催者の表現である。ボランティアには幅広い年代と市外参加者が含まれ得るため、「南砺市民200人」という意味ではない。出演者と時刻は開幕前の公式タイムテーブルで確認したが、主催者により変更される場合がある。人口は2026年6月30日の住民基本台帳。為替欄は祭りと関係のない編集部参考値である。