長野市南部の下水処理場「アクアパル千曲」で9月12日、灰色の都市インフラと緑の農地を結ぶ小さな実験が市民の手に渡る。長野県は、下水汚泥の燃焼灰から作った加工りん酸肥料「リンコレ15」を、希望者へ約200グラムずつ配る。

配布は午前10時から午後2時までの「アクアパル千曲ふれあいデー」で行い、200袋に達した時点で終える予定だ。全部を配っても約40キログラム。量だけを見れば、日本の肥料市場を動かす規模ではない。

それでも意味は大きい。リンは作物の開花と結実を支える主要な肥料成分だが、日本は主要な化学肥料原料をほぼ輸入に頼る。その一方、家庭や事業所から流れたリンは下水処理場へ集まり、汚泥に濃縮される。長野県の試みは、処分または建設資材へ向かっていた灰の一部を、農業資材として循環させる。

「リンコレ15」は窒素、りん酸、カリをそろえた複合肥料ではない。県は、りん酸成分のみを含むため、ほかの肥料と併用するよう案内している。登録済みの肥料であることと、あらゆる土壌・作物へ同じ量を施せることも同義ではない。


今回決まったこと: 9月12日に200グラム入りを200袋配る。まだ分からないこと: 年間生産量、現在の販売価格・流通経路、作物別の施用量、製品単位の成分・重金属分析値、長野県内の農地での収量試験結果は公表資料で確認できない。

200袋アクアパル千曲で予定するサンプル数量。
約200グラム1袋当たりの予定量。なくなり次第終了する。
二つの処理場アクアパル千曲とクリーンピア千曲の燃焼灰を使用。

二つの処理場の灰を、一つの肥料へ

原料は、千曲川流域下水道の二つの終末処理場、アクアパル千曲とクリーンピア千曲で生じる下水汚泥燃焼灰である。下水処理では、水中の有機物やリンなどを微生物と沈殿工程で汚泥へ集める。汚泥を脱水し、燃焼して大幅に減容すると、有機物の多くは失われる一方、リンを含む無機成分が灰に残る。

アクアパル千曲の施設説明によると、脱水汚泥は850度以上に熱した砂と接触させて燃焼する。従来、その灰は民間の中間処理施設へ運び、セメント原料として有効利用されてきた。肥料化は、その出口を農業にも広げる取り組みである。

長野県千曲川流域下水道事務所と小野田化学工業株式会社は2023年度から成分分析を進め、同年10月に肥料化の覚書を結んだ。両処理場の灰を混合して菌体りん酸肥料を製造し、2025年9月に肥料登録。さらに、その肥料を基材に作物が利用しやすい「く溶性りん酸」の割合を高め、粒状に加工した「リンコレ15」も同月に登録した。

ここでいう「く溶性」は、単に水へ溶けるという意味ではない。公定の分析では2%クエン酸溶液で抽出できる成分を測る。水に溶けにくい形のりん酸は、植物の根から出る有機酸によって徐々に溶け、穏やかに長く効く。加工の狙いは、灰に含まれる総リンを数えるだけでなく、作物が利用できる形へ近づけることにある。


下水処理場は、汚れを取り除く施設であると同時に、街から集まったリンを回収できる「都市の鉱山」になり得る。

なぜ今、都市のリンが戦略資源なのか

りん酸は、窒素、カリと並ぶ肥料の三要素の一つで、根の発達や開花、結実に関わる。ところが、日本は尿素、りん酸アンモニウム、塩化カリなど主要な化学肥料原料をほぼ全面的に輸入している。国土交通省によると、2021年7月から22年6月までのりん酸アンモニウム輸入量では中国が7割超を占めた。調達先の集中は、輸出規制、物流の混乱、為替変動を国内の肥料価格へ伝えやすくする。

その脆弱さは2021年以降、穀物需要の増加、原料供給国の輸出管理、エネルギー価格の上昇が重なった肥料高騰で表面化した。肥料代の上昇は農家の所得を圧迫し、作付けや食料価格にも波及する。輸入を直ちに置き換える「特効薬」はないが、国内に既にある養分を捨てないことは、供給源を一つ増やす意味を持つ。

国交省の資料では、国内で年間約230万トン発生する下水汚泥に、約5万トンのリンが含まれる。別の同省資料は、日本の年間リン需要約30万トンに対して約2割に当たる量と説明する。これは下水道システムに含まれる資源量の推計であり、そのすべてを直ちに肥料として回収できるという意味ではない。濃度、処理方式、安全性、回収費、農地までの距離が施設ごとに違うからだ。

それでも国は、2030年までに下水汚泥資源と堆肥の肥料利用量を倍増し、肥料に使われるリンのうち国内資源由来の割合を40%まで引き上げる目標を掲げた。2023年には、下水汚泥の処理を検討する際は肥料利用を最優先とし、燃焼する場合も燃焼灰の肥料利用やリン回収を検討する方針を自治体へ通知した。

長野の事例が興味深いのは、既存の燃焼設備を否定せず、その先の出口を変えようとしている点だ。高温での燃焼は汚泥を減容し、有機物を分解する一方、リンを灰へ濃縮する。そこから植物が利用しやすい形へ加工できれば、下水道は衛生インフラに加え、輸入資源を補う生産拠点にもなる。

制度が変わり、「成分を保証できる肥料」になった

下水汚泥由来の肥料は以前から存在した。しかし、原料の組成が流入区域や季節で変わりやすく、従来の「汚泥肥料」では主要成分の含有量を保証できなかった。ほかの肥料や土壌改良資材との混合も認められず、農家が施肥設計へ組み込みにくいという壁があった。

転機は2023年10月。農林水産省が公定規格に「菌体りん酸肥料」を新設した。名称は肥料法上の区分で、事業者は原料の受け入れ、製造工程、分析、従業員教育を含む品質管理計画を作成し、農林水産大臣の確認を受けた上で登録する。独立行政法人農林水産消費安全技術センター(FAMIC)は、申請者の相談や確認手続きに関わる。条件を満たせば、りん酸などの含有量を保証し、ほかの肥料や土壌改良資材と混合できる。

FAMICによると、2026年1月末までに39銘柄で品質管理計画の大臣確認手続きが終わり、このうち33銘柄が都道府県知事の登録を取得した。制度ができて2年余りで、下水道管理者と肥料会社の連携が各地へ広がったことを示す。ただし、銘柄数は利用量や農家の評価を示す数字ではない。

「リンコレ15」も、この二段階の制度を使う。二処理場の灰からまず菌体りん酸肥料を作り、それを加工して粒状の加工りん酸肥料にする。小野田化学工業は2025年、開発段階の目標として、く溶性りん酸を15~17.5%保証し、全リンに占めるく溶性りん酸の割合を90%以上とする方針を公表した。同社は当時、2025年度下期の市場供給も予定していた。ただし、県の今回の発表資料は「リンコレ15」の最終的な保証成分値や現在の販売条件を掲載していないため、目標値を完成品の確定値とみなしたり、計画どおり一般販売されたと断定したりすることはできない。

江戸時代:都市のし尿は農村が買い取り、発酵させて農地へ戻す有価物だった。衛生管理も製品規格も現代とは異なる。

2021~22年:原料供給とエネルギーの混乱で肥料価格が高騰し、輸入依存の弱点が顕在化。

2023年10月:菌体りん酸肥料の公定規格が施行。長野県と小野田化学工業も同月、肥料化の覚書を締結。

2025年9月:二処理場の灰を使う菌体りん酸肥料と、加工品「リンコレ15」が肥料登録。

2026年9月:アクアパル千曲で200袋の市民向けサンプル配布へ。

江戸の循環を、そのまま復活させるのではない

都市の排せつ物を畑へ戻す考え方は、新しくない。環境省の循環型社会白書によれば、江戸ではし尿が有価物として取引され、農村の肥だめで発酵させた後、野菜づくりに使われた。都市の消費と農村の生産をつなぐ循環だった。

だが、過去を美化してはいけない。未処理のし尿を使う時代には、感染症や寄生虫などの衛生上の危険があり、成分の保証もなかった。近代の下水道整備と化学肥料の普及は、都市衛生と農業生産性を大きく改善した。その代わり、都市へ入った養分を海や廃棄物処理へ流す一方向の仕組みが強まった。

現代の資源循環が目指すのは、江戸の方法の再現ではない。下水処理、燃焼、成分調整、肥料登録、ロット管理を組み合わせ、衛生と品質を確保した上でリンだけを農地へ戻すことだ。「都市の栄養分を畑へ返す」という原理は古いが、それを支える安全基準と分析技術は現代のものである。

「登録済み」は、農学的なゴールではない

肥料登録と品質管理計画は、安全性と表示の土台になる。とりわけ下水汚泥由来資材では、カドミウムなど有害成分の管理が欠かせない。農林水産省は、原料によっては許容値を超える重金属が含まれる可能性があるとして、継続的な分析と工程管理を求めている。重金属は土壌へ蓄積し得るため、登録時だけでなく製造ロットごとの監視、原料変化の把握、記録の追跡性が重要になる。

一方、登録は特定の畑で収量が上がることを保証する制度ではない。燃焼灰の成分は、処理場へ流れ込む排水や燃焼条件で変わる。農研機構が熊本県で行った試験でも、下水汚泥燃焼灰をりん酸肥料として使うには、肥料登録と重金属基準への適合を前提に、土壌や作物に合わせて評価する必要があるとされた。

リンは多ければ多いほどよいわけでもない。土壌中に十分蓄積していれば、追加施用の効果は小さくなり、過剰施用は資源と費用の無駄になる。流出すれば水域の富栄養化にもつながり得る。まず土壌診断を行い、作物が必要とする量を見極めることが、循環肥料を本当に環境対策にする条件だ。

サンプル袋の利用者にとって最も実用的な注意点は、これがりん酸単肥だということである。窒素は葉や茎の生育、カリは植物体の健全性や耐性に関わる。「リンコレ15」だけで施肥設計が完結するわけではない。県がほかの肥料との併用を案内するのは、そのためだ。

実用化を判断するために必要な公開情報

  • 品質:保証成分、重金属などの分析値、ロット間のばらつき。
  • 使い方:土壌診断に基づく作物別の施用量、ほかの肥料との組み合わせ。
  • 供給:年間生産量、現在の販売状況、価格、包装単位、供給地域。
  • 効果:長野県の土壌と主要作物での肥効、収量、品質、残効性。
  • 環境:製造時の薬品・エネルギー、輸送、残さ、従来のセメント利用との比較。

循環経済は、「出口」まで測って初めて成立する

灰を「廃棄物」から「肥料」へ読み替えるだけでは、循環経済にならない。原料を肥料工場へ運び、成分を調整し、粒状化し、農地へ届けるには、エネルギー、薬品、物流、設備費がかかる。その負荷と費用を、輸入りん酸肥料を代替できた量、従来のセメント原料利用、残さの処理まで含めて比べる必要がある。

ここには競合する二つの資源循環がある。アクアパル千曲の灰は従来、セメント原料として有効利用されてきた。肥料へ振り向ければリンを食料生産へ戻せるが、セメント側では別の原料が必要になる可能性がある。どちらが優れるかは、灰の輸送距離、代替する原料、加工エネルギー、需要の安定性で変わる。県の公表資料には、こうしたライフサイクル比較はまだない。

事業を継続するには、作る技術だけでなく買い手も必要だ。肥料会社には安定した成分と原料量、農家には価格、散布しやすさ、既存機械との適合性、確かな肥効が求められる。下水道管理者には処分費の削減と長期契約、地域社会には安全性を説明する透明なデータが必要になる。どれか一つが欠ければ、登録された製品が倉庫に積まれるだけになりかねない。

9月12日の配布は、その社会実装の小さな入口である。市民が下水処理場を、汚水を浄化するだけの場所ではなく、食料生産を支える資源拠点として見る機会になる。ただし、40キログラムのサンプル配布と、農業資材としての安定供給の間には大きな距離がある。

長野県と小野田化学工業が次に示すべきなのは、年間でどれほどの灰を転換し、どれほどの輸入りん酸を置き換え、どの作物と土壌で効果があり、どの費用と環境負荷を伴うかだ。数字がそろえば、「リンコレ15」は啓発用の袋から地域の肥料インフラへ進める。

都市から出た養分を、安全に、予測可能な品質で、農家が使える価格で畑へ戻す。長野の試みが問うのは、単なるリサイクルの有無ではない。近代の衛生を守りながら、途切れた都市と農地の栄養循環をどこまで再設計できるかである。


資料・出典

  1. 長野県「下水処理場から発生する燃焼灰で作った肥料のサンプルをアクアパル千曲ふれあいデーで配布します」 — 2026年9月4日。配布日時、数量、製造・登録の経緯。
  2. 長野県千曲川流域下水道事務所「燃焼灰のりん酸肥料化の取り組み」 — 二処理場と小野田化学工業の連携。
  3. 長野県「上流処理区終末処理場(愛称:アクアパル千曲)の紹介」 — 燃焼工程と燃焼灰の従来利用。
  4. 長野県「2026下水道ふれあいデーを開催します」 — 会場と開催情報。
  5. 小野田化学工業「令和7年度国内肥料資源利用拡大対策事業費補助金に採択」 — 加工りん酸肥料の開発目標。
  6. 国土交通省「下水汚泥資源の肥料利用」 — 輸入依存、資源量、2030年目標、政策通知。
  7. 国土交通省「資源・エネルギー利用」 — 国内リン需要と下水汚泥中のリン量。
  8. 農林水産消費安全技術センター「汚泥資源を有効活用! 新たな肥料『菌体りん酸肥料』」大きな目小さな目第78号(2025年)— 新規格と品質管理。
  9. 農林水産消費安全技術センター「菌体りん酸肥料について」 — 2026年1月末時点の確認・登録銘柄数。
  10. 農林水産消費安全技術センター「肥料の分析 ~水溶性りん酸とく溶性りん酸~」大きな目小さな目第76号(2024年)— く溶性成分の定義。
  11. 農林水産省「汚泥肥料中の重金属管理手引書」 — 有害成分の継続管理。
  12. 環境省「平成20年版 環境・循環型社会白書」 — 江戸期のし尿取引と農業利用。
  13. 農研機構「リン酸肥料代替資材としての下水汚泥焼却灰の野菜への施用効果」 — 土壌・作物別評価と肥料登録上の条件。

本稿は2026年9月5日午前8時00分(日本時間)までに確認できた公開情報を基に作成した。商品名、肥料区分、企業名、施設名、日時、数量、登録時期、専門用語は長野県、国土交通省、農林水産省、FAMIC、小野田化学工業の日本語一次資料で照合した。公開資料にない年間生産量、現在の販売価格・流通経路、製品別の保証成分値、重金属分析値、作物別施用量、収量効果は補っていない。小野田化学工業が公表した成分値と市場供給時期は、2025年時点の開発目標・計画として区別した。日本語版と英語版は独立して執筆した。

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