一方の壁では、三島由紀夫が自邸の厳格な装飾の中に座る。1970年、篠山紀信が撮った写真だ。向かい側では、ピエル・パオロ・パゾリーニが『グラムシの灰』を手にし、サンドロ・ベッケッティのカメラを見つめる。二人の間には、直筆原稿、書籍、映画ポスター、報道写真、異なる国の歴史に属してきた資料が並ぶ。決められた順路はない。論点を結ぶのは鑑賞者である。

その自由さは、「三島由紀夫 ― ピエル・パオロ・パゾリーニ 対峙の手がかり 沈黙せず、目をそらさずに」の最終日にこそ意味を持つ。東京・九段のイタリア文化会館で6月26日に始まった展覧会は、7月29日水曜に閉幕する。最終日は10時30分から17時30分まで。入場は無料だ。

準備には約3年を要した。マルコ・ミヌッツが企画し、パゾリーニ側をロベルト・カルネーロ、三島側を三島由紀夫文学館館長の佐藤秀明が監修した。構成する言葉は「肉体」「責任」「文学」「映画」「劇場」「芸術連関」「社会」の七つ。アーカイブ、直筆原稿、写真、ドローイング、インタビュー、印刷物が、二つの軌跡を並走させる。無理に一つの伝記へ統合しない。

危険は明らかだ。三島とパゾリーニはあまりに強いアイコンとなり、歴史よりも類似が先に見えてしまう。ともに文学から映画へ越境し、性、犠牲、聖性、肉体を扱った。高度成長が生む文化の画一化を攻撃し、5年の間隔で暴力的に死んだ。こうした事実だけを並べれば、破滅へ向かう双生児のように見える。

しかし二人は双生児ではない。三島は天皇を中心とするナショナリズムへ進み、私兵的組織を結成した。パゾリーニはマルクス主義者、反ファシスト、同性愛者の異端者であり、イタリア共産党との関係も対立と離反を含んだ。三島は自らの死を政治的・美学的行為として演出した。パゾリーニは殺害された。そこを消す比較は、理解ではなく、二つの難しい歴史を一枚のポスターにする。

1922/1925年パゾリーニと三島は3年違いで誕生
7つの主題肉体、責任、文学、映画、劇場、芸術、社会
約3年展覧会の準備に費やされた期間
1970/1975年5年を隔てた二人の暴力的な死
日伊160年2026年は外交関係樹立160周年
7月29日最終日10時30分~17時30分、入場無料

展覧会は勝者を決めない

順路がないことは、空間設計以上の意味を持つ。「対峙」という言葉が想像させる法廷や決闘の構図を拒むからだ。三島がパゾリーニの前で被告席に立つのでも、パゾリーニが道徳的な高台から三島を訂正するのでもない。鑑賞者は前後左右へ動き、写真と原稿、映画上の役割と政治発言、公的なポーズと私的な矛盾を比べる。

二人とも、支持者が単純化しやすい。三島は最高の文体家として擁護され、政治は不幸な最終章として切り離される。パゾリーニは消費資本主義を予言した聖者のように高められ、何もかも予測した人物にされる。資料の密度は、その簡略化を邪魔する。手書きの一枚には労働と迷いがあり、宣伝写真には演出があり、映画ポスターには市場がある。インタビューは特定の日付と圧力の中で答えられたものだ。

題名の「沈黙せず、目をそらさずに」は、抽象的な勇気を称賛せよという命令ではない。歴史には、破壊的な思想に対する勇気ある献身もある。必要なのは、診断と処方箋を区別できるまで見続けることだ。三島とパゾリーニは戦後社会に似た症状を見たが、望んだ未来は両立しなかった。

二人が見た「喪失」には重なる部分があった。しかし、その後に戻したい世界は同じではなかった。

二つの「経済の奇跡」、二つの不安

比較の出発点は、戦後変化の速度である。日本は敗戦、占領、物質的な破壊から出発し、1960年代末には資本主義世界第二位の経済大国となった。1964年東京五輪、新幹線、テレビの普及、再建された都市は、未来が猛烈な速度で到着する記号になった。同時に古い町、仕事、風景、政治的記憶は失われ、あるいは商品として再包装された。

イタリアにも1950年代末から60年代に「経済の奇跡」が起きた。農村人口が工業都市へ移り、自動車、家電、テレビが日常を組み替えた。地方の方言はマスメディアの標準語とぶつかった。消費財が近代国家を約束する一方、ファシズム、戦争、カトリックの権力、南北格差、激しい左右対立は残った。

二人は「奇跡」の幸福な物語を拒んだ。三島にとって戦後日本は豊かだが、共同体を結ぶ超越的な中心を失っていた。敗戦後の天皇の人間宣言は、言葉、犠牲、国家の形式が切断された徴候として、作品と政治に入り込む。パゾリーニは、ファシズムよりも消費社会の方が、地方文化や民衆の生活を徹底して破壊しうると考えた。テレビ、商品、ブルジョワ的な上昇欲求が、人間そのものの変質を生むと見た。

ただし二人とも、近代メディアの外に立ってはいない。三島は国際的な有名人で、繰り返し撮影され、翻訳され、映画に出演し、自己像を精密に管理した。パゾリーニは新聞に連載し、世界配給される映画を撮り、論争を公共の舞台へ変えた。二人は、文化人を複製可能にしたメディアを使って、画一化を批判した。

肉体——象徴ではなく戦場

七つの主題が「肉体」から始まるのは、二人を言葉だけに閉じ込められないからだ。三島の初期の公共像は、早熟で身体の弱い文学青年だった。1950年代半ばにウェイトトレーニングを始めると、筋肉は鍛錬、映像、哲学的な素材になった。言葉は行為を描けても、行為そのものにはなれないという作家の恐れへの応答だった。

細江英公の『薔薇刑』は1963年に刊行された。三島は単なる被写体ではない。聖セバスチャン、エロティシズム、幽閉、誕生、死を、高コントラストのバロック的空間で演じる共同制作者だ。ニューヨークのメトロポリタン美術館は、この写真集を性、孤立、死を扱う作品として位置づける。写真は安定した自己を記録するのではなく、三島とともに自己を製造する。

九段の肖像も同じように見る必要がある。三島の身体写真は、強さの単純な証拠ではない。作家が肉体を文章へ変える方法についての提案だ。原作、監督、主演を担った1966年の映画『憂国』では、自決が統制された映像、儀式、そして未来の自伝になる。カメラは信念を記録するだけでなく、見え方を完成させる。

パゾリーニの身体は別の仕方で公共空間へ現れた。同性愛は、スキャンダル、司法圧力、暴力の危険に彼をさらした。映画は、ローマ郊外の若者、性労働者、農民、素人俳優など、ブルジョワ的な表象の外に置かれた人々の顔と身ぶりへ戻り続ける。彼自身も熱心にサッカーをし、映画やドローイングに登場し、身体の存在を権力がまだ完全には標準化していない言語として見た。

しかし肉体への態度は一貫した楽観ではない。初期映画は周縁の生活に宗教画のような重みを与え、「生の三部作」は性と民衆的な物語の豊かさを肯定した。後に彼は、その楽観を撤回する。消費文化が性的解放まで吸収し、商品化したと考えたからだ。『ソドムの市』では、肉体は権力によって管理され、消費され、破壊される物体になる。

文学——仮面と方言

1925年に東京で平岡公威として生まれた三島は、少年時代から筆名を使った。1949年の『仮面の告白』は、同性への欲望、自己発明、社会的演技を小説の構造にして名声を得た。「仮面」は本当の自己を隠すだけではない。語り手が存在するための装置になる。

1956年の『金閣寺』は、1950年に起きた実際の放火事件を、破壊を誘発するほど絶対的な美の問題へ変えた。『近代能楽集』は古典形式を現代へ移しながら、近代を逆行できるとは装わない。死の朝に完成した四部作『豊饒の海』は、20世紀を転生で貫き、最後に確実性そのものを崩す。

1922年にボローニャで生まれたパゾリーニは、母方の故郷カザルサに結びつくフリウリ語で詩を書き始めた。方言を選ぶことは美学であり、政治でもある。国家標準の言語に対し、特定の音、土地、記憶を守る行為だった。ローマ移住後の『生命ある若者』や『激しい生』は、都市周縁の話し言葉と不安定な生活を文学に入れ、称賛と猥褻裁判、政治的敵意を招いた。

『グラムシの灰』には、マルクス主義的歴史への帰属と、党の規律に収まらない肉体的、宗教的、美学的欲望の衝突がある。未完の晩年作『石油』は、産業、性、隠れた権力をめぐる断片的な調査へ矛盾を拡大した。三島が仮面を研ぎ澄ましたとすれば、パゾリーニは不純さを方法にした。方言と標準語、聖画と路上の言葉、分析と告白を混ぜた。

展覧会の鍵三島由紀夫パゾリーニ
肉体鍛錬、演出写真、武の規律、儀礼的な映像同性愛者としての脆弱さ、サッカー、素人俳優、権力に管理される身体
責任作家が直接的な国家主義行動へ向かう知識人が新聞、映画、異論を通じて介入する
文学仮面、美、古典形式、戦後の切断方言、周縁の言葉、マルクス主義の矛盾、未完の探究
映画俳優、脚本家、監督、映像化される原作者現実の第二言語としての映画、ブルジョワ的視線への挑戦
劇場近代能、歌舞伎、高度に制御された悲劇思想、言葉、市民的論争を担う「新しい演劇」
芸術連関写真家、デザイナーとの共同作業がアイコンをつくる絵画、素描、音楽、俳優、美術史が映画へ入る
社会物質的に成功し、精神的に切断された戦後日本地方と民衆文化を消すイタリアの消費革命

映画——演じられた一つの死、生き残る人々の世界

三島と映画の関係は、最後の映像だけではない。『からっ風野郎』でヤクザを演じ、増村保造の『黒蜥蜴』に出演し、脚本を書き、映像化を注意深く見た。展覧会には『金閣寺』を原作とする市川崑の1958年作品『炎上』の資料がある。映画化は、作家に生産的な制御喪失を経験させる。小説の内面構造が、別の作家の映像になるからだ。

パゾリーニは詩、小説、脚本を経て、1961年の『アッカトーネ』で監督になった。初期ルネサンス絵画と宗教音楽に学んだ構図の中へ、ローマ郊外を入れた。『奇跡の丘』は素人俳優、政治的な緊張、非信仰者のマルクス主義者にも可能な敬虔さを結んだ。『テオレマ』はブルジョワ家庭へ性愛と精神の空白を侵入させ、『王女メディア』は神話を、聖なる現実と合理的征服の衝突として撮った。

ArtReviewによると、東京展には『王女メディア』でマリア・カラスが身につけたネックレスも展示される。映画、オペラ、衣装、スター、古代悲劇を一つに運ぶ小さな物体だ。その近くに『デカメロン』と『ソドムの市』の宣伝資料が並ぶ。わずか4年の間に、肉体の喜劇的な豊穣から制度的な拷問まで進んだ距離が見える。

三島にとって映画は、選んだ身ぶりを完璧に反復させる装置になりえた。パゾリーニにとっては、消えゆく顔と身体言語を保存し、同時に映像そのものが商業に奪われる過程を暴く装置だった。二人とも、映画が思想を肉体化すると信じた。一人は言葉と行為の致命的な一致を求め、もう一人は一致を拒む矛盾をつくり続けた。

劇場——圧力の中の言葉

二人にとって演劇は、文学を舞台で読むだけのものではなかった。三島の『近代能楽集』は、能の幽霊、仮面、折り重なる時間を現代の室内へ移した。『サド侯爵夫人』『わが友ヒットラー』、歌舞伎作品は、美が権力の免罪符にならない場所に言葉を置く。統制は強く、舞台は優雅さを通して欲望を露出させる機械になる。

パゾリーニは1968年の「新しい演劇のための宣言」で、慣習的なブルジョワ劇と、身ぶりだけの前衛劇の双方を退けた。「言葉の演劇」は、観客に発話を通して思想と出会うことを求めた。同時期の六つの悲劇は、神話、家族、性、政治権力を市民的な争いにする。三島が古い形式で現代の亀裂を鋭くしたなら、パゾリーニは大衆文化に傷つけられた言葉のために、新しい公開の場を求めた。

劇場性は舞台の外へも出た。三島の制服、公開討論、最期のバルコニー演説は、観衆とカメラのために構成された。パゾリーニの裁判、インタビュー、新聞に載せた詩、意図的に不穏な映画は、知的論争を大衆的な光景へ押し出した。二人は、現代の権威が「場面」を制御する者にも属すると知っていた。

1968年——割り当てられた陣営に収まらない

1960年代末の社会運動は二人を試した。三島は1969年、東京大学で全共闘系の学生と討論した。政治的反対を超えて相手の真剣さが残ったため、いまも記憶される。三島は革命を拒みながら、学生が自己を危険にさらす姿勢を認めた。学生は、ナショナリストを一つの罵倒語にせず対峙した。

パゾリーニが1968年のローマ、ヴァッレ・ジュリア衝突へ書いた詩はさらに爆発的だった。警官を貧しい家庭の息子、学生を中産階級の子弟として挑発的に対比した。警察暴力を単純に支持したのでも、彼が保守派になったのでもない。自らを革命的だと当然視する運動の階級的な無垢を攻撃した。

どちらの出来事も、短い引用にして二人の政治を反転させやすい。展覧会の「責任」は、より良い問いを置く。芸術家は現在に何を負うと考えたのか。三島は、模範的な行動と犠牲へ答えを絞った。パゾリーニは、新聞、映画、マルクス主義、スキャンダルの内部に残り、自分に発言の場を与える制度まで攻撃する「混在」で答えた。

どちらも快適なモデルではない。三島の行動は権威主義的な幻想と自己破壊に至った。パゾリーニの異論も、時に大づかみで、懐古的、父権的になり、人々がテレビ以外の理由でも変化していたことを見落とした。2026年の政治綱領を与えるのではなく、社会が語る「進歩」の物語を、公共的人物がどこまで容赦なく尋問できるかを示す点に価値がある。

写真は二人を「記録」せず、発明した

写真は、この展覧会に隠された八番目の主題である。土門拳の1955年の肖像、篠山紀信の写真、細江英公との共同制作は、作家が肉体的なアイコンへ変化する軌跡を見せる。フェデリコ・ガロッラ、トゥッリオ・ファラボラ、サンドロ・ベッケッティは、労働者、監督、サッカー選手、告発される異端者、公共的知識人としてのパゾリーニを示す。

透明な性格証明ではない。カメラは選び、切り取り、流通させる。三島は静止画が身体を記念碑化する力を使いこなした。パゾリーニは撮影現場、本、チームとの関係の中で動いているように見えるが、その自然さもまた公共的な構築物だ。

ArtReviewが紹介した一枚のカラー写真は、比較をほとんど喜劇に変える。パゾリーニの『ソドムの市』撮影班と、ベルナルド・ベルトルッチの『1900年』撮影班がサッカーで向かい合う。パゾリーニは立つ途中か、しゃがむ途中かという不格好な姿で写る。荘厳な予言者像が破れる。資料には傑作や宣言だけでなく、待ち時間、遊び、悪い姿勢も残る。

運命らしく見えない一枚が、会場で最も誠実な肖像かもしれない。

二つの死を同じものにしてはならない

三島は1970年11月25日に死んだ。『天人五衰』最終回の原稿を編集者へ渡した後、楯の会の会員と陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地へ入り、東部方面総監を拘束した。隊員に戦後憲法秩序の否定を呼びかけたが、演説は失敗。室内へ戻り、介錯を伴う割腹自殺を遂げた。

事件は政治劇、反乱の呼びかけ、儀式、自殺だった。三島はその視覚的、文学的な先例を準備していた。狂気だけで説明すれば政治を消し、美学的完成として称賛すれば、権威主義、強制、その場へ巻き込まれた現実の人々を消す。

パゾリーニは1975年11月2日、オスティア近郊で殺害された。ジュゼッペ「ピーノ」・ペロージが有罪となったが、後に自白を撤回し、別の襲撃者がいたと主張した。捜査、証言、推測は続き、全容は争われている。性、敵対者、未完の仕事、イタリア権力への告発が、殺人を無数の説の磁場にした。

日付の近さは対称を誘う。論争的な二人、暴力的な二つの終幕。しかし倫理には非対称が必要だ。三島は他者を危険へ巻き込みながら、自らの死の構造を作った。パゾリーニは殺害の被害者で、責任の全体はいまも論争される。どちらも天才の必然的な最終幕として美化すれば、二人自身が理解していた「身体を欲望するメディア」を繰り返す。

なぜ九段がこの対話にふさわしいのか

イタリア文化会館は九段にある。皇居、靖国神社、三島が死んだ市ヶ谷も遠くない。地理が展覧会の結論を出すわけではないが、議論を強くする。イタリアの文化外交は、公然たる共産主義者、同性愛者、反ファシストの芸術家を、日本で最も国際的に知られた国家主義的作家の隣へ置く。それも、帝国と戦争の記憶が濃い場所の徒歩圏内である。

本展は、1866年の修好通商条約に始まる日伊外交関係160周年も記念する。二国間友好の行事は、同意、影響、交流を好む。三島とパゾリーニは、それより厳しい関係を示す。互換性のなさを通じた関係だ。文化交流は、二人の国民的作家が互いを肯定することを必要としない。それぞれの国の未解決の歴史が、相手を単純化しにくくする部屋をつくればよい。

展示と資料が日本語・イタリア語の二言語であることも重要だ。翻訳は透明にならず、目に見える。パゾリーニの方言、マルクス主義語彙、カトリック図像は日本語の完全な同義語にならない。三島の天皇語彙、古典形式、戦後の参照もイタリア語へ溶けない。その隙間も知識の一部である。

最終日の歩き方

死から始めない方がよい。七つの言葉から一つを選び、会場を横断する。「肉体」なら誰がポーズを支配し、誰が身体によって危険にさらされるか。「文学」なら、鍛えられた仮面と秩序を乱す方言を比べる。「社会」なら、近代化が何を破壊したと二人が考え、誰を「失う側」の主体として想像したかを具体的に確かめる。

次に、展覧会の主張に抵抗する資料を探す。共鳴ではなく、還元できない差異を示すのはどれか。宣伝のために作られた写真はどれか。直筆原稿は、努力のいらない天才神話をどう弱めるか。なぜマリア・カラスのネックレスと『炎上』のポスターを同じ部屋に置くのか。壮大な宣言が既知の言葉になった後、平凡な制作資料が残るとはどういうことか。

会場へ持っていく五つの問い
  • この組み合わせは歴史を明らかにするのか、劇的な類似をつくるだけか。
  • 肉体はいつ芸術素材となり、いつ現実に危険へさらされるのか。
  • 二人は文化の画一化を批判しながら、マスメディアをどう利用したか。
  • 死をすべての作品の鍵にすると、何が失われるか。
  • 七つの主題で比較した後にも残る違いは何か。

この展覧会が「何ではないか」も知っておきたい。巨大な二つのキャリアを網羅する回顧展ではない。独立した美術作品を中心にする通常の展覧会より、資料性が強い。英語展でもなく、解説は日本語とイタリア語。そして題名がいう通り、提示するのは「手がかり」であって判決ではない。

17時30分、対峙は終わらない

水曜の夕方、最後の鑑賞者が展示室を出ると、資料は再び別々の場所へ向かう。三島の原稿は彼を保存する制度と物語へ戻り、パゾリーニの写真、素描、映画資料もそれぞれの場所へ帰る。展覧会の一時的な力は、分離を乗り越えたふりをせず、その分離自体を見えるようにしたことにある。

二人が共有したのは、注意の強度だった。繁栄を文化的健康の証明と認めなかった。身体、映像、言語が、政治権力を個人の内側まで運ぶ場所だと理解した。一つの媒体では、同時代との論争に足りなかったため、形式を越境した。

しかし強度は無罪を意味せず、予言は政治綱領ではない。三島の戦後空虚への批判は、国家主義、階層、死の演出へ進んだ。パゾリーニの消費権力への批判は、マルクス主義、同性愛者としての排除、キリスト教図像、周縁生活への連帯から生まれたが、そこにも懐古と矛盾がある。この距離を残す時、展覧会は最も強い。

価値のある対峙は、一方が他方を倒して終わらない。私たちが問えることを変える。7月29日17時30分、九段の部屋は閉じる。三島とパゾリーニは和解していない。それより有用な仕事をする。戦後の「奇跡」の光を見る時、その光が何を消したかも見ずにはいられなくする。

取材ノートと情報源

本稿は2026年7月28日午前10時29分(日本時間)までに確認できた情報に基づく。展覧会は7月29日に閉幕する。キュレーションの比較を、三島とパゾリーニの政治や死が同等であることの証明として扱っていない。作品と公共的行為の評価には現在も論争があり、パゾリーニ殺害の事情は争われていることを明記した。