屏風は、壁ではない。立てる場所を変えられ、必要がなければ畳める。それでも開いた瞬間、風と人の視線を止め、室内に新しい境界をつくる。絵が描かれれば、その境界は松林にも、渦巻く潮にも、戦国の時間にもなる。

岐阜県美術館で9月8日に始まった所蔵品展「ぎふの日本画 屏風-大画面にみる美の世界-」は、この二重性を正面から扱う。同館が1979年から形成してきたコレクションから、明治期から2017年までの屏風17点を前後期に分けて公開する。「ぎふの日本画」展としては7回目だが、今回は作家や画題より先に、画面形式そのものが主役になった。[1][2]

古代・中世の名品を並べる屏風史展ではない。川合玉堂(かわい・ぎょくどう)、前田青邨(まえだ・せいそん)、大橋翠石(おおはし・すいせき)、守屋多々志(もりや・ただし)ら岐阜ゆかりの近現代作家が、古い支持体をどう新しい絵画へ更新したかをたどる展覧会である。

折り目は絵を壊さず、動かす

屏風の一枚一枚は「扇(せん)」と呼ばれる。日本で発達した紙蝶番は、各扇を隙間の少ない連続面としてつなぎ、山折りにも谷折りにもできる。平面の図版では一本の横長画面に見えても、実物はジグザグに立つ。観客が横へ歩けば、光を受ける面と影になる面が入れ替わり、描かれた形の距離まで伸び縮みして見える。東京文化財研究所も、紙蝶番によって両方向へ折れることを屏風の特徴として説明している。[3]

岐阜展の目録が「画面内を流れる季節、時間の表現」を見どころに挙げるのはそのためだ。右から左へ季節が移る作品、離れた場面を連ねる物語、余白を隔てて向き合う動物。屏風では折れが句読点になり、観客の移動が読む速度を決める。[2]

名称は「風を屏(ふせ)ぐ」に由来する。古代中国からもたらされた屏風は、風よけから、絵や書を載せる移動可能な画面へ発達した。近世日本では数多くの屏風絵が制作され、空間を華やかに演出する調度としても使われた。六枚をつなぐ六曲が一般的で、二つを一組にしたものを六曲一双、一つなら六曲一隻と呼ぶ。[3]

屏風絵は「絵が載った家具」ではない。絵によって部屋を作り替える、可動式の建築である。

前期――老松、若い鷹、三人の天下人

前期の中心は、1928年の川合玉堂《老松蒼鷹(ろうしょうそうよう)》だ。高さ171.5センチ、横372センチ。美術館の作品情報は技法を「絹本墨画淡彩(裏箔)」と記す。老松と蒼鷹という伝統的な画題は、墨の濃淡と横長の間によって、単なる吉祥図ではなく張り詰めた空気へ変わる。[5]

玉堂は1873年、現在の愛知県一宮市域に生まれ、岐阜で育った。京都で幸野楳嶺(こうの・ばいれい)に学び、のちに橋本雅邦の門へ移る。今回、師・楳嶺の明治期《四季草花図屏風》も前期に並ぶ。師弟を一つの様式に閉じず、京都画壇の花鳥表現から、玉堂の自然観察と墨の空間へ移る道筋を比較できる。

守屋多々志《乱世に生きる(信長・日吉・竹千代)》は1983年、紙本着色、高さ171センチ、横365.5センチ。織田信長、のちの豊臣秀吉にあたる日吉、徳川家康の幼名である竹千代を、一人の英雄の肖像ではなく、同じ乱世を生きる三つの時間として組む。大垣市生まれで歴史画を主軸とした守屋にとって、屏風は出来事を一場面へ固定せず、人物の距離と運命を同居させる舞台だった。[6]

ほかに、翠石の1938年頃《虎図》、玉堂の《秋景山水図》《四季和歌色紙屏風》、玉舎春輝(たまや・しゅんき)《磯辺》、川﨑小虎(かわさき・しょうこ)《春》、岡村智晴(おかむら・ともはる)《木漏れ日》を展示する。最も新しい《木漏れ日》は2017年作。明治から平成までの距離を、同じ折り畳み形式がつなぐ。[2]

後期――虎、金泥の魚、鳴門の音

10月14日からの後期では、展覧会広報の主画像にもなった大橋翠石《虎図》が登場する。紙本金地着色、昭和初期。大垣に生まれた翠石は1900年パリ万国博覧会と1904年セントルイス万国博覧会で金牌を得た。師と母を相次いで失い、1891年の濃尾大震災では生家と父を失った後、写生を重ねて虎の表現を研ぎ澄ませた。金地の屏風では、虎は背景の風景に住むというより、観客と同じ室内へ現れる。[7]

前田青邨《遊魚(ゆうぎょ)》は1921年頃、各隻139×272.3センチ。作品目録の技法表記は「紙本着色(金泥のみ)」で、色彩を重ねるのではなく、金泥の魚影を紙上に泳がせる。中津川生まれの青邨は歴史人物画の巨匠として知られるが、この作品では身体の量感より、水そのものを描かずに水中の奥行きを成立させる簡潔さが際立つ。[8]

平川敏夫《鳴門潮聲(なるとちょうせい)》は1990年、紙本墨画。題名の「潮聲」は潮の音である。固定した波形ではなく、墨の反復と屏風の屈曲が、渦潮の連続運動を展示室に起こす。一方、村井正誠(むらい・まさなり)の1970年代《無題》は墨と紙による抽象作品だ。近代日本画家だけでなく、抽象美術で知られる村井まで含めたことで、展覧会は「屏風=伝統画」の等式を静かに崩す。

後期にはさらに玉堂《林和靖(りんなせい)》《松渚双鶴(しょうしょそうかく)》、玉舎春輝《皐月頃・小春日》《万里長城》が加わる。墨、淡彩、金地、絹、紙という素材の差が、同じ屏風形式の内部で比較できる。[2]

会期主な展示注目する技法・構成
前期
9月8日~10月12日
楳嶺《四季草花図屏風》、玉堂《老松蒼鷹》、守屋《乱世に生きる》、翠石《虎図》(1938年頃)など9点裏箔、色紙の配列、歴史人物の時間構成、明治から2017年までの連続
後期
10月14日~11月3日
翠石《虎図》(昭和初期)、青邨《遊魚》、平川《鳴門潮聲》、村井《無題》など8点金地、金泥、墨の反復、抽象絵画と伝統形式の交差

「日本画」は古代から続く一枚岩ではない

屏風の歴史は古いが、「日本画」という分類は近代に成立した。明治期、西洋由来の油彩画を「洋画」と呼ぶ一方、従来の材料と系譜をもつ絵画が「日本画」として括られた。画家たちは伝統を保存しただけではない。西洋の写実、遠近法、展覧会制度、新しい顔料を取り込み、線、余白、支持体を再編した。東京国立近代美術館は、当時の画家が日本画と洋画の「はざま」で実験したことを指摘している。[9]

岐阜県美術館の収集方針もこの近代史と結びつく。同館は1979年に収集を始め、山本芳翠、熊谷守一、川合玉堂、前田青邨、荒川豊蔵ら、岐阜ゆかりの作家を地域美術の柱として調査・収集してきた。1982年の開館から44年、コレクションは「郷土作家」を地方史に閉じ込めるのではなく、日本近代美術の中へ置き直す基盤になった。[10]

今回の17点も、岐阜という出生地だけでまとまるわけではない。尾張に生まれ岐阜で育った玉堂、大垣の翠石と守屋、中津川の青邨。京都画壇、日本美術院、官展、国際博覧会、戦後抽象へと進路は分かれる。共通するのは、折り畳める大画面を、過去の遺物ではなく同時代の問題に使ったことだ。

17点前期9点・後期8点
明治期~2017年制作年代の幅
第7回「ぎふの日本画」展
370円一般観覧料

作品を見る順序を、体でつくる

屏風の鑑賞では、正面の一点に立ち続けないほうがいい。まず離れて左右一双や横長の流れをつかみ、次に斜めから折れと反射を見る。金地は照明と角度で明るさが変わり、墨画は凹凸によって余白の密度が変わる。近づけば、紙本と絹本、金泥と金地、墨画と淡彩の差が見えてくる。

そして前後期を通して見るなら、主題より形式の持続が浮かぶ。花鳥、虎、歴史人物、魚、渦潮、抽象形態。屏風は何を描いても、その像を部屋の一部にする。美術館の白い壁に平らに掛けられた絵とは違い、観客のいる空間を巻き込み、見る位置を決め、時間をつくる。岐阜展の「大画面」は、単に大きいという意味ではない。絵がこちらの空間を変えるほど大きい、ということだ。

観覧案内

会場は岐阜県美術館・展示室1d。午前10時から午後6時まで、入場は閉館30分前まで。10月16日は午後8時まで夜間開館する。月曜休館だが、祝休日の場合は翌平日が休館。一般370円、大学生240円、高校生以下無料。前期最終日の10月12日は月曜・祝日で開館し、10月13日は休館、後期は14日に始まる。[1]

取材・主要資料
  1. 岐阜県美術館「ぎふの日本画 屏風-大画面にみる美の世界-」 — 会期、料金、展示替え、主要作品。
  2. 岐阜県美術館「所蔵品展示目録」 — 全17点、読み、制作年、技法、前後期。
  3. 東京文化財研究所「屏風|日本絵画の修復」 — 紙蝶番と両方向に折れる構造。
  4. 東京文化財研究所「屏風|日本絵画の修復」 — 屏風の歴史、構造と用語。
  5. 岐阜県美術館コレクション検索「川合玉堂《老松蒼鷹》」 — 寸法、技法、制作年。
  6. 岐阜県美術館コレクション検索「守屋多々志《乱世に生きる》」 — 公式英題、読み、寸法、技法。
  7. 岐阜県美術館「明治の金メダリスト 大橋翠石」 — 読み、経歴、万博受賞、濃尾震災。
  8. 岐阜県美術館コレクション検索「前田青邨《遊魚》」 — 制作年、寸法、技法、出生地。
  9. 東京国立近代美術館「揺らぐ近代:日本画と洋画のはざまに」 — 明治期の日本画と洋画をめぐる実験。
  10. 岐阜県美術館「コレクションについて」 — 収集開始年と岐阜ゆかりの作家。

編集注: 作品名・人名の読み、制作年、技法は美術館の2026年展示目録を優先した。前後期の点数は同目録の○印9点、●印8点を集計。「裏箔」の具体的な施工状態、各作品の屏風の曲数・隻数、全作品の寸法は目録に記載がないため断定していない。展示風景を現地取材した記事ではなく、開幕時点の公式資料に基づく。