開催中:有限会社アクストの「HeWhoMe.Tokyo」は8月6~12日、台北南港展覧館の台湾文博会ブランド商展にある東京都ブースへ出展する。6、7日は専門家限定、8日から一般入場・販売が始まる。製法、海外出展歴、持続可能性に関する記述は、別記がない限りメーカー発表に基づく。

着物が靴になる前に、誰かが取り返しのつかない選択をする。衣を平らに広げ、型紙を鶴、菊、波、幾何学文様の上で動かす。数センチずらせば、完成した一足の物語が変わる。そして刃を入れる。

保存を重んじる人には、古い絹を裁つことが破壊に見える。何十年も着られず箪笥に眠った着物を持つ家族には、救出かもしれない。靴職人には実務の問いが始まる。布は十分に強いか。柄をどこへ置くか。繊細な織物は屈曲、天候、摩擦に耐えられるか。革とどう接ぐか。

その問いが、浅草北端の今戸から台北へ渡った。小野崎記子氏が代表を務める靴メーカー、有限会社アクストは、シグネチャーブランド「HeWhoMe.Tokyo」のスニーカーを台湾文博会へ出展している。同社はヴィンテージ着物と革、浅草の職人が受け継ぐ手釣りを組み合わせるという。

会場は台北南港展覧館。木曜に開幕し、最初の2日間はバイヤーなど専門家向け。土曜から翌水曜までは一般客が入場・購入できる。東京都の「Buy TOKYO推進活動支援事業」で過年度の成功事例に選ばれ、東京ブースへ参加した。

8月6~12日台湾文博会ブランド商展
8月6・7日専門家限定の商談日
150年超浅草へ続く近代革靴の歴史
約100工場GO TOKYOが紹介する浅草の靴工場数

もう一つの浅草

多くの観光客にとって、浅草とは浅草寺、雷門の巨大提灯、菓子と土産が流れる仲見世だ。今戸、東浅草へ北上すると、別の街が見える。革商、底材・ヒール・副資材店、型紙師、サンプル室、修理、零細工場、卸問屋である。

この地理そのものが生産技術だ。数軒先の専門業者が革を正確に漉き、難しい甲を解決できれば、一社ですべての工程を抱える必要はない。知識は注文、修正、付き合いを通じて移る。小さなブランドでも、自社の従業員数を超える専門性を組める。

東京都の観光サイトは、浅草に革・材料店と約100の靴工場があると紹介する。台東区は浅草ものづくり工房で皮革関連の創業者を支援し、皮革産業資料館で記録を保存する。普段は非公開の工房を開く「エーラウンド」は、区の産業振興ビジョンによれば毎回1万5千~2万人を集める。

アクストの今戸の所在地は、この観光写真に写りにくい浅草の中にある。同社サイトは生産を浅草の工場で行い、希望に応じて「made in ASAKUSA」「made in TOKYO」と印字できると説明する。産地表示は懐古的な飾りではなく、今も動く分業網を示す。

浅草の工芸は、孤独な名人一人ではない。狭く深い技能同士が、まだ互いを見つけられる街である。

靴の街はどう生まれたか

日本の近代革靴史は、明治国家が軍人と官吏を洋装で整える必要から始まる。1870年、実業家の西村勝三が築地入舟町に伊勢勝造靴場を設け、業界史が国産初と位置づける洋式革靴を製造した。

産業はまもなく東へ動く。西村は1871年に製革場を向島へ移した。1872年、弾直樹が製靴場を浅草橋場町へ移した。革加工、靴組立、河川輸送、東京東部の労働地域が結びついた。浅草に先行した皮革仕事と、動物に関わる仕事を担わされた人々の厳しい社会史も、この基礎の一部である。磨かれた工芸物語から消されがちな歴史だ。

戦争と国家需要が生産を拡大した。1945年以降、浅草の工場は通学、通勤、日常へ洋靴を取り入れた大衆へ供給した。上野駅に到着した東北出身の集団就職者も工房へ入った。1970年、台東の新しい都立産業貿易センターで第1回東京レザーフェアが開催された。

その後、国際化で風向きが逆になる。業界年表によると、2013年の革靴輸入額は約1240億円となり、初めて国産出荷額を上回った。量産は海外へ移り、浅草の優位は試作、小ロット、フィット、速度、特殊製法、ブランド物語へ絞られた。

1870年 西村勝三が築地に伊勢勝造靴場を設立。

1871~72年 製革が向島へ、弾直樹の製靴場が浅草橋場へ移る。

1902年 現リーガルコーポレーションにつながる日本製靴が設立。

戦後 洋靴の日常化で東京東部の集積が拡大。

1970年 台東で第1回東京レザーフェア。

2013年 革靴輸入額が国内出荷額を逆転。

2026年8月 HeWhoMe.Tokyoが着物スニーカーを台北へ。

衣からアッパーへ

着物は、直線的で無駄を抑えた布片を基本に仕立てられるため、再利用に向く。縫い目を解けば、多くは長い長方形の布へ戻る。歴史的にも、仕立て直し、寸法直し、譲渡、子供服、生活布への転用が行われてきた。

しかし靴は、衣より布へ厳しい要求をする。着物は垂れ、体を包む。アッパーは何千回も曲がり、足と擦れ、街路に出る。古い絹は光、湿気、汗、収納時の染み、見えない繊維損傷で弱っている場合がある。選別と補強は、見た目と同じくらい重要だ。

ブランドは国産の正絹着物を使い、型紙を裁つ場所によって柄が変わるため一足ごとに違うと説明する。オンラインには「雅」「凛」「粋」「藍」「茜」のほか、雪輪、亀甲、小手毬などの文様名が並ぶ。

アップサイクルは価値の式を変える。元の姿では売りにくく着にくい衣が、高級スニーカーの視覚的中心になる。ただし変換は原品を消費する。責任ある作り手は、傷んだ布・余剰布と資料価値の高い衣装を見分け、可能なら来歴を記録し、家族の着物を扱う場合は明確な同意を得る必要がある。

「手釣り」とは何か

発表で強調される「手釣り」は、英語でhand-lasting。釣り針は使わない。靴を三次元の形へ立ち上げる「釣り込み」を手で行う工程だ。

着物と革を裁断し、縫い合わせて甲を作った後、職人は足型である木型へかぶせる。つま先、側面、かかとの順に素材を引き、柄をゆがめず整形し、中底へ固定する。張力の均衡が要る。緩すぎれば皺が出て支えを失い、強すぎれば縫い目がねじれ、素材へ負担がかかり、フィットも変わる。

関連ブランドTOKYO KIMONO SHOESが公開する工程は、型抜き、革漉き、縫製、釣り込み、甲とアウトソールの圧着、検査・仕上げ。革は自然素材で厚みが一定でないため、革漉きが不均一だと継ぎ目が膨らみ、圧迫感につながる。完成品は、既製スニーカーへ着物を巻いただけでも、全工程を手縫いする注文靴でもない。

メーカーは「足の形を記憶し、動く足に寄り添う」と表現する。これは販促表現で、独立した臨床結果ではない。熟練の手釣りは形と張りを細かく制御できるが、快適性は木型、サイズ展開、中敷き、底の形状、重量、履く人の足にも左右される。

工程職人の課題意味
柄取り着物のどの部分を各パーツへ置くか構図を決め、一足ごとの違いを生む
革漉き不均一な革の厚さを揃える膨らんだ縫い目や圧迫を防ぐ
縫製繊細な布、補強材、革を接ぐ強度と柄の位置を決める
手釣り木型へ均等な張力で甲を沿わせる形、フィット、線の美しさを作る
圧着・仕上げ底を接着し、検査・調整する耐久性と最終品質を決める

古着物に新しい命が必要な理由

戦後の洋装化で、着物は日常着から儀礼、晴れの日、愛好家の装いへ移った。経済産業省資料は販売額の減少傾向を示し、主要な着用場面として残る結婚式、入学式、成人式も、人口減少と慣習の簡素化で変わっていると指摘する。

経産省は1980年頃の約1兆8000億円に対し、近年は約2000億円規模と紹介している。推計の範囲で数値は変わるが、方向は明白だ。反物と着物が減れば、分業の深い産地で織り、染め、型彫り、刺繍、整理、販売の注文が同時に減る。

家庭では素材が行き場を失う。高価で家族の意味を持つ礼装でも、再販価格は低いことがある。寸法、着付け知識、手入れ費、着用機会の少なさが継承を難しくする。誰も着る予定のない優れた織物が、箪笥に残る。

アップサイクルは出口の一つだ。ただし着物産業全体を復活させるわけではない。既存の衣を裁っても、元の織り手への新規注文は生まれない。それでも、新しい買い手に織り、文様、絹の質を知ってもらい、眠る布から収入を作り、裁断・縫製技能を使い続けられる。

アップサイクルは環境免許ではない

「サステナブルなスニーカー」は魅力的な言葉だが、環境性能は製品全体に宿る。着物布の再利用は、その部分の廃棄を避け、新しい装飾布の需要を減らす。だが革の由来と鞣し、補強材、接着剤、合成部材、底材、包装、航空輸送、耐久性、廃棄時の分離も問われる。

布、革、発泡材、ゴム、接着剤を履用中に剥がれないよう作る複合靴は、再資源化時にも分けにくい。長く履け、修理できる手仕事品は、使い捨ての靴より良い可能性があるが、修理、底交換、手入れ、製造廃棄、使用年数の情報が必要だ。

今回の発表にはライフサイクル評価、炭素排出量、靴全体の再生材比率、生産量がない。したがって「ヴィンテージ着物をアッパーにアップサイクルする」と言うのが正確で、一足すべてが環境的に優れると断定はできない。

本気のアップサイクルブランドが答えるべき問い
  • 着物をどう調達、選別、記録するか。
  • 靴全体の何割が再利用材、再生可能材、再資源化可能材か。
  • 革、鞣し薬品、接着剤、底材は何か。
  • 底交換、修理、回収ができるか。
  • 絹の裁ち落としと検品不合格品をどうするか。
  • 文様を正確に説明し、家族の布を同意の下で使うか。

市場であり鏡でもある台北

台湾は、便利な最初のアジア販路以上の存在だ。日本の旅、食、工芸、デザインは高い認知を持つ一方、台湾の買い手は日本文化を受け身で消費するのではなく、洗練された目で解釈する。技と考えがある商品か、既知の文様を載せただけかを見抜ける。

台湾文化部主催の台湾文博会は、その試験に合う。ブランド商展はクリエーティブブランドとIPライセンスを組み合わせる。2025年は65万人、650の国際ブランド、930超のブース、海外バイヤー約180人、商談1400件超を記録し、取引額は13.5億台湾ドルだった。

2026年のブランド展は南港展覧館で7日間。一般公開前に2日間の商談日を設ける。アクストは二つの商売を同時に試せる。卸・小売業者とは数量、サイズ、納期、独占販売を話し、一般客は絹に触れ、履き、物語が価格に見合うかを判断する。

同社はサウジアラビアのファッションショー、フランスのメゾン・エ・オブジェに続く3カ国目の海外展示と説明する。出展は認知を作るが、継続輸出そのものではない。台北での評価は受注、取引先、再購入、海外のサイズ交換・返品へ対応できる運営力で決まる。

Buy TOKYOの賭け

東京都ブースへの出展は、都市工芸の集積が物だけでなく「東京らしさ」を輸出できるという政策上の賭けだ。Buy TOKYOは東京に根ざす商品が販路を広げるのを支援する。HeWhoMe.Tokyoを過年度の成功事例に選んだことは、小規模メーカーが地域生産を国際的な提案へ翻訳できるという証拠に見ていることを示す。

翻訳には複数の層がある。「浅草」は工芸と古い東京を示す。「着物」は素材と文化認知を与える。「アップサイクル」は現代の環境関心に応える。「スニーカー」は世界の日常着として理解される。組み合わせが強いのは、各語が互いを説明するからだ。

危険もある。海外需要が着物の異国情緒だけを評価すれば、靴は高価な土産になる。防ぐには具体性が要る。布を説明し、文様を名付け、手釣りを見せ、来歴を開示し、曖昧な「日本」ではなく作り手を物語の中心に置く。

柄は縫い目を越えられるか

文化遺産を商品へ変える難所は、古い素材を新しい形に載せることではない。何を残し、何を変えるかを決めることだ。着物は裁断、補強、現代部材との接合なしに靴として働けない。靴は、製法が素材の由来を消せば、文化を正直に運べない。

浅草も同じ緊張にある。1950年代の大量生産を繰り返して工場が生き残るのではなく、蓄積技能を少量、変則的、高難度の仕事へ使う。アップサイクル絹のスニーカーは、まさにそのような物だ。摩擦のない量産には不向きで、人の判断が見えるから価値がある。

台北は、その見える価値が移動できるかを試す。買い手が最初に見るのは色と柄だ。手釣り、革漉き、産地史、布の慎重な選択は、説明と履き心地を通じて後から届かなければならない。

箪笥の着物は、変わらないことで記憶を守る。靴は別の方法で守る。動き、皺を集め、新しい街へ触れる。どちらが自動的に敬意ある道でもない。HeWhoMe.Tokyoの賭けでは、伝統は裁断を受け入れ、歩くことで生き延びる。

取材メモ・主要資料

催事日程とブランド説明はアクストの発表・公式サイトに基づく。独立したライフサイクル評価や比較快適性試験は確認できなかったため、環境性と履き心地の表現を限定した。