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Japan.co.jp Story|なぜgaijinがJapan.co.jp?
WHY I OWN JAPAN.CO.JP 1991–2004–2026 BBS / ISP / CONTENT BLACKLIST

なぜgaijinがJapan.co.jpを所有しているのか

先に結論を言います。
「偶然」ではありません。
1991年から日本の情報流通と検索に人生を賭け、105の.co.jpを「構想として」まとめて取得し、そして潰され、再建し、手放し、買い戻し、最後にAI時代に帰ってきた――その結果です。

短い答え(30秒)

私は1990年代初頭、日本で「検索」と「情報流通」のインフラを作っていました。
その延長で、Japan.co.jpを含む105の.co.jpドメインを一括で取得しました。
当時の私の構想は、後のWebポータル/カテゴリメディア/ニッチ検索の考え方に近いもので、時代に対して早すぎた。

ところが、その取得から短期間で、取引先・団体・回線事業者に“圧力”がかかり、 事業は急速に縮小しました。私はそれでも諦めず、Jmail.co.jpを無料メールとして伸ばし、 最終的に会社を手放して負債を完済し、日本を離れました。

2004年にドメイン資産を買い戻しましたが、運用上の事故でサービスは終わりました。
それでもドメインは残った。
そして2026年、AIによって「個人が巨大な出版と検索を再起動できる」時代が来たので、私は戻ってきました。

他の人はハードハットが必要。私はハードヘッド(折れない頭)だ。
重要:このページは告発記事ではありません。
記憶だけで断定しないために、可能な限り一次資料と年表で支えます。
ただし「現場で何が起きたか」は、逃げずに書きます。

もう少し長い答え(でも読みやすく)

1) 1991:BBSで「情報の道」を作った DOSのBBSに、英字紙・業界紙が日次でアップロードされる。検索は“必要な人だけが知る力”。
2) 1992:検索をフロッピーに閉じ込めた(Metabook) ネットが遅いなら、検索体験を配る。出版と検索を合体させた。
3) 1995:PPPで「常時接続へ」— 回線事業に飛び込む NTT PC Communications(東京・横浜・大阪)+ Japan Telecom(全国)。インフラ×販売・サポートの50/50。
4) 1996:Web制作へ— 企業が“Webを持つ”瞬間 Coca-Cola Japan、Budweiser Japan、Swissair等。メディアと制作が結びつく。
5) 1998:ブラックリスト— 105.co.jpの直後に風向きが変わる 取引先が怖がり、団体が距離を取り、回線側が「彼らがダメだと言った」と告げる。社員65→5へ。
6) 1999:Jmail — “広告が打てない”中で増えるサービス 無料メールとして成長。25万ユーザーへ。負債を抱えながら再建。
7) 2000:売却・離日— 借金を残さず去る 会社は手放すが、負債は完済。物語は終わらない。
8) 2004:ドメイン資産の再取得— しかし事故で終わる Jmailは99万ユーザー規模。だが運用障害でサービスが崩壊。
9) 2026:AI — 個人が「巨大な出版」を再起動できる時代 私は戻ってきた。ドメインは“墓標”ではなく、再起動可能な器になった。
結論:
Japan.co.jpを持っている理由は、ラッキーでも投機でもない。
日本で、検索と情報流通に人生を賭けた結果として、ここに残った。

日本の読者へ

私は日本が大好きです。日本の消費者が大好きです。
途中で邪魔をする“少数”がいたとしても、それが日本そのものではない。

このプロジェクトは、日本の消費者・起業家・エンジニアへ捧げます。
止まらないで。続けて。がんばって。