METABOOK フロッピー時代 自然言語検索 出版×検索

Metabook ― 1,000ページをフロッピー1枚に

1990年代初頭。 インターネットはまだ一般的ではなく、常時接続もありません。

それでも私たちは考えました。

「約1,000ページのテキストを、フロッピー1枚に収め、 自然言語検索で読めるようにできないか?」

それが Metabook です。

Metabookとは何か

Metabookは単なる電子書籍ではありませんでした。

当時、多くの人にとって「検索」は新しい概念でした。 索引や目次ではなく、文章の中身を横断的に読む体験。

なぜフロッピーだったのか

いまならクラウドですが、当時は回線が遅く、通信費も高い。 オフラインで完結することが重要でした。

フロッピーは「物理的なクラウド」でした。

インターネットが普及する前に、 検索体験だけを先に届けようとした試み。

出版モデルの挑戦

Metabookは技術だけでなく、ビジネスモデルの実験でもありました。

問題は常に同じでした。

「どうやって収益化するか?」

Metabookは早すぎたのか?

今日の検索エンジン、デジタルアーカイブ、AI検索。 それらの原型は、当時すでに見えていました。

しかし、時代はまだ準備できていなかった。

技術は正しくても、 インフラ・市場・政治が揃わなければ成立しません。

読者への問い

あなたが1993年にいたとしたら、 Metabookをどう育てますか?

・出版社モデルを深掘る? ・企業知識管理に集中? ・オンライン化を待つ? ・OEMとして裏側に入る?

歴史は結果を知っています。 しかし当時は、すべてが未知でした。

個人的な記録 ― Metabookが家族を救った日

これはビジネスの話ではありません。 私の息子の話です。

息子は両側性口唇口蓋裂(bilateral cleft lip and palate)で生まれました。

ある医療情報プロバイダーのパートナーが、 この疾患に関する約1,000ページの医学資料を提供してくれました。 その善意は、今も忘れられません。

私はその膨大なテキストをMetabookに取り込み、 自然言語検索で読み込みました。

数日で、私はこの疾患と手術法の体系を理解していました。

当時の日本では、患者が医師に意見を述べる文化はまだ一般的ではありませんでした。 医師と患者の関係は厳格で、質問も遠慮がちでした。

しかし私は、Metabookで調べた知識をもとに、 医師にこう伝えました。

「私は“鬼塚法(Onizuka Method)”は望みません。」

医師は驚きました。

そして静かにこう言いました。

「私も好きではありません。私は鬼塚先生のもとで学びましたが。」

その瞬間、関係は変わりました。 医師と患者ではなく、共に最善を考えるパートナーになりました。

私はいまでも、この出来事を思い出すと、 ありがたさで鳥肌が立ちます。

Metabookは、検索ソフトではありませんでした。 それは「対話を可能にする装置」でした。

情報が力になる瞬間。 それがMetabookの本質でした。

Hardhat Required

Metabookの物語とその後の展開は、 書籍 Japan.co.jp: Hardhat Required に詳述されています。

他の人はハードハットが必要かもしれない。 しかし時には、折れない頭も必要です。