猫の数を数える前に、一歩離れて絵を見てください。何に見えるでしょう。
一枚の猫が、九匹にも十匹にも見える
まず福岡市博物館が所蔵する「五拾三次之内猫之怪」を見てほしい。怪猫の顔が浮かび上がる。ところが視線を近づけると、輪郭はそれぞれ異なる姿勢の猫たちでできている。目玉は猫の鈴。鼻や頬に潜んでいるのは、さらに別の猫だ。寄せ絵は、遠目の印象と近くで得る情報を往復させる。画面の中に「もう一度見たい」を仕掛ける、幕末の視覚メディアだった。
作品の素性を確かめる
作品の標準的な所蔵記録は「五拾三次之内猫之怪」。福岡市博物館は弘化4年から嘉永5年(1847~52)ごろの紙本木版多色摺、縦35.7センチ、横23.9センチとする。館蔵番号は1993B04642。公開画像は所蔵館の作品ページで確認できるが、画像の転載条件は作品そのものの著作権とは別問題だ。後掲のリンクから拡大画像を開き、まず何匹見えるか数えてみてほしい。
「おもちゃ芳藤」と呼ばれた絵師
歌川芳藤(うたがわ・よしふじ)は1828年に生まれ、1887年に没した。国立国会図書館の典拠によれば、本名は西村藤太郎、号は一鵬斎。歌川国芳に学び、武者絵や外国人を題材にした横浜絵、明治の風俗を描く開化絵にも取り組んだ。しかし、のちに特に知られるのは「おもちゃ芳藤」という呼び名である。これは単なる愛称ではない。浮世絵を、壁に飾る絵ではなく、手を動かして楽しむ道具にした仕事への評価でもあった。
発明その一――目をだます「寄せ絵」
寄せ絵は、一つ一つの人物や動物を集めて別の大きな像をつくる。師の国芳にも名高い作例があり、芳藤の猫の怪は、その視覚的な驚きを猫だけで組み立てる。猫好きの作者という個人像以上に重要なのは、絵の読み方を二段階に設計していることだ。離れると妖怪、近づくと猫の群れ。どちらも同じ版木から生まれ、鑑賞者の目の動きによって変身する。
発明その二――切り取ると遊びが始まる
切り抜いて表裏を貼り合わせる「両面合わせ絵」も芳藤の得意分野だった。東京都立図書館には1862年刊とされる「新板まとい両面合」が残る。玉川大学教育博物館が紹介する「新版源氏姿」には光源氏、明石姫、若紫が描かれ、人物の表裏を組み合わせて遊ぶ構成になっている。ただし同館が記す現存版の出版年は1895年で、芳藤の没年より後。原画の制作と後年の版行を混同してはならない。
発明その三――平面の紙から立体の舞台へ
さらに「組上絵(くみあげえ)」は、印刷した紙を切り、厚紙などで裏打ちし、糊で組み立てて小さな情景をつくる遊びだった。玉川大学教育博物館の「しん板魚つり組立画あそび」は、組み立てれば魚釣りの光景になる。作品解説は、限られた紙面を無駄なく使う配置に注目している。完成品を見るだけではわからない。切り取る順番、部品のつながり、立ち上げる工夫までが作品の一部なのである。
猫が油をなめる、小さな灯籠
福岡市博物館所蔵の「当りのかわりあんどん」も、紙の使い方を教えてくれる。六面に一ツ目小ぞう、のぎつね、三ツ目入道、ふくねずみ、ばけねこ、たぬき山を描き、切り抜いて小さな行灯のようにするものだという。子どもにとっては化け物の世界を手元で立ち上げる遊びだった。昔の印刷物は、読むもの、眺めるものというだけではなかった。作って、置いて、遊ぶものでもあった。
なぜ残りにくいのか
名画なら大切に額装され、世代を超えて受け継がれる。しかしおもちゃ絵の成功は、切ること、折ること、手に取ることにあった。遊べば紙は傷む。組み立てた瞬間、元の一枚絵は姿を変える。宮城学院女子大学の深澤昌夫教授も、子どもが遊ぶ印刷物であることが現存の少なさにつながると指摘する。「失われた」のは誰かが価値を認めなかったからだけではない。作品が本来の役割を果たしたからこそ、原形が残らなかった面もある。
2026年、猫の双六を読み直す
芳藤の遊びを再発見する研究は今も続く。2026年4月、宮城学院女子大学は深澤教授による「膝の上猫の寿古六」(東京都立中央図書館所蔵)の読解連載を掲載した。双六の一こま一こまは、当時の言葉遊びや生活感覚への入口でもある。江戸の紙の玩具は、現代のゲームの「祖先」と単純に呼ぶべきものではないが、鑑賞する人を参加者へ変える発想は驚くほど新鮮だ。
「数える」ことも編集になる
では冒頭の怪猫には何匹いるのだろう。一般向け解説には九匹と数えるものと十匹と数えるものがある。福岡市博物館の公開作品情報は固定した数を示していないため、本稿は正解を決めつけない。輪郭の境目をたどり、自分の数え方を比べる時間そのものが、芳藤の絵を見る楽しみではないだろうか。大きな顔をもう一度見て、小さな猫を探してみよう。
歴史資料と、いま作る絵を分ける
今回のJapan.co.jpの見出し画像は、芳藤の寄せ絵に着想を得た現代の編集イラストであり、博物館所蔵の木版画を複製したものではない。原作品を確認するには、福岡市博物館の正式な作品台帳と高精細画像へのリンクを利用できる。外部サイトの画像を無断で転載する代わりに、所蔵館名、館蔵番号、資料の年代を明示することが、美術史記事の基本になる。
原作品を見る・もっと調べる
作品画像は各機関の公式ページで開いてください。画像利用条件は提供機関ごとに異なります。
- 福岡市博物館・作品台帳/Fukuoka City Museum collection
- 福岡市博物館・画像提供条件/Fukuoka reproduction terms
- 玉川大学教育博物館:魚つり組立画/Tamagawa fishing paper toy
- 玉川大学教育博物館:新版源氏姿/Tamagawa double-sided paper dolls
- 国立国会図書館・典拠データ/NDL artist authority
- くもん子ども浮世絵ミュージアム/Kumon Children’s Ukiyo-e Museum
- 東京都立図書館:新板まとい両面合/Tokyo Metropolitan Library
- 宮城学院女子大学:膝の上猫の寿古六/Miyagi Gakuin University research
- メトロポリタン美術館:五人のあたまで十人に見ゆる/The Met Open Access
- 福岡市博物館:当りのかわりあんどん/Fukuoka lantern print
- Wikimedia Commons:Newly Published Comic Picture of Cats
