銭湯の記憶は、意外に寸法を持たない。
湯気が編集してしまうからだ。
暖簾をくぐり、靴を脱ぎ、フロントや番台を通り、服を脱ぐ。すると建物は、公共空間なのに同時にひどく私的な場所になる。脱衣場の天井が思ったより高い。高窓から光が入る。低い椅子とカランが等間隔に並ぶ。浴槽が壁際に寄る。タイルの目地がグリッドをつくる。裸の人々の上に富士山がある。
外へ出た時、覚えているのは「感じ」であって、浴槽の立ち上がり寸法ではない。
塩谷歩波は逆をする。
開店前に、測る。
2019年のインタビューで塩谷は、「銭湯図解」をつくる時、開店1時間半前ごろに浴場へ入り、レーザー測定器で浴室全体や浴槽など大きな部分を測ると説明している。湯船の立ち上がりやカランのような細部はメジャー。タイル幅まで丁寧に測る。
次に写真を撮り、店主へ歴史や取り組みを聞く。
そして営業が始まると、自分も客に交じって入浴する。
空間は、空の建築では完成しないからだ。
その後に下書き、ペン入れ、透明水彩による着彩。文字はiPad。1枚を描くのに20時間以上かかることもあるという。
この工程が重要なのは、塩谷が「建物だけ」を描かないからである。
建物が使われている状態を描く。
洗う人。湯につかる人。タオル。桶。冷蔵庫。扇風機。ベンチ。庭。小さな人間と小さな物が、屋根やタイルと同じように「その銭湯の記憶」になる。
8月22日、その見方が、まったく違う建物へ移る。
新宿センタービル地下1階。
キンコーズ・ジャパンは8月22日から30日まで、ツクル・ワーク新宿センタービル店で、入場無料のPOP UP「銭湯図解百貨展」を開催する。銭湯図解パネル、描き下ろし作品、制作過程を展示。番台をイメージしたフォトスポットでは来場者がメッセージを残せる。23日には塩谷本人と透明水彩で線画を彩色するワークショップを2回、各8人限定で予定する。
そして、建築図としては妙な出口が一つある。
「着る」。
好きな銭湯図解を選び、キンコーズのオンデマンド印刷で、その場でTシャツへ。価格は3,850円。
消えていくかもしれない部屋が、持ち運べる物になる。
人を消さない建築図
アイソメトリックは、普通の遠近法とは違う。
平行線を平行のまま保ち、立体を斜めから開いて見せる。部屋、設備、動線の関係を一枚で理解しやすい。
塩谷は建築を学び、2015年に早稲田大学大学院・建築学専攻を修了した後、都内の設計事務所で働いた。「銭湯図解」に使ったのは、その職業語彙から来た図法だった。
ただし、厳密な設計図のままではない。
本人によれば、本来のアイソメトリックでは三つの軸が120度間隔になるが、銭湯ごとに「見せたい角度」を変えている。厳密には自己流だという。
この小さな逸脱こそ、作品の本質かもしれない。
施工図は、曖昧さを除いて建物をつくるためのものだ。
銭湯図解は、建物を覚えるために、曖昧さを少し戻す。
透明水彩はCADの完全な面より柔らかい。小さな人物が、部屋へ寸法と行動を戻す。説明文は「ここが深い」「ここから光が入る」「この場所に人が座る」「店主がここを変えた」と、図面では捨てられやすい価値を拾う。
だから写真より客観的な部分と、写真より主観的な部分が同居する。
寸法は測った。
何を大切に描くかは、塩谷が決めた。
平面図は「浴槽がどこにあるか」を教える。銭湯図解は、「そこに人がいると、どんな場所になるか」まで描こうとする。
最初は「友達に説明したい」から始まった
このシリーズは、文化財保存事業として始まったわけではない。
「好きになったものを、友人に説明したい」が出発点だった。
設計事務所勤務中、体調を崩して休職した塩谷は銭湯へ通い始める。本人は後に、銭湯を「家風呂の代替」「古い、汚い」といったイメージで見ていたが、実際に入るとまったく別の魅力に気づいたと語っている。
建築空間としても優秀で、人が集まる場所としても面白い。
その面白さを、まだ銭湯に行ったことがない建築学科時代の友人へTwitterで伝えたかった。
普通の平面図では足りない。
そこで、内部を斜め上から開く図解を考えた。
2016年末ごろからSNSで発表し始める。高円寺の老舗「小杉湯」がその絵を見つけ、パンフレット制作を依頼した。いったん設計事務所へ復職したものの、体調的に以前と同じ働き方は難しかった。2017年、塩谷は小杉湯へ相談し、3月に番頭として働く道を選ぶ。
建築から離れたように見える。
後から見ると、離れていなかった。
建てる前の建物を描く仕事から、何万人もの日常によって意味を持った後の建物を描く仕事へ、顧客が変わっただけだった。
1591年 — 『慶長見聞録』によれば、江戸・銭瓶橋付近に記録上最初の銭湯。
1912年 — 神田猿楽町「キカイ湯」で、銭湯富士山ペンキ絵の原型とされる作品が描かれる。
1923年以降 — 関東大震災復興の建築ラッシュで、宮大工の技術を生かした「宮造り」銭湯が東京に広がる。
1948年 — 公衆浴場法制定。
1968年 — 東京都内の銭湯が戦後ピークの2,687軒。
1981年 — 減少を受け「公衆浴場の確保のための特別措置に関する法律」制定。
2016年 — 塩谷が「銭湯図解」をSNSで発表し始める。
2017年 — 高円寺・小杉湯で番頭として勤務しながら制作。
2019年2月 — 中央公論新社から『銭湯図解』刊行。24軒を収録。
2025年末 — 東京都の公衆浴場数417軒。
2026年8月1日 — 東京都の大人入浴料金統制額が550円から600円へ。
2026年8月22日 — 新宿で「銭湯図解百貨展」開幕。
かつて東京は「町ごとに風呂」が必要だった
塩谷が描く建物は、住宅の前提が今と違う都市から生まれた。
日本の公共入浴には、江戸より古い宗教・衛生の歴史がある。仏教寺院の浴堂から庶民へ開かれた入浴の習慣が広まり、中世には営業浴場も発達した。
東京の銭湯史でよく使われる起点が1591年である。
東京都浴場組合が紹介する1614年刊『慶長見聞録』には、徳川家康が江戸へ入った翌年、伊勢出身の人物が銭瓶橋—現在の常盤橋付近—で銭湯風呂を始めたとある。
江戸の人口は急速に増えた。
初期は蒸し風呂系の構造が中心だったとされ、後に湯へつかる形が広がる。銭湯は身体を洗うだけでなく、茶を飲み、菓子を食べ、囲碁や将棋をし、人が集まる庶民の社交場にもなった。
近代の銭湯は、その二つの仕事を受け継いだ。
身体を洗う。
町を一時的に同じ部屋へ入れる。
「伝統的銭湯建築」は、意外に新しい
海外から見ると、「昔ながらの銭湯」は何百年も同じ形をしてきたように見える。
しかし東京を象徴する建築要素の一部は20世紀の発明である。
寺社のような唐破風、高い天井、豪華な木工を持つ「宮造り」銭湯は、1923年関東大震災後の復興期に広がったとされる。東京都浴場組合の解説では、建築需要が爆発した時期に宮大工がその技術を使い、寺や神社を思わせる銭湯が生まれた。
この大げさな外観には、面白い社会的効果があった。
客は統制された地域料金を払いながら、ほとんど公共記念建築のような入口を通る。
脱衣場では高い天井が日常行為を開放的にする。高窓は光と換気を生む。浴室の奥には、さらに別の世界が現れる。
富士山。
海。
湖。
機能に「劇場性」が加わった。
高級施設ではないまま。
なぜ裸の東京人の上に、富士山があるのか
いまでは東京銭湯と富士山は、昔から一体だったように見える。
これにも始まりがある。
一般的な由来では、1912年、神田猿楽町の「キカイ湯」で、殺風景な浴室を楽しくしようと店主が画家・川越広四郎へ背景画を依頼し、富士山を描いたのが銭湯ペンキ絵の始まりとされる。
そこから広まった。
閉じた湿った室内に、不可能な地平線をつくる。
実際の床面積より、浴室が心理的に広がる。
富士山だけが銭湯アートではない。タイル絵、モザイク、木彫、庭、現代グラフィックもある。しかし富士山は、全国的な象徴をきわめて地域的な部屋へ入れることで特別な力を持った。
塩谷の図解は、その構造を反転する。
昔の背景画は、銭湯の中に「想像の風景」を入れた。
銭湯図解は、銭湯そのものを一枚の風景へ入れる。
「懐かしい」と思う前から、減っていた
東京都浴場組合によると、1937年には都内に約2,900軒の銭湯があった。
1945年、東京大空襲で約400軒まで激減する。
その後、東京は再建した。
1968年、2,687軒。戦後のピーク。
そして、銭湯の市場そのものが変わった。
家庭風呂が住宅の標準設備になる。厚生労働省は、自家風呂普及による利用減、経営者の高齢化、後継者不足、転業などを、公衆浴場減少の理由として挙げる。都市部では土地自体の価値も高い。広い銭湯敷地を、集合住宅など別用途へ変える経済的圧力がある。
数字は激しい。
2011年、766軒。
2019年、520軒。
2024年末、430軒。
2025年末、417軒。
1968年のピークから約84%が消えた計算になる。
全国でも、厚生労働省の統計上の「一般公衆浴場」は2020年度末3,231施設から2024年度末2,730施設へ減った。ただし、この法的・統計的カテゴリーは民営の町銭湯だけを完全に一致して数えるものではないため、「全国の銭湯は2,730軒」と単純化するのは正確ではない。
日本は、この減少をずっと前に法律で認めていた。
1981年の「公衆浴場の確保のための特別措置に関する法律」は、銭湯が住民の日常生活で「欠くことのできない施設」である一方、著しく減少しているとして、国・自治体へ利用機会を確保する措置を求めた。
文化財保護法ではない。
公衆衛生・福祉の法律である。
その違いが、銭湯の正体をよく表している。
417軒は「ほぼ死んだ」という数字ではない
店舗数だけを見ると、一本道に見える。
東京都の利用者データを見ると、少し違う。
1浴場1日あたり平均利用者は2011年120人。
2019年144人。
2024年163人。
2025年180人。
これは各店の入場カウンターを足した実測値ではなく、東京都が入浴料金収入などを基に算定した平均である。また「客が増えた=経営が儲かる」でもない。燃料、電気、人件費、修繕費、土地、設備更新が同時に上がる。
それでも、減少=需要消滅という理解を崩す。
銭湯は減った。
残った銭湯の中には、よく使われているものがある。
改装建築、サウナ、クラフト飲料、アート、ランニング、地域イベント、SNS、インバウンド。家に風呂がある人が「選んで行く公共空間」として再発見する動きもある。
必要施設から、選ぶ公共生活へ。
この変化が、建物を救うこともある。
同時に、建物を変える。
保存するには、改装しなければならない
建築保存は、「オリジナルの状態を動かさない」と考えやすい。
銭湯には、それが難しい。
水を大量に使う。熱をつくる。不特定多数が毎日使う。ボイラーは壊れる。配管は腐食する。防水は古くなる。耐震性も必要だ。利用者はシャワー、サウナ、水風呂、使いやすい脱衣場を求める場合がある。燃料設備も時代に合わせる必要がある。
宮造り銭湯には実務上の逆説がある。
変えなさすぎれば、商売が続かず建物ごと消える。
変えすぎれば、残したかったものが営業と引き換えに消える。
近年の東京には、唐破風や格天井を残しながら受付や浴槽設備を現代化する例がある。一方で、久松湯のように現代建築として銭湯を再定義する施設もある。
「銭湯はこの形でなければならない」と固定すれば、建築文化として死ぬ危険もある。
塩谷の記録は、その論争を先に解く必要がない。
改装前を描ける。
改装後も描ける。
変化そのものを資料へできる。
- 平面と高さ:脱衣場、浴室、浴槽、洗い場、通路の位置関係。
- 触れる設備:カラン、浴槽縁、蛇口、棚、時計など、建築史では小さすぎて落ちやすい物。
- 視覚文化:ペンキ絵、タイル、庭、看板、冷蔵庫、日用品。
- 人の使い方:どこで座り、洗い、休み、話すか。
- 店主の判断:取材で知る改修、サービス、地域慣習。
- 雰囲気:測量図では消える感覚を、透明水彩と視点選択で戻す。
裸の人を「肖像」にせず描く
銭湯は、記録する側に特殊な問題を出す。
建築が最も生きている営業時間は、写真撮影が最も侵入的になる時間でもある。
営業中の写真はプライバシー問題が大きい。
営業前の空室写真なら安全だが、建築が「何のためにあるか」を担う身体が消える。
イラストは、その間に第三の道をつくる。
実在客を肖像化せず、人の姿勢、距離、行動を描ける。
だから銭湯図解は、観光イラストより、昔の都市風俗画や建築断面図に近いところがある。
「公共空間の振り付け」を残す。
知らない人同士はどこを見るのか。
どのくらい離れて座るのか。
浴槽の縁は休憩場所になるか。
男女の浴室を壁が分けても、屋根、ペンキ絵、同じ建物はどうつないでいるのか。
身体が建築情報になる。
Tシャツは妙な保存媒体だ。でも正直でもある
今回の名称は「銭湯図解百貨展」。
美術館のふりをせず、「売る」ことを名前の中に入れている。
ポストカード440円。アクリルキーホルダー1,100円。ハンカチ1,210円。キャンバス風マウント3,850円。Tシャツ3,850円。本も並ぶ。オンライン販売は9月13日まで。
消えゆく文化をグッズ化している、と冷たく見ることもできる。
しかし銭湯自体が、ずっと「文化」と「商売」の間にある。
入るにはお金を払う。
しかも町銭湯の料金は、今も都道府県知事が上限を決める統制料金である。東京都は燃料・光熱費などの上昇を背景に、2026年8月1日から大人料金を550円から600円へ引き上げた。6〜11歳200円、6歳未満100円は据え置き。
600円の風呂と3,850円のTシャツは、別の経済で動いている。
その差は考えさせる。
銭湯は大量の水を温め、衛生を守り、人を雇い、配管を直し、大きな湿潤建築を維持しながら、地域生活施設として統制価格を受ける。
銭湯の「絵」は、本、プリント、服として市場価格で流通できる。
建物より、建物のイメージの方が経済的に持続しやすいことさえある。
少し不気味な逆転である。
だからこそ、イメージから本物へ人を戻せるかが大切になる。
服にした建築が、建物への地図になるなら
銭湯グッズのもっとも良い役割は、入浴の代用品ではない。
入口になることだ。
2019年の『銭湯図解』には24軒。塩谷は「露天の王様」「現代銭湯建築の傑作」「泣きに行く銭湯」「実家みたいな銭湯」のように、一軒ずつ違う言葉を付ける。
「日本の銭湯」を一括りにしない。
一つ一つが場所だからだ。
経営問題も場所ごとにある。「日本のお風呂文化が好き」とSNSで言うだけでは、その店のガス代は払われない。
入る。
店で飲み物を買う。
また来る。
その方が直接的だ。
Tシャツを見た誰かが「これ、どこの銭湯?」と聞くなら、その服は地図になる。
文化保存としての価値は、好奇心が本物の浴場へ戻る時に強くなる。
法律はいまも「日常生活に必要」と呼ぶ
銭湯には、文化イメージとは別の法的な顔がある。
厚生労働省の制度では、公衆浴場を「一般公衆浴場」と「その他の公衆浴場」に分ける。町銭湯を含む一般公衆浴場は、「地域住民の日常生活において保健衛生上必要なものとして利用される施設」とされ、基本入浴料金は物価統制令の対象になる。
この言葉は、家庭に風呂がない世帯が多かった時代の現実から来る。
現在、自家風呂はほぼ標準になった。厚労省も、自家風呂普及を利用減少の主要因の一つとして挙げる。
それでも1981年の特別措置法には意味が残る。
2004年改正で、住民の健康増進だけでなく「住民相互の交流の促進」など福祉向上のため、公衆浴場を活用することへの配慮も明記された。
公共的価値の重心が移ったとも読める。
「身体を洗える場所」から。
「人が公共でいられる場所」へ。
衛生機能がなくなったのではない。
それだけではなくなった。
絵には、救えないものがある
記録と保存は、よく混同される。
同じではない。
閉店した銭湯をどれほど正確に描いても、水は温まらない。
後継者は生まれない。
濡れた木の匂い、脱衣場と浴室の温度差、毎日16時10分に来る常連、偶然隣に座ったから生まれる会話は、完全には戻らない。
図解が保存できるのは「証拠」である。
失う可能性があるから、その証拠の価値が上がる。
建築アーカイブは、大建築、著名建築家、すでに重要と判断された文化財を優先しやすい。
銭湯図解は別の主張をする。
毎日数百人が使う一軒の商業建築にも、レーザー距離計を持って入り、20時間以上かけて一枚を描く価値がある。
建築を見る民主的な態度である。
| 主張 | 証拠が支えること | 証明していないこと |
|---|---|---|
| 「銭湯は消えている」 | 東京は1968年2,687軒から2025年末417軒へ減少。全国の一般公衆浴場も減少が続く。 | 公衆浴場を求める利用者がいないこと、残存店すべてが経営不振であること。 |
| 「銭湯図解は建築記録だ」 | 塩谷は現地実測、写真、店主取材、建築図法を経て透明水彩で制作する。 | 保存修理や施工に使える認定実測図・施工図であること。 |
| 「POP UPが銭湯を保存する」 | 展示、制作過程、本、グッズを通して銭湯建築へ新しい観客を導く可能性がある。 | グッズ販売が特定銭湯の閉店を直接防ぐこと。 |
| 「昔ながらの銭湯建築は古代から同じ」 | 公共入浴文化は非常に古い。 | 宮造りや富士山ペンキ絵まで古代から続くこと。東京を代表する両者は主に20世紀の発展である。 |
POP UPそのものが「翻訳」になっている
今回の企画の三つの動詞は、ほぼ「見る・つくる・描く」である。
パネルと描き下ろしを見る。
好きな作品を選び、オンデマンド印刷でTシャツへ「つくる」。
23日のワークショップで、塩谷の線画を透明水彩で「描く」。
同じ建築が何度も翻訳される。
濡れた部屋が、実測スケッチになる。
スケッチが、水彩画になる。
水彩画が、本のページになる。
ページが、展示パネルになる。
パネルが、Tシャツになる。
Tシャツが、人の身体に乗って新宿から出ていく。
この増殖は、銭湯そのものの経済と正反対である。
画像はいくらでも複製できる。
建物は一つしかない。
配管も、屋根も、土地も一つ。
明日も開けるか決める経営者も一人の生活をしている。
東京には417通りの「銭湯」がある
減少統計は違いを平らにする。
417軒というと、一つのカテゴリーに見える。
実際には、417通りの存続交渉である。
唐破風を残す店。
建物ごと建て替える店。
サウナを増設する店。
あえてサウナを設けず、昭和の構成を残す店。
ランナーを呼ぶ店。
外国人旅行者が増え、水着で入ろうとする客へルールを説明する店。
地域の高齢者にとって今も日常施設である店。
家に風呂のある20代が、大きな浴槽と「スマホのない時間」を求めて行く店。
東京都浴場組合の現在の銭湯マップにも、庭、薬湯、水風呂、サウナ、番台、フロント、ランドリーなど、違う機能の組み合わせが並ぶ。
記録するなら、その差を残さなければならない。
塩谷が「銭湯ごとに図解の角度を変える」ことは、美術的な好みだけではないように見える。
視点そのものが、標準化を拒んでいる。
普通の建築は、減ってから「文化」になる
都市の保存には、少し悲しい順番がある。
たくさんある時、普通の建物は見えない。
数が減ると、細部が急に「遺産」になる。
町中華の看板。
団地の階段。
理容店のサイン。
銭湯の下足箱。
ロッカー以前の籐籠。
番台。
曲面天井。
牛乳冷蔵庫。
どれも、希少になるためにつくられたわけではない。
周囲が消えて、希少性がやってきた。
銭湯図解は、その一歩前で動く。
まだ営業し、まだ普通に使われているうちに、「見る価値がある」と決める。
これがシリーズのもっとも重要な保存感覚かもしれない。
閉店してから可視化するのでは、遅い。
いちばん悲しい建築図は、解体告知が出てから初めて描かれる図だ。塩谷は、まだ湯が熱いうちに描き始める。
8月22日、図解は壁から外へ出る
予定通りなら、土曜日11時、新宿センタービル地下のPOP UPが開く。
9日間。
描かれた銭湯を知っている人も来るだろう。
「青と白の絵がTシャツに似合う」から来る人もいる。
制作過程を見て、「この小さなカラン間隔まで測ったのか」と初めて気づく人もいる。
番台フォトスポットにメッセージを書く人もいる。
2019年の本を買い、毎日通り過ぎていた銭湯の中に庭、高天井、奇妙な浴槽配置があると初めて知る人もいる。
この順番には意味がある。
建築は普通、「中へ入って」から知る。
塩谷は順序を逆にする。
先に壁を開いて見せる。
絵が成功すれば、その後で本物の中へ入りたくなる。
一住所ずつ銭湯が減っていく時代、図解にできることはそれかもしれない。
建物の代わりになることではない。
建物がまだあるうちに、無視しにくくすること。
- キンコーズ・ジャパン、2026年8月20日「銭湯図解百貨展」発表
- 朝日新聞「好書好日」、2019年 塩谷歩波インタビュー — 実測、アイソメトリック、透明水彩、小杉湯
- 中央公論新社『銭湯図解』— 2019年刊、24軒収録
- 国立国会図書館 — 『銭湯図解』書誌・塩谷歩波略歴
- 東京都浴場組合「銭湯の歴史」— 江戸の公衆浴場と社交場としての役割
- 東京都浴場組合 — 宮造り銭湯、銭湯アート、1912年の富士山ペンキ絵
- 東京都浴場組合 — 1968年ピークを含む都内銭湯数の長期推移
- 東京都 — 2025年の浴場数・利用者推計・2026年入浴料金
- 厚生労働省「公衆浴場業概要」— 一般公衆浴場の減少、家庭風呂普及、後継者問題
- 厚生労働省「公衆浴場法概要」
- 「公衆浴場の確保のための特別措置に関する法律」— 1981年制定
- 東京都、2026年7月24日 — 大人入浴料金を8月1日から600円へ
編集注:「銭湯図解百貨展」は8月22日開幕予定であり、本稿は開場前に準備した。来場者数、販売実績、当日の反応など未確認の結果は記載していない。東京都の417軒は2025年末の都集計で、浴場組合の加盟店数・検索件数は時点や定義によりわずかに異なる。全国の「一般公衆浴場」は法令・統計上、民間町銭湯だけと完全一致するカテゴリーではない。また本稿で「建築記録」と表現するのは、塩谷が現地実測と建築図法を用いるというジャーナリズム上の意味であり、文化財保存修理用の認定実測図・施工図とは扱っていない。
