ひとつの旋律がヨーロッパを離れ、三百年をかけて「国籍」を変えていく。日本と韓国で子どもの歌になり、歌詞も文脈も変わる。しかし、西洋音楽を東アジアの教室へ運んだ近代化の序列は、無邪気な旋律の下でまだ響いている。韓国出身のアーティストで作曲家のガン・ドンフンにとって、聴くことは歴史を発掘する方法になる。

同じ展覧会の別の場所では、地震は倒壊した建物として表されない。揺れを予期することを覚えた身体の中にある。ヘルシンキ郊外の旧埋立地は、死んだ土地として扱われない。植物、動物、管理に携わる人、地質学者、歩く参加者が、地層の重なるアーカイブへと変える。墨田の変化する路地は、陶の記憶と循環する水になる。生きた植物は、人の通常の感覚を超える信号を出す。ビデオゲームは、密かに書き続け、自著が焼かれるのを見せられた作家たちの側へ、鑑賞者を近づける。

これは、トーキョーアーツアンドスペース(TOKAS)レジデンス2026成果発表展「はだしであるく」第2期の6つの道である。8月15日にTOKAS本郷で始まり、9月20日まで続く。作風も、媒体も、制作地もひとつではない。共通するのは方法だ。自分の分類が自然に思える環境をいったん離れ、その分類が再び固まる前に注意深く見る。

TOKASは、社会への所属を一足の靴にたとえる。集団の価値観、制度、習慣は人を守り、世界を歩きやすくする。同時に、皮膚と地面の間に靴底を差し入れる。本展の作家たちは、自らの選択によって、あるいは歴史や災害によってそうせざるを得ず、その断熱材を一時的に外す。社会の外に立てるふりをせず、社会が見えなくしてきた表面をもう一度感じようとする。

13組2つの会期に分かれて成果を発表
第2期は6組東京、台北、ヘルシンキ、ベルリンでの滞在
20年TOKASのレジデンス事業は2006年開始
入場無料TOKAS本郷、11時から19時まで

場所に触れる、6つの方法

レジデンスはしばしば「何もない時間」の贈り物として想像される。部屋とスタジオ、日常の義務からの解放。しかし「はだしであるく」が示すのは、もっと厳しい滞在制作だ。場所は訪問者に用意された風景ではない。言語、歴史、素材、生態という抵抗であり、作家が当初つくろうとしたものを中断させる力である。

ガンは2026年1月から3月までTOKASレジデンシーに滞在した。音や音楽が社会の中でどう消費され、流通し、ときに利用されてきたのかを調べる。東京では、近代化の過程で西洋音楽が東アジアへ入った際に生じた序列と、音楽教育の役割を研究した。出品作は、およそ300年前に西洋で生まれ、日本と韓国で広く知られるようになった旋律に焦点を当てる。その移動は、単純な所有の物語を崩す。歌は親しみと強制の両方を伴って国境を越えることがある。

ハラサオリは反対方向へ移動した。2025年9月から11月まで、台北のトレジャーヒル・アーティスト・ヴィレッジに滞在した。継続作「P wave」の名は、より大きな揺れに先行して到達する初期微動から取られている。ハラはこの作品を、自身が経験してきた地震、なかでも東日本大震災と結びつけてきた。台北で視野は広がった。物理的な揺れに、軍事的緊張、情報戦、全国規模の防災訓練という身体の振付が重なった。災害後の光景を演じるのではない。地面が動く前に、人の記憶が身体をどう身構えさせるのかを問う。

水野渚がHIAPでのヘルシンキ滞在で向き合ったのは、一見すると「傷んだ」土地だった。ヴオサーリ・ヒルは旧埋立地から生まれ、今では多様な動植物が生きる。水野は土壌の専門家や丘の維持管理を担う人と話し、地質学者とともに参加者を歩くツアーへ招いた。風景や音の断片はサウンド・ポエトリーへ変わる。この作品は二つの安易な物語を拒む。人の損傷は永遠の不毛である、という物語。そして新しい緑が埋められた過去を消す、という物語だ。ケアは両方の歴史を同じ場所に置くことから始まる。

メキシコの作家ディエゴ・ペレスにとって、リサーチはカメラを持って墨田のレジデンスを出ることだった。古い家屋が壊され、地域性の乏しい集合住宅へ変わる様子を記録し、職人や美術館を訪ね、絵画と陶を制作した。さらに、じょうろ職人と協働し、水が循環する銅の噴水をつくった。「Sumida fountain I」は、日本庭園から着想を得ているが、「日本らしさ」の土産ではない。何度も歩いた道、交わした会話、他者の技術とともにつくった時間が素材に残っている。

台湾を拠点とするSynphysicaは、本プロジェクトではファン・チーシュアンとチョウ・チャオチーが参加し、2026年1月から3月まで東京で制作した。日本庭園、盆栽、周辺の森林生態を調べ、どこまでが人の管理で、どこからが生態系の自己調整なのかを考える。生きた植物、センサー、計算システムを組み合わせ、人の目や耳では通常捉えられない生物活動を変換する。技術が植物に人語を話させるのではない。最も成功するとき、作品は人間の聴覚の限界を可視化する。

宇佐美奈緒のベルリン滞在は、共感の別の限界に向き合った。防空壕、強制収容所など戦時下の場所を訪ね、身体的・精神的な抑圧を調べた。「Silence and Oblivion」は3DCGとビデオゲームの参加形式を使い、密かに執筆を続け、自らの本が焼かれるのを目撃させられた作家たちに近づく。関連パフォーマンス「Inner murmur」は、宇佐美の映像と、小林萌の振付・出演を組み合わせる。鑑賞者は歴史を支配できない。画面の中で動けることが、歴史の中で奪われた他者の行為可能性への注意を深められるかが試される。

作家/滞在地出会ったもの圧力を受ける「靴」
ガン・ドンフン
東京、2026年1~3月
東アジアの子ども時代に溶け込んだ西洋の旋律慣れた歌には政治も来歴もない、という思い込み
ハラサオリ
台北、2025年9~11月
地震、訓練、軍事的緊張、予期する身体自然災害と社会的な振付を分ける境界
水野渚
ヘルシンキ、2025年8~11月
別の生態的な生を得た埋立地「廃棄物」「自然」「回復」という分類
ディエゴ・ペレス
東京、2025年9~11月
変わる墨田の家、工芸、日々の道永遠で収集可能な「日本」を求める訪問者の視線
Synphysica
東京、2026年1~3月
植物の信号と管理された庭知覚と環境管理を人間が独占するという前提
宇佐美奈緒
ベルリン、2025年9~11月
抑圧された作家、焼かれた本、身体の記憶歴史的知識と身体感覚の安全な距離
本展の「裸足の作家」は、社会から自由なのではない。社会によって感じなくて済んでいた表面を、新たに意識している。

この比喩が捉えるもの、見誤る危険

靴は技術である。移動距離を伸ばし、熱や鋭利なものから守り、職業や地位を示し、ある地形を歩けるようにする。同時に、情報を鈍らせる。TOKASの比喩が機能するのは、社会を単なる牢獄だとする幼い主張を退けるからだ。分類は閉じ込めるだけでなく、守る。制度は資金、査証、部屋、翻訳、人との接点、失敗する許可を与える。レジデンスそのものが精巧な靴なのである。

この逆説は重要だ。「脆弱性」は現代美術で使われすぎた美徳でもある。制度が露出を称賛しながら、別の誰かが費用を負担するなら、現実の不安定さを美的な姿勢に変えてしまう。助成金と帰りの航空券を持って国境を越える人の脆弱性は、難民、発禁作家、家を失う住民のそれと同じではない。訪問者の一時的な不確かさを、他者の恒常的な危険と混同してはならない。

「はだしであるく」が強いのは、作家が感覚を無垢さではなく責任として扱うときだ。ハラは地震と軍事的脅威が同じだとは言わず、その双方が予期をどう組織するかを見る。水野は埋立地が「癒やされた」と宣言せず、「自然」という語を複雑にする人と地層に耳を澄ます。ペレスは工芸を地域色として抜き取らず、協働と日々の反復を作品の内部に入れる。宇佐美は迫害を娯楽化するためにゲームを使うのではなく、画面の中の行為が、歴史の中で行為を奪われた人への注意を深められるかを問う。

分類を外すことと、分類など存在しないふりをすることには倫理的な差がある。前者はラベルがどう働くかを見せられる。後者は、そのラベルを重大にした力の不平等を消してしまう。個人の身体、場所、生き物に近づきながら、それを取り巻く構造を失わないこと。それが作家に課された難題である。

裸足は、無垢と同じではない。 レジデンスは国籍、資金、言語、制度的評価、帰国できる権利を消さない。移動によってそれらの保護が見えるようになり、作家が一時的な居心地の悪さを道徳的権威に変えず、説明するときに誠実な仕事が始まる。

隠遁から出会いへ——レジデンスの小史

初期の近代的なアーティスト・イン・レジデンスは、社会から距離を取ることを中心にしていた。1900年にニューヨーク州で設立されたヤドーは、市場、都市の騒音、経済的圧力から離れ、中断されない時間と空間を提供した。1907年にはニューハンプシャー州でマクダウェルが始まり、集中を守りながら異分野の作家を一つの場所に集めた。距離は避難所だった。社会の要求が妨げる制作のために、いったん社会を離れる。

1960年代以降、もう一つの型が広がる。レジデンスは社会活動、リサーチ、交流の拠点になった。田園の保養地だけでなく、都市、村、対立を抱える土地のゲストスタジオが、住民、政治、場所と作品を接触させる。現在も二つの系譜は共存する。集中を守るプログラムもあれば、公共的なプロジェクトを求めるものもある。多くは孤独と交流の両方を約束するが、この二つはしばしば互いに引っ張り合う。

日本の現代的なレジデンス基盤は、より遅く形成された。茨城県守谷市のARCUSは1994年に試行事業を始めた。主催者によれば、当時、日本ではアーティスト・イン・レジデンスはほとんど知られていなかった。改修した学校で、若手の海外作家と地域との出会いを結びつけた。山口県の秋吉台国際芸術村は1998年に専用の文化施設として開館し、レジデンスを中核事業に据えた。こうした公的・地域的な実験は、訪問作家を支援の受け手だけでなく、大都市の美術館文化の外で出会いを生む触媒とみなした。

東京では、2001年12月にトーキョーワンダーサイト(TWS)本郷が開館し、当初は若手作家の支援を重視した。2006年6月に短期滞在の試行を始め、同年11月に「TWS青山:クリエーター・イン・レジデンス」を開設。2014年にレジデンスは墨田区へ移り、延べ758.56平方メートル、居室12室、スタジオ2室、ライブラリー、ラウンジを備える施設となった。2017年、名称はトーキョーアーツアンドスペースに変わった。

この年表は単なる名称変更の列ではない。公的な芸術支援に求められるものが変わった記録である。展示室だけでは足りない。生活空間、調査の時間、海外の提携先、作家の企画を都市へつなぐスタッフが必要になった。作品の公開は、長く、ほとんど目に見えない過程の最後へ移った。

1900年 ヤドーが、作家を守る時間と空間としてレジデンスを制度化。

1907年 マクダウェルが複数の創作分野を共同の滞在地へ集める。

1960年代以降 都市型・地域型が増え、隠遁から社会的な出会いへ役割が拡張。

1994年 日本でまだ珍しかった時期にARCUSが守谷で試行開始。

1998年 秋吉台国際芸術村がレジデンスを中核に開館。

2001年 トーキョーワンダーサイト本郷が開館。

2006年 TWSがレジデンス事業を開始し、青山施設を開設。

2014年 レジデンスは墨田へ移り、本郷は発表の場として継続。

2017年 トーキョーアーツアンドスペースへ改称。

2026年 「はだしであるく」がレジデンス事業20年の地点に立つ。

二つの建物、一つの創作の代謝

TOKASはレジデンスの代謝を東京の二つの場所に分けている。墨田では、作家が眠り、調べ、人と会い、素材を試し、オープン・スタジオで未完成の仕事を見せる。本郷では、2001年開館のコンパクトな施設にある3つの展示室で、成果が公開の議論へ編集される。二つの場所の移動は変換でもある。個人的な不確かさが、それを生んだ過程を平板にせず伝えるべき展覧会になる。

現在の事業は一つの公募ではない。海外クリエーター招聘プログラムでは、およそ3カ月の滞在に航空運賃、生活費、制作・プロジェクト費、個室、共用スタジオを提供する。二都市間交流事業は、日本を拠点とする作家を提携機関へ派遣し、海外作家を東京へ招く。キュレーター、国内の若手作家、リサーチを主眼とする人には、支援内容の異なる別の枠がある。2026年の提携先は、バーゼル、ベルリン、ブリュッセル、ダブリン、ヘルシンキ、モントリオール、ソウル、台北に広がる。

この仕組みを知ると、第2期の6作品が大きく異なりながらつながっている理由が見える。ガン、ペレス、Synphysicaは東京へ招かれた。ハラ、水野、宇佐美は相互交流を通じて海外へ出た。前者は「客」として到着し、後者は「翻訳者」として帰る。優れた交流事業は「日本の作家」を輸出し、「外国の作家」を輸入するだけではない。作品が具体的になる時間を与え、両方のラベルを揺らす。

6月27日から8月2日までの第1期は、「テクノロジーと人類の未来」という共通テーマの下で同じ仕組みを示した。アレクシア・アヒレオスは巨大テック企業のユートピア物語を書き換える協働型カードゲームを制作。アナイス・カレニンは、祖先や植物の知と植民地主義的な分類体系を対置した。エドゥアルド・カスティーリョ・ビヌエサは日本の気象制御構想を調べた。ノガミカツキはAIに翌日の日記を書かせ、その記述に合わせて自分の行動を変えた。交換プログラムの作家は、ベルギー・ヘールの精神障害者の家庭受け入れ、ケベックで人が想像する「肌色」、バーゼルの雑草からつくる紙を扱った。

二つの会期を合わせると、よくある前提が反転する。技術は身体から離れておらず、身体知も反技術ではない。予測モデルは大気を組み替え、音楽教育は記憶を組み替え、センサーは植物の活動をデータにし、ビデオゲームは燃える本への身体反応を生む。媒介があるかどうかではない。誰がそのインターフェースを設計し、身体に何を気づかせるのかが問われる。

移動の機会は平等に配られていない

アーティストの移動は、しばしば無条件に良いものとして語られる。ユネスコは国境を越える移動を文化交流と創造性に結びつける。レジデンスは、作家が拠点では得られない資金、時間、専門的な人脈、素材へのアクセスをもたらす。公式な政治が揺れても残る文化外交の関係もつくり得る。「はだしであるく」は、十分に支援された移動が生む可能性を説得力をもって示している。

しかし、6週間や3カ月、生活の場を離れられる力は均等ではない。欧州の文化分野を対象にした研究は、世界的な問題を考える手掛かりになるが、TOKASへの評価ではない。その研究は、障害、家族責任、介護、地域、階級、情報格差に配慮した移動制度を求めている。作家は短期契約と不規則な収入で働くことが多い。助成付きでも、授業を休み、二つの住居を維持し、ケアを手配し、査証を取り、後払いの旅費を立て替えなければならない場合がある。

TOKASが各プログラムのおおまかな支援内容を公開していることは重要だ。次の公平性の指標はもっと難しい。移動の構造からすでに排除され、応募すらしない人は誰か。個室は一人の作家には便益でも、子どもやケアを必要とする同行者がいる作家には障壁になる。英語中心のネットワークは一部の美術圏をつなぎ、別の圏を見えにくくする。3カ月の不在は、フリーランサーを解放する一方、地域に固定された義務を持つ人を危うくする。

国際美術が航空移動に依存することには、生態的な矛盾もある。とくに作品が気候や人間以外の生を扱うとき、その緊張は大きい。だから交流が偽善になるのではない。身体を伴う出会いが必要な場合と、威信のための移動を区別し、可能なら遅く連続する旅を支え、方法と成果を公開して、そこで生まれた価値を市民が判断できるようにする必要がある。

結論は、靴を履き直して家に留まることではない。誰に靴が与えられ、誰が無防備に歩かされ、誰の土地が別の人の経歴の材料になるのかを理解することである。

倫理的なレジデンスを測る5つの問い
  • 時間:第一印象を超えるだけの滞在期間があるか。
  • 相互性:地域の協力者にクレジット、決定権、継続する関係があるか。
  • アクセス:ケア責任、障害、手元資金の少なさがある作家も現実に参加できるか。
  • 過程:不確かさが許されるか、それとも滞在ごとに完成度の高い文化的土産を求めるか。
  • その後:作品を生んだ場所へ、知識や関係が戻るか。

第2期を歩くための案内

「はだしであるく」第2期は、文京区本郷2-4-16のトーキョーアーツアンドスペース本郷で、11時から19時まで開館する。最終入場は18時30分。入場無料。9月20日(日)まで、月曜休館である。来場前に公式サイトで最新の開館情報を確認したい。

8月22日(土)16時から17時30分には、ガン、ペレス、Synphysicaによる日英対応のアーティスト・トークが予定されている。ハラの15~30分のパフォーマンスは、8月29日、9月12日、19日に各日3回を予定。無料だが定員20人で、各回1時間前から整理券を配る。宇佐美の映像と小林の出演による「Inner murmur」は、9月19日と20日の15時にも予定され、事前予約は不要。

有効な見方は、題名を一つの作品に探すことではない。それぞれが何を「地面」とみなすかを問うことだ。ガンにとっては、子ども時代によって滑らかにされた旋律。ハラにとっては、文字通りの大地とその上の政治的な空気。水野にとっては、埋められた廃棄物と新しい生息地。ペレスにとっては、再開発の進む街。Synphysicaにとっては、種を横断する信号の場。宇佐美にとっては、歴史と疑似体験の間にある不安定な面である。

次に、その地面を感じないよう自分を守っているものを問う。慣れた歌は帝国を隠す。防災は恐怖の政治を隠す。「自然」は維持管理と廃棄物を隠す。絵になる路地は立ち退きを隠す。データは生命を読めるようにする一方、人間の語へ翻訳する。インタラクティブな媒体は、共感を安価に約束することがある。

展覧会がその矛盾を取り除くことはできない。美術ができるのは、靴底を見えるようにすることだ。

靴は捨てず、入口の脇に置く

題名で最も興味深い語は「はだし」ではなく、「あるく」かもしれない。歩行とは、不均衡と回復を交互に繰り返すことだ。一方の足が地面を離れ、もう一方が到着する。注意は、小さく制御された脆弱性の反復によって前へ進む。

価値あるレジデンスも同じ構造を持つ。作家は安定した位置を離れ、抵抗に出会い、方法を修正し、帰る。アイデンティティを洗い落として戻るのではない。自分の知覚がそれによってどう媒介されていたかを、以前より理解して帰る。作品はその移動の証拠であって、その土地を理解し尽くした証明ではない。

古い隠遁型は、作家に社会からの距離を与えた。出会い型は、自分の前提からの距離を与える。TOKASの歴史には両方がある。作業に集中する部屋と、背景に留まることを拒む都市。最初の滞在試行から20年を迎えたこの制度の成果は、作家が国境を越えたことだけではない。その移動が、説明可能な調査、相互的な制作、公共の形式になり得ることにある。

本郷の6つの道は、一つの答えに集まらない。旋律は旅を続ける。P波は確信より先に来る。植物は人の感覚圏の外で信号を発する。水は銅の中を循環する。埋立地は育つ。ゲームの中の読者は燃える本へ近づくが、過去を救うことはできない。

言語、国家、職業、美術館、技術、歴史という靴は、まだそこにある。それらは必要だ。「はだしであるく」が求めるのは、その形を思い出し、それが立ってきた世界を感じられる時間だけ、靴を脱ぐことである。

資料・取材注記
  1. トーキョーアーツアンドスペース「はだしであるく」。公式ステートメント、参加作家、滞在期間、作品、会期、会場、関連イベント。
  2. TOKASレジデンス2026成果発表展プレスリリース(2026年5月8日、英語)。展覧会概要と作家解説。
  3. TOKASの沿革。TWS設立、2006年のレジデンス開始、2014年の移転、2017年の改称。
  4. トーキョーアーツアンドスペースについて。使命、施設、事業構造。
  5. レジデンス・プログラムについて。各事業、支援内容、交流都市、オープン・スタジオ。
  6. ガン・ドンフン「Binary Composition for Two Cellos」。TOKAS資料に掲載された先行作品の作家記録。
  7. 国際交流基金 Performing Arts Network Japan「ハラサオリの可能性」(2024年5月1日)。「P wave」、地震の記憶、身体についての発言。
  8. TOKASレジデンス記録:水野渚(英語)。ヴオサーリ・ヒルの調査、ワークショップ、滞在計画。
  9. TOKASレジデンス記録:ディエゴ・ペレス(英語)。墨田での歩行、住宅の変化、工房訪問、陶、銅の協働制作。
  10. TOKASレジデンス記録:Synphysica(英語)。庭園、盆栽、森林、バイオセンシングの調査。
  11. TOKAS作家プロフィール:宇佐美奈緒。ゲーム、3DCG、パフォーマンス、身体感覚の実践。
  12. 宇佐美奈緒×小林萌「Inner murmur」。上演日、時間、会場、入場方法。
  13. ハラサオリ パフォーマンス。日程、定員、整理券。
  14. 第2期アーティスト・トーク2。8月22日の登壇者、言語、入場。
  15. ARCUS Projectの沿革。1994年の守谷での試行と、日本の初期レジデンスにおける位置。
  16. 秋吉台国際芸術村アーカイブ。1998年の開館とレジデンスの歴史。
  17. ヤドーの使命と歴史(英語)。1900年に始まった、保護された時間と空間としての隠遁型。
  18. DutchCulture TransArtists:アーティスト・イン・レジデンスの歴史(英語)。初期の芸術家共同体から1960年代以降の社会関与型への変化。
  19. UNESCO-Aschberg Programme for Artists and Cultural Professionals。作家の移動、文化的多様性、労働条件の枠組み。
  20. 欧州委員会「芸術家・文化創造専門職の地位と労働条件」(2021年、英語)。不規則労働、環境に配慮した移動、地域・障害・ケアによるアクセス格差。

編集部注: Japan.co.jpは本展を現地取材していません。展示と滞在活動の記述は、TOKASの公式展覧会ページ、プレスリリース、レジデンス記録、作家の公開資料に基づき、設営の細部を見たうえでのレビューではありません。第2期は2026年8月15日に開幕しました。第1期の作家については、終了した会期として記述しています。日程は変更される可能性があるため、公式サイトをご確認ください。レジデンスの公平性と環境負荷に関する部分は、国際報告を踏まえた編集分析であり、TOKASや参加作家の不正を示すものではありません。公開情報は2026年8月17日午前4時29分(日本時間)まで確認しました。為替表示は編集指定値です。