35年目のセイジ・オザワ 松本フェスティバルで、最初の公式公演を任されたのは若者たちだった。日曜午後、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルンを学ぶ16人が、奥志賀高原での合宿型指導を経て、あがたの森文化会館の講堂に立つ予定だった。曲はモーツァルトの二つのセレナード。呼吸、音程、均衡、そして互いを聴く力がそのまま露出する音楽である。

この開幕の形は偶然ではない。20世紀を代表する指揮者の一人の名を冠した音楽祭が、お盆明けの夏を1,000円の若手公演から始めた。先生が示し、奏者が試し、アンサンブルが一つの呼吸を学び、その成果を聴衆の前に置く。音楽の遺産が歴史資料になる前の姿が、そこにある。

公式期間は8月16日から9月2日までの18日間。サイトウ・キネン・オーケストラ(SKO)による2プログラム4公演、3回の室内楽公演、管楽器の室内楽勉強会、長野県内の小中学生に向けた教育公演に加え、無料の映像上映、出前コンサート、写真展、歓迎パレード、「小澤征爾の日」が街に広がる。

周年事業は、組織を過去へ向かわせやすい。今週の松本では歴史映像が大きなスクリーンに映り、記憶が至る所にある。それでも2026年の最も強い選曲と構成は、小澤の過去を再演するだけではない。小澤を形づくった作品と実践を、別の手に渡そうとしている。

18日間8月16日から9月2日まで
オーケストラ4公演メシアン2公演、ブルックナー2公演
若手奏者16人木管八重奏の成果公演で公式期間が開幕
没後30年1996年に亡くなった武満徹を室内楽でたどる

音楽祭の前に、恩師の追悼があった

系譜の始点は夏の音楽祭ではなく、齋藤秀雄である。チェリスト、指揮者、教育者だった齋藤は、戦後の桐朋学園の礎を築き、日本の音楽家の世代を育てた。小澤は齋藤に指揮を学び、秋山和慶をはじめ、後に世界各地で活躍する演奏家たちも、その厳しい教育の世界を共有した。

齋藤の没後10年に当たる1984年9月、小澤と秋山は東京と大阪の追悼公演に100人を超える門下生を集めた。目的は恩師をしのぶことだった。しかし、その音は一度限りの追悼を超える組織を生んだ。常設の給与体系や一つの都市ではなく、共通の教育によって結ばれたオーケストラである。

この集まりはサイトウ・キネン・オーケストラへ発展した。1987年、89年、90年には欧州を巡り、BBCプロムス、ザルツブルク、エディンバラでも演奏した。1991年の世界ツアーではアムステルダムとカーネギーホールへ進出した。各国の主要楽団で働く奏者が集まり、濃密な音を作り、再び世界へ散っていく。常設でないことが弱みではなく、再会そのものが強度になった。

1992年、齋藤生誕90年の年に、この旅する共同体は松本に夏の拠点を得た。第1回サイトウ・キネン・フェスティバル松本は、武満徹に委嘱した笙とオーケストラのための《セレモニアル》で幕を開けた。中心的な舞台はストラヴィンスキー《エディプス王》。小澤が指揮し、ジュリー・テイモアが演出、ジェシー・ノーマン、フィリップ・ラングリッジ、ブリン・ターフェルらが出演した。

これは、ザルツブルクやタングルウッドを地方都市で模倣する企画ではなかった。恩師の影響で形成された国際的オーケストラ、開幕を告げる現代日本の新作、中心に置かれた20世紀の難解なオペラ。そして松本を東京公演の途中の停車地ではなく、目的地として扱う。国際音楽祭への大胆な日本からの回答だった。

1984年 小澤征爾と秋山和慶が齋藤秀雄門下生を集め、追悼公演を開催。

1987〜91年 SKOが欧州・世界ツアーで国際的評価を確立。

1992年 松本の音楽祭が、武満徹への委嘱作《セレモニアル》で開幕。

1993年 地元の子どもが《火刑台上のジャンヌ・ダルク》に出演し、SK松本ジュニア合唱団へつながる。

2015年 「セイジ・オザワ 松本フェスティバル」へ改称。

2020〜21年 コロナ禍で全体中止、翌年は有観客公演中止となり、一部を無観客配信。

2024年 小澤が死去。初めて総監督不在で開催し、追悼企画を実施。

2026年 公式に「35年目」と位置づける夏を、管楽器の若手公演で始める。

都市がオーケストラの一部になるまで

松本は会場を貸しただけではない。1993年、オネゲル《火刑台上のジャンヌ・ダルク》に地元の子どもたちがオーディションで出演し、現在も活動するSK松本ジュニア合唱団の発足につながった。1999年には国宝・松本城本丸庭園で《ファウストの劫罰》を半舞台形式で上演し、約6,000人を集めた。後にまつもと市民芸術館が開館すると、オペラと青少年事業の可能性はさらに広がった。

市は関係を制度にした。1992年に国際音楽祭推進の担当組織を置き、長野県とともにOMFを共催する。「岳都・楽都・学都」という三つの「ガク都」のうち、音楽の都市「楽都・松本」を具体化する中心事業として音楽祭を支えている。学校の日程、ホール運営、ボランティア、街頭演奏、移動、福祉施設への訪問、無料上映までを見れば、それが観光用の言葉だけではないことが分かる。

2026年のオープンイベントは、周年を市民の入口に変える。1992年以降の演奏映像は、8月16、17、18日にまつもと市民芸術館で無料上映され、その後は松本市美術館でも上映される。演奏家は病院、高齢者施設、障害者支援施設へ出向く。8月30日の歓迎パレードには地元の小中学校吹奏楽部や市民団体が参加する。9月1日にはSKO奏者と地域の合唱団が小澤の誕生日を記念する。

ここには入場の階段がある。オーケストラ公演は1万2,000円から3万円で、39歳以下向けは1万円。室内楽は7,000円、39歳以下は3,000円。勉強会は1,000円だった。一方、映像上映、街頭公演、パレード、出前公演は無料である。世界水準のクラシック音楽が持つ排他性を消すわけではないが、最も高価な扉だけが音楽祭の入口になることを防いでいる。

松本に残る小澤の最も深い遺産は、固定された「名演」ではない。高い芸術的野心を教育に、国際的水準を一つの都市に、記憶を次の挑戦に結びつける仕組みである。

小澤の指紋が残る巨大交響曲

継承の核心は8月22、23日に来る。OMF首席客演指揮者の沖澤のどかがSKOを率い、オリヴィエ・メシアン《トゥランガリーラ交響曲》に挑む。ピアノは務川慧悟。オンド・マルトノは原田節が担当する。滑らかで人声にも似た音を巨大なオーケストラの上へ伸ばす初期電子楽器であり、音楽祭によれば、原田はこの作品を20カ国で350回以上演奏してきた。

この曲の履歴は、小澤の国際的な歩みの地図に近い。セルゲイ・クーセヴィツキーの財団が1945年、ボストン交響楽団のために委嘱した。1949年の世界初演を指揮したのはレナード・バーンスタイン。全10楽章、約90分の作品は、大規模な打楽器群、超絶技巧のピアノ、オンド・マルトノを用いて、愛、歓喜、時間、生と死を描く。

小澤は1962年、作曲者メシアンの監修の下でNHK交響楽団を指揮し、日本初演を行った。1967年にはトロント交響楽団との録音を残した。ボストンの音楽監督となった後の1975年には、ピアノのイヴォンヌ・ロリオ、オンド・マルトノのジャンヌ・ロリオと再演し、メシアンも立ち会った。作曲者は小澤の楽譜への献辞で、この交響曲をほとんど「小澤のもの」と呼ぶほど高く評価した。

この歴史は2026年公演を危うい比較へ誘う。作曲者自身が認めた解釈が背後にある以上、どんな新しい演奏も「小澤ならどうしたか」と比べられる。だから沖澤の仕事は、技術的な統率を超える。継承の線を尊重しながら、その線を渡した人物の模倣者にはならないことだ。

沖澤を選んだのは小澤自身だった。2024年2月の死去直前、小澤は音楽祭史上初の首席客演指揮者に沖澤を指名した。沖澤はすでに2022年、松本でモーツァルト《フィガロの結婚》を指揮していた。2024年のSKOとのブラームスはデッカのライヴ盤になり、2025年の《夏の夜の夢》は音楽ペンクラブ音楽賞を受けたプロダクションの核となった。継承は肩書ではない。作品ごとに試されている。

武満徹を「記念碑」にしない

8月25日と28日の室内楽公演は、武満徹の没後30年を記念する。武満は1992年、《セレモニアル》で音楽祭最初の音を書いた。1996年に亡くなると、音楽祭は追悼公演の伝統を始めた。しかし2026年の構成は、武満を「日本を代表する作曲家」という陳列ケースに隔離しない。

《ア・ウェイ・ア・ローン》と《アントゥル=タン》はラヴェルと並ぶ。《エア》と《そして、それが風であることを知った》は、武満が深く敬愛したドビュッシーの室内楽と交わる。この組み合わせが示すのは、フランス的な色彩、沈黙、庭、文学、西洋楽器を国境を越えて聴き取りながら、誰にも似ない音楽を作った作曲家である。9月2日の第3公演では、ハーモニーホールの象徴であるオルガンが、2008年の武満徹メモリアルコンサート以来18年ぶりにOMFへ戻る。

美しい対称性はあるが、懐古ではない。武満は新しい音を書くことで音楽祭を開いた。その人を誠実にしのぶ方法は、既知の作品を別の関係の中で聴き直すことだ。

日程プログラム受け継ぐもの
8月16日管楽器勉強会:モーツァルト《セレナード》第11・12番名声より先に教育を置き、華やかさよりアンサンブルの規律を示す
8月22・23日メシアン《トゥランガリーラ交響曲》/沖澤・務川・原田・SKO小澤の代表的作品を、小澤自身が選んだ次世代の指揮者へ
8月25・28日武満徹とラヴェル、ドビュッシー記憶を陳列せず、対話の中へ置く
8月29・30日ブルックナー交響曲第8番/フランソワ=グザヴィエ・ロト・SKO国際的客演と、組織の説明責任という試験
9月2日トランペット、ヴィオラ、オルガンホールを象徴する楽器が18年ぶりに復帰

教育事業は付録ではない

日曜の勉強会公演に立つ16人は、奥志賀で木管八重奏を中心に学ぶ集中プログラムへ選ばれた。宮本文昭、山本正治、吉田将、直井正行のSKO奏者が、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルンを指導した。若者は名演奏家を見学するだけではない。自分たちのアンサンブルを公開の場で問われる。

期間後半には、小澤征爾音楽塾オーケストラと指揮者カール・セント=クレアが、長野、松本、伊那で交響曲とオペレッタを組み合わせた教育公演を行う。8月24日から28日まで、小中学生を8回の学校向け公演へ招く。ベートーヴェン《英雄》第1楽章で交響曲の規模に触れ、ヨハン・シュトラウス2世《こうもり》の抜粋で声、人物、舞台の面白さを知る。一般には非公開である。

規模は小さくない。OMFによれば2025年、「子どものための音楽会」と「子どものためのオペラ」は合わせて1万人を超える児童・生徒へ届いた。子どもは威信ある音楽祭の脇役ではない。この組織が最も長期的な価値を約束する相手である。

だから歴史映像の無料上映にも意味がある。3万円の席に入れない子どもでも、市内のスクリーンで小澤のベートーヴェンに出会い、学校公演で生の音を聴き、パレードで地元のバンドを見ることができる。文化の継承は、一つではなく複数の扉から入れるときに強くなる。

創設者の後、見えなかった運営が見える

小澤は2024年2月6日、東京で88歳で亡くなった。ボストン交響楽団を29年間率い、世界の主要歌劇場で指揮し、日本と欧州に音楽教育の場を築いた。その中でも松本は特別だった。恩師、オーケストラ、若手への信念、大規模な舞台芸術への欲望が、一つの場所で結びついた。

小澤不在で初めて開かれた2024年の音楽祭は、「セイジを偲ぶ会」を設けた。しかし毎年続く組織は、追悼だけにとどまれない。現在、音楽面はSKOのアドバイザリー委員と、SKO財団代表の小澤征良氏らを中心に検討され、松本側の実行組織が行政、協賛、開催実務を担う。

役割分担はなお整理の途中にある。2025年、予定されていたSKO東京公演は、限られた準備期間に必要な資金を確保できなかったとして中止された。松本市の臥雲義尚市長はその後、芸術面、実行委員会、資金を担う理事会などの役割と意思疎通を明確にする必要があると説明した。音楽祭の崩壊を示す出来事ではない。創設者のカリスマの陰にあった仕事を、組織が言語化し、担当し、資金化しなければならなくなった証拠である。

もう一つの運営上の試験が、2026年のプログラム内にある。フランソワ=グザヴィエ・ロトは8月29、30日、ブルックナー交響曲第8番でOMFに初登場する予定だ。2024年、音楽家への性的に不適切な通信をめぐる申し立てを受け、ロトは指揮活動を一時停止した。本人は過去の不適切な行動を認め、謝罪した。ケルン市は予定より1年早く、合意の上で協働を終了した。

2025〜26年シーズンからロトを首席指揮者に任命していた南西ドイツ放送(SWR)は、過去に自局の楽団と働いた期間を内部調査した。SWR職員から一般平等待遇法に基づく苦情は確認されなかったとし、役割分散、研修、相談担当、行動規範などの予防策を設けて起用を継続した。ロトも過去の過ちに改めて責任を認めた。一方、OMFの2026年公演案内は音楽的経歴を紹介するが、この経緯には触れていない。

これは周辺的な芸能情報ではない。教育を柱に置く音楽祭ほど、行動、権力、職場の安全をどう評価するか説明する責任は重い。芸術的な力量は、その問いへの答えにならない。必要なのは透明な組織基準である。

遺産は沈黙では守れない。 難しい音楽と若者を信じた小澤の姿勢を継ぐなら、誰が決め、誰が負担し、誰をどう守り、客演者を何に基づいて判断するかを説明できる組織が必要だ。説明責任は芸術への介入ではなく、芸術を作る条件の一部である。

36年目へ残すべきもの

35年目のプログラムは、いくつかの答えを示している。世界各地の楽団から奏者が集まり、夏の短期間に一つの音を作るSKOの特殊性を守る。新作、困難なレパートリー、20世紀オペラを中心から遠ざけない。子ども向け事業を儀礼ではなく構造として維持する。城、ホール、学校、福祉施設、街路まで、都市そのものを音楽祭の内側に置く。

ただし、反復だけでは生き残れない。組織図と意思決定をより明確に公表する。芸術家の起用と安全確保の判断過程を説明する。来場者数、無料事業の到達範囲、公的支援を含む運営の姿を報告する。一人の後継天才を探すのではなく、若い指揮者、作曲家、演出家、運営者を複数育てる。

「生きている遺産」を測る五つの基準
  • 芸術的リスク:特殊な編成、十分な稽古、想像力を必要とする作品に挑み続けるか。
  • 伝達:若い音楽家が指導を受け、実際の責任を任され、公の場で聴かれるか。
  • 市民への広がり:最高額の客席以外でも、地域住民が音楽祭に出会えるか。
  • 説明責任:指導体制、資金、起用、安全確保の判断を外部から理解できるか。
  • 更新:後継者が小澤と違う解釈を示しても、劣化した複製として扱われないか。

「遺産」という言葉は、物を安全なケースに収めるように使われがちだ。しかし音楽はそれを拒む。楽譜は人が集まるまで沈黙している。教師の考えは、次の奏者が呼吸、指使い、判断を変えたときにしか生き残らない。オーケストラは、全員が注意を共有する時間だけ存在する。

だから日曜の若い管楽器奏者は、正しい始まりだった。1992年を再現したのではない。齋藤から小澤へ、小澤から松本へ受け渡された根本の命題を実践した。水準は伝えられる。しかし機械的には伝わらない。アンサンブルは世代ごとに、もう一度作り直さなければならない。

8月22日、沖澤は小澤の歴史と切り離せない《トゥランガリーラ》を前に手を上げる。意味のある問いは、その動きが小澤に似ているかではない。何か生きたものが通り抜けられるほど、オーケストラが互いを聴いているかである。

35年目の夏は始まった。松本が小澤征爾をどれだけ完璧に記憶したかだけでは、成果は測れない。小澤が作った音楽祭が、小澤の後も大胆で、教えられる存在で、地域に根ざし、国際的で、そして変わる力を持てるか。そこに本当の試験がある。

主要資料・取材メモ
  1. セイジ・オザワ 松本フェスティバル:2026年全プログラム発表(2026年3月25日)。日程、演目、出演者、上演時間、料金。
  2. OMF室内楽勉強会―木管アンサンブル。講師、参加者16人、曲目、8月16日公演。
  3. 「子どものための音楽会」交響曲&オペラハイライト。日程、会場、対象、曲目、出演者。
  4. OMF 2026オープンイベント。映像上映、出前公演、パレード、写真展、「小澤征爾の日」。
  5. 松本市:「映像でたどるSKF&OMF 35年のあゆみ」。35年企画の目的、会場、上映日程。
  6. サイトウ・キネン・オーケストラ/音楽祭の歴史。1984年の追悼、海外ツアー、1992年創設、主要公演、コロナ禍と近年。
  7. セイジ・オザワ 松本フェスティバルについて。組織の目的、SKOの構成、教育、松本との関係。
  8. OMF:小澤征爾略歴。国際的経歴、教育機関、受賞、録音、死去。
  9. ボストン交響楽団:《トゥランガリーラ交響曲》の委嘱と初演。1945年の委嘱、1949年初演、編成、小澤の1975年公演。
  10. ボストン交響楽団:小澤征爾追悼(2024年2月9日)。死去、年齢、29年間の音楽監督在任。
  11. OMF:沖澤のどかを初の首席客演指揮者に任命(2024年2月22日)。小澤の決定と将来体制。
  12. OMF:2025年オペラが音楽ペンクラブ音楽賞を受賞(2026年4月24日)。沖澤、出演者、SKO、制作への評価。
  13. OMF:2025年音楽祭閉幕。教育事業で1万人超、2026年《トゥランガリーラ》予告。
  14. OMF:2025年SKO東京公演中止。必要な資金を準備期間内に確保できなかったとの主催者説明。
  15. 松本市長記者会見(2025年5月21日)。小澤死去後の意思決定と、組織・意思疎通の明確化。
  16. 松本市国際音楽祭推進課。1992年からの市の役割と「楽都・松本」の位置づけ。
  17. The Violin Channel:申し立てとロトの当初対応(2024年5月24日)。フランス、ドイツの先行報道と本人発言の要約。
  18. ケルン市:フランソワ=グザヴィエ・ロトとの協働を前倒し終了(2024年7月5日、ドイツ語)。
  19. ドイツ音楽情報センター:SWRがロト起用を継続(SWR発表を掲載)。内部調査の範囲、予防策、本人の認識。

編集部注: OMFは1992年の創設から連続して数え、2026年を「35年目」「35th season」と表現しています。2020年は音楽祭全体が中止され、2021年は有観客公演が中止されました。Japan.co.jpは8月16日の勉強会公演を現地取材していません。開幕の記述は公式日程、参加者名簿、入場案内に基づき、情報確認期限までに主催者による詳細な公演報告は掲載されていませんでした。内容は変更される場合があり、最新情報は公式サイトで確認してください。公開情報は2026年8月17日午前4時29分(日本時間)まで確認。為替表示は編集部指定値です。