田の仕事は、秋の実りだけでは語れない。種をまき、育ちを待ち、手をかける時間がある。弘前の絵師・平尾魯仙(ひらお・ろせん、1808~1880年)の《紙本淡彩四季農耕の図》は、その一年を絵の中にとどめた作品だ。弘前市は、美術作品としての価値とともに、地域の農作業を知る民俗資料として評価している。[1]

青森県を取り上げる今週の日曜版で、この屏風を選ぶ理由は、収穫期の風景によく合うからだけではない。食べ物や工芸品の向こうにある、人の手と時間へ目を向けさせるからだ。現代のりんごやぶどうの記事と響き合うのは、描かれた作物が同じだからではなく、暮らしを支える仕事を見る姿勢である。

六曲一双に収められた一年

文化遺産データベースの作品名は「紙本淡彩四季農耕の図」(しほんたんさい・しきのうこうのず)。紙に淡い彩色を施した江戸時代の作品で、形式は六曲一双。六面からなる屏風が二つで一組をなす。各隻の寸法は縦175センチ、横372センチと記録されている。[2]

一枚の写真や挿絵とは異なり、屏風には折れと広がりがある。図像を読み進める眼の動きに、立て方や見る位置も関わってくる。画面を小さく表示したときの印象だけでなく、人の身体に近い高さを持つ作品であることも、鑑賞の手がかりになる。

作品情報確認できる内容
作者平尾魯仙(1808~1880年)
名称紙本淡彩四季農耕の図
時代・形式江戸時代、紙本淡彩、六曲一双
寸法各隻 縦175×横372センチ
所蔵弘前市立博物館(所有・管理:弘前市)
指定弘前市指定有形民俗文化財、1966年1月4日指定

作品情報は弘前市と文化遺産データベースによる。[1][2]

人物の動きから、仕事の時間を読む

市が公開する部分画像では、腰をかがめた人、道具を扱う人、列をなして働く人の姿を追うことができる。人物は小さいが、身体の向きや姿勢に変化がある。淡い地色の上で、それぞれの動作が目に留まる。[1]

ここでしばらく、農作業の名前を当てようとするのをやめてみたい。一人でしていることと、複数で進めること。立つ身体と、かがむ身体。その違いをたどると、風景の中に人が添えられているというより、人の働きによって風景が成り立っているように見えてくる。これは画面から導かれる鑑賞の一つであり、作者の言葉として伝わるものではない。

一方、絵を当時の暮らしそのものと同一視することもできない。何を描き、何を省き、どのようにつなぐかには絵師の選択がある。農具や衣服、作業の順序を細かく調べるには、鮮明な図版や関連資料との照合が必要だ。季節がめぐる穏やかな画面から、働く人すべての生活条件まで読み取れるわけではない。

魚商の家から、絵と学問へ

青森県立図書館・近代文学館の人物解説によると、魯仙は弘前紺屋町の魚商の家に生まれた。家業を弟に譲ったのは天保8年(1837年)。以後、絵と文筆に力を注いだ。画業に加え、国学、歴史、地誌、民俗に及ぶ著述を残している。[3]

青森県立郷土館が2013年の回顧展に寄せた紹介では、若い頃から漢学や和歌、俳諧に親しみ、絵画の学習も重ねた人物として描かれる。同館は、植物や鳥を細かく描いた画帳などを取り上げ、形をとらえることと、対象を知ろうとする営みの結び付きを示している。[4]

農耕図を、その幅広い仕事の中に置くと見え方が変わる。絵師が美しい四季を選んだだけでなく、地域で繰り返される行為を、記憶に残る形へ組み立てた作品として考えられる。

農村を描く絵画の歴史の中で

四季の農作業を描く主題は魯仙だけのものではない。国立文化財機構の作品解説は、江戸時代に農作業を季節ごとにまとめた耕作図屏風が多く制作されたことを説明する。狩野探幽の作例では、農業を重んじる幕府の政策との関わりにも触れている。[8]

ただし、その説明をそのまま魯仙の制作意図に当てはめることはできない。同じ主題でも、注文主、置かれた場所、見る人が変われば、絵の働きも変わる。既存の主題の中で、地域の田仕事がどのように描かれたかを見ることが、この作品を理解する道になる。

弘前市の解説は、屏風が娘婿の三上氏の求めに応じて描かれたとする。農耕図を、画家と地域の人間関係の中で生まれた注文制作として考える手がかりだ。[1]

海の向こうにも向けられた眼

魯仙の関心は津軽の内側にとどまらなかった。弘前市立弘前図書館の『洋夷茗話』解題によると、1855年に松前と箱館を旅し、外国の船や人々の風俗を見聞した。文章と挿絵には、自分で観察したことだけでなく、聞き取った内容も生かされている。[5]

同図書館の解題は、その記述に好奇心とともに違和感や偏見も表れていることを指摘する。魯仙を「よく見た人」として紹介するとき、視線が時代の考え方から自由だったと美化する必要はない。何を見たかに加え、何を基準に理解しようとしたかを読むことが大切になる。

写生と怪異が共存する仕事

田仕事を記録した絵師は、怪異物語にも絵を寄せた。弘前市立博物館所蔵の『稲生物怪録』(いのうもののけろく)について、文化遺産オンラインは、魯仙の挿絵が1870年に描かれ、文章と合わせた冊子の完成は没後の1885年だったと説明する。[6]

この二つの年を分けることは、作品の来歴を正確に理解するうえで欠かせない。同時に、農村の実景を描く眼と、物語の中の存在を描く想像力が、一人の作者の仕事に含まれていたことも分かる。魯仙を写実の画家という一つの言葉に閉じ込めることはできない。

さらに、《唐人図屏風》の所蔵解説は、魯仙が多くの門人を育て、その人々が明治期の津軽画壇を担ったと記す。残したのは作品だけではなく、描く技術を次へ伝える関係でもあった。[7]

青森の今へつながる、手を見る視点

今号の果樹栽培や食、刺し子の記事と結び付けるなら、この屏風に現代の産業の起源を探すよりも、仕事を見る尺度を借りたい。収穫物が店頭に並ぶ前に、どれだけの判断と反復があったのか。布に文様が現れるまでに、どれだけの手数が重なったのか。作品は、その問いを日常へ持ち帰るきっかけになる。

弘前市立博物館は、展示替えのため2026年9月7日~10月2日を休館期間として案内している。9月27日はその期間に当たる。まずは市の作品紹介と部分画像を手がかりにしたい。今後の実物展示については、博物館の案内を確認できる。[9]

一年の農作業を一つの組に収める。その画面が今も伝えるのは、季節が自然に進む一方で、食べるための仕事は誰かが一つずつ行っているということだ。魯仙の絵は、その当たり前の事実を見る時間を与えてくれる。

出典・参考資料

  1. 弘前市:紙本淡彩四季農耕の図 平尾魯仙筆六曲屏風
  2. 文化遺産データベース:紙本淡彩四季農耕の図
  3. 青森県立図書館・青森県近代文学館:平尾魯仙の人物解説
  4. 青森県立郷土館だより:2013年平尾魯仙展の紹介
  5. 弘前市立弘前図書館:洋夷茗話 乾・解題
  6. 文化遺産オンライン:稲生物怪録
  7. 文化遺産オンライン:唐人図屏風
  8. 国立文化財機構ColBase(ジャパンサーチ):狩野探幽の四季耕作図屏風
  9. 弘前市立博物館:2026年9月の展示替え休館案内