雨を描くのに、雨粒を一つずつ描く必要はない。葉や茎の墨の濃淡から、湿った空気を感じ取ることもできる。9月24日の「本日のアート」は、祇園南海(ぎおん・なんかい)の「竹窗雨日図」。メトロポリタン美術館が所蔵する、18世紀前半の紙に墨で描かれた掛軸を取り上げる。[1][2]
詩と書と絵が出会うところ
和歌山県立博物館は、南海を紀伊藩の儒学者、初期の文人画家として紹介している。絵は独学で、詩文にも才能を発揮した。[1] 学問と制作を別々の営みとして見るだけでは、その人物像は捉えきれない。
同館が紹介する「墨竹図」や「墨蘭図」には、文字と絵がともに記されている。[1] 何を描いたかに加え、どのように筆を動かし、言葉を添えたか。南海の作品に近づくには、その両方に目を向けたい。
濃淡で雨の空気をつくる
「竹窗雨日図」について、メトロポリタン美術館は、繊細な葉や節のある茎、岩の苔を示す細かな点に注目する。濃い墨と淡い墨で竹を重ね、奥行きをつくっているという。[2]
まず画面全体を見てから、一枚の葉に目を移す。次に、隣り合う墨の濃さを比べてみる。描かれた形だけでなく、形の間に残る空間にも注意を向けると、同じ絵の見え方が変わる。鑑賞に急いで結論を出す必要はない。
雨の中の強さを、今読む
同美術館は竹を、風にしなやかに応じながら保つ強さや、高潔さに結びつけて解説している。[2] 本紙の題名「雨の中に見いだす強さ」は、その読みを今の暮らしへ引き寄せたものだ。
天候や復旧を伝える記事が並ぶ日に、この絵は、立ち止まって見る時間をつくる。災害の経験を一枚の絵で説明することはできない。それでも、変化の中で姿を保つものへ目を向けることは、日々の報道と美術を読む人の側で結びつける。
科学の記事を読むときにも、細部を確かめ、全体との関係を考える時間が要る。南海を科学の先駆者とみなすのではなく、丁寧に見るという姿勢を、この日の紙面で共有したい。
原作品をオンラインで見る
メトロポリタン美術館の「竹窗雨日図」作品ページで画像と作品情報を閲覧できる。確認時点では展示室での公開は行われていない。[2]

