光の「影」は、普通なら物体が光を遮った跡として読む。しかし、波面に渦を与える特殊なフィルターを通すと、影の明暗そのものが波の位相を伝える。千葉大学、東北大学、スペイン・バルセロナ自治大学の国際共同研究チームは、この性質をテラヘルツ波へ持ち込み、強度だけを測る検出系から空間的な位相分布を復元した。

位相とは、波が振動の周期のどこまで進んでいるかを表す量である。物体を通過した波は、厚さや屈折率によって遅れ方が変わる。透過強度がほとんど同じ試料でも、位相を比べれば内部構造や材質差が見える可能性がある。ところが、一般的な強度検出器はこの遅れを直接記録しない。

研究を担ったのは、千葉大学大学院融合理工学府博士前期課程の三上修作氏、同大学院工学研究院の宮本克彦教授、東北大学大学院理学研究科の大野誠吾助教、バルセロナ自治大学のAdam Vallès助教ら。論文「Terahertz phase-sensitive imaging via spiral-phase filtering and single-pixel detection」は、Optica Publishing Groupの学術誌Optics Expressに2026年9月2日付で掲載された。


重要な限定: これは普通の写真から失われた位相を後付けで取り出す技術ではない。4f光学系、螺旋位相板、周波数可変の単色テラヘルツ光源、符号化測定と計算復元を組み合わせ、位相を測定強度へ意図的に写し込む実験である。

0.1〜10 THz一般にテラヘルツ帯として扱われる、おおよその周波数領域。
4f二つのレンズの焦点配置を用い、空間周波数面で波面を操作する光学系。
1検出器カメラ配列ではなく、符号化した測定を重ねて画像を組み立てる。

明るさと位相は、別の情報

テラヘルツ波は電波と赤外線の間に位置する電磁波で、紙、布、樹脂など多くの非金属材料を透過し、分子や結晶の振動に応じた固有の応答も示す。このため、包装内部の検査、材料評価、分光分析などへの利用が研究されてきた。

画像の各点で検出される強度は、波の振幅の大きさに対応する。一方、位相は到着の遅れや進みを示す。同じ強度で透けて見える二つの領域でも、厚さや屈折率が異なれば波の進み方は違う。位相像は、その見えにくい差を地図にできる。

従来、位相を精密に測る代表的な方法は、試料を通る波と基準波を重ねる干渉計、または電場の時間波形を測るテラヘルツ時間領域分光法だった。いずれも強力だが、基準光路、時間遅延、機械的安定性、装置調整が必要になる。今回の狙いは、単色光源と強度検出を生かしながら、独立した基準光路を使わず位相感度を得ることにある。


位相を直接見たのではない。光学フィルターで位相の違いを明暗へ変換し、その影から逆算した。

渦が「影」をつくる仕組み

実験では、二枚のレンズで構成する4f光学系の中間面に螺旋位相板を置く。板を通った波面には、中心の周囲で位相が連続的に回る光渦が加わる。空間周波数ごとに位相をずらすこの操作は、元の試料が持つ位相勾配を方向性のある明暗として出力面へ変換する。

その像は、片側が明るく、反対側が暗いレリーフのように見える。研究チームが「影効果」と呼ぶ現象である。光渦の向きを反転すると明暗も反転し、螺旋位相板を回すと強調される方向が変わる。複数の強度像を組み合わせれば、単なる輪郭ではなく、元の空間位相を計算で復元できる。

ここで「強度だけから」とは、位相情報が何もない既存画像を解析する意味ではない。試料を通った波へ既知の位相操作を施し、見えない位相を検出器が読める強度変化へ符号化する。独立した基準波を重ねない点は簡素化につながるが、レンズ、位相板、光軸調整が不要になるわけではない。

測定から復元まで

  1. 照射:周波数を選べる、狭帯域のテラヘルツ波を試料へ当てる。
  2. 変換:4f光学系の螺旋位相板で、位相勾配を影状の強度分布へ変える。
  3. 符号化:空間パターンを順次与え、各パターンに対する総強度を測る。
  4. 再構成:一連の単一点測定から強度像を計算し、異なる影像を用いて位相分布を復元する。

一点の検出器で、二次元像を組み立てる

テラヘルツ帯では、可視光のデジタルカメラに相当する高感度の二次元検出器が高価だったり、選択肢が限られたりする。シングルピクセルイメージングは、試料像へ既知のパターンを次々に掛け、それぞれの総光量を一つの検出器で測る。パターンと測定値の対応から、コンピューターが二次元画像を再構成する。

これは一回の露光で画像を得る方式ではない。必要なパターン数、信号対雑音比、演算法によって測定時間と画質が変わる。今回の研究は、こうして得たテラヘルツ強度像を螺旋位相フィルタリングと結び、位相感度まで持たせた点に新しさがある。

大学の発表によれば、波長に応じて光学系を組み替えずに周波数を選べる光源を使うことで、物質固有の応答を調べる分光的な画像計測にも道を開く。ただし、公開資料からは、従来の時間領域法や干渉計と比較した位相誤差、速度、必要パターン数、実試料での耐ノイズ性を一律に判断できない。

時間波形から光渦へ――研究の流れ

テラヘルツ計測の転機は1980年代後半から1990年代初めに訪れた。超短パルスレーザーでテラヘルツ波を発生・検出し、電場の時間波形から吸収と屈折率を同時に求める時間領域分光法が確立した。1990年のGrischkowskyらの論文は、誘電体と半導体の0.2〜2テラヘルツ帯における吸収と分散を測り、この分野の基盤を築いた。

一方、光渦を位相差の可視化へ用いる道は可視光顕微鏡で発展した。2005年、Fürhapterらは螺旋位相コントラスト法を顕微鏡へ応用し、2006年にはBernetらが定量的な位相測定へ広げた。2009年には、螺旋フィルターを回して方向性を利用する手法も報告された。今回の研究は、その光学的発想をテラヘルツ帯の単一画素計測へ接続した。

1990年:時間領域テラヘルツ分光で吸収と分散を測る基盤研究が公表される。

1995年:パルステラヘルツ波による初期の画像化研究が発表される。

2005〜2006年:螺旋位相フィルタリングが顕微鏡の位相コントラスト、定量位相測定へ展開。

2016〜2020年:周波数可変テラヘルツ光源とシングルピクセルイメージングの研究が進む。

2026年:螺旋位相フィルタリングと単一点検出を組み合わせ、テラヘルツ位相像を復元。

非破壊検査と材料分析――期待の前にある条件

位相像が加われば、吸収が弱く強度像では目立たない層、微小な厚さの変化、屈折率の違いを識別しやすくなる可能性がある。大学側は、非破壊検査、材料分析、生体計測を将来の応用先に挙げる。周波数を変えながら測れば、形状だけでなく物質固有のスペクトル応答も組み合わせられる。

ただし、研究室で位相を復元できたことと、工場の搬送ラインや診療現場で使えることは別である。水はテラヘルツ波を強く吸収するため、含水量の多い試料では透過深さが限られる。非電離放射線であることは、あらゆる照射条件での生体安全性や診断性能を自動的に保証しない。

産業用途では、振動や温度変化、光源強度の揺らぎ、表面粗さ、複数材料が重なった試料に耐えられるかが問われる。速度も重要だ。単一画素方式は柔軟だが、符号化パターンを逐次測るため、対象が動くと像が崩れる可能性がある。圧縮センシング、より高速な変調器、復元アルゴリズムの改良が、実用化の鍵となる。

次に確かめるべき五つの問い

Japan.co.jpの検証項目

  1. 精度:時間領域法や干渉計を基準にした位相誤差は、周波数や試料ごとにどれほどか。
  2. 速度:一枚の位相像に必要なパターン数と取得時間を、どこまで減らせるか。
  3. 安定性:振動、光源ドリフト、位置ずれ、検出雑音に対して復元はどこまで頑健か。
  4. 汎用性:厚さと屈折率が同時に変わる複雑な実試料でも、一意に解釈できるか。
  5. 装置化:光学系の調整、費用、寸法を、工場や現場で使える水準へ落とせるか。

今回の成果は、位相情報を捨てていた強度検出を、位相へ敏感な計測へ変える設計思想にある。影は邪魔な副産物ではなく、適切な光学操作を施せば波面を読む符号になる。しかも、テラヘルツ帯で有力な単色光源と一つの検出器を生かせる。

「干渉計なし」は「簡単な写真一枚で分かる」という意味ではない。厳密な光学系と複数の符号化測定、計算復元が要る。それでも、基準光路に頼らず位相を扱う選択肢が増えた意義は大きい。次に必要なのは、精度、速度、頑健性を同じ条件で比較し、影から得た位相が実試料の判断を本当に変えるかを示すことである。


資料・出典

  1. Mikamiほか「Terahertz phase-sensitive imaging via spiral-phase filtering and single-pixel detection」Optics Express 34(2026年)、34443–34455、DOI: 10.1364/OE.610381。
  2. 千葉大学「影を利用したテラヘルツ位相イメージング」 — 2026年9月4日。三上修作氏、宮本克彦教授らの所属、手法、助成情報を確認。
  3. 東北大学「影を利用したテラヘルツ位相イメージング」 — 2026年9月4日。大野誠吾助教の肩書と日本語専門用語を確認。
  4. Grischkowskyほか「Far-infrared time-domain spectroscopy with terahertz beams of dielectrics and semiconductors」Journal of the Optical Society of America B 7(1990年)— 時間領域テラヘルツ分光の基盤研究。
  5. Hu・Nuss「Imaging with terahertz waves」Optics Letters 20(1995年)— 初期のテラヘルツ画像化研究。
  6. Fürhapterほか「Spiral phase contrast imaging in microscopy」Optics Express 13(2005年)— 螺旋位相コントラスト顕微鏡法。
  7. Bernetほか「Quantitative imaging of complex samples by spiral phase contrast microscopy」Optics Express 14(2006年)— 定量位相測定への展開。
  8. Stantchevほか「Compressive sensing with near-field THz radiation」Applied Optics 55(2016年)— テラヘルツ単一画素画像化の発展。
  9. Vallèsほか「Broadband high-resolution terahertz single-pixel imaging」Optics Express 28(2020年)— 広帯域・高解像度の単一画素画像化。

本稿は2026年9月5日午前6時30分(日本時間)までに確認できた公開情報を基に作成した。査読論文、千葉大学と東北大学の日本語発表を優先し、研究者名、肩書、所属、論文名、専門用語を照合した。研究者コメントは趣旨を要約し、直接引用には再構成していない。非破壊検査、材料分析、生体計測は将来可能性として扱い、実用化済みとは記していない。日本語版と英語版は独立して執筆した。

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