海外で「Sukiyaki」と呼ばれた歌は、最後まで日本語で歌われていた。
映画祭の幕を開けたのは、63年前に海を渡った歌
第39回東京国際映画祭が10月26日に開幕した。その最初を飾ったのは、瀬々敬久監督の映画『SUKIYAKI 上を向いて歩こう』だ。東京・有楽町での式典には、主演の岡田准一、共演の松坂桃李、清野菜名、瀬々監督が登壇した。映画が描くのは、作曲家・中村八大、作詞家・永六輔、歌手・坂本九。3人の名を取った「六八九トリオ」が生み出した一曲と、その時代の熱気である。公開日は12月25日。映画祭での先行上映と全国公開を混同してはならない。
題名が変わっても、声は日本語のままだった
曲の原題は「上を向いて歩こう」。しかし海外で流通した名は「Sukiyaki」だった。すき焼きという料理と歌詞の内容には直接のつながりがない。中村八大の公式年譜によれば、英国のレコード関係者ルイス・ベンジャミンが日本で曲を聴き、英国の演奏家ケニー・ボールによる録音を世に出す際、親しみやすい日本語の題名として料理名を選んだという。国境を越えるとき、旋律だけでなく名前にも市場の事情が働いた。それでも坂本の録音は、日本語の歌唱のまま米国の聴衆に届いた。
1961年、まだ「SUKIYAKI」ではなかった
レコード会社ユニバーサルミュージックの資料では、歌の出発点は1961年の中村八大のリサイタルにさかのぼる。永が詞を書き、中村が曲をつけ、坂本が歌った。NHKの番組「夢であいましょう」で注目され、同年10月に発売されたレコードは3か月で30万枚を超える売り上げを記録したとされる。高度経済成長の入口にあった日本には、新しい娯楽とメディアを求める大衆がいた。テレビ、ラジオ、レコードが同じ歌を広めた時代だった。
米国1位は、偶然と流通網が重なった結果
1962年には英国でケニー・ボールの器楽版がヒット。翌1963年、米国の地方ラジオ局で坂本の日本語版が流れ、反響が広がった。キャピトル・レコードは米国で販売し、6月15日付のBillboard Hot 100で1位となった。首位は3週続いた。「日本の歌が米国を制した」という一文で片づけられがちだが、そこには英国での題名変更、現地DJの選曲、聴取者の反応、レコード会社の供給判断があった。国際的成功は、作品の力と複数の仲介者の働きが交わるところに生まれる。
六八九トリオ、それぞれの仕事
中村八大は作曲家でありジャズの素養を持つ音楽家、永六輔は放送・作詞・舞台を横断した言葉の作り手、坂本九は歌声と身ぶりを通して大衆と接した歌手だった。映画では岡田准一が中村八大、松坂桃李が永六輔、仲野太賀が坂本九を演じる。脚本は港岳彦。映画の公式資料は、友情や対立を描く「事実に基づいたフィクション」と位置づけている。誰がどの場面で何を言ったか、という映画の台詞をそのまま史実として引用することはできない。
新しい世代が昭和のステージを演じる
清野菜名は中村の妻・順子、大森元貴は水原弘、幾田りらは梓みちよを演じる。音楽監督は岩崎太整で、林正樹も音楽を担当する。戦後日本の歌謡史は単独の天才の物語ではない。テレビ番組、作詞家、編曲家、歌手、レコード会社、ステージの演奏者が結びつき、次のヒットを生み出していた。映画に登場する有名人の数を数えるだけでなく、当時の制作現場の共同作業に目を向けると、作品の歴史的背景が立体的になる。
歌の意味と、海外に届けられたイメージ
「上を向いて歩こう」には、悲しみを抱えながら歩みを進める人の情景がある。一方、「Sukiyaki」という題名は歌詞の意味を説明せず、英語圏に日本らしさを伝える商品名として機能した。米公共放送PBSの歴史解説は、1963年の米国でこのヒットが日米関係や人種的なイメージとも結びついて受け止められた点に注意を促す。異国情緒として消費された側面と、言葉を理解しなくても曲に心を動かされた人々の経験は、同時に存在し得る。
1985年の別れと、曲の長い生命
坂本九は1985年の日本航空123便墜落事故で亡くなった。43歳だった。だからこそ、この歌を単純な成功談だけで語ることはできない。だが曲自体はその後も歌い継がれた。米国ではA Taste of Honeyが1981年に英語版をヒットさせ、1990年代にも別の解釈が広がった。Billboard JAPANの歴史記事は、ひとつの録音から複数の時代の聴き手へ楽曲が伝わる過程を紹介している。原曲の日本語と再解釈の英語は、同じ旋律から違う記憶を生む。
映画が歴史にできること、できないこと
10月26日の公式レポートでは、岡田准一が映画祭の開幕作品に選ばれたことへの喜びを語り、松坂桃李は音楽を会場で共有する感覚に触れた。瀬々監督は、日本が戦争から平和へと向かい、経済成長する時代を描いたと説明している。ただし映画祭での紹介や出演者の発言は、作品の価値や史実への忠実度を客観的に証明するものではない。Japan.co.jpは試写に立ち会っていないため、作品全体の出来や演技を独自に評価しない。
国境を越える創作の教訓
「Sukiyaki」は、今日のコンテンツ輸出とは異なる時代の成功例だ。SNSも配信アルゴリズムもなく、地方のラジオとレコード流通が転機を作った。言語の壁を越えたのは、最初から世界向けに設計された翻訳歌詞ではなかった。それは、一つの日本語の歌が異なる国で別の呼び名を得ながら広がる歴史だった。映画祭がその記憶をスクリーンに戻した2026年、改めて問いたい。海外で伝わったのは日本の文化そのものだったのか、それとも受け手が作った新しい意味だったのか。答えは一つではない。
取材資料・出典
本文は映画祭・映画製作側の発表とレコード会社の資料、音楽史研究・報道を突き合わせた。2026年10月26日の公式イベントレポートを使用。独自の試写・直接インタビューは行っていない。映画の劇中描写を史実と同一視しない。
