オレンジ色の柱には階段があり、緑の構造物は雲にも、船にも見えた。牛嶋均(うしじま・ひとし)が珠洲市大谷のためにつくった《松雲海風艀雲(まつ くも うみ かぜ はしけぐも)》は、見るだけの彫刻ではない。子どもが登り、人が触れ、その身体によって初めて広場になる作品だった。
2024年1月1日の能登半島地震で地滑りが起き、作品は崩落した。現地での再建はかなわず、解体が決まった。だが牛嶋は、崩れながら形を保った構造物がそのまま廃棄されることを見過ごせず、自ら引き取った。9月8日に金沢21世紀美術館で始まった本展は、その残存部材を元の姿に修復するのではなく、珠洲とは異なる場所と条件のもとで「再構成」する。
隣で、さわひらきは珠洲での調査と地域住民との対話から生まれた新作映像インスタレーションを発表する。祖父母と父が奥能登に暮らし、本人も関わりを重ねてきた土地である。彫刻の物質的な傷と、映像が運ぶ記憶。その二つを並べることで、展覧会は災害を説明するのではなく、失われた関係をどう結び直せるかを問う。
作品を救うことと、元に戻すことは同じではない
《松雲海風艀雲》は、奥能登国際芸術祭2023に出品された。会場は珠洲市大谷、旧西部小学校の校地を生かしたスズ・シアター・ミュージアム。公式記録は、強い海風に耐える姿を、風に伸びた枝葉、雲、船になぞらえ、「大地としっかりと繋がっている」と説明していた。作品名の「艀」は、本船と岸を結ぶ小舟を意味する。
その比喩は地震後、意図せざる重さを帯びた。大地との結びつきを前提にした作品が、大地の移動によって壊れたからだ。牛嶋の選択は破損を消す保存修復ではない。そもそも特定の土地のためにつくられ、遊ぶ人々との関係で成立した作品を、約100キロ離れた金沢へ動かしたとき、同じ作品と呼べるのか。展示はその不一致を隠さず、変化そのものを作品の次の状態として見せる。
この方法は牛嶋の経歴と切り離せない。1963年福岡県久留米市生まれ。1980年代に舞踊家の田中泯に師事し、欧米で身体パフォーマーとして活動した。帰国後、家業の遊具製作所に携わりながら、「遊具を彫刻と呼ぶ」制作を続けてきた。完成した物体の自律性より、登る、動かす、集まるといった行為を重視する。作品が人の手で移動し、場所ごとに機能と意味を変えることは、今回だけの応急措置ではなく、制作の核心にある。
再構成された彫刻は、失われた珠洲の広場の代用品ではない。戻れないという事実を抱えたまま、新しい関係をつくれるかを試す装置だ。
日置のための神話をつくる
さわの新作は、展示に先立って《くろとしろ》のためのイメージ写真が公開された。ただし美術館の説明が中心に置くのは、映像の筋書きより制作の起点である。父が暮らす珠洲市日置(ひき)を歩き、住民と話し、海と山の間に積み重なった暮らし、記憶、世代を超える価値観を見つめた。
作家声明には、想像を超える現実を受け止めるため「神話が必要」だと考え、日置の神話をつくることにした、とある。月明かりの川沿いに佇むアオサギ、大地が長い時間をかけて揺れ続けていたこと、そこに開いていた穴、100年後にも土地に根づくもの――さわはこれらを、復旧工事の記録とは別の時間軸に置く。
1977年石川県生まれのさわは、2003年にロンドン大学スレード校美術学部彫刻科修士課程を修了し、ロンドンと金沢で制作する。映像、立体、平面を組み合わせ、記憶の断片が現実の空間へ忍び込むようなインスタレーションで知られる。奥能登国際芸術祭には2017年、2021年、2023年と参加した。今回の「神話」も、被災地を外から象徴化する試みではなく、家族史と長期の関係を背負った応答である。
| 作家 | 本展の方法 | 能登との接点 |
|---|---|---|
| 牛嶋均 | 地震で崩落した《松雲海風艀雲》を移送し、元の展示とは異なる形で再構成 | 奥能登国際芸術祭2023。珠洲・大谷の旧西部小学校で、登って遊べる彫刻として制作 |
| さわひらき | 珠洲での調査と対話から映像インスタレーションの新作を制作 | 祖父母と父が奥能登で暮らす。芸術祭に2017、2021、2023年参加 |
「さいはて」を会場にした芸術祭の七年
二作品の背景には、奥能登国際芸術祭が築いた土地との協働がある。第1回は2017年、人口減少の進む珠洲市全域を会場に開催された。2020年予定の第2回は延期され、2021年に「2020+」として実施。3回目の2023年展は9月23日から11月12日まで、市内247.20平方キロメートルに作品を展開した。
芸術祭が掲げたのは「最涯の芸術祭、美術の最先端。」という反転の発想だった。三方を海に囲まれ、交通上は遠い「さいはて」を、日本海に開かれた文化の先端として捉え直す。黒瓦と板壁の町並み、揚げ浜式製塩、珠洲焼、祭りや農耕儀礼といった生活文化に作家が入り、住民や支援者と制作する。そのため作品は、会期だけのオブジェではなく、人と場所の関係の結節点になった。
2023年展の閉幕から50日後、M7.6、最大震度7の地震が発生した。気象庁によれば、能登では2020年12月から地震活動が活発化し、2022年にM5.4、2023年にM6.5の地震が先行していた。2024年1月の主震後も活動は続き、同年9月の大雨災害が復旧途上の地域を襲った。作品の被災は、住宅、道路、生業、地域共同体が受けた損失の一部でしかない。それでも文化資産をどう扱うかは、復興が何を残し、誰の記憶を次へ渡すかという問題につながる。
2017年 — 第1回奥能登国際芸術祭。さわひらきが参加。
2021年 — 延期された第2回を「奥能登国際芸術祭2020+」として開催。
2023年 — 第3回開催。牛嶋の《松雲海風艀雲》、さわの《Kuu / black》などを展示。
2024年1月1日 — 令和6年能登半島地震。地滑りで牛嶋作品が崩落。
2026年9月8日 — 金沢で「ともにある風景」開幕。
美術館が引き受ける距離
金沢21世紀美術館は、本展をシリーズ「能登と」の一環と位置づける。表題の助詞「と」は小さいが重要だ。「能登を」救う、記録する、語ると目的語化するのではなく、能登と考え、能登と関係を持ち続ける。その姿勢は、金沢が被災地の外側にありながら、同じ石川県内の文化拠点として何を担えるかという問いでもある。
距離には利点と危うさがある。金沢へ移すことで大きな彫刻は廃棄を免れ、多くの観客が能登の現在に触れられる。一方、作品を美術館に収めれば、生活再建の困難を美的な物語へ変換してしまう危険もある。本展が評価されるべき基準は、破損を感動的な「再生」の証拠にできるかではない。珠洲で築かれた関係と、作品が失った機能をどれだけ具体的に見せ、能登との往復を継続できるかだ。
牛嶋の彫刻は、もはや大谷で子どもを迎えた広場そのものではない。さわの映像も、地域の人の記憶を代弁し尽くすことはできない。二人の作品は、その不可能性から始まる。傷を消さず、他者の経験を所有せず、それでも物と像を通じて関係をつくり直す。復興を「完成」に見せないことが、この展覧会の最も誠実な強さである。
観覧案内
開場は午前10時から午後6時まで、金曜・土曜は午後8時まで。休場日は原則月曜だが祝日開場と翌日休場など例外が多く、年末年始にも変則日程がある。来館前に美術館の公式ページで確認したい。会場は長期インスタレーションルームとプロジェクト工房。主催は金沢21世紀美術館[公益財団法人金沢芸術創造財団]、奥能登国際芸術祭実行委員会などが協力する。
- 金沢21世紀美術館「牛嶋均 さわひらき ともにある風景」 — 会期、会場、作品解説、作家声明・略歴、主催・協力。
- 金沢市観光協会「シリーズ『能登と』 牛嶋均 さわひらき ともにある風景」 — 無料、開場時間、所在地など来場情報。
- 奥能登国際芸術祭2023「牛嶋均」 — 《松雲海風艀雲》の読み、公式英題、設置場所、当初の作品趣旨。
- 奥能登国際芸術祭2023「さわひらき」 — 作家略歴、制作方法、過去の展覧会。
- 奥能登国際芸術祭2023「芸術祭概要」 — 2017、2021、2023年の開催史、珠洲の文化的背景。
- 気象庁「令和6年能登半島地震等の関連情報」 — 2024年1月1日の規模・震度、先行活動とその後の推移。
編集注: 人名は公式表記に従い、読みは牛嶋均(うしじま・ひとし)、日置(ひき)、作品名は《松雲海風艀雲(まつ くも うみ かぜ はしけぐも)》とした。展覧会公式資料が完成後の寸法・材料とさわの新作の確定題を示していないため、本文では推測していない。作家声明は直接引用を最小限にとどめ、その他は出典に即して要約した。
