最初、スタートとゴールの間には、ほとんど何もなかった。


その空白こそが課題だった。


2026年8月4日、中間市東学童保育所を利用する26人の児童が、日本のサンドボックスゲーム『テラビット』を使ってゲーム制作に取り組んだ。共通条件は具体的で、しかも地元に根ざしていた。スタート地点から出発し、中間市の垣生公園にある延壽橋を通ってゴールへたどり着くゲームをつくる。


そして、さらに難しい条件が加わった。


「遊ぶ人がゴールできる。そして楽しめるゲーム」にする。


この一文で、作業はデジタル工作から「設計」へ変わる。道は正しくつながっていても退屈かもしれない。トラップは驚きを生むかもしれないが、理不尽すぎれば先へ進めない。動く床は緊張をつくることも、ただ混乱をつくることもある。NPCは次の行動をわかりやすくすることも、画面の雑音になることもある。


別の誰かが遊ぶと決まった瞬間、置く物すべてが「他人の体験」についての判断になる。


児童たちには一つの正解ではなく、道具が渡された。滑る氷ブロック、高速移動させる射出リング、ダメージを与えるトゲトラップ、周囲を照らすライトブロック、セリフを設定できるNPC、開閉する扉、上下左右へ動く床、建物。チームで「どこなら面白いか」を話し、実際に動かし、うまくいかなければ直した。


制作が終わってもイベントは終わらなかった。他チームがつくったゲームを実際に遊び、自分たちとは違う道や仕掛けを観察する。その後、自分たちのゲーム、工夫した点、大変だった点を発表し、「楽しかったこと」「工夫したこと」「うまくいかなかったこと」「次につくるならどうするか」を振り返った。


26人中間市東学童保育所を利用する参加児童。
8月4日制作イベントの実施日。サイバーステップは8月20日に成果を発表した。
2部制児童を分け、チームで制作した。
必須コード 0行主催者自身が「コードを書くプログラミング教室ではない」と明記。

証拠が示す範囲:サイバーステップと学童の職員は、児童の集中、協力、普段とは違う発言などを報告している。これは有用な観察だが、教育効果を測る対照実験ではない。事前・事後テスト、比較群、プログラミング的思考の定量的な伸びは公表されていない。本稿は「学習を意図した設計体験」として扱い、「テラビットが学力を上げた」とは記述しない。

ゲーム制作の本当の素材は「結果」


積み木を重ねる子どもは、すぐに一つの事実を知る。バランスが悪ければ、重力が議論を終わらせる。


デジタルゲームにも別の形の結果がある。見た目のきれいな橋でも、道がつながっていなければ渡れない。作者はコツを知っているので跳べても、初めて遊ぶ人には不可能かもしれない。笑わせるつもりの罠が、ゲーム全体を進行不能にすることもある。技術的には動いても、次へ行く場所が誰にも分からなければ設計として失敗する。


ここに「ゲームを遊ぶ」と「ゲームをつくる」の知的な違いがある。


遊ぶ側は、他人が決めたルールを読み解く。つくる側は、ルールを考え、システムで表現し、他人がそのルールへぶつかるところを見て、自分の意図と実際の結果のずれを受け取る。


サイバーステップはイベント内で「論理的思考」を、子ども向けに「やりたいことを実現するために、どうすればいいかを順番に考える力」と説明した。中間のゲームでは、その順番は必ずしも文字のコードではない。まずこの足場へ進む。次に射出リングで向こうへ飛ぶ。そこで扉が開く。延壽橋へ向かう。最後にゴールが見える。


機械は、「作者はこうしたかったはずだ」と好意的に解釈してくれない。存在する世界だけを実行する。


ゲームエディターの教育的な力は、全員をプログラマーにすることではない。アイデアを、ルール、順番、失敗、そして他人のプレーに耐えさせることにある。


画面のカメから、中間市の橋へ


こうした学びの思想は、パソコンそのものより古い。


1960年代後半、数学者で学習研究者のシーモア・パパートらは、子どもでも扱えるプログラミング言語Logoを開発した。象徴的な「タートル」は、子どもの命令で画面上、あるいは初期には床の上を動いた。正方形を描かせるなら、「正方形」という概念を「進む、90度曲がる、繰り返す」という順序へ変換しなければならない。


パパートの主張は、子どもに文法を覚えさせることより大きかった。コンピューターは、情報を児童へ配る機械だけではない。子どもが「考えるための材料」にできる。彼の構築主義(Constructionism)は、人は意味のある物を実際につくっている時に、とりわけ深く知識を組み立てられる場合があると考えた。絵、ロボット、プログラム、物語、ゲーム。外へ出した物だからこそ、見て、共有し、直せる。


1980年の『Mindstorms』で、パパートは「コンピューターが子どもをプログラムする」構図と、「子どもがコンピューターをプログラムする」構図を対比した。その後、教育ゲームを語る時にはさらに明確にした。子どもへ何かを教えるゲームを望むだけでなく、子ども自身がゲームをつくることを望む。


技術は変わった。Logoの命令文は、ブロック型プログラミング、ロボット教材、Scratch、ゲームエンジン、サンドボックス世界へ広がった。しかし知的な転換は同じだ。学習者を「消費者」から「作者」へ移す。


1967年 — シーモア・パパート、シンシア・ソロモンらが、子ども向けにも使えるLogoを開発。

1980年 — パパート『Mindstorms』刊行。コンピューターを子どもが操作し、考える道具にする思想を広める。

2000年 — 現サイバーステップホールディングスにつながる事業が日本で創業。

2015年 — 中間市の遠賀川水源地ポンプ室が「明治日本の産業革命遺産」の構成資産として世界遺産登録。

2020年 — 日本の小学校で、新学習指導要領の全面実施に伴うプログラミング教育が本格化。

2023年 — 『テラビット』がスマートフォン、Nintendo Switchなどへ展開し、「あそぶ・つくる・みせる」を前面に出す。

2026年2月17日 — 中間市とサイバーステップホールディングスが「こどもと資源循環に関する地域連携協定」を締結。

2026年8月4日 — 26人が延壽橋を題材にゲームを制作・試遊・発表。


日本は「プログラミング教育=コード」とは定義しなかった


サイバーステップの「どうすれば実現できるかを順番に考える」という表現が、日本では聞き覚えのある言葉なのには理由がある。


文部科学省が小学校プログラミング教育を整備した際、目的を職業用言語の習得だけには置かなかった。「プログラミング的思考」は、自分が意図する一連の活動を実現するため、必要な動きの組み合わせを考え、それに対応する記号をどう組み合わせ、どう改善すれば意図した活動へ近づくかを論理的に考える力として整理された。


国の手引は、プログラミング体験を意味のある学習過程の中へ置くことも重視している。企業や団体と連携した授業例も掲載する一方、特定の会社や教材を国が推奨しているわけではないと注意書きを入れる。


この区別は、中間市の事例を読む時にも役立つ。


8月のイベントは、すべての子に『テラビット』を習得させる授業でも、正式なプログラミング言語の学習でもなかった。ゲーム編集環境を、順序と修正が目に見える場所として使った。だから問うべきは「コードを覚えたか」ではなく、「制作の過程でどんな思考が必要になったか」である。


中間市の課題が求めたこと
  • 分解:「ゴールへ行く」を、小さな道・仕掛け・場面へ分ける。
  • 順序:何が先で、何が次で、何が最後かを決める。
  • 制約理解:氷、罠、扉、動く床など既存アセットの性質の中で考える。
  • テスト:「動くはず」ではなく、自分で実際に遊んで確かめる。
  • コードを書かないデバッグ:詰まる、落ちる、迷うなら配置やルールを直す。
  • 利用者視点:答えを知っている作者ではなく、初めて遊ぶ人を考える。
  • コミュニケーション:チームで合意し、完成後は人前で説明する。
  • 振り返り:失敗した点を言葉にし、「次の版」を想像する。

「何でも自由」より、延壽橋という制約


無限の自由は創造的に聞こえる。しかし、一つの制約がある方が創造性は見えやすくなることがある。


中間市の各チームには、同じ基本目的地と地元のランドマークがあった。だから違いが比較できる。最短距離をつくるチーム。橋の前に危険を置くチーム。道を隠すチーム。渡ること自体を笑いへ変えるチーム。同じ「橋を通る」からこそ、設計思想の差が表れる。


延壽橋には、一般的なファンタジー城にないものもある。「場所」である。


垣生公園は中間市最大の都市公園で、桜の名所。池に架かる赤い橋を渡ると埴生神社へ通じる。公園西側の丘には、古墳時代後期の横穴群集墓「垣生羅漢百穴」があり、福岡県指定文化財となっている。子どもが「延壽橋」をつくる時、それは赤いブロックを置くだけではない。現実の街の一部を、ルールのあるデジタル空間へ翻訳している。


中間市は、この発想をさらに広げる可能性も示している。2月の協定時、サイバーステップ側は、市の世界遺産「遠賀川水源地ポンプ室」をテーマにした創造活動も今後の候補として協議していると発表した。1910年から官営八幡製鐵所へ水を送ったポンプ室は、石炭、鉄鋼、輸入技術、日本の産業化を語る建物で、2015年に世界遺産の構成資産となった。


ただし、8月のイベントで世界遺産ゲームを完成させたわけではない。この日の題材は延壽橋であり、ポンプ室は将来の可能性として協議されている段階だ。この違いは明確にしておきたい。


それでも方向は面白い。子どもが他人の仮想世界を訪れるだけでなく、自分たちの街を「遊べる説明」に変える側へ回る可能性がある。


『テラビット』は「ゲームをつくれるゲーム」


公式サイトが掲げる三つの動詞は、「つくる・あそぶ・みせる」だ。


『テラビット』はサイバーステップが開発・運営する基本プレイ無料のマルチプレイ型サンドボックスゲーム。プレイヤーはボクセル状のブロックや各種パーツを組み合わせ、世界をつくり、ゲーム要素を追加し、公開し、他人の作品を遊べる。現在はWindows PC、スマートフォン、Nintendo Switch、PlayStation 4/5に対応する。


これは「プレイヤー」と「制作者」の境界を意図的に薄くするプラットフォーム群の一つだ。面白そうなゲームを遊びに来た人が、その裏側の編集機能へ入れる。テンプレートや既存アセットを使えば、ゲームエンジンをゼロから組めない人でも、自分のルールや体験を追加できる。


一方、商用サービスとしての『テラビット』には、教育活動と自動的に同一視すべきでない要素もある。基本プレイ無料だがアイテム販売があり、公開ワールドが遊ばれたり関連アイテムが購入されたりした時に制作者へ還元する仕組みをサイバーステップは紹介してきた。「本当の人が遊ぶ」という感覚は制作意欲を生みうるが、教育現場では編集ツールの価値と商業的な環境を分けて考える必要がある。


会社の年齢も少し注意が要る。サイバーステップホールディングスは創業を2000年4月としている。2025年12月に持株会社体制へ移行し、現在『テラビット』を運営する事業会社「サイバーステップ株式会社」は法人として2025年12月1日設立となっている。つまり、現事業会社は書類上新しいが、事業の系譜は25年以上続く。


自治体とゲーム会社が出会ったのは、この夏が最初ではない


8月のワークショップは、半年前の協定から生まれた。


2月17日、中間市とサイバーステップホールディングスは「こどもと資源循環に関する地域連携協定」を締結した。中間市の公式説明は、玩具等の提供と活用、想像力・創造性を育む取り組み、環境配慮と資源循環、地域団体・関係機関との連携など五つの項目を挙げる。


サイバーステップ側の発表では、その枠組みの中で『テラビット』を使った地域連携型デジタル教育について意見交換を進め、子どものデジタル体験、プログラミング的思考・創造力、世界遺産を題材にした創作活動などを検討しているとした。


この協定は、創業25周年を契機に始めた「スマイルステッププロジェクト」の一部でもある。同社は2026年、沖縄県の「さんすうカフェ」などでも子ども向けゲーム制作体験を実施し、継続的なIT体験環境を意図してパソコンやゲーム機の寄贈も行っている。


ここは重要だ。一回限りの企業イベントなら、開催も写真撮影も比較的簡単だ。地域の学びとして続けるには、機材、スタッフ、子どもの安全、場所、予定、継続性、そして翌月もやる理由が必要になる。


中間市の当日には、市長、市職員、学生団体「UNITY」の大学生2人、中間市社会福祉協議会会長も参加し、児童を支援した。ソフトそのもの以上に、この地域側の人員が「一日イベント」から「地域の学習環境」へ進める鍵になる可能性がある。


普段静かな子が、大きな声で話した


イベント後、学童の職員から一つの観察が共有された。


普段おとなしく、あまり話さない児童が、大きな声で話していた。いつもとは違う集中を見せる児童もいたという。子どもたちは「楽しかった」と話したとも報告された。


ここから「ゲームは隠れた才能を解放する」と大きな結論へ飛ぶのは簡単だ。しかし証拠はそこまでない。


それでも、学童や教室は社会的な場所である。プリント学習では発言しない子が、「射出リングの仕組みなら分かる人」になるかもしれない。抽象的な説明が苦手な子でも、画面を指して「ここに置こう」と言える。設計対象が外にあると、議論は「誰が勉強できるか」ではなく、「この床はどこに置くべきか」に移る。


構築主義の教育者が、共有できる制作物を重視してきた理由の一つがここにある。考えが外へ出る。触れる。試せる。批判できる。直せる。物が失敗しても、子ども自身が「失敗者」になる必要はない。


ゲームなら失敗の費用はさらに安い。トゲを一つ間違えても、現実の橋は壊れない。移動すればいい。プレイヤーがもう一度試す。制作者は結果を見る。


「楽しい学び」には、難しい部分が必要


教育テクノロジーは、学びを「簡単」にしすぎた時に失敗することがある。


何を置いても正解なら、デバッグするものがない。テンプレートがほぼ全部つくってくれるなら、設計する部分が少ない。大人がすべての失敗を直せば、なぜ失敗したかを子どもは発見しない。「楽しい」を注意を引き続けることだけと考えれば、面白い製品を教育的な製品と取り違える。


パパートは、学習者が大切だと思う物をつくるからこそ難しさに取り組める状態を「hard fun」と表現した。中間市の一日は、その小さな形を持っていた。参加児童は「組み立てるのは難しかった」が、工夫して完成できてうれしかったと振り返った。別の児童は、延壽橋をつくる途中で友達があちこちにマグマを置き、みんなで笑ったと話した。


その笑いは、学習の外ではない。「置く→予想外が起きる→笑う→直す」というフィードバックの一部である。


ただし、一日の体験でその思考が算数、作文、科学、将来のプログラミングへ転移したと証明することはできない。教育研究で「転移」は特に難しい主張だ。主催者は最後に、ゲーム制作で使った考える力は勉強やスポーツでも使えると児童へ伝えた。これは教育的な提案として理解できるが、測定結果ではない。


主張公開資料が支えること確立していないこと
「児童はプログラミングを学んだ」計画、順序、試行、修正を必要とし、主催者はプログラミング的思考に通じると説明。プログラミング言語を習得したこと、コードを書いたこと。
「テラビットで論理的思考が伸びた」順序立てた問題解決を意図した設計で、集中や協力の観察報告がある。論理的思考・プログラミング的思考が定量的に向上したこと。評価研究は公表されていない。
「中間市を再現した」延壽橋を通ることが共通の地域課題だった。市全体や世界遺産ポンプ室をこのイベントで再現したこと。
「ゲームは教育に良い」制作課題によっては設計、反復、説明、システム思考を要求できる。普通にゲームを遊ぶだけ、またはどんなゲーム制作でも自動的に教育効果が出ること。

次に問われるのは「誰がつくれるか」


「誰でもクリエイターになれる」には民主的な響きがある。同時に、その言葉の後ろには機材一覧がある。


デジタル制作には端末、通信、時間、トラブルを直せる大人、失敗しても大丈夫な場所が必要だ。家庭に高性能PCがある子と、学校の端末だけが安定したデジタル環境である子では、同じワークショップへ入っても出発点が違う。3D操作に慣れた子は、カメラを動かす方法ではなく、ゲーム設計を考える時間をより多く持てる。


だから「どこで行ったか」が重要になる。今回の会場は、有料の習い事へ家庭が申し込む形ではなく、学童保育所だった。市が共催し、職員や外部支援者がいた。沖縄での活動では、サイバーステップは継続的な制作環境につなげるため、イベント後にPCなどを寄贈している。


官民連携なら、さらに難しい質問も必要だ。子どもはどんな個人情報を入力するのか。個人アカウントは必要か。公開ワールドはどう管理されるか。商用サービスの購入導線と教育活動をどう分けるか。障害のある子も参加しやすいか。専門スタッフが帰った後も続けられるか。


8月の中間市イベントについて、公開資料だけではこれらすべての運用詳細は分からない。本稿は推測で埋めない。もし取り組みが継続・拡大するなら、こうした地味な運用条件こそ教育の質を決める。


誰かが渡る時、橋は別の物になる


現実の垣生公園で、延壽橋の仕事は分かりやすい。赤い橋が池を渡り、埴生神社側へ人をつなぐ。橋が何のためにあるか、人は知っている。


児童のゲームの中では、橋は別の役割を持てる。


チェックポイント。笑い。危険地帯。ご褒美。遠くに見える目印。「もう終わりだ」と思わせた後の最後の罠。現実の橋は人の身体を水の向こうへ運ぶが、デジタルの橋は、制作者の意図をプレイヤーへ運ぶ。


中間市で起きたことを理解するなら、これが一番近いかもしれない。


子どもたちは、自分の街の画像を受け身で眺めたのではない。街を模した空間の中で、別の人に何をさせるか決める側へ回った。別チームが遊び始めた瞬間、世界は作者だけのものではなくなる。プレイヤーが迷えば、その迷いそのものが制作者への情報になる。


これは、工学と物語、そして少しだけ市民性にも通じる小さな授業である。自分がつくった物は、最終的に「自分ではない誰か」が使う。


ゲームを遊ぶ子は「どうすれば攻略できる?」と問う。ゲームをつくる子は、いつかもっと難しい問いに出会う。「別の人は、私が何を意図したと理解するだろう?」


26人を26人の未来のソフトウェア技術者へ変える必要はない。


動く床を覚えている子がいるかもしれない。マグマの冗談を覚えている子がいるかもしれない。つくるより発表の方が難しかったと思う子もいる。『テラビット』を二度と開かなくても、別の習慣を残す子がいるかもしれない。「うまくいかない時は、手順に分け、試し、失敗した部分を変える」。


1960年代、パパートは子どもへ「タートル」を渡し、どこへ行くか命令させた。


中間市の子どもたちは、道そのものをつくった。


そして、誰かが本当にその橋を渡れるかを見た。

調査・出典

編集注:イベントの中心資料はサイバーステップホールディングスの8月20日発表であり、主催者側の記録である。同資料に掲載された児童・学童職員のコメントは観察として扱い、独立した教育効果測定とはみなしていない。主催者は本企画が「コードを書くプログラミング教室ではない」と明記している。事前・事後の標準化評価、比較群、長期追跡、学術的評価は発表資料に含まれないため、本稿は課題が要求した認知的プロセスと、実証された学習成果を区別した。