作品の表面に映るのは、作品だけではない。窓から入る光、天井、隣の彫刻、近づく人の姿までが曲がり、伸び、分裂する。多田美波(ただ・みなみ、1924〜2014)が工業素材に見いだしたのは、硬さや永続性だけではなく、周囲を取り込みながら変わり続ける性質だった。

東京都現代美術館で8月29日に始まった「多田美波―光、凛と ゆれる」は、同館が「没後初となる大規模回顧展」と位置付ける展覧会だ。多田美波研究所の企画協力により、初期の絵画から彫刻、作家が「光造形」と呼んだ照明まで約70点を集め、建築造形の部材、写真、スケッチなども示す。

ただし、多田の全体像は作品を一室に並べるだけでは見えない。美術館の所蔵品として完結しない仕事が多いからだ。皇居・新宮殿、ホテル、駅、市庁舎、公園、劇場。建物とともに見られ、使われ、ときに改修や移設で姿を変えた仕事を、展示は再制作と記録資料によって組み直す。

これは「光る彫刻」の展覧会ではない。 光を反射し、透過し、屈折させる素材と、鑑賞者が動く空間との関係を約70年にわたって追った展覧会である。
約70点絵画、彫刻、光造形など。資料は別に展示。
約1,500㎡アトリウムを含む地下展示室と屋外エリア。
約200+約500美術館が示す彫刻と建築関連作品の生涯制作数。
12月6日まで東京都現代美術館・企画展示室B2F。

彫刻は、美術館の外にあった

多田の主要な仕事は、戦後の都市が形を変えた時代と重なる。1957年の炭労会館レリーフ《炭鉱》、1968年の皇居・新宮殿の光造形、1970年に帝国ホテル 東京へ設置された光壁《黎明》、1973年の大阪ロイヤルホテルの光造形《瑞雲》。注文制作でありながら、壁面、天井、吹き抜けそのものを造形の場にした。

東京都現代美術館によると、多田は生涯に約200点の彫刻と500点に及ぶ建築関連作品を手がけた。量だけでなく、所在の分散が重要だ。公共空間や商業施設の作品は、不特定多数の人に見られる一方、建物の用途変更や改修に左右される。所有者、設計者、施工技術者との協働も作品の一部になる。

そのため本展の回顧は、個人作家の様式変遷を並べるだけでは終わらない。戦後建築が芸術をどう取り込み、企業や公共機関がどのような空間を社会に示そうとしたかまで射程に入る。

多田の彫刻史は、作品の形だけでなく、戦後日本の建物が光をどう演出したかという空間史でもある。

光は「効果」ではなく造形だった

代表作《周波数37306505》(1965)は、六つの半球状のアクリルにアルミニウムを蒸着し、鉄を組み合わせた作品だ。東京都現代美術館の作品解説は、近づいた鑑賞者がゆがんだ鏡面に六つの自分を見る構造を説明する。

ここで光は、完成した形を照らす後付けの演出ではない。反射する環境と動く鑑賞者がいなければ、像は生まれない。鏡面は彫刻の境界を閉じるのではなく、周囲を表面へ引き入れる。

アクリル、アルミニウム蒸着、ステンレス、ガラス、陶板。多田は高度経済成長期に広がった素材と加工技術を使い、手で作った痕跡を前面に出さない表面を作った。無機質に見える材質へ、反射、透過、屈折、揺らぎという変化を組み込んだ点に特徴がある。

絵画から工業素材へ

多田は1924年、台湾・高雄に生まれ、朝鮮で育った。1944年に女子美術専門学校(現・女子美術大学)を卒業。1950年代には二科展や読売アンデパンダン展へ油彩画を出品した。現在の光や金属のイメージだけでは、この出発点を見落とす。

公式作品リストには、1944年の《建物》、1957年の《変電所L》、1958年の《変電所》が並ぶ。1960年ごろの題名不詳作品には、油彩だけでなくアクリル板、石、テグス、砂などがすでに使われている。平面の内部で異素材を試す過程が、立体への移行を準備した。

転機の一つが、1957年の炭労会館レリーフ・コンペだった。《炭鉱》の採用は、絵画から立体へ、さらに建築と結びついた造形へ進む入口となった。1962年には多田美波研究所を設立し、アクリルなど新素材の研究を本格化させた。

時期主な展開展覧会で見る要点
1940〜50年代油彩画、炭労会館レリーフ線、構造、異素材への関心が立体へ移る。
1960年代ブロンズ、アルミ、アクリル、光造形工業素材と加工技術が造形の中心になる。
1970年代鏡面彫刻、ホテルや公共建築の大規模制作作品と設置空間が分けにくくなる。
1980〜2010年代ステンレス、ガラス、陶板、屋外彫刻色彩と環境への応答が広がる。
2026年失われた光造形の再制作・再構成オリジナルと継承の関係を可視化する。

失われた作品を、どう見せるか

本展の核心の一つは、現存しない作品を「なかったこと」にしない方法だ。1963年に銀座の松屋サロンへ設置された「チェーンデリア」は、洗面台などに使われるボールチェーンを吊るした光造形で、皇居・新宮殿の仕事を委託される契機になったと美術館は説明する。

現物は残っていない。そこで多田美波研究所の協力を得て、2026年に原寸大で再制作した。作品リストは制作年を「1963/2026」とし、後ろの年が再制作・再構成年であることを明記している。鑑賞者は1963年の物質そのものではなく、資料と技術を基にした2026年の再制作を見る。

《瑞雲》も同様に、1973年の制作時に使われたクリスタルガラスの部材約3,000個を用いて一部を再構成する。オリジナルの部材が残っていても、ホテルの天井、動線、明暗から離れれば経験は変わる。再制作は失われた空間を完全に戻すのではなく、何が戻り、何が戻らないかを示す装置になる。

約70点を、動きながら見る

会場は、外光が差し込むアトリウムを含む約1,500平方メートルの地下展示室と隣接する屋外エリア。公式作品リストは69番号を付し、絵画から照明までを示している。美術館はこれを「およそ70点」と案内し、別に建築造形の部材や写真、スケッチを展示する。

鏡面作品では、正面から一度見るだけでは情報が足りない。位置を変えれば映り込みが変わり、作品同士も互いを取り込む。外光が届く場所では、時刻や天候も表面に作用する。固定した展示写真が伝えにくい部分だ。

一方、反射の華やかさだけを追うと、初期の絵画、ブロンズ、陶板、資料が背景に退く。約70年の流れを見るには、何が映るかと同時に、素材の選択、設置先、再制作の注記を読む必要がある。

美術史の外側に置かれた仕事

多田は美術、プロダクトデザイン、インテリア、建築の間を動いた。専門領域を横断したことは仕事の強さになったが、美術館の彫刻史だけで全体を整理しにくくした。東京都現代美術館も、同時代の前衛美術グループを軸にした説明では多田の全貌を体系化しにくかったとする。

さらに、公共空間で活動した女性彫刻家の仕事をどう記録するかという問題がある。関連シンポジウムは11月7、8日、AWARE: Archives of Women Artists, Research and Exhibitionsとの共催で開催され、1950年代から90年代の抽象彫刻、建築、公共空間、保存・継承をジェンダーを含む視点から検討する。

回顧展の意義は、忘れられた作家を単純に「再発見」することではない。所蔵しやすい単体作品だけで作られてきた評価の枠を広げ、建物に埋め込まれた仕事、技術者との協働、失われた照明、図面や写真も美術史の証拠として扱うことにある。

光は保存できない。だが、光を生む構造、部材、図面、写真、技術の連鎖は記録し直せる。

会期、料金、見る前の注意

会期は8月29日から12月6日まで。会場は東京都現代美術館の企画展示室B2F。開館は午前10時から午後6時までで、展示室への入場は閉館30分前まで。11月の毎週金曜日は午後8時まで開館する。

休館日は原則月曜日。ただし9月21日、10月12日、11月23日は開館し、9月24日、10月13日、11月24日は休館する。一般料金は1,600円、大学生・専門学校生・65歳以上は1,100円、中高生640円、小学生以下無料。10月10〜12日は学生無料デーで、中高生、専門学校生、大学生は学生証の提示で無料になる。

展示内容や開館条件は変更される場合がある。訪問前に美術館の公式ページで最新情報を確認したい。公式図録は日英併記で、作品図版、4本の論考、年表を収める。

1924年 台湾・高雄に生まれ、朝鮮で育つ。

1957年 炭労会館レリーフ《炭鉱》を制作。

1962年 多田美波研究所を設立。

1965年 《周波数37306505》で第8回日本国際美術展優秀賞。

1968〜73年 皇居・新宮殿、《黎明》、《瑞雲》など建築空間の仕事を展開。

2014年 逝去。

2026年8月29日 没後初の大規模回顧展が開幕。

取材メモと主要資料

本稿は2026年8月29日までに公開された展覧会公式資料、所蔵館資料、研究者による作家解説を基に、日本語記事として独立して執筆した。人名の読み、展覧会名、作品名、制作年、素材、施設名、料金、開館情報は日本語の公式資料で照合した。展示風景を現地取材した記事ではなく、公開資料に基づく展覧会解説である。