原油だけではなく、「選択肢」を積んだ船

コスモ石油向けのメキシコ産原油を積んだタンカーは、まず三重県の四日市製油所へ、その後は東京に近い千葉製油所へ入る見通しだ。メキシコ湾から大西洋へ出て、アフリカ南端の喜望峰を回った。この地理こそニュースの核心である。原油は中東以外で調達され、ペルシャ湾からホルムズ海峡を抜ける必要がなかった。

4月、高市早苗首相とクラウディア・シェインバウム大統領の電話協議を受け、メキシコは国営石油会社ペメックスを通じて100万バレルを日本へ供給することで合意した。メキシコにはアジア市場を広げる意味がある。日本には、調達、海運、貯蔵、ブレンド、精製の全工程を現実の荷で試す意味がある。

最初の公表では油種名は明らかにされていない。ここは大切だ。メキシコを代表する輸出油種マヤは重質で硫黄分が多いが、確認なしに今回の荷をマヤと断定してはいけない。分かっているのは産地、買い手、航路、到着地であり、もっともらしい推測とは分ける必要がある。

100万バレル4月にメキシコが一定期間内に日本へ送ることで合意した量。
94%2025年、日本の原油輸入に占めた中東の割合。
93%中東からの輸入のうち、ホルムズ海峡を通過した割合。
201日分6月8日時点の国家・民間・産油国共同備蓄の合計。
これはペルシャ湾の代替品ではない。いつもの仕組みが止まったときに動くための「予行演習」だ。

第一の授業:原油はどれも同じではない

原油は「一バレルなら、どこ産でも同じ」と語られがちだ。製油所にとってはまったく違う。原油には密度、硫黄分、酸性度、金属、塩分、分子の大きさの分布に差がある。密度はAPI度で表すことが多い。軽質油にはナフサ、ガソリン、軽油になりやすい小さな分子が多い。重質油は残油を多く残す。低硫黄の「スイート」に対し、高硫黄の「サワー」は脱硫装置と水素をより必要とする。

製油所はまず常圧・減圧蒸留塔で原油を沸点ごとに分ける。その後、接触分解、重油直接脱硫、水素化分解、コーカーなどで価値の低い重い分子を作り変え、脱硫装置で硫黄を除く。どの装置がどれだけあり、水素をどれほど作れるかは製油所ごとに違う。原油を替えると、ガソリン、灯油、軽油、ナフサ、重油、アスファルトの出来高も変わる。

原油の性質製油所で変わること
軽質か重質か軽い製品が自然に多く出るか、残油の分解が多く必要か。
低硫黄か高硫黄か脱硫装置、水素、排出対策への負荷。
金属・酸性度腐食、触媒寿命、保守、ブレンドの限界。
蒸留性状LPガス、ナフサ、ガソリン、灯軽油、残油が何割ずつ得られるか。

日本の製油所は長年、中東産の中重質・高硫黄原油を高度に処理できる設備へ投資してきた。したがって複雑な日本の製油所には、重質のメキシコ油が意外に合う可能性がある。一方、非常に軽い米国産油は、欲しい製品構成に対してナフサなどが多すぎることもある。問うべきは「燃やせるか」ではなく、「この製油所で、安全に、採算を合わせ、必要な製品へ変えられるか」だ。

新しい原油を処理する前に、技術者は詳細な原油分析を読み、タンクを分け、他油種との混合比を決め、各装置の負荷を計算し、製品規格を守れるか確認する。供給源の多角化は外交だけでなく、分析室、配管、触媒、水素設備の問題なのである。

なぜ日本は中東石油へ深く依存したのか

戦後復興の初期、日本は国内炭を使った。しかし1950年代から60年代の高速成長は、エネルギー密度が高く、扱いやすく、当時は安価だった石油を求めた。「エネルギー革命」により、主役は石炭から輸入石油へ移った。大型タンカーが沿岸製油所へ運び、そこから石油化学コンビナート、発電所、製鉄所、自動車、家庭へ燃料と原料が流れた。

中東には巨大油田と長期安定供給の実績があり、アジア向けの中重質油が豊富だった。ペルシャ湾からインド洋を横断する大型タンカー輸送は規模の利益を生んだ。長期契約は信頼関係を作り、日本の製油設備はその油に合わせて高度化した。これは単なる怠慢ではない。経済合理性のある専門化だった。

しかし、効率は集中を生んだ。国内産原油がほとんどない日本は、2025年に輸入原油の94%を中東に頼り、その中東便の93%がホルムズ海峡を通った。複数の国から買っていても、出口が一つなら、航路は分散されていない。

供給源の分散は「どの国が売ったか」を問う。航路の分散は「どの狭い海が止められるか」を問う。日本には両方が必要だ。

1973年:エネルギー安全保障が暮らしへ入った年

第一次石油危機は、日本の弱点に対する認識を一変させた。1973年10月の中東戦争後、アラブ産油国は禁輸と減産を進めた。輸入石油へ圧倒的に依存していた日本は、外交姿勢、工場操業、物価が遠い地域の政治判断に左右される現実を突きつけられた。政府は中東外交を修正し、企業には石油・電力の使用抑制が求められた。

人々の記憶にはトイレットペーパーの買い占めが残る。紙そのものが主たる石油製品だったからではない。この騒ぎの歴史的意味は、期待が危機を増幅したことにある。「なくなる」という恐怖が、物理的供給だけでは説明できない不足を作った。物価は急騰し、鉱工業生産は圧迫され、二桁成長の時代は終わった。石油危機だけが高度成長を終わらせたわけではないが、輸入石油を増やせば重化学工業も永遠に拡大できるというモデルの限界を露出させた。

日本の答えは制度だった。国家備蓄と民間備蓄、調達先の分散、産油国外交、省エネルギー、原子力、代替エネルギーを進めた。1979年のイラン革命と第二次石油危機は、その方針が一時的対応では足りないことを証明した。同年の省エネ法は工場、建物、機械の効率改善を促した。産業はエネルギー消費の大きい製品から、より付加価値の高い製造へ移り、日本車の燃費は国際競争力の一部になった。

時代エネルギー安全保障上の意味
1950~60年代石炭から輸入石油へ。沿岸の製油・石化拠点が高度成長を動かす。
1973~74年第一次石油危機。供給源と航路の集中、インフレ、使用制限の危険が日常化。
1975~79年備蓄と省エネが恒久制度へ。第二次危機がその必要性を再確認。
1990~91年湾岸危機が再びシーレーン防衛と国際的負担を問う。
2011年福島第一原発事故後、多くの原発停止で化石燃料輸入と対外支払いが増える。
2022年ロシアのウクライナ侵攻が制裁、LNG争奪、供給国集中を安全保障問題にする。
2026年ホルムズ混乱で過去最大級の備蓄放出と米州・カスピ海などからの緊急調達。

四日市――石油時代の成功と代償

最初の到着予定地にも歴史がある。四日市は戦後日本を代表する石油化学都市になった。製油所と工場群は、燃料、プラスチック、化学製品、雇用という豊かさを象徴した。一方、コンビナートの硫黄酸化物などによる大気汚染は、深刻な呼吸器疾患「四日市ぜんそく」を引き起こした。1960年代から70年代初めの訴訟は企業責任を明確にし、日本の公害規制強化を促した。

この歴史は、新しい石油航路を無条件に祝うことを許さない。安全保障とは分子を十分確保することだけではない。精製と燃焼による健康被害、気候変動、事故防止、産業地域に国全体の負担を背負わせる公平性まで含む。供給が安定していても、外部費用を無視すれば社会には失敗しうる。それが四日市の教えだ。

ホルムズ海峡は、地図の名前ではなく集中点

ホルムズ海峡はペルシャ湾とオマーン湾・外洋をつなぐ。サウジアラビア、アラブ首長国連邦、イラク、クウェート、カタール、イランは、程度の差はあれ湾岸の輸出設備に依存する。2026年の戦争前、世界の石油・ガス輸送のおよそ5分の1がこの海峡を通り、最大の仕向け先はアジアだった。

したがって日本の課題は、単に「中東油をやめる」ことではない。サウジとUAEにはホルムズを通らず外洋側ターミナルへ送るパイプラインがある。UAEはオマーン湾側のフジャイラへの輸送能力を拡大中で、サウジには紅海側への東西パイプラインがある。石油連盟の木藤俊一会長は、中東原油をすべて置き換えるより、実用的な迂回路の確保が優先だと述べている。

これは重要な区別である。信頼する湾岸産油国との関係を保ちながら航路を替えることはできる。同時にメキシコ、米国、ブラジル、ガイアナ、カスピ海、東南アジアを加え、製油所の受入能力を広げることもできる。国、航路、燃料の分散は、それぞれ別の危機に備える。

201日分の備蓄は何ができ、何ができないか

6月8日時点で、日本は合計201日分の石油在庫を持っていた。内訳は国家備蓄107日分、民間備蓄92日分、産油国共同備蓄約3日分で、端数処理がある。危機の性質が違うため、層も分かれる。国家備蓄は公共の緊急緩衝材、法定民間備蓄は通常の物流に組み込まれた在庫、共同備蓄は日本国内で産油国と協力して保有する外交的な備えだ。

日本は3月16日から消費量約50日分を放出し、産油国共同備蓄5日分を加え、5月1日からさらに20日分を放出した。6月、高市首相は代替輸入と備蓄放出により2028年3月までの安定供給を確保したと述べた。4月に70%を下回っていた製油所稼働率も、代替油と備蓄油の到着で70%台へ戻った。

備蓄が買うのは「時間」だ。新しい油を生み出すわけでも、海峡を直すわけでも、輸入依存を永久に下げるわけでもない。危機が長期化すれば、次の地震、台風、戦争、製油所事故へ備えてどこまで減らせるかが問題になる。使う能力と同じくらい、補充する計画が必要だ。

メキシコ航路には値段がある

メキシコ湾から喜望峰を回る航海は、通常のペルシャ湾―日本航路より長い。海上日数が増えれば、用船料、船舶燃料、保険、金利、二酸化炭素排出が増える。買い手は製品を販売できるより前に原油代を支払うため、長旅は運転資金とタンカーを長く拘束する。

メキシコも無限の代替先ではない。ペメックスの成熟油田は減退し、政府は国内製油所でより多くを処理したい。2026年初め、メキシコは国内精製に日量約140万バレルを使い、輸出は40万~50万バレル程度だった。100万バレルの合意は意味があるが、一国で湾岸規模を再現できると考えてはならない。

1ドル=162.03円では、費用の重みが増す。原油の国際取引はドル建てだ。ドル価格が同じでも円安なら、日本企業の支払額は増える。輸送費と戦争保険料はガソリン、軽油、ジェット燃料、石油火力、化学原料ナフサへ波及する。メキシコ油は物理的な選択肢を増やすが、安価なエネルギーを保証しない。

一バレルは暮らしの多くへ分かれる

発電、自動車、産業、建物の効率が上がり、天然ガス、原子力、再生可能エネルギーが加わったため、日本の石油需要は1970年代より小さい。それでも航空、海運、トラック輸送、石油化学、建設、災害対応では代替が難しい。

製品供給が重要な理由
ナフサプラスチック、合成繊維、溶剤、化学品の原料。
ガソリン乗用車と地方交通。電動化で依存は下げられる。
灯油・ジェット燃料寒冷地の暖房と航空。代替燃料の普及には時間がかかる。
軽油トラック、バス、建機、農業、漁業、非常用発電。
重質製品船舶燃料、産業熱、アスファルト、特殊用途。

だから石油危機は給油所だけの問題ではない。スーパーの物流、航空運賃、漁船、プラスチック、公共工事、日銀の物価見通しまで届く。

メキシコと日本――石油主権の二つの形

メキシコは1938年に石油産業を国有化し、石油を主権と社会所有の象徴にした。ペメックスは巨額債務、老朽油田、製油所の難題を抱えながらも政治の中心にある。日本の石油史はほぼ鏡像だ。国内資源が乏しいため、主権とは「保有」より「アクセス」を意味した。安定契約、船舶、備蓄、技術、外交関係によって手に入れる力である。

2026年の合意はその二つを結ぶ。両国関係はすでに石油より広い。日本の自動車メーカーと部品会社はメキシコに大きな製造網を築き、メキシコは北米市場と太平洋に面する拠点を日本へ提供する。エネルギー協力は、工場、部品、人材、貿易に基づく関係を深めうる。

ただし、良い外交には現実が要る。メキシコは輸出収入と国内燃料政策の間で選ぶ。日本は長距離輸送費を払い、製油所を合わせる。長続きする関係は非常時の象徴ではなく、透明な商業条件で作られる。

強い日本のエネルギーシステムとは

ホルムズ海峡を一つの策で置き換えることはできない。強さは何層にも重ねて作る。調達部門は産油国を増やす。海運会社は適切なタンカーと保険を確保する。港は貯蔵を持つ。製油所は受入油種と製品構成を柔軟にする。政府は備蓄と放出規則を持つ。外交は産油国との関係と迂回パイプラインを支える。

最後の層は需要である。最も安全な一バレルは、輸入しなくて済む一バレルだ。高効率車、交通の電動化、ヒートポンプ、断熱、再エネ、蓄電池、送電網は石油・ガス危機への露出を減らす。規制当局が安全を認め、地域が同意した原発再稼働も化石燃料発電を減らしうるが、安全、廃棄物、信頼という別の課題を伴う。

したがって「多角化」とは、タンカーに違う国旗を増やすことではない。少なくとも四つの次元がある。

次元答える危機
供給国一つの輸出国が供給を絞ったらどうするか。
航路ホルムズ、スエズ、パナマなどの要衝が危険になったらどうするか。
技術的柔軟性代替先が実際に売れる原油を、製油所やエネルギー設備が使えるか。
需要と燃料同じサービスを、より少ない石油または別のエネルギーで提供できるか。

この一隻が本当に何かを変えたか、どう測るか

タンカー一隻の写真で成功を判断してはいけない。メキシコなど非湾岸油の購入を繰り返せるか。運賃込みの到着価格は競争力を持つか。四日市と千葉で、価値の高い製品収率を大きく落とさず処理できるか。次の緊急時に備えて契約、タンク、ブレンド設備を改めるかを見るべきだ。

8月末までに予定される政府のエネルギー強靱化策も試金石になる。製油所の柔軟化、タンカー・貯蔵能力、迂回輸送設備、ナフサ備蓄、備蓄補充ルール、数値で測れる需要削減を示せるか。「友好国一覧」だけでは、外交にはなっても供給能力にはならない。

このメキシコ便に歴史的意味があるのは、試される巨大な仕組みに比べて一隻が小さいからだ。1973年、日本は安い石油と地政学を切り離せないと学んだ。その後、省エネと備蓄で世界有数の能力を作った。それでも中東油は安定し、製油所に合い、大量に届いたため、原油調達は再び集中した。

2026年、アフリカを回って四日市へ近づくタンカーは次の授業を運ぶ。エネルギー安全保障は鎖国でも自給自足でもない。日本はこれからも貿易する。安全保障とは、最安、最短、もっとも慣れた経路が突然使えなくても、社会を動かし続ける能力だ。一隻ではその能力を完成できない。しかし次の危機より前に契約、設備、航路、習慣を変えるなら、能力を築く一歩にはなる。

出典・参考資料