30年前の出来事は勝利の背景だ。しかし、銅メダルを決めたのは2026年の選手としての技術だった。
30年前と同じ体育館に、別の競技者として戻った
白い目標球、赤と青のボール、そして角度を少しずつ変えるランプ。10月21日、名古屋市総合体育館で行われた愛知・名古屋2026アジアパラ競技大会のボッチャ男子個人BC3・3位決定戦は、ほとんど音を立てずに緊張を深めた。
高橋和樹(たかはし・かずき)選手は韓国の鄭浩源(チョン・ホウォン、英字表記Jeong Howon)選手に5―1で勝ち、銅メダルを手にした。相手はパリ2024パラリンピック金メダリスト。日本ボッチャ協会の公式発表によれば、高橋選手にとって会場そのものにも特別な意味があった。約30年前、この体育館で柔道の試合中に脊髄を損傷したという。
それでも、この日の試合を「30年越しの奇跡」とだけ語れば、競技者の積み重ねを取り落とす。メダルを生んだのは、準決勝の敗北を分析し直し、ランプオペレーターとともに一球ごとの精度を高めた技術だった。
勝負を動かした最初の3点
日本ボッチャ協会によると、高橋選手は予選プールを3戦全勝で通過した。準決勝ではタイのWithun Chanthakhat選手を相手に最終エンドで逆転され、金メダルへの道を絶たれた。
3位決定戦で高橋選手は第1エンドに3点を先取。第2エンドで1点を加え、第3エンドは相手が1点を返したが、第4エンドを1点で締めくくり、5―1で勝利した。序盤の大量得点を守るだけでなく、相手に得点機会を与えない配置が求められる競技である。
高橋選手は試合後、準決勝の敗因を戦術全体の失敗ではなく、わずかな精度のずれと捉えたと説明した。大会が提供した談話を読む限り、敗戦から銅メダル戦への切り替えは、心理的な立て直しだけでなく技術的な再調整でもあった。
BC3は「補助されて投げる」競技ではない
ボッチャはジャックボールと呼ぶ白い目標球に、自分の色のボールをどれだけ近づけるかを競う精密な対戦競技だ。距離だけでなく、次の球で相手の球を動かすか、味方の球を守るかという配置の判断が勝負を左右する。
BC3クラスでは、選手がランプと呼ぶ傾斜器具を使ってボールを送り出す。ランプオペレーターは選手の指示に従い、向きや高さを調整する。World Bocciaの競技規則は、競技中のオペレーターがプレーエリアを見ず、選手の意思決定に介入しないよう定めている。
高橋選手のオペレーターは星豊選手。ランプを動かす行為が目立っても、狙う場所、球種、試合展開の判断の主体は選手にある。二人の意思疎通の正確さが成績を形づくる。
「星さんと結果を残したかった」
日本ボッチャ協会は高橋選手本人と星選手の試合後コメントを公開した。高橋選手は地元開催で家族や支援者が多数観戦したことに触れ、星選手と一緒に結果を残したかったという思いを語っている。銅メダルにも満足しきったわけではないと明かした。
星選手は自らの役割について、チームの雰囲気をつくり、高橋選手が笑顔で試合に臨めるようコーチとともに働きかけたと説明した。規則で定められた役割と、競技を支える人間的な関係が重なる。
高橋選手の所属は株式会社フォーバル。大会記事に記された個人戦の結果は、日本代表「火ノ玉JAPAN」の出場選手の中で高橋選手が唯一決勝トーナメントに進んだことを示している。
過去を消さず、過去だけにも還元しない
30年前、柔道の試合で起きた脊髄損傷。今回の大会で高橋選手が語ったのは、傷害そのものの詳細ではなく、その後の30年の暮らしと成長だった。日本ボッチャ協会が公表した本人の言葉では、車いすで歩んできた人生を振り返り、30年前には現在のように大勢に応援され、幸せを感じられるとは想像していなかったという。
この発言を「障害を克服した」という一語に縮めるべきではない。高橋選手は障害のある生活を続けながら、競技の技術、人間関係、経験を積み重ねてきた。スポーツは生き方の全体ではないが、自分で決め、競う場所を広げる大切な一部になっている。
当時の事故の詳しい医療記録や施設側の経緯を、本紙は独自に確認していない。会場とのつながりは本人発言を含む競技団体の公表に基づく。
リオ、東京、名古屋へ続いた選手の時間
日本パラリンピック委員会の東京2020選手名鑑によると、高橋選手は1980年2月3日生まれで、リオ2016パラリンピックではBC3個人12位。競技経験は、名古屋で銅メダルを獲った2026年だけのものではない。
東京2020パラリンピックは2021年開催。高橋選手はBC3混合ペアで銀メダルを獲得した。東京都の公表した同年の表敬訪問記事では、銀を喜びながらも金を逃した悔しさを口にしている。10月21日の銅メダル戦で本人が語った「一番良い色」への思いは、この長い競技歴の文脈で理解できる。
ボッチャは1984年のパラリンピックで採用された。当初19人・5カ国だった競技は国際的に広がり、韓国や日本を含むアジアが強豪地域となっている。
韓国の王者との、二度目の決着
銅メダル戦の相手、鄭浩源選手は世界のボッチャを代表する選手の一人だ。アジアパラリンピック委員会によると、高橋選手は10月19日の予選でも鄭選手をタイブレークの末に破っていた。3―3からの決着だった。
10月21日の再戦は5―1。韓国のNews1なども鄭選手がメダルを逃したことを報じた。ここで重要なのは「日本が韓国に勝った」という国別の図式だけではない。高橋選手が同じ王者から大会中に2勝し、そのうち一つをメダル戦で挙げたことである。
両選手の戦術、競技環境、相互の敬意を扱うことこそ、国際スポーツを魅力的に伝える方法だ。
銅メダルの先にあるもの
個人戦後にはBC3ペア戦が予定され、日本代表には高橋選手と星選手のほか、関根彩香選手と中村勝男ランプオペレーターが名を連ねる。10月21日付の協会発表はあくまでその時点の予定であり、その後の試合結果を意味しない。
次に目指す競技舞台にはロサンゼルス2028パラリンピックがある。ただし、今大会の銅メダルが将来の代表選出やメダルを保証するわけではない。選考、コンディション、国際大会の結果など、多くの段階が残る。
同じ体育館に戻った30年後、高橋選手は過去を繰り返したのではない。ランプの一度の角度調整と一球の選択に、積み上げてきた現在を示した。
出典・参考資料
2026年10月21日までに公表された競技結果と本人談話を中心に構成。事故当時の一次記録への独自アクセスはなく、過去の事故の記述は協会による本人談話の公表に基づく。本人への独自インタビューや写真使用許諾の取得はしていない。
