川から海へ流れ込んだ小さな粒子は、どこへ向かうのか。海草が育つ浅い海にとどまるものもあれば、沖へ運ばれるものもある。その行方を知ることは、沿岸の生態系が炭素を蓄える働きを理解するうえで重要になる。日本の気候変動観測衛星「しきさい」を使った研究が、海面近くの懸濁物質の分布を、その手掛かりとして調べた。[1]
京都大学などが9月11日に発表した解析では、相模湾と駿河湾の両方で、河口から離れるほど全懸濁物質(TSM)が低くなる傾向が見られた。海草藻場が記録されている場所では、周辺の沿岸海域より高かったという。ただし、濁りの多い海を、そのまま炭素を多く隔離する海とみなすことはできない。研究の詳しい発表資料も、この限界を明記している。[1][2]
宇宙から見ているのは、炭素そのものではない
しきさいの正式な衛星名はGCOM-C。搭載する多波長光学放射計SGLIは、海や陸、大気から届く光を複数の波長で観測する。JAXAは、海色、植生、雲、エアロゾルなどを長期的に調べ、気候変動の仕組みの理解につなげる衛星と位置付ける。海水を採取して炭素の重さを量る装置とは、観測の仕方が異なる。[4][5]
今回使ったTSMは、衛星観測から推定される全懸濁物質の指標である。有機物に加え、土砂などの無機物も含む。その一部を構成する粒子状有機物(POM)には、生物の遺骸や破片、プランクトンなどがある。POMと、そこに含まれる炭素の量も同じものではない。[1][10]
衛星が捉えた光からTSMを推定する段階、TSMのうち有機物がどれだけあるかを調べる段階、その炭素が長く隔離されるかを確かめる段階。ブルーカーボンの評価には、この異なる問いをつなぐ必要がある。一つ目の地図が描けても、三つ目の答えまで自動的に得られるわけではない。
2023年の海を、250メートルの区画で比べる
| 項目 | 設定 | 読み方 |
|---|---|---|
| 観測年 | 2023年 | TSMの年間平均値を解析。2026年の海況速報ではない。 |
| 分析単位 | 250 mグリッド | 一つの区画に複数の水域・底質条件が含まれうる。 |
| 対象範囲 | 海岸線から1,500 m | 相模湾・駿河湾の沿岸域。湾全体の炭素収支とは異なる。 |
| 確認した関係 | 河口・海草藻場とTSM | POM濃度や炭素隔離量を直接測定した結果ではない。 |
出典:共同研究の詳細発表資料。[2]
研究は2023年の観測からTSMの年間平均値を作り、河口との距離や海草藻場の分布との関係を統計的に調べた。河口は国土数値情報の河川データと国土地理院の航空写真で確認し、藻場は環境省の自然環境保全基礎調査の記録を使った。分析は海岸線から1,500メートルの範囲を250メートルのグリッドに区切って行った。[2]
ここから得られるのは、一年間をならした空間的な傾向である。大雨直後に川から出た粒子が、何時間でどこへ届いたかを追跡した結果とは異なる。年間平均で関係が見えたことを、すべての季節や天候で同じ状態が続いたことに置き換えるべきではない。
250メートル四方は6.25ヘクタールに相当する。一つの区画の中に小さな藻場とその外側の水域が混ざることも考えられる。広域を同じ方法で比べられる利点と、細かな場所ごとの差を分けにくい制約は、同じ観測尺度の裏表である。
河口と藻場に現れた二つの傾向
両湾で見られた河口からの距離とTSMの負の関係について、研究者らは河川から供給される有機物の分布を反映している可能性を指摘する。藻場周辺の高い値については、そこで生産された有機物に加え、周囲から運ばれてきた粒子を藻場が捕捉する働きも関わると考えた。いずれも、観測された位置関係に対する解釈である。[2]
一方、土砂の流入、植物プランクトンの増加、海底の粒子が再び舞い上がる再懸濁でもTSMは上がる。今回の解析は、衛星が推定したTSMと現地のPOM濃度を直接照合したものではない。河口や藻場との関係は、有機物を探すための有望な手掛かりであって、粒子の由来を特定する証明ではない。[2]
このため、TSMが高い順に保全の成果を順位付けする使い方は早計だ。同じ値でも、有機物と鉱物粒子の割合、粒子が水中にとどまる時間、最終的に堆積する場所が違えば、炭素循環の意味は変わる。指標に期待できる仕事の範囲を定めることが、実際の活用につながる。
過去の藻場地図を使う意味と限界
藻場の分布記録には過去の調査も含まれる。研究資料は、以前に確認された場所を、現在も存在する可能性が高い場所として扱ったと説明している。過去の地図を使えば比較できる範囲は広がるが、2023年にも全地点で同じ海草が生育していたことを確認したわけではない。[2]
藻場の縮小や回復、分布の移動があれば、衛星観測と地図の時期のずれが解釈に影響する。今後の現地確認は、衛星値の検証に加え、比較対象となる生息地の情報を更新する意味も持つ。長年の調査記録の価値を生かすには、その年代を残して使うことが欠かせない。
ブルーカーボンという考え方の歩み
国土交通省は、ブルーカーボンという名称が2009年10月の国連環境計画(UNEP)の報告書で示されたと説明する。海草藻場、マングローブ林、湿地などを、炭素を取り込み蓄える生態系として捉える考え方だ。日本では海藻藻場も含めた研究や評価が進められている。海草と海藻を混同せず、今回の海草藻場の解析をすべての藻場へ広げないことも必要になる。[6]
その前の2005年には、Duarteらが海洋の植生と堆積物中の炭素埋没を評価した論文をBiogeosciencesに発表していた。同論文は、沿岸の植生が持つ役割とともに、生態系が生産する有機物のすべてがその場で埋没するわけではないことを論じている。生産、移動、分解、貯留を分けて考える必要性は、名称が広まる以前から研究されてきた。[8]
日本の政策にも、この研究分野が入ってきた。環境省は2024年4月、海草藻場と海藻藻場の吸収量を合わせて国連へ報告したと公表した。これは国全体の温室効果ガス排出・吸収量を把握する取り組みであり、今回の衛星指標がそのまま算定方法として認められたという意味ではない。[7]
海辺の炭素を社会の中で評価するほど、量の意味を明確にする必要が増す。いま水中にある炭素、一定期間に運ばれる炭素、堆積物などに蓄えられた炭素は、異なる量である。保全活動の成果を示す場合も、どの場所で、どの期間について、何が変化したかを説明できなければならない。
2017年に打ち上げた衛星を、沿岸の新しい問いに使う
しきさいは2017年12月23日に打ち上げられた。JAXAによると、SGLIは波長によって250メートルから1キロメートルの解像度を持ち、全球をおおむね2〜3日で観測する。これは全球の観測範囲に関する説明で、同じ沿岸地点で雲の影響のないデータが必ずその間隔で得られるという保証ではない。[5]
今回の研究が示す価値の一つは、蓄積された衛星観測を、海草の分布面積とは別の問いに使える可能性だ。藻場の輪郭の外にも有機物は動く。川、藻場、沖合を切り離さずに見ることで、沿岸の物質循環について調べる場所を選びやすくなる。
研究論文の著者はTakeshi Osawa、Narumasa Tsutsumida、Hideyuki Doiの3人。京都大学は情報学研究科の土居秀幸(どい・ひでゆき)教授を研究者として紹介している。埼玉大学の発表は堤田成政氏の所属を研究当時のものと明記しているため、所属の時点にも注意が要る。成果はEnvironmental Advancesに掲載され、大学発表は掲載日を8月15日としている。[1][3][9][10]
衛星と採水を、どう組み合わせるか
研究者らは次の段階として、現地でPOMの濃度や組成を測り、衛星から推定したTSMとの関係を検証する必要を挙げる。広く繰り返し見る衛星と、何が水に含まれるかを確かめる採水は、それぞれ異なる情報を持つ。両方がそろうことで、地図の明暗に生態学的な意味を与えられる。[2]
Japan.co.jpの分析では、有効な使い方は、まず衛星で特徴的な場所を絞り、現地で粒子の組成や環境条件を調べることだ。さらに季節や河川流入の条件を変えて比較すれば、関係がどこまで再現するかを確かめられる。炭素隔離の評価へ進むには、粒子の輸送先や堆積後の残り方を調べる観測も必要になる。
しきさいが提供するのは、海の炭素を一枚で数え上げる地図ではなく、その行方を調べるための広い視野である。河口の濁りや海草の周りを、単なる色の違いから検証できる問いへ変える。宇宙からの観測が沿岸保全に役立つ道は、その丁寧な積み重ねの先にある。
出典・参考資料
- 京都大学、しきさいによる沿岸域のブルーカーボン研究発表、2026年9月11日。
- 研究詳細資料、解析範囲・方法・限界、図2・3。京都大学公開。
- Osawa・Tsutsumida・Doi、Environmental Advances 25, 100747(2026)。論文DOI。
- JAXA、気候変動観測衛星しきさい(GCOM-C)、ミッション・SGLI紹介。
- JAXA、Shikisaiミッション概要、打上げ日・観測仕様(英語)。
- 国土交通省港湾局、ブルーカーボンの定義と経緯。
- 環境省、ブルーカーボン関連情報、2024年の国連報告について。
- Duarte・Middelburg・Caraco、Major role of marine vegetation on the oceanic carbon cycle、Biogeosciences 2, 1–8(2005)。
- 京都大学教育研究活動データベース、土居秀幸の氏名・読み・所属。
- 埼玉大学、共同研究発表、2026年9月11日。堤田成政の研究当時の所属を明記。
資料確認の基準日:2026年9月13日。解析の説明は大学の詳細発表資料に基づく。将来の効果は実証結果と区別し、解釈は特記のない限りJapan.co.jpによる。
