2026年10月21日論文・共同発表
AgI銀を生んだ出発物質
単純立方発見された原子配列
約60年ぶり単体元素で2例目と研究者が説明

「新しい銀」が商品化されたわけではない。極めて珍しい配列を、できる瞬間から変化するまで観察できたことが科学的な核心だ。

銀の原子が、教科書とは違う並び方をした

銀の原子は、ふつうどんな形に整列するのか。金属の結晶構造を学べば、答えは面心立方格子である。ところが北海道大学と鳥取大学の研究グループは、電子顕微鏡の中で銀原子が「単純立方構造」に並ぶ様子を捉えた。原子が立方体の頂点に位置する、いかにも単純な構造だが、単体元素の結晶として成立させるのはきわめて難しい。

2026年10月21日、北海道大学、鳥取大学、科学技術振興機構(JST)が共同発表した成果は、米国化学会誌『Nano Letters』に同日掲載された。研究の価値は、珍しい構造を写真に収めたことだけではない。原子が安定した並びへ落ち着く前の、生成の途中を観察できた点にある。

面心立方と単純立方――何が違うのか

銀、銅、金などの金属でよく見られる面心立方(FCC)構造では、立方体の八つの頂点に加えて六つの面の中央にも原子が配置される。原子同士が効率よく密集し、比較的安定した結晶をつくる。

今回の単純立方(SC)構造は、立方体の頂点を基本とする配列で、面の中央に原子はない。この規則正しい形は図に描きやすい反面、単体元素にとってはエネルギー面で不利になりやすい。研究論文は、従来、元素単体で単純立方構造が確認されていたのはポロニウムだけと記している。約60年ぶりの2例目という表現は、研究グループのこの分類と先行研究に基づく。

電子顕微鏡が観察装置から反応装置になった

研究者が出発物質に選んだのは、金属銀ではなくヨウ化銀(AgI)だった。高分解能透過電子顕微鏡(TEM)の内部でヨウ化銀に電子線を照射すると、電子線による分解反応で銀が生成する。その瞬間から、ナノ粒子の原子配列と変化を連続して追った。

銀を加熱して融かし、冷却して結晶化させる通常の工程とは異なる。融点よりはるかに低い温度で、平衡状態から離れた反応経路を使うことで、常識的には残りにくい構造を一時的に形成させた。つまり「顕微鏡で珍しい結晶を偶然見つけた」のではなく、「電子線で結晶をつくりながら、その誕生を原子レベルで見届けた」実験である。

重要だったのは出発物質の相

論文によれば単純立方銀の生成は、ヨウ化銀ならどんな結晶からでも起こるわけではない。準安定なγ-AgI(ガンマ相)から選択的に生じ、出発物質の多形によって結果が大きく異なった。

研究者は分子動力学シミュレーションと第一原理計算を用い、なぜその構造が生じたのかも検討した。孤立した銀結晶として単純立方構造が最も安定という結論ではない。ナノサイズの粒子で大きな役割を持つ表面・界面の効果と、反応途中の速度論的条件が、観測された配置の維持に関わった可能性が示された。

珍しいから優秀、ではない

実験でできた単純立方銀は、普通の面心立方銀より化学反応性が高かった。研究論文では、通常の銀が安定する高真空の条件でも、この銀ナノ粒子が次第に酸化銀へ変わっていく様子を報告した。

これは科学的にはきわめて興味深いが、実用品として寿命が長いことを意味しない。逆に、高い反応性は扱いにくさにもつながり得る。触媒やセンサーなどへの可能性を論じるなら、反応条件、必要な量、保存安定性、再現性といった課題を別途確かめなければならない。今回の論文は、商用半導体部品や新しい銀製品の発表ではない。

結晶を「育てる」科学の歴史

結晶学の大きな転機は20世紀初頭にあった。X線回折によって、肉眼には見えない原子の規則性を間接的に測定できるようになり、金属や鉱物の性質を理解する基礎が整った。その後、電子顕微鏡の発展でナノメートル規模の観察が進み、原子の並びを直接画像から評価する研究も広がった。

従来の結晶探索では、熱力学的に安定した構造を得ることが中心となりがちだった。しかし実際の材料形成は、急冷、蒸着、照射、化学反応などによって安定状態から外れる。非平衡の一瞬に生じる構造を捕まえることは、物性研究に新たな選択肢を与える。

日本の研究チームが担った仕事

共同発表で研究者として示されたのは、北海道大学低温科学研究所の榊原雅也博士、山﨑智也准教授、木村勇気教授、鳥取大学の灘浩樹教授、北海道大学の國貞雄治准教授。論文には英語表記で Masaya Sakakibara、Hiroki Nada、Yuji Kunisada、Tomoya Yamazaki、Yuki Kimura の5人が著者として並ぶ。

観察と理論計算を組み合わせ、実際の原子配列、化学的な変化、構造が現れる条件を照らし合わせた点が特徴だ。研究はJSTの戦略的創造研究推進事業ACT-Xによる支援を受けた。大学や研究機関が発表した成果のため、今後の評価には独立した再現実験と別条件での比較が重要になる。

半導体やAIとの距離はどれほどか

原子配列が材料の性質を変えることは、電子材料や触媒の開発を考えるうえで基本的な発想だ。特にデバイスが小さくなるほど、粒子の表面や材料同士の境界が振る舞いに大きな影響を及ぼす。こうした意味で、非平衡構造を観察し制御する手法には幅広い研究価値がある。

ただし、ここから直ちに「AI半導体を高速化」「次世代電池が完成」と結び付けることはできない。電子線照射によって作られた少量の銀ナノ結晶についての成果を、大面積・大量生産の製造技術に拡張するには、原理的にも工学的にも多くの検証が必要だ。産業利用の道筋は現時点では未確立である。

「作れない」と思われた構造を追う

科学の発見は、珍しい形に名前を付けて終わるものではない。なぜそれが生じたのか、どう変化するのか、ほかの物質でも同じ方法が使えるのか。今回の銀結晶は、これらの問いを同時に生み出した。

普通の銀なら安定な場所で、未知の配列をとった銀は自ら酸化していく。その短い時間を連続して捉えることができたからこそ、研究者は新しい材料探索の入口を示せた。次の価値は、珍しい原子配列を繰り返し作れるか、そしてその性質を目的に合わせて使えるかを確かめる研究にかかっている。

出典・参考資料

一次資料と原著論文の公開情報に基づく。研究者への独自インタビューは実施していない。実用化の見通しは未確定。

  1. 科学技術振興機構・北海道大学・鳥取大学 共同発表(2026年10月21日)
  2. 北海道大学:研究発表、研究者の氏名と所属
  3. Nano Letters 原著論文:Electron-Beam-Assisted Formation of Simple-Cubic Silver