日本のエネルギー安全保障は、しばしば数字で語られる。備蓄は何日分か。原油の何割を中東に頼るのか。電源構成のうち化石燃料はどれほどか。だが本当の姿は、もっと地理的で、もっと心細い。ペルシャ湾からオマーン湾へ抜ける細い海峡を、大型タンカーが一隻ずつ通る。その先に、日本の発電所、製油所、航空燃料、プラスチック原料、工場、物流、家庭の電気料金がある。

首相は6月11日、原油供給について2028年3月末まで安定的に確保したと説明した。米国などからの代替調達と備蓄放出によって、当面の不足を避ける道筋を示した形である。だが、その発表は危機の終わりではなく、日本がどれほど遠くの海に依存しているかを改めて見せた。

94%2025年の日本の原油輸入に占めた中東依存度。
93%中東からの原油輸入のうちホルムズ海峡を通った割合。
201日分2026年6月8日時点で日本が保有していた石油備蓄量。
約5分の1ホルムズ海峡を通る世界の石油・液化天然ガス供給の規模。

「確保した」という言葉の重さ

政府が供給確保を強調したのは、安心を演出するためだけではない。市場、企業、電力会社、航空会社、製油所、物流会社、そして家計に対して、「次に何が起きても直ちに止まるわけではない」と示す必要があったからだ。エネルギー危機で最も危険なのは、実際の不足だけではない。人々が不足を恐れて先に買い、企業が操業計画を縮め、市場が価格を過剰に織り込むことも危機を深める。

しかし、供給確保は魔法ではない。備蓄は有限であり、代替調達は高く、時間もかかる。米国産原油を増やせばよいという話でもない。日本の製油所は長く中東産原油を前提に最適化されてきた。原油には性質があり、重さ、硫黄分、精製しやすさ、製品の取り分が違う。産地を変えることは、単に船を別の港に向ける以上の意味を持つ。

日本の石油危機は、タンカーの不足だけではない。製油所、備蓄、為替、外交、保険、海上安全が同時に試される総合危機である。

ホルムズ海峡とは何か

ホルムズ海峡は、アラビア半島とイランの間にある狭い海上通路である。ペルシャ湾とオマーン湾、そしてアラビア海を結ぶ。サウジアラビア、アラブ首長国連邦、クウェート、カタール、イラク、バーレーン、イランの石油とガスが世界へ出ていく主要な出口であり、代替できる道は限られる。

国際エネルギー機関によれば、2025年には世界の海上石油貿易のおよそ4分の1がこの海峡を通った。さらに液化天然ガスも大量に通過し、カタールやアラブ首長国連邦の液化天然ガス輸出の大半がこの水路に依存した。海峡を通る石油とガスの多くはアジアに向かう。つまり、ホルムズは中東の問題であると同時に、アジアの生活問題でもある。

日本の脆さは「中東依存」だけではない

日本の原油輸入における中東依存は極めて高い。だが、問題は単なる地域依存ではない。依存の形が一本の海路に集中していることが問題である。原油を多く買っている国が複数あっても、船が同じ海峡を通るなら、地理的リスクは分散されない。

しかも、ホルムズ海峡を通るのは原油だけではない。液化天然ガス、アルミニウム、尿素、アンモニア、リン酸塩、硫黄などもこの地域の海上交通に関わる。これらは発電、肥料、食品価格、建設、電池、精製、化学工業に波及する。海峡の危機は、ガソリンスタンドだけでなく、農地、工場、建設現場、家庭の電気料金に届く。

備蓄は盾であって、解決策ではない

日本は世界有数の石油備蓄を持つ。米国エネルギー情報局は、2025年末時点で日本が政府保有として2億6300万バレルの戦略的石油在庫を持ち、中国、米国に次ぐ規模だと推計した。さらに日本の制度では民間にも一定の備蓄が求められる。備蓄は日本の強みである。

だが、備蓄は時間を買う仕組みであり、供給構造そのものを変える仕組みではない。危機が短ければ効果は大きい。危機が長引けば、備蓄は減り、市場は次の不足を織り込み、政府は追加放出の時期と規模に悩む。備蓄を使えば安心が増す一方で、残りの備蓄が減るという新たな不安も生まれる。

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米国産原油という現実的な迂回路

政府は、米国からの輸入を大きく増やす見通しを示した。これは地理的にも政治的にも自然な選択である。米国は同盟国であり、石油生産国でもある。中東危機のなかで、日本が米国産原油を増やすのは、単なる商取引ではなく、同盟とエネルギー安全保障を重ねた判断である。

ただし、米国産原油にも制約がある。船の距離は長い。輸送費はかかる。原油の性質も異なる。日本の製油所が中東産原油を前提に運転してきた以上、すべてをすぐに置き換えることはできない。代替調達は必要だが、万能ではない。

製油所という見えない前線

エネルギー安全保障を考えるとき、タンカーや海峡に目が行きがちだ。しかし本当の前線は、国内の製油所にもある。原油はそのまま使えない。ガソリン、軽油、灯油、ジェット燃料、重油、ナフサ、潤滑油、化学原料へ分け、処理し、品質を整える必要がある。

原油の産地が変われば、精製の条件も変わる。中東産の特性に合わせてきた設備に、米国産、南米産、アラスカ産、あるいは制裁例外のロシア産をどう混ぜるのか。これは技術判断であり、経済判断であり、政治判断でもある。日本のエネルギー安全保障は、霞が関だけでなく、製油所の制御室にもかかっている。

液化天然ガスと電気料金

日本の家庭にとって、ホルムズ危機はガソリン価格だけの話ではない。液化天然ガスの調達不安は、発電コストに影響する。日本は電力の多くを火力に頼り、天然ガス火力は安定供給の重要な柱である。液化天然ガスの全量がホルムズを通るわけではないが、カタールなど湾岸産ガスへの不安は市場全体の価格を揺らす。

電気料金は、家庭の可処分所得を削るだけでなく、中小企業、冷蔵倉庫、食品加工、データセンター、鉄道、病院にも影響する。エネルギー価格の上昇は、ほぼすべての価格に薄く広がる。だからホルムズ海峡は、東京の家計簿にも現れる。

原発、再エネ、石炭、そして現実

危機が起きるたびに、日本では原子力、再生可能エネルギー、石炭火力、天然ガスの議論が再燃する。中東依存を下げるには、輸入原油を減らすしかない。発電部門では再生可能エネルギーと原子力の比率を高めることが、化石燃料依存を下げる道になる。交通部門では電動化、省エネ、公共交通、合成燃料などが関わる。

しかし現実は単純ではない。原子力には安全審査と地域合意がある。再生可能エネルギーには系統、蓄電、立地、出力変動の課題がある。石炭は安定供給に強いが、脱炭素と衝突する。天然ガスは石炭より低炭素だが、輸入燃料である。日本のエネルギー政策は、理想ではなく制約の組み合わせとして動く。

今後の注目点
  • ホルムズ海峡の安全確認と機雷除去の進展
  • 日本関係船舶の運航再開時期
  • 米国産原油など代替調達の継続性と価格
  • 石油備蓄の残日数と追加放出の判断
  • 電気料金、航空運賃、物流費への波及
  • 中東依存を下げるための製油所改修と長期投資

安全な海は、ただではない

日本は島国である。食料、燃料、原材料、部品、製品の多くが船で動く。海上交通の自由は、日本にとって抽象的な外交理念ではなく、日々の生活条件である。だから首相が主要国会議で安全な航行を訴えることは、外交儀礼ではない。日本経済の血流を守る行為である。

だが、安全な海は、ただでは維持されない。海上保険、護衛、国際合意、港湾、備蓄、代替航路、エネルギー転換。そのすべてに費用がかかる。日本が直面しているのは、安いエネルギーを買う時代から、エネルギーの安全を設計する時代への移行である。

ホルムズは遠い。だからこそ近い

地図で見れば、ホルムズ海峡は日本から遠い。だが、価格で見れば近い。電気料金で見れば近い。ガソリン価格で見れば近い。航空運賃、肥料、食品、工場の操業計画で見れば、さらに近い。

政府が供給を確保したというニュースは重要である。しかし、そこから読むべき本当の物語は、危機を一度しのいだことではない。日本がどのような国で、どのような海に依存し、どのように次の危機へ備えるのかという問いである。ホルムズ海峡は、遠い海ではない。日本のエネルギー生命線そのものである。

出典・参考

この特集は、ロイター、国際エネルギー機関、米国エネルギー情報局、経済産業省関連資料、資源エネルギー庁資料などの公開情報をもとに構成した。