医療費の差は明らかになった。しかし「国会の仕事が病気を生んだ」とまでは言えない。
「同じ霞が関」で医療費が倍以上違った
国家行政の中枢、霞が関。政策を支える職員の外来医療費が、所属府省によって大きく異なることが、診療報酬明細書を使った研究で明らかになった。京都大学などの研究グループが2026年10月23日に紹介した分析では、外務省の職員1人当たり月額2,374円に対し、厚生労働省は5,125円。性別と年齢の構成を調整しても、約2.16倍の開きがあった。ただし、これは職員個人の健康状態を直接比較した結果ではない。省庁の仕事ぶりを順位付けする研究でもない。
研究はいつ、誰が、何を調べたのか
論文名は「Parliamentary workload and outpatient medical costs among Japanese national civil servants: An ecological study in Kasumigaseki」。2026年10月11日に『Scandinavian Journal of Work, Environment & Health』にオンライン掲載され、大学は同月23日に発表した。著者は慶應義塾大学の佐藤豪竜氏を筆頭に、横浜市立大学の加藤浩貴氏、京都大学の井上浩輔氏・近藤尚己氏、米ハーバード大学の川地一朗氏。医学、社会疫学、政策研究が交わる学際的な分析だ。
対象は10府省、2016~2023年の「4月」
対象は霞が関にある10府省の本府省で働く18~50歳の国家公務員。研究は2016~2023年の各年4月に審査された外来診療のレセプト6,454件を分析した。入院を含む総医療費でも、1年間を通じた全診療でもない。数字は性・年齢構成を調整した職員1人当たりの月額外来医療費の推計値で、利用件数と1件当たりの費用を区別して検討した。限定された観察窓を持つ指標であることは、結果の解釈に欠かせない。
省庁別の違いから見えてきたもの
外務省の2,374円、厚生労働省の5,125円という両端の値は分かりやすい。しかし職員の生活習慣、業務内容、受診へのアクセス、職種構成、健康上の事情など、費用に作用しうる条件はさまざまだ。研究チームは傷病分類ごとの寄与も分析し、厚生労働省では精神および行動の障害の費用が平均を上回る主要な要素だったと報告した。これをもって特定の職員が精神疾患にある、あるいは職場がその疾患を引き起こした、と断定することはできない。
国会の審議時間と医療費の「関係」
研究者は各府省の政策領域に対応する国会の常任委員会の年間審議時間を、各府省の対象職員数で割り、国会対応業務の負担を示す代理指標とした。前年の審議時間が職員1人当たり1%長い府省ほど、調整後の外来医療費が0.25%高いという統計的関連が観察された。推定値の95%信頼区間は0.04~0.46%で、関係は医療費の単価より受診件数の違いによって説明された。この「1%」は各職員の実際の残業が1%増えたという意味ではない。
因果関係を示した研究ではない
重要なのは「生態学的研究」という手法上の限界だ。研究は個人ごとの国会答弁作業時間と、その人の通院を結び付けて追跡したわけではない。府省単位の関連から個々の職員に原因を割り当てれば「生態学的誤謬」に陥る。国会審議の長さは業務負担全体の完全な測定値ではなく、未測定の要因が残る可能性もある。外来医療費が高いこと自体、単純に健康状態の悪さを意味するとは限らない。必要な診療を受けられていることの表れでもありうる。
なぜ「国会対応」が焦点なのか
予算や法案の審議では、国会議員からの質問に各府省が答弁資料を用意する。関係部局の確認、資料の照合、省内の調整などが発生し、勤務時間外に作業が及ぶ場合もある。研究が問題にしているのは国会審議そのものの価値ではなく、民主的な説明責任を支える仕事が職員の健康とどう両立できるか、という制度設計だ。議会への説明を減らすのではなく、準備の時間配分、情報共有、人員配置を改善できるかが問われる。
働き方改革の制度史と例外
日本の国家公務員は民間企業と同じ形で労働基準法の労働時間規制を適用されるわけではない。人事院規則などによって超過勤務を管理し、原則として月45時間・年360時間とする上限が設定されているが、他律的業務の比重が高い部署には別の扱いがある。人事院は2019年の制度整備後も超過勤務の実態調査を続け、国会対応業務について府省へのアンケートを実施してきた。政府の内閣人事局も、質問通告の早期化や答弁作成の効率化を課題として挙げている。
「医療費を減らせば成功」ではない
医療費の抑制だけを成果指標にすれば、受診を控えることが見かけ上の改善になってしまう。真に必要なのは、健康上の問題の早期発見、十分な休養、相談しやすい職場、そして仕事の質と公的サービスの持続可能性を一緒に考えることだ。研究者が示したのは、こうした議論を省庁の枠を超えてデータで始めるための手掛かりといえる。
次に調べるべきこと
今後は実際の勤務時間、質問通告から答弁作成までの時間、部署の人員、病気による休業、医療機関へのアクセスなどを含む追跡的な検証が必要だろう。健康情報の守秘を徹底しながら、負担が集中する現場へ支援を届けることも重要になる。霞が関の数字が映すのは、役所の「良し悪し」ではない。行政を担う人々の働き方を、証拠に基づいて考え直す機会である。
出典・確認資料
大学発表と査読論文、政府資料を照合。取材対象者・研究者への独自インタビューは行っていない。
