一枚の県地図に、二つの時間が流れている
金華山の岐阜城から長良川を見下ろすと、川の向こうに市街地が広がる。工場、住宅、橋、交通網。その景色だけを見れば、岐阜県は名古屋都市圏とつながる工業県に見える。しかし北へ向かい、山が幾重にも重なる飛騨に入ると、町と町の距離も暮らしの尺度も変わる。白川郷の合掌造りと高山の町家を同じ「岐阜」と呼ぶのは、自然が似ているからではない。歴史の中で境界が引かれ、行政と暮らしが折り合いをつけてきたからだ。
2026年は、飛騨と美濃がほぼ現在の岐阜県という枠組みで結ばれて150年に当たる。この節目に県の姿を知るには、名所や偉人の名前だけでは足りない。人口が減る一方で世帯は増え、外国から移り住んだ人々が工場や学校で暮らしを築く。歴史ある景観をどう保存し、そこに住む人の生活をどう支えるか。岐阜は日本全体の問いを凝縮している。
「岐阜」が生まれた1567年と、県境ができた1876年
戦国時代、稲葉山城を拠点とした斎藤氏の勢力を破り、1567年に美濃へ入ったのが織田信長である。岐阜市の記録によれば、信長は稲葉山城を「岐阜城」、井ノ口と呼ばれた町を「岐阜」と改めた。信長は尾張の出身であり、岐阜県で生まれた人物ではない。だが天下統一へ進む政治・軍事の拠点を、この地につくったことが重要だ。
明治の府県制度は別の物語を持つ。1871年、旧美濃の藩県などが統合され岐阜県が成立する一方、飛騨は高山県を経て筑摩県に属した。1876年8月21日、筑摩県の廃止に伴って飛騨三郡が岐阜県へ編入され、県域はおおむね現在の形となった。つまり2026年は「岐阜県創設150周年」ではなく「飛騨・美濃合併150年」である。県の公式沿革は、その後の境界変更や2005年の旧長野県山口村の中津川市への編入も記している。
さらに古い歴史へ戻れば、東西の交通が交差する関ケ原、江戸と京都を結ぶ中山道、美濃の城下町と飛騨の山道がある。県境は政治が決めても、人と物の往来はその以前から続いた。現代の岐阜を理解する鍵は、「古くから一つだった」という物語ではなく、違いを抱えた地域が一つの県となった過程にある。
Sources / 出典: 岐阜県|県の成り立ちと飛騨・美濃 · 岐阜市|岐阜城の歴代城主・織田信長
人口187万人――減る人、増える世帯
岐阜県統計課が2026年10月9日に公表した9月1日現在の推計人口は187万3,870人、世帯数は80万1,161世帯だった。1カ月で人口は1,098人減る一方、世帯は269増えた。単身世帯の増加や世帯の小規模化を示唆する動きだが、その月の数字だけで原因を一つに決めつけることはできない。
2025年国勢調査確定値は188万9,576人で、2020年に比べ4.5%減った。県の2025年年間人口動態では自然減が1万6,753人、社会増が874人。出生数と死亡数の差による減少が大きく、転入超過だけでは補えない構図だった。
月ごとの数値は地域によって異なる。2026年8月中、岐阜市は190人減、多治見市は86人減、土岐市は71人減った。一方で岐南町など増加した自治体もあった。県平均を示す一つの数字で、工場の集まる地域も山間の集落も同じ未来だと考えるべきではない。
Sources / 出典: 岐阜県統計課|2026年9月1日人口推計 · 岐阜県統計課|2025年国勢調査確定値・人口動態
高齢化は、観光地の外側にある暮らしを変える
岐阜県の高齢化データは、2025年4月1日時点で65歳以上が約59万1千人、人口比31.1%と示す。年次や推計方法が異なる数値を単純に並べることは避けたいが、3人にほぼ1人が高齢者という現実は明瞭だ。
高齢化の課題は医療や介護だけではない。坂道の多い集落から診療所へ行く交通、免許を返納した後の買い物、雪の日の道路維持、農地と森林の手入れ、祭礼の担い手。高山の観光客が増えても、近隣の山村に住む高齢者の足が確保されるとは限らない。人口を維持するために何をするかだけでなく、人口が減っても尊厳ある暮らしを続けられるかが問われる。
外国人住民は「労働力」ではなく、県民である
県が公表する出入国在留管理庁統計では、2025年6月末の県内在留外国人数は7万7,301人。フィリピン、ベトナム、ブラジル、中国、インドネシアなど出身国は多様だ。人口比は集計時点の異なる数値を用いた参考比較では約4%に相当する。県は2025年末の統計資料も公開しているが、年次と定義をそろえないまま外国人労働者数と混同してはいけない。
県内では美濃加茂、可児、大垣、岐阜などに多様なコミュニティーがある。製造業の人手を支えるという説明は重要だが、そこで止まってしまえば学校に通う子ども、地域の会合、医療通訳、住宅、災害情報、日本語教育といった生活の側面が見えなくなる。岐阜の人口を語るとき、外国人住民を「外から来た働き手」としてではなく、県の将来をともにつくる住民として扱う必要がある。
Sources / 出典: 岐阜県|在留外国人数・市町村別統計
南の美濃、北の飛騨――異なる経済を結ぶ
美濃の南部は濃尾平野の交通網を通じて名古屋圏と深く結びつく。県の製造業統計では、2023年の製造品出荷額等は6兆7,202億円で、輸送用機械が18.0%、生産用機械を含む機械産業も大きな割合を占めた。数字は製造業の集計であり県内総生産と同じではない。伝統の刃物、陶磁器、和紙、木工から自動車・航空機部品まで、製品の種類は幅広い。
関市の刃物産業は、鎌倉期に始まったとされる刀鍛冶の技術を現代の包丁や工具に結びつけてきた。東濃の多治見、土岐、瑞浪は、美濃焼と窯業を支える。大垣には物流や産業の拠点があり、中津川は中山道の歴史と現在の工業が並ぶ。
一方の飛騨では、山地の自然資源、林業、農業、飛騨牛などの食、宿泊・観光、木工と家具が大きな役割を持つ。ひとくくりに「観光の北、工場の南」とするのは簡単だが、北にも工場と生活産業があり、南にも農業と歴史的な町がある。両地域の相違は分断ではなく、県経済の多面性である。
Sources / 出典: 岐阜県|統計からみた岐阜県の特徴やじまん · 関市|関鍛冶と刃物の700年
岐阜に結びつく人々――出生地と足跡を分ける
織田信長(1534~1582)は尾張で生まれ、美濃を攻略して岐阜城を天下統一の拠点とした。「岐阜の偉人」ではあるが「岐阜県出身」と書くのは不正確だ。明智光秀(生年には諸説、1582年没)も美濃との関係を語る史跡・伝承が多い一方、出生地や前半生には諸説あり、特定の城を断定的な生誕地とはしない。
前田青邨(1885~1977)は中津川に生まれ、近代日本画の歴史画を大きく発展させた。鎧や人物の描写に宿る精密さは、古い時代を単なる懐古ではなく、現代の視覚表現へ変える仕事だった。島崎藤村(1872~1943)は現在の中津川市馬籠に生まれ、中山道の宿場町と近代日本の変化を文学に刻んだ。
外交官の杉原千畝(1900~1986)は、第二次世界大戦中にリトアニアで避難民のための通過査証発給に尽力した。岐阜との縁は確かだが、出生地の細部は資料間で一致しない。八百津町は町で生まれ育ったという伝承・本人の記述を紹介する一方、杉原千畝記念財団は公文書に基づいて現在の美濃市とする。したがって「八百津生まれ」と一語で確定させず、両説と根拠を読者に示す。
世界遺産・白川郷――観光の名所と暮らす家
白川村荻町の合掌造り集落は、富山県の五箇山とともに1995年、ユネスコ世界遺産に登録された。急勾配の茅葺き屋根は、雪国の気候と養蚕などの暮らしに適応してきた建築の知恵を伝える。文化財の価値は屋根の形だけでなく、修理や防火を担う住民の共同作業にある。
世界遺産の写真が広く共有される一方、観光が生活空間の負担にならないかという問いは続く。白川郷は「自由に撮影できる舞台セット」ではない。人が暮らす村であり、住宅・道・畑への敬意を欠けば、守ろうとする景観そのものを傷つける。
Sources / 出典: ユネスコ世界遺産センター|白川郷・五箇山
歩いて知る岐阜――高山、郡上、馬籠、長良川
飛騨高山の古い町並みは、江戸期の商家の面影と今の商いが同居する場所だ。高山陣屋はかつての代官・郡代所の建物を伝え、町家群は重要伝統的建造物群保存地区に選ばれている。建物が残る理由には、旅人の視線だけでなく地元の所有者の維持管理がある。
郡上八幡では水路と町並み、郡上おどりが「水のまち」の時間をつくる。岐阜市の長良川では鵜飼が川と人の営みを結ぶ。中津川の馬籠宿は石畳の坂道で知られ、島崎藤村の記念館が宿場を近代文学の入口へ変える。
関ケ原の古戦場では1600年の天下分け目の戦いを地形から読み、関の鍛冶伝承館では素材と道具の技を知る。東濃の窯場に足を運べば、器の手触りから全国の食卓へ続く産業が見える。岐阜の名所を巡るとは、異なる仕事と歴史の現場を訪ねることでもある。
Sources / 出典: 高山市|飛騨高山の観光と歴史的町並み · 中津川市|馬籠宿と藤村記念館
保存するのは景色だけではない――次の150年へ
少子高齢化が進む県内では、学校や病院の集約、公共交通の維持、観光と住環境の調整、豪雨・土砂災害・積雪への備え、産業人材の育成といった課題が別々に存在するわけではない。人口が減れば技術の継承者が減り、観光が盛んでも働き手の住まいが不足すれば地域は疲弊する。森林や川の手入れは景観だけでなく防災にもつながる。
1876年、明治政府は行政区の線を引き直した。2026年の岐阜が問われるのは、線の内側に暮らす人が、遠い集落でも、別の言語を話す家庭でも、地域に根を張れるかどうかだ。信長の城も白川郷の屋根も歴史の入口にすぎない。その先にある日常を伝えることが、150年目の岐阜を取材する意味である。
出典と検証方法
行政・自治体・ユネスコの一次資料を優先。杉原千畝の出生地は資料間で異なるため、一説を確定事実とはしない。人口・高齢化・在留外国人の統計は基準日が異なることを明記した。
- 岐阜県統計課|2026年9月1日人口推計
- 岐阜県統計課|2025年国勢調査確定値・人口動態
- 岐阜県|県の成り立ちと飛騨・美濃
- 岐阜市|岐阜城の歴代城主・織田信長
- 岐阜県|長寿社会ぎふ DATA(高齢化統計)
- 岐阜県|在留外国人数・市町村別統計
- 岐阜県|統計からみた岐阜県の特徴やじまん
- ユネスコ世界遺産センター|白川郷・五箇山
- 関市|関鍛冶と刃物の700年
- 中津川市|馬籠宿と藤村記念館
- 高山市|飛騨高山の観光と歴史的町並み
- 杉原千畝記念財団|美濃市の出生記録
- 八百津町|杉原千畝の関連年表
- 八百津町議会記録|杉原千畝の出生地をめぐる見解
- JAPAN.co.jp|前田青邨・中津川から近代日本画へ
- JAPAN.co.jp|飛騨・美濃合併150年の史料解説
