「ミューズ」と呼ばれた女性たちの姿
女性の姿は、時代の美意識を映す鏡である。だが、絵に描かれた人が何を思い、どんな暮らしをしていたかは、完成した画面だけでは分からない。京都・衣笠の京都府立堂本印象美術館で10月15日に始まる開館60周年記念の特別企画展Ⅱ「モデルになったミューズたち」は、堂本印象が十代から晩年まで描いた女性像の変遷を通じて、画家の歩みと、絵を見る私たち自身のまなざしを問い直す機会になる。
印象(1891~1975年)は、伝統的な日本画から社会風俗画、さらに抽象表現へと姿を変え続けた。展覧会は12月20日まで。主催者によると、初公開となる作品も含まれる。開幕日の午前9時30分から10時頃には館内で記念式典を予定しており、鑑賞予定の人は留意したい。
京都の生活を描いた少年時代
堂本印象は1891(明治24)年、京都に生まれ、本名を三之助といった。京都府立堂本印象美術館の略歴によると、1910年に京都市立美術工芸学校を卒業し、三越の図案部に関わった後、西陣の龍村平藏の工房などで織物の図案制作に従事した。生活を支える仕事と美術への志は、はじめから別々のものではなかった。
今回の展覧会が取り上げる十代の「コマ絵」は、画家の若い眼差しを伝える。華やかな大作以前から、身の回りで生き働く女性を観察していたのである。大正期に入ると花街の女性たちにも目を向けた。ただし、展示が「モデル」と呼ぶ人物全員の実名、生活史、制作時の関係が解明されたと受け取るべきではない。女性を「ミューズ」と名付けるのは展示側の解釈であり、本人の声に置き換えることはできない。
図案家から帝展の人気画家へ
27歳となる1918年、印象は京都市立絵画専門学校に入学した。翌1919年の第1回帝国美術院展覧会(帝展)には《深草》が入選し、1921年の《調鞠図》は特選、1925年の《華厳》は帝国美術院賞を受けた。京都の美術教育と官展を舞台に、短期間で存在感を高めた経歴である。
1910年代から20年代にかけ、日本画家に求められる表現は一様ではなかった。古典を参照する人物表現と都市生活の新しい感覚が並走するなか、印象は素材や色彩、構図を自在に組み直した。西陣で培った図案的な目は、衣装、線、画面の装飾的な律動を読み解く一つの手掛かりとなる。ただし、その因果関係は作例を比較して考えるべき美術史上の解釈だ。
《木華開耶媛》が示す理想像
印象は1929年、第10回帝展に《木華開耶媛》(このはなさくやひめ)を出品した。日本神話に登場する女神を題材とするこの作品は、特定の女性の肖像というより、物語や象徴を通じて構築した女性像を考えるうえで重要だ。今回の展覧会案内も代表例の一つとして挙げている。
実在のモデルに触発された作品と、神話の存在を描く作品では、「女性を表現する」方法が異なる。顔や身振りを誰のものとして見るか、神話的な美と当時の社会的な美意識がどう重なるか。展覧会の豊かさは、これらを一つの型に押し込めず、作品ごとの距離を測れるところにある。
《桜狩》から雑誌の表紙まで
共催者の京都新聞が紹介する主な作例には、《桜狩》(1928年、京都府立堂本印象美術館蔵)、《美人》(1934年、『婦人公論』表紙絵原画、個人蔵)、《椅子による二人》(1949年、同美術館蔵)がある。三作品だけでも、花や装いをめぐる表現、印刷媒体と結びつく女性像、戦後の人物表現という異なる文脈が浮かぶ。
《美人》が雑誌の表紙絵原画であることは見逃せない。絵画は美術館の壁だけに存在したわけではなく、出版文化を介して家庭や都市の読者に届いた。画家の女性像がどのような読者を想定して流通したかを問うことは、作品の外に広がるメディア史を読むことでもある。
戦争を挟んで変わる画面
印象は1930年代に後進の育成に力を注ぎ、1944年には帝室技芸員となった。戦後は従来の歴史・宗教画だけではない社会風俗的な主題にも取り組んだ。1949年の《椅子による二人》は、その変化を考えるための具体的な手掛かりとなる。
その後、1952年の欧州旅行を経て、1955年以降は抽象表現へと踏み込んだ。人物の写実と抽象画を単純な「進歩」の一列に並べる必要はない。むしろ画家が何を残し、何を省き、何を新しく獲得しようとしたかを追うことで、女性という主題を長く抱えながら変わっていった表現の意味が見えてくる。1961年には文化勲章を受章している。
自ら建てた美術館が60年を迎える
印象は1966年、自邸の隣に堂本美術館を開館した。建物の外観から内装まで自ら設計・意匠を手掛けたと美術館は説明している。作品を収蔵する箱そのものにも、画家の美意識が及んだ。1991年に作品とともに京都府へ寄贈され、1992年から京都府立堂本印象美術館として公開されている。
開館60周年の本年は、夏に建物の誕生を振り返る「印象、美術館をつくる」が開催された。秋の「モデルになったミューズたち」は、一人の作家が女性像をどう見続けたのかに焦点を絞る。収蔵品の見せ方自体を刷新する試みでもあり、昨年の没後50年回顧展とは異なる主題を持つ。
美術館の庭に、現代の「ミューズ」が生まれる
10月15~18日には、庭園とエントランスで第8回野外いけばな展「私の印象とそれぞれのミューズ」も開かれる。京都府によると、若手華道家10人が19作品を展示し、入場は無料。開幕日の午前中には生け込みの様子も見られる予定だ。絵画展の主題を、現代の花の表現へとつなぐ企画である。
さらに美術館が案内する「山のアトリエ」は、10月18日と11月22日に期日限定で公開予定。昨年、国の登録有形文化財となった建物の改修を経た公開という。作品だけでなく制作の場に目を向ければ、画家の創造を支えた物理的な環境にも思いを巡らせられる。
「誰が描いたか」だけで終わらせない
美術史はしばしば才能ある画家の名前を中心に語られる。だが、モデルの存在は作品の成立に不可欠なことがある一方、彼女たちの記録が十分に残されているとは限らない。会場で作品に向き合うときは、印象の技法を楽しむことと、描かれた女性を単なる装飾として見ないことを両立させたい。
会期は10月15日から12月20日、午前9時30分~午後5時(入館は午後4時30分まで)。一般600円、高校・大学生450円、65歳以上300円。月曜休館だが11月23日は開館し、翌24日は休館する。11月3日と28日には学芸員のギャラリートークも予定されている。作品の細部を確かめながら、描く人と描かれる人のあいだにある、長い時間の距離を見つめたい。
出典・参考資料
- 京都府立堂本印象美術館:展覧会公式案内
- 京都府立堂本印象美術館:作家略歴
- 京都府立堂本印象美術館:印象の画業
- 京都新聞:展覧会概要・作品例
- 京都府:野外いけばな展
- 京都国立近代美術館:2025年回顧展
- 京都府立堂本印象美術館:美術館開館の歴史
資料確認:2026年10月13日。展覧会は10月15日開幕予定。
