約7000万年前の北極海沿岸の冬を想像してほしい。太陽はやはり沈んだままだ。暗闇は何週間も、何カ月も続き、大陸がどれほど動いても天文学の法則は変わらない。だが、そこは現代の衛星写真に映る白い砂漠ではなかった。川が氾濫原を流れ、針葉樹と広葉樹の森が広がる。現在なら永久凍土に閉ざされる緯度で、ハドロサウルス類、角竜、小型の羽毛恐竜が骨や足跡、繁殖の証拠を残した。

この世界は何世代にもわたり、気候科学に厳しい試験を課してきた。岩石と化石は、白亜紀後期の極域が現在よりはるかに暖かかったと語る。一方、多くの数値モデルは、妥当と考えられる温室効果ガス濃度を与えても、北極を冷たく計算しすぎたり、赤道と極の温度差を急にしすぎたりした。地質学的な温度計の読み方が違うのか、モデルに増幅装置が欠けているのか、それとも実験が古代地球の「動く部品」を固定してしまっていたのか。

7月22日付の科学誌『Geophysical Research Letters』にオンライン掲載された研究は、その動く部品の一つを突き止めた。東京科学大学地球生命研究所の樋口太郎研究員、東京大学大気海洋研究所の阿部彩子教授とChan Wing-Le特任研究員、東京科学大学の大石龍太研究員は、日本の大気・海洋・植生結合気候モデルMIROC4mVを使い、白亜紀最後の時代であるマーストリヒチアン期を再現した。古代地球に現代と同じ軌道条件を割り当てるのではなく、軌道要素が自然に取り得る範囲を系統的に調べた。

その結果、モデルは地質学的指標から推定された極域の表層温度を再現できた。さらに重要なのは、同じ軌道変化が、現代の大陸配置よりもマーストリヒチアン期の大陸配置で、はるかに大きな温度応答を引き起こしたことである。最大の差は地軸傾斜、すなわち「地球の傾き」で現れた。白亜紀後期の広大な北方陸地では、グリーンランドや南極のような巨大氷床が存在しなかったため、傾斜の増大による高緯度の温暖化は、現代地理を用いた比較実験の数倍に達した。

二酸化炭素が暖かな舞台をつくり、軌道が太陽光の届く場所と季節を変え、白亜紀の大陸配置が北極の応答の強さを決めた。

古代地球をもう一度「動かした」実験

論文の題名は「Enhanced Orbital-Forcing Sensitivity of Northern High Latitude Temperatures in the Late Cretaceous Relative to Modern Geography」。中心にあるのは、条件を制御した比較である。MIROC4mVは、大気、海洋、海氷、陸面、動的植生を結合する。研究チームは、マーストリヒチアン期の陸地、海底、海岸線の復元図と、当時に対応する二酸化炭素濃度および太陽条件を与え、三つの主要軌道要素——離心率、歳差、地軸傾斜——を組み合わせた。

さらに、現代の大陸配置でも対応する実験を行った。この二つ目の地球が重要である。単にモデルが暖かいから軌道への応答が大きくなったのであれば、大陸の役割は分からない。同じ二酸化炭素と太陽条件の下で地理だけを変えることにより、「同じ天文学的な小さな押しが、二つの異なる惑星表面にどう作用するか」という反実仮想を検証できる。

応答は一様ではなかった。マーストリヒチアン期の北半球高緯度は、とりわけ敏感だった。現在の海洋中心の北極と比べ、当時は高緯度のかなりの部分が陸地で、現代の極域の反射率と標高を支配する巨大な大陸氷床もなかった。海洋は熱を深部に混ぜてゆっくり放出するが、陸地は有効な熱容量が小さく、季節的な日射に素早く反応する。したがって、復元された白亜紀の地表は、地軸傾斜による夏の日射変化を、より大きな地域温度変動へ変換した。

約7000万年前新研究が再現したマーストリヒチアン期の地球。
22.1°〜24.5°過去100万年間における地球の地軸傾斜のおおよその範囲。
約4万1000年地軸傾斜が変動する代表的な周期。
数倍白亜紀と現代の地理条件で比較した、高緯度温暖化応答の増幅。

太陽をめぐる三つのゆっくりしたダイヤル

「地球軌道」は一つのダイヤルではない。離心率は太陽を回る軌道がどれほど円形または楕円形かを表す。歳差は自転軸が指す方向を変え、軌道楕円そのものの回転と組み合わさって、季節と近日点・遠日点の関係をずらす。地軸傾斜は、自転軸と公転面に垂直な線との角度であり、季節を生み出す傾きである。

過去100万年、地軸傾斜は約4万1000年の周期で、およそ22.1度から24.5度の間を変動してきた。傾きが大きいほど高緯度には夏に多く、冬に少ない太陽光が届く。季節差を強めるが、極夜をなくすわけではない。また、地球全体が一年に受け取る太陽エネルギーを大幅に増やすわけでもない。エネルギーを緯度と季節の間で再配分し、その後、雪、氷、植生、雲、大気、海洋が、その小さな変化をどのような気候応答に変えるかを決める。

ここに軌道気候学の核心がある。控えめな天文学的リズムでも、フィードバックと境界条件が増幅しやすい状態なら、大きな環境変動の時期を刻める。新研究はこの考えを第四紀の氷期・間氷期からはるかに古い時代へ拡張する。白亜紀の北極は、たまたま一つの有利な軌道で暖かくなっただけではない。その地理が、可能な軌道の全範囲にわたって高緯度システムを敏感にしていた。

要素何が変わるか高緯度への意味
地軸傾斜自転軸の傾き。代表的な周期は約4万1000年。傾きが大きいほど極域の夏の日射が増え、季節差が強まる。
歳差各半球の季節と近日点の位置関係。一方の半球の夏を強め、他方の夏を穏やかにする。
離心率軌道が円に近いか、より楕円形か。歳差の強さと太陽までの距離差を調節する。
古地理陸地、海洋、海峡の位置、面積、標高、水深。熱の貯蔵、海流、雪、海氷を制御し、同じ軌道変化を別の気候に変える。

地図が消えた惑星

マーストリヒチアン期は約7220万年前から6600万年前まで続いた。大西洋は開きつつあり、インドは島大陸として北上し、高い海面が大陸内部へ広く侵入していた。北米は白亜紀後期の多くの期間、西部内陸海路によって分断されていた。現在の熱輸送を方向づける海岸線や海洋ゲートウェイは、まだ今日の姿では存在しなかった。

北極域には、現代の海洋中心の北極より広い陸地があった。この一点が年間のエネルギー収支を変える。海洋は太陽熱を下方へ混合してゆっくり放出するが、陸は急速に暖まり、急速に冷える。地軸傾斜が大きいと、広い高緯度大陸は強い夏の日射を受ける。恒久的な大陸氷床がなければ、白い表面に反射される割合が減り、地面と植生がより多くのエネルギーを吸収する。

巨大氷床の不在は、単に白い塗料を取り除く以上の意味をもつ。数キロメートルの厚さをもつ高標高の氷をなくし、大気循環を変え、冷却が雪を残し、明るい雪が太陽光を反射し、その反射がさらに冷却を促す自己強化ループを弱める。古代の地理は温室エネルギーを無から作ったのではない。増幅器の利得を変えたのである。

古地理の力は以前の研究でも示されている。2016年、Jean-Baptiste LadantとYannick Donnadieuは、白亜紀の大陸配置が異なると、南極氷床が形成される二酸化炭素濃度のしきい値が数百ppmも変わることを示した。ある地理配置では氷を許す濃度でも、より暖かい白亜紀配置では南極を無氷に保ち得た。テクトニクスはゆっくり作用するが、大陸と海峡を動かすことで、より速い軌道周期が通過する気候機械を配線し直す。

最初の証人は葉、木材、骨だった

全球気候モデルが存在するはるか以前、北極には「そこにあるはずのない」ものがあった。石炭、幅広い葉、樹幹、そして恐竜の骨である。古植物学者は葉縁や大きさを気候信号として読むようになった。化石木の年輪は強い季節性を記録し、脊椎動物群集は長い冬の暗闇にどの動物が耐えられたかを物語った。

アラスカのノーススロープでは、地質学者Robert Liscombが1961年、石油・ガス調査の地質図を作成中にコルビル川沿いで恐竜骨を発見した。その重要性は後の研究で明らかになった。1987年の『Science』論文は、古緯度約70〜85度と推定される地層から、ハドロサウルス類、ティラノサウルス類、トロオドン類の豊富な遺骸を報告した。成体だけでなく幼体がいたことは、すべての大型動物が毎秋何千キロも南へ移動したという単純な物語に反する。

その後の葉と木材の研究は、厳しいが生存可能な気候を復元した。最北の恐竜産出古緯度では、冬の暗闇が約120日続いた。ある総合研究は、年平均気温を6〜7°C、最暖月平均を約14.5°C、最寒月平均を約−2°Cと推定した。数度の不確実性はある。熱帯の楽園ではない。現在の同緯度に比べれば驚くほど穏やかな、冷涼で湿った森林性北極だった。

2021年、プリンスクリーク層から見つかった孵化前後の骨と歯は、大型・小型を含む多様な恐竜が北極で繁殖していたことを示した。同層から知られる恐竜科の70%で周産期個体が確認された。長い抱卵期間と短い極域の繁殖期を考えると、孵化したばかりの個体が季節移動するのは現実的ではない。ほとんど、あるいはすべての分類群が年間を通じた北極の住民だった可能性が高い。

古いコアから見つかった暖かな海

海洋の証拠は、さらに鋭い課題を突きつけた。1970年、漂流する氷島から採取された浅いピストンコアが、偶然にもアルファ海嶺の白亜紀後期の有機物に富む堆積物を回収した。その堆積物には、通常の酸素同位体温度計に使う炭酸塩殻がなく、別の温度計が現れるのを待つことになった。

2004年、Hugh Jenkynsらは海洋古細菌がつくる膜脂質を分析した。TEX86による較正値は、約7000万年前の北極海表面温度が平均約15°Cだったことを示し、赤道と極の温度勾配が現在よりはるかに小さかったことを意味した。現在、季節的に海氷で覆われる海が、かつて冷温帯の海に似ていたという驚くべき結果だった。

すべての代理指標には履歴と偏りがある。TEX86は単純な年平均表層温度ではなく、特定の季節や水深を記録している可能性がある。現代の範囲を大きく超える較正にも不確実性がある。酸素同位体は海水組成と続成作用に左右され、葉は成長期を主に記録する。化石は運搬されることがあり、古緯度にも復元が必要だ。2017年のモデル・データ比較は、広く使われるデータ集の高緯度温度推定が最大約14°Cも異なると指摘した。

だからこそ、複数の証拠が収束することが重要である。一枚の葉、一つの脂質、一つの骨だけで極域全体の温度は証明できない。しかし、互いに独立した陸域と海域の記録を合わせると、大きな事実は揺るがない。白亜紀末の高緯度は現在よりはるかに暖かく、極端な季節的日照のもとで生産性の高い生態系を支えた。

白亜紀はいかにして気候実験になったか

「白亜紀」という言葉は恐竜ではなく、白亜、つまりチョークから始まった。1822年、ベルギーの地質学者Jean-Baptiste d’Omalius d’Halloyは、フランスと周辺地域の地質図にラテン語のcretaに由来するTerrain Crétacéを記した。2世紀後、国際層序委員会は白亜紀を約1億4500万年前から6600万年前までと定義する。顕生代でも特に長い時代の一つである。

白亜紀全体を一様に暑い「超温室」とみなす考えは修正されてきた。中期、特にセノマニアン〜チューロニアン期には極端な高温と高海面に達したが、マーストリヒチアン期はそれより冷涼な温室世界で、有利な条件のもとでは限定的な氷が存在した可能性もある。7900万年にわたり気候は変動した。「白亜紀の気候」という表現は、「現代の北半球の天気」と同じほど粗い。

大陸移動説は、この時代の地図を与えた。Alfred Wegenerは1912年に仮説を発表し、1915年の『大陸と海洋の起源』で展開した。仕組みは長く疑われたが、海洋底拡大、地磁気縞模様、1960年代のプレートテクトニクス革命によって、動く大陸は定量科学になった。古地磁気学は化石産地を古代の緯度へ戻した。そこで初めて、アラスカの骨が単に「北方」のものではなく、本当に「極域」のものだと理解できた。

CrollとMilankovićから深海泥の信号へ

軌道の物語は別の道で発展した。19世紀、James Crollは、地球軌道のゆっくりした変化が、特に雪と氷のフィードバックを通じて気候を変えると論じた。20世紀初頭、セルビアの数学者Milutin Milankovićは、離心率、歳差、地軸傾斜が緯度別・季節別の日射をどう変えるかを計算した。1941年の『日射の規準と氷河時代の問題』は、その理論を巨大な数学体系に仕上げた。

受容はすぐには進まなかった。決定的な実証は1976年、James Hays、John Imbrie、Nicholas Shackletonが南半球の深海コアに残る45万年間の気候指標を分析したときに現れた。約2万3000年、4万2000年、10万年のスペクトルピークが予測された軌道周期と一致した。論文の有名な題名は、軌道を氷期の「ペースメーカー」と呼んだ。慎重な比喩である。ペースメーカーは応答の時期を整えるが、すべてのエネルギーを供給し、あらゆる詳細を決めるわけではない。

樋口研究員らは、この考えを深い過去へ運ぶ。約7000万年前のある一日に、正確にどの軌道配置だったかを知ったと主張してはいない。この時間スケールでは天文学的解がカオス的になり、第四紀ほど正確に位相を巻き戻せない。そこで物理的に可能な範囲を標本化し、気候状態がどこまで広がるかを問う。未知の軌道位相で形成された化石温度を解釈するなら、その「範囲」こそ科学的に重要である。

紙の上の方程式から、生きた数値惑星へ

もう一つの知的系譜は、温室効果物理と計算機を通る。1896年、Svante Arrheniusは大気中二酸化炭素の変化が地表温度をどう変えるか計算した。1956年、Norman Phillipsはジェット気流や渦を含む大気大循環の先駆的数値実験を行った。1967年、真鍋淑郎とRichard Wetheraldは、二酸化炭素、水蒸気、対流を現実的に表現する放射対流モデルを構築し、現代気候モデリングの基礎を築いた。

今日の結合モデルはその子孫だが、単に大型化した複製ではない。MIROC4mVは大気と海洋の循環を解き、海氷を形成・融解させ、陸面を通じて水とエネルギーを移動させ、植生を気候に応答させる。それでも大気格子は森や雲より大きく、格子以下の過程はパラメータ化しなければならない。古気候実験には、海岸線、山地高度、海底地形、大気組成、植生という不確かな境界条件も加わる。

こうした不完全さはモデルを無視する理由ではない。原因を切り分ける比較を設計し、出力を独立した証拠で試す理由である。モデルは7000万年前を撮影した映画ではない。物理方程式に従う実験室であり、同時には存在しなかった二つの地球をつくり、両方に同じ傾斜変化を与えられる。

「温和な世界」をめぐる長年の難題

温暖期のシミュレーションは長年、厄介な交換条件に直面した。二酸化炭素を極が暖まるまで上げると熱帯が暑くなりすぎる。熱帯温度を妥当に保つと極が冷たすぎる。化石データは、モデルが容易につくれない緩やかな緯度温度勾配を示すように見えた。雲、植生、海洋熱輸送、代理指標の季節性、モデル解像度がすべて容疑者となった。

その隔たりは縮まりつつある。2015年、Garland Upchurchらは陸域・海域の指標と完全結合CCSM3シミュレーションを組み合わせ、比較的冷涼なマーストリヒチアン温室について、温室効果ガスと妥当な雲特性を考慮すればモデルとデータが一致することを示した。2017年のCOSMOS研究は二酸化炭素濃度と亜北極海峡を検討し、高緯度代理指標の幅と季節偏りを強調した。2022年の有孔虫酸素同位体復元は、過去9500万年間、地球全体が暖かいほど赤道—極温度差が小さくなる一貫した関係を見いだし、以前の推定よりモデル挙動に近い結果を得た。

2026年の論文は、その和解に見落とされていた次元を加える。多くの深時代シミュレーションは、便利な基準として一つの軌道——しばしば現代値——を用いる。平均状態を見積もるには合理的でも、温度分布の幅を隠してしまう。白亜紀地理が軌道応答を増幅したなら、高地軸傾斜期に形成された代理指標が、中間的な軌道のモデル結果より暖かくても矛盾ではない。

新しい比較が切り分けたもの
  • 軌道要素の全変動範囲を考慮すると、白亜紀後期の極域気候の幅が広がり、地質学的な温度推定を含む。
  • 二酸化炭素と太陽条件を同等にすると、マーストリヒチアン地理は現代地理より強い北半球高緯度応答を生む。
  • 広い高緯度陸地と巨大氷床の不在が、地軸傾斜への応答を増幅する。
  • 研究が説明するのは感度と変動性であり、地軸傾斜だけが温室気候をつくったという主張ではない。

この結果が「言っていない」こと

成果は「二酸化炭素ではなく地球の傾きが恐竜時代を暖めた」という誤った標語に変えやすい。しかし、それは実験内容でも物理でもない。軌道変動は主に入射する太陽エネルギーを季節と緯度の間で再配分する。二酸化炭素は、地球から宇宙へ出る赤外線の収支を変える。二つの強制力は異なる仕組みで働き、地域的には互いを強めたり弱めたりする。

シミュレーションは白亜紀後期の温室条件から始まる。その世界の中で、軌道はなぜ北半球高緯度が特に暖かくなり得たか、異なる軌道位相でつくられた地質記録がなぜ広い幅をもつかを説明する。温室背景を取り除き、現代地理と巨大氷床を戻せば、同じ傾斜変化でも結果は違う。この「気候状態への依存」こそ成果である。

Milanković周期は現在の温暖化も説明できない。周期は数万〜数十万年で、産業化後の温暖化は数十年〜数世紀で進んだ。NASAによれば、人間の影響がなければ、現在の軌道配置はごく緩やかな長期冷却を促す。実際の大気は地表付近で温暖化し、成層圏で寒冷化している。これは明るくなった太陽や変化した軌道ではなく、温室効果ガス増加に予想される指紋である。

したがって白亜紀は2100年の予報ではない。海岸線、氷床、植生、海洋ゲートウェイ、変化の時間尺度が異なる。だが、より根本的な価値がある。地球が実際に非常に暖かな極域をもったとき、気候モデルの法則とフィードバックがその世界をつくれるかを試すストレステストである。

不確実性は発見の敵ではなく、その一部

論文がすべての隔たりを閉じたわけではない。古地理図は海岸線、地形、海底水深で異なる。マーストリヒチアン期の二酸化炭素推定には大きな幅がある。動的植生モデルは絶滅した植物群落を単純化する。雲は現代のシミュレーションでも主要な不確実性源である。これほど古い時代の正確な軌道は復元できないため、研究は年代づけされた軌道系列ではなく、可能な状態の範囲を示す。

代理指標との比較にも規律が必要だ。夏に偏った生物信号を年平均モデル温度と不用意に比べてはならない。海洋脂質は亜表層水を記録する可能性があり、葉群集は陸域と成長期を、恐竜は生息可能性を示すが温度計ではない。軌道感度は、すべての指標を一つの完璧な年平均へ変換しなくても、現実の変動性に物理的理由を与える。そこが研究の強みである。

次の段階では、複数モデル、複数古地理、複数二酸化炭素推定を使った協調実験が必要だ。異なる雲物理と植生を導入し、年平均だけでなく各代理指標の季節生態に対応する月別場を比較できる。地層に保存された地軸傾斜や歳差の周期を、同じ地点の温度感受性記録と照合すれば、この仮説は「もっともらしい」から「層序学的に検証可能」へ進む。

極夜の新しい情景

恐竜時代の北極の驚きは、極に太陽光が届いたことではない。生命が暗い季節を耐え、毎春再び繁栄したことだ。新しいシミュレーションはその苦難を消さない。地軸傾斜が大きいほど季節差は強くなり、夏が強力になる一方、冬のエネルギー収支はさらに厳しくなり得る。森林年輪、冷血脊椎動物の少なさ、北極での繁殖が示唆する適応は、暖かさと季節性の緊張関係を保存している。

モデルが加えたのは、その暗闇を取り囲む暖かさの惑星規模の仕組みである。温室大気はより多くのエネルギーを保持した。広大な北方陸地をもつ地図は、強い夏の日射を吸収した。巨大氷床がなかったため、支配的な反射面が応答を鈍らせなかった。海洋、大気、植生が暖かさを一年の後半へ運んだ。一つだけでは不十分だが、組み合わされば化石世界は物理的に理解可能になる。

この歴史には美しい連なりがある。ベルギーの地図に描かれた白亜が時代を名づけ、葉と骨が岩石から極域気候を語り、大陸移動が証拠を古代緯度へ戻した。海洋コアが化学温度計を与え、天体力学が周期を与え、コンピューターが検証可能な地球を組み立てた。そして今、日本のモデル比較は、地球の姿勢がわずかに変わるだけでも、その下にある地面が違えば、まったく異なる意味をもつことを示した。

恐竜の北極が暖かかったのは、一つのダイヤルが回ったからではない。地球という楽器全体の調律が、今とは違っていたからである。

主要資料・参考文献

本稿は2026年の『Geophysical Research Letters』論文と大学共同発表を中心に、原著研究、公的な地質年代基準、NASAの軌道気候解説を用いて歴史的・科学的背景を検証した。代理指標の推定値は、較正、季節性、水深など既知の限界とともに記述している。