白梅の屏風が語る、二人の画家の時間
深い藍の闇から、白い梅が浮かび上がる。呉春(ごしゅん)の重要文化財《白梅図屛風》は、枝ぶりの静けさと、夜明けを待つような明るさが同居する作品だ。師である与謝蕪村(よさ・ぶそん)の辞世の句「白梅に明くる夜ばかりとなりにけり」を知ると、花は単なる季節のしるしではなく、人から人へ受け継がれる感性の象徴にも見えてくる。
東京・六本木のサントリー美術館で開催中の「逸翁美術館コレクション 蕪村・呉春と茶の湯の名品」は、11月8日(日)に会期末を迎える。大阪府池田市にある逸翁美術館の所蔵品を中心に、俳諧、絵画、古筆、茶道具をつないで近世から近代へ至る美の系譜をたどる展覧会である。東京での大規模なコレクション紹介は約30年ぶりという。
本展が投げかける問いは、「蕪村は俳人だったか、画家だったか」という二者択一ではない。言葉を描き、絵を読み、茶席で古い道具に新たな役割を与える。日本の芸術が長く育ててきた、領域を横断する想像力をどう受け止めるかである。
与謝蕪村――俳句と南画を行き来した眼
与謝蕪村(1716~1783)は、松尾芭蕉や小林一茶と並んで語られる江戸時代の俳人である。同時に、山水や人物を描く絵師としても確かな地位を築いた。俳句の短い時間と、絵画の広がる空間を行き来したことが蕪村を特別な存在にしている。
俳画では、わずかな言葉と簡潔な筆の動きが互いを補い、どちらか一方では生まれない余情をつくる。今回の《花見句画賛》と《石画賛》は、詩書画が同じ画面で響き合う世界を伝える。公式出品案内によると、《花見句画賛》は10月14日から11月8日まで展示予定で、最終日に見ることができる作品に含まれる。
蕪村を絵の添え物を描いた俳人、とだけ捉えると、その仕事の半分を見失う。漢詩や中国絵画への関心を背景に、近世京都の知識人文化を身体で往来した人でもあった。
芭蕉の旅を、蕪村がもう一度歩く
重要文化財《奥の細道画巻》は1779年の作品である。蕪村が敬愛した松尾芭蕉の紀行『おくのほそ道』を、文章と絵が連なる巻物として再構成した。旅先の風景を記録する以上に、先人の文章を自分の筆で読み直した表現といえる。
芭蕉の奥州・北陸への旅と蕪村が生きた京都の時代には隔たりがある。にもかかわらず、巻物をたどる鑑賞者は、地理上の距離だけでなく、文学が別の世代の手を通してよみがえる時間の奥行きを体験する。
美術館はこの二巻を会期中に巻替えして展示すると案内している。巻物は一度にすべてを見渡すための形式ではない。したがって、来館日によって現れる場面が異なる点に注意したい。
呉春――師の詩情と応挙の写生を結ぶ
呉春(1752~1811)は、松村月溪(まつむら・げっけい)の名でも知られる。京都に生まれ、蕪村から俳諧や俳画を学び、一時は池田に暮らして「呉春」と名乗った。その後、円山応挙の写生画法を吸収し、四条派の形成につながる多くの画家に影響を与えた。
「蕪村から受けた抒情」と「応挙に学んだ自然観察」が呉春の絵にどう結びついたか。逸翁美術館の2025年展の解説も、この二つの軸を重視している。今回の《松下游鯉図》《岩上孔雀図》の紹介は、筆致の変化を考える手がかりだ。
代表作《白梅図屛風》は、一双の六曲屏風に咲く白梅と青い地の取り合わせが鮮烈だ。これは通期展示と案内されている。蕪村の白梅の句と直接の制作意図を同一視することはできないが、師弟の作品を並べて考えることで、詩と絵が交差する京都画壇の感覚が伝わる。
長沢芦雪の子犬も――江戸絵画の多声性
蕪村・呉春だけが今回の主役ではない。展覧会は、円山四条派に連なる長沢芦雪(ながさわ・ろせつ)や松村景文、谷文晁、森狙仙らの作品にも目を向ける。
とりわけ長沢芦雪の《降雪狗児図》は10月14日から11月8日までの展示予定として掲げられている。大胆な構図と生き物の表情で知られる芦雪の子犬を、蕪村・呉春の作品と同じ展示の流れで見ることができる。
本紙11月8日号の編集イラストは芦雪の表現から着想を得ているが、記事の画像は作品の写真でも、本展の展示風景でもない。企画のつながりと、史実・実物の区別は明瞭にしておきたい。
茶の湯は、美を固定しない
本展のもう一つの柱が茶の湯である。茶碗や茶入を作家名と年代で分類して眺めるだけでは、道具が茶席で果たす役割はつかみにくい。季節、客、取り合わせ、持ち主が与えた銘によって、一つの器の意味は変わる。
たとえば《五彩蓮華文呼継茶碗》は、逸翁が「家光公」と銘を付けた古い器。欠けや継ぎの履歴を含む器物に、新たな呼び名と使用の文脈が与えられる。蒐集は、単なる所有ではなく、道具を生かす見立てでもあった。
小林一三は椅子席の茶室を設け、海外で見つけた西洋陶磁器やガラス器を茶道具として用い、懐石に洋食や丼物を取り入れたという。古典を尊重する態度と、習慣を変える勇気は必ずしも矛盾しない。
茶席に渡ったイタリアのガラス
会場には18世紀イタリアの《草花文緑ガラス小壺(茶器)》が通期展示作品として挙げられる。もともと茶道のために生まれたものではない素材を茶席に迎える発想には、近代数寄者の国際的な視野が映る。
展覧会は《赤地金襴手写花鳥文壺(水指)》など、セーヴル窯の器を茶道具へ転用した例も紹介する。異国の工芸品は「和」の外に置かれるのではなく、新しい取り合わせのなかで位置を与えられた。
茶道を完成された形式の保存と考えると意外かもしれない。しかし、その歴史には「手元のものをどう見立てるか」という創造的な選択が繰り返しあった。本展はその柔軟さを、具体的な器から語る。
小林一三――鉄道、宝塚、映画、そして美術館
逸翁こと小林一三(1873~1957)は、阪急電鉄、百貨店、宝塚歌劇、東宝などの事業形成に深く関わった近代実業家として知られる。都市生活の新しい娯楽と交通をつくった人物が、古筆や茶器を集め、俳諧に親しんだ。
ここに面白い対照がある。通勤や郊外生活を変えていく事業の速度と、古い巻物を一場面ずつ味わう時間。小林にとってそれらは別々の人生ではなかった。近代の都市文化と古美術の保存は、同じ人物の活動に折り重なっている。
逸翁美術館は小林の没年である1957年、大阪府池田市に設立された。現在の所蔵品は約5500件。今回の六本木展は、私的な蒐集が公共の文化資産になるまでの過程も映し出す。
「一都市一美術館」の夢と二つの美術館
展覧会の最終章は、小林が抱いた「一都市一美術館」という構想を紹介する。大都市の国立館だけでなく、地方の街にも美術館があるべきだという願いである。構想が実現する前に小林は亡くなったが、逸翁美術館はその遺志を引き継いだ。
サントリー美術館が東京・丸の内で開館したのは1961年。主催館の解説によると、小林の次女・春子と、サントリー創業者・鳥井信治郎の長男・吉太郎の婚姻関係があり、二つの館には家族史上のつながりもある。
この展示は、美術品が大阪から東京に来たというだけではない。都市文化を築いた企業家とその家族が、作品をどのように受け継ぎ、別の場所に届けるかという、日本の美術館史でもある。
古筆切から現代の表現へ――展示室を広く見る
第1章の古筆と経巻は、平安・鎌倉の筆跡を「読む」こと自体が美的経験だった歴史を示す。重要文化財《佐竹本三十六歌仙切 藤原高光》は、10月14日以降の展示予定作品。もとは一続きの絵巻が1919年に分割され、個々の断片が鑑賞と収集の対象になった。
第2章には仏画、絵巻、中国漆器、南蛮漆器などが並び、第5章では鏑木清方、鈴木華邨、三砂良哉ら近代作家との交流が浮かび上がる。1933年の《黒地歌劇雛祭楽譜蒔絵棗》には、小林が手がけた歌劇の楽譜を意匠とする工夫が施された。
なお、公式サイトに写真が掲載されるすべての作品が最終日に見られるわけではない。たとえば《石山切》や《豊臣秀吉画像》の掲載例は前期のみと明記されている。展示替えは作品保存のための措置でもある。
最終日に訪れる人へ――鑑賞の手がかり
会場は東京ミッドタウンのガレリア3階、サントリー美術館。会期最終日の11月8日(日)は、通常案内では午前10時から午後6時まで、入館は閉館30分前までとなる。一般当日券は1700円。混雑、貸出や展示変更の可能性は公式サイトで確認したい。
短い時間で巡るなら、まず《白梅図屛風》の前に立ち、次に《奥の細道画巻》の公開場面と《花見句画賛》を見る。その後、茶室での見立てを思わせる器や、芦雪の《降雪狗児図》へ進むと、画家からコレクターへとつながる一本の線が見えてくる。ただし展示順は会場で異なる場合がある。
言葉を含む絵、異国で作られた茶器、近代実業家が選んだ古典。会場を出た後に残るのは、芸術は時代ごとに新たに読まれ、別の意味を帯び続けるという実感かもしれない。
蒐集から共有へ――東京で再会する池田の美
会期は二か月弱。だが、展示の背後に流れる歴史は千年を超える。平安の書、鎌倉の歌仙、江戸の俳画、近代の茶事、それらを次の世代へ届ける美術館の営みが、一つの展覧会に重なった。
蕪村の句は絵を見るための入口であり、呉春の白梅は絵から言葉へ戻る道でもある。そこへ小林一三の自由な道具の見立てが加わる。東京での会期が終わっても、これらの作品を守り、公開する逸翁美術館の仕事は続く。
今回の価値は「名品を一度に見られる」ことだけではない。ひとりが見出した美を、他の人も手にできるようにする。近代に建てられた美術館がいまも引き受ける、その文化的な約束を確かめる機会である。
出典・取材方法
本記事は美術館の公式展示案内・出品期間・関連美術館の研究資料に基づく文書取材。会場での実見や学芸員への独自取材は行っていない。出品作品は展示替えがあり、最終日の実際の展示状況は現地で確認が必要。
