横浜で暮らす小学3年生から6年生、約24人。そのうち何人が、11月1日の朝に初めて雪の上で横向きに立つのかは、まだ分からない。イベント名は「はじめてのスノーボード体験会」だが、対象には初心者だけでなく初級者も含まれる。それでも、横浜市が用意しようとしているのは、都市部の子どもにとって数少ない「雪への入口」だ。
会場は横浜市鶴見区梶山のSNOVA新横浜。特別ゲストとして参加するのは、2026年2月のミラノ・コルティナ冬季オリンピック男子ハーフパイプで金メダルを獲得した戸塚優斗(とつか・ゆうと)選手。市は9月3日から参加申込を受け付けている。
「無料」だが、雪上スポーツの費用が全部消えるわけではない
横浜市の募集要項は明快だ。対象は横浜市内在住の小学3年生~6年生で、初心者・初級者。定員は24人程度。日時は11月1日(日)午前8時30分から正午までで、受付開始は午前8時15分。申込期間は9月3日午前10時から9月23日午後11時30分まで。応募多数の場合は抽選となる。
参加費は無料。ただし、ボードやウェアなどのレンタルを希望する場合、その費用は参加者負担だ。主催は横浜市と横浜市スキー協会、協力は戸塚選手の所属先でもあるヨネックス株式会社。
この「無料だがレンタルは自己負担」という線引きは、スノースポーツの普及を考える上で重要だ。スノーボードは、サッカーボールやランニングシューズだけで始めるスポーツではない。ボード、ブーツ、ウェア、グローブ、場合によってはヘルメット。雪山へ行くなら交通費やリフト券も必要になる。
今回、横浜市が消せるのはその入り口の一部だ。イベント費用を無料にし、雪を都市部に近い屋内施設へ置くことで、「家族でスキー場へ旅行する」よりも小さな単位で最初の体験を作れる。
「はじめてのスノーボード体験会」概要
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 開催日 | 2026年11月1日(日)8:30~12:00(8:15受付開始) |
| 会場 | SNOVA新横浜(横浜市鶴見区梶山1-2-43) |
| 対象 | 横浜市内在住の小学3~6年生、初心者・初級者 |
| 定員 | 24名程度。申込多数の場合は抽選 |
| 参加費 | 無料。ボード・ウェア等のレンタルは自己負担 |
| 申込 | 9月3日10:00~9月23日23:30、市電子申請システム |
| 主催 | 横浜市、横浜市スキー協会 |
| 協力 | ヨネックス株式会社 |
| 特別ゲスト | 戸塚優斗選手 |
横浜から生まれた金メダリストが、横浜の子どもの前へ戻ってくる
横浜市は戸塚選手を「横浜市ゆかり」と紹介するが、その結びつきは曖昧なものではない。2026年4月に戸塚選手へ横浜市スポーツ栄誉賞を贈呈した際、市長フォトダイアリーは明確に「横浜育ち」と記している。
横浜市立市沢小学校は、2026年2月の学校だよりで戸塚選手を同校の卒業生として紹介した。日本オリンピック委員会(JOC)のミラノ・コルティナ選手資料では、その後、横浜市立谷本中学校、光明学園相模原高等学校、日本体育大学へ進んだ経歴が確認できる。
市沢小の学校だよりは、戸塚選手が2歳でスノーボードを始め、小学校時代にハーフパイプへ本格的に取り組み、小学5年生でプロ資格を取得した歩みも紹介している。JOCのプロフィールも、2歳で競技を始め、小学校低学年でハーフパイプに出会い、小学5年で日本スノーボード協会公認プロ資格を取得したとしている。
今回の参加対象は小学3~6年生。偶然ではあるが、戸塚選手自身がハーフパイプへ深く入り始め、プロ資格へ届いた年代とほぼ重なる。
平昌の転倒から、3度目の五輪で95点
戸塚選手のオリンピック史は、成功だけを並べると重要な部分が消える。2018年平昌大会、16歳で初出場。男子ハーフパイプ決勝の2本目で転倒し、JOCのプロフィールは「無念のリタイア」と振り返っている。最終順位は11位だった。
その後、2020-21シーズンのWinter X Gamesスーパーパイプで初優勝。2021年世界選手権では金メダル。北京2022では10位となり、オリンピックの表彰台には届かなかった。
3度目の五輪が2026年ミラノ・コルティナだった。2月13日の男子ハーフパイプ決勝で、1本目90.00点、2本目95.00点。オーストラリアのスコッティ・ジェームズを上回り、金メダルを獲得した。山田琉聖も92.00点で銅。平野流佳4位、平野歩夢7位と、日本勢4人全員が決勝で上位に入った。
JOCが7月に公開したインタビューで、戸塚選手は、幼い頃から掲げていたオリンピック金メダルという目標がかなった喜びを語っている。それは横浜市が今回の子ども向けイベントで借りようとしている「物語」の中心でもある。
1998年長野——スノーボードが五輪へ入った年、日本勢は全員予選敗退だった
歴史を28年戻すと、現在とはまったく違う景色が見える。スノーボードがオリンピック正式競技になったのは、1998年長野冬季大会。男女の大回転とハーフパイプが採用された。
JOCの当時の競技紹介は、スノーボードを「1960年代にアメリカで生まれたといわれる」若いスポーツとして説明している。ハーフパイプは志賀高原のかんばやしスノーボードパークで行われた。
日本は男子ハーフパイプに西田崇、高垣誠人、渡辺伸一、今井孝雅、女子に吉川由里、武山香里を送り込んだが、全員が予選敗退。JOCの現地レポートは、当時国内で人気が急上昇していた一方、世界の上位との差がまだ大きかったことを伝えている。
そこから28年。2026年のオリンピック男子ハーフパイプでは、日本の戸塚が金、山田が銅、平野流佳が4位、平野歩夢が7位。競技人口、育成環境、技術、施設、コーチング、国際経験が積み上がり、日本はハーフパイプの世界的強国の一つになった。
1998年:長野冬季五輪でスノーボードが正式競技に。日本のハーフパイプ勢は予選敗退。
2001年:戸塚優斗、神奈川県で生まれる。
約2003年:2歳でスノーボードを始める。
小学校低学年:ハーフパイプに出会う。
小学5年:日本スノーボード協会公認プロ資格を取得。
2018年:平昌五輪、16歳で初出場。男子ハーフパイプ11位。
2021年:世界選手権金メダル。
2022年:北京五輪10位。
2026年2月:ミラノ・コルティナ五輪、95.00点で金メダル。
2026年4月:横浜市スポーツ栄誉賞。
2026年11月:横浜市の初心者・初級者向け体験会に特別ゲストとして参加予定。
都市の子どもにとって、最大の壁は「才能」より前にある
スノーボードの才能があるかどうかは、板に乗ってみなければ分からない。しかし都市部で暮らす子どもには、その最初の一回へ到達するまでに物理的な壁がある。
横浜から天然雪のスキー場へ行くには、移動時間と交通費がかかる。家族がスノースポーツの経験を持たなければ、道具の選び方、ウェア、リフト、スクール、安全ルールまで、何を準備すべきか分からない。初回体験のハードルは、単に「スポーツが難しそう」という心理だけではない。
SNOVA新横浜のような屋内雪上施設を使う意義は、天候や積雪、長距離移動から切り離して最初の体験を設定できることにある。今回のイベントが24人という小規模なのも、逆に見れば「大量動員」ではなく、初心者・初級者を対象とした体験に重心を置いている。
ただし横浜市は、9月3日の公開ページで詳細なレッスンカリキュラム、1グループ当たりの人数、インストラクター配置、戸塚選手がどの時間帯にどのように子どもと関わるかまでは示していない。「金メダリストから直接3時間教わるイベント」と読むのは行き過ぎだ。
全日本スキー・スノーボード連盟も「板を履くところから」を重視する
子どもの雪上スポーツ普及は、横浜市だけの課題ではない。全日本スキー・スノーボード連盟(SAJ)は、初心者の子ども向け企画で、スノーボードは「板を履くところ」から始め、基礎的な滑り方へ段階的に進む設計を打ち出している。
また2026年には、スロープスタイル/ビッグエアの地域教室について、普及から育成までをつなぎ、地域の強化施設や指導者とノウハウを共有することを目的に掲げた。競技団体が重視しているのは、いきなり高度な技へ進むことではなく、「安全に楽しいと感じられる最初の経験」を育成システムへ接続することだ。
この考え方に照らすと、戸塚選手の存在は技術指導以上の意味を持ち得る。2歳から滑った選手と、11月に初めて板を履くかもしれない子どもが、同じ「最初の一歩」という線上にいることを見せられるからだ。
横浜市は、五輪メダルを「表彰」で終わらせない
4月27日、横浜市は戸塚選手へスポーツ栄誉賞を贈った。山中竹春市長は、横浜育ちの戸塚選手が夢と感動を届けたことへの感謝を伝えたとしている。
表彰は功績をたたえる行為である。11月の体験会は、その功績を地域の次の参加者へ接続する試みと見ることができる。これは横浜市が公式に「レガシー事業」と名付けているわけではない。Japan.co.jpの分析としては、金メダルの社会的価値を、市民が見るだけの記憶から、実際にスポーツへ触れる機会へ変える小さなレガシー政策に近い。
横浜市は別のスポーツでも、小中学生の体験会、市民招待、アーバンスポーツ体験などを継続している。2026年には港北区が小学生向けスケートボード体験会を企画し、安全な乗り方やルール、基本動作から始めるプログラムを示している。今回のスノーボード体験会も、その「観戦から参加へ」という市民スポーツ政策の延長線上で読める。
24人という小ささは、弱点でもあり強みでもある
人口370万人を超える横浜市で、定員24人は極めて小さい。応募が多ければ抽選になる。市内の小学3~6年生のごく一部しか参加できない。
したがって、この一回だけで「スノーボード普及」と呼ぶのは大きすぎる。効果を広げるには、同様の初心者イベントを繰り返す、指導者や施設と連携する、参加者が次に滑れる場所を案内するなど、継続性が必要になる。
一方で、初心者イベントは人数を増やせば良いとも限らない。ブーツ装着、立ち上がり、停止、転倒の仕方、周囲との距離など、最初の数十分は安全管理と個別の声掛けが重要になる。公開されている情報だけでは、24人という定員がどのような指導比率から決まったかは分からないが、小規模であること自体には初心者向けイベントとして合理性がある。
11月1日に起きるべきことは「次の戸塚優斗を探すこと」ではない
子ども向けスポーツイベントは、すぐに「次のオリンピアン発掘」という言葉で語られがちだ。しかし横浜市の募集案内は、競技選手選考会とは書いていない。対象は初心者・初級者。費用は無料。市が掲げるのは「雪上での楽しさや魅力」を体感してもらうことだ。
24人の中から将来の代表選手が生まれるかどうかは重要ではない。もっと現実的な成功は、24人のうち何人かが「また滑りたい」と思うことだろう。あるいは、金メダルを見ていたスポーツが、自分でも少しだけできるものへ変わることだ。
戸塚優斗は2歳で始めた。今回の対象は小学3年から6年。スタートはずっと遅い。それでも、スポーツに「始めるには遅すぎる年齢」があるわけではない。まして体験会の目的は競技人生を決めることではない。
28年前、長野で初めて五輪種目になったスノーボードで、日本選手はハーフパイプ決勝へ一人も進めなかった。2026年、日本は男子で金と銅を獲った。その金メダリストが育った横浜で、今度は24人ほどの子どもが雪の上へ立とうとしている。
世界一へ続く道でなくてもいい。その朝に必要なのは、まず板へ足を固定し、雪の上で体を横に向け、「もう一回やりたい」と思えることだ。
資料・出典
- 横浜市「小学生の雪デビューを応援!『はじめてのスノーボード体験会』を開催します」 — 2026年9月3日。開催日、会場、戸塚優斗氏を特別ゲストとすることを確認。
- 横浜市「はじめてのスノーボード体験会~戸塚優斗選手が特別ゲストで登場~」 — 対象学年、定員、申込期間、費用、主催・協力を確認。
- 日本オリンピック委員会「戸塚 優斗」 — 生年月日、所属、3大会の五輪成績。
- JOC「楽しむ心を武器にして リスペクトを欠かさないライバルがつかんだメダルの価値」 — 2歳で開始、小学校低学年でハーフパイプ、小5でプロ資格、平昌・北京・世界選手権の歩み。
- JOC「2月13日の結果|ミラノ・コルティナ2026 スノーボード」 — 戸塚優斗95.00点、金メダル。日本勢の決勝順位。
- 横浜市「戸塚優斗選手に横浜市スポーツ栄誉賞を贈呈」 — 2026年4月27日。横浜育ち、スポーツ栄誉賞を確認。
- 横浜市立市沢小学校「市沢小の先輩・戸塚優斗選手 オリンピックで金メダル!」 — 同校卒業生、2歳からの競技歴、小5プロ資格、95.00点を確認。
- JOC「ミラノコルティナ冬季ハンドブック2026」 — 横浜市立谷本中学校、光明学園相模原高等学校、日本体育大学の学歴。
- JOC「スノーボード 見どころ|長野1998」 — 1998年長野大会でスノーボードが初めて五輪正式競技となった歴史。
- JOC「スノーボードの結果(1998年2月12日)」 — 日本の男女ハーフパイプ勢が予選敗退した記録。
- 全日本スキー・スノーボード連盟「ポケモンといっしょにすべろう! スキー・スノーボード チャレンジ」 — 子どもの初心者向けプログラムが板の装着から基礎滑走へ段階的に進む設計。
- 全日本スキー・スノーボード連盟「スノーボード(スロープスタイル/ビッグエア)教室の開催について」 — 普及から育成への接続、安全なトレーニング、地域施設・指導者との連携方針。
- 横浜市港北区「港北区スポーツ・リソース活用事業」 — 小学生向けアーバンスポーツ体験、安全ルールと基本動作から始める市の地域スポーツ施策の例。
本稿は2026年9月4日午前5時05分(日本時間)までに確認できた公開資料を照合した。イベント正式名称、日時、対象、定員、主催・協力、申込条件は横浜市の日本語一次資料を優先した。横浜市は戸塚優斗選手を「特別ゲスト」としており、「講師」「全参加者を直接指導する」とは発表していないため、そのようには記述していない。「はじめてのスノーボード体験会」はイベント名だが、参加対象には初級者も含むため、参加者全員が初滑走とは断定しない。公開ページでは詳細なレッスン内容、戸塚選手の出演時間、個別指導の有無、レンタル料金、安全装備の必須条件は確認できなかったため推測で補っていない。
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