1780年ごろ作品の制作年代
1735–1814歌川豊春の生没年
JP192The Met作品番号
1914同館の収蔵年

遠近法は、江戸の風景を「見る」ための新しい入口になった。

劇場の通りを、絵の奥へ歩いていく

江戸の芝居町を描いた1枚の錦絵に目を凝らすと、道は画面の奥へ吸い込まれ、両側の建物が遠ざかるにつれて小さくなる。通りには人が集まり、芝居小屋に向かう期待が満ちている。歌川豊春の《浮絵境町葺屋町顔見世夜芝居之図》は、祭りの賑わいを伝えるだけではない。「街をどの位置から、どう見るか」という新しい画面の仕組みを、江戸の人々に見せた作品である。ニューヨークのメトロポリタン美術館は制作年を1780年ごろとしている。

「顔見世」の夜は何が特別だったのか

境町と葺屋町は江戸の芝居町として知られた地域で、歌舞伎興行の顔見世は新しい役者の顔ぶれを披露する季節の大きな行事だった。劇場に向かう人、店先の灯り、街路にせり出す看板。こうした細部が鑑賞者に当時の都市生活を思い起こさせる。ただし、この浮世絵を特定の一夜の忠実な記録写真のように読むことはできない。美術作品としての選択、誇張、構成を含むからだ。

豊春は何を変えたのか

歌川豊春(うたがわ・とよはる、1735~1814年)の名は、広重や国芳ほど海外で知られていないかもしれない。しかし、その後の巨大な歌川派の祖である。豊春が手掛けた「浮絵」は、西洋由来の透視遠近法の考え方を取り入れ、建築や通り、風景に奥行きを生み出す表現だった。建物の軒や道筋が奥へ進むにつれて狭まる構図は、見物人を場面の中へ誘う。豊春の意義は、単なる技法の紹介ではなく、都市空間そのものを絵の主役に近づけたことにある。

遠近法を最初に発明したわけではない

「豊春が日本に遠近法を初めて持ち込んだ」という説明は正確ではない。メトロポリタン美術館は、奥村政信(1686~1764年)が室内描写に一点透視の工夫を用いた先駆者として知られる一方、豊春は屋外の場面にその方法を巧みに適用したと説明している。画面を奥へ開く試みには複数の画家、版元、輸入画像、鑑賞者が関わっていた。豊春の独創性は、先行例を踏まえ、江戸の街と風景をいきいきとした色摺り版画の空間に再構成したところに見いだせる。

海を渡った「見る技術」

江戸時代の美術は、外国の影響から完全に閉ざされていたわけではない。海外から伝わった遠近表現は、銅版画や眼鏡絵といった複製画像を介して日本の絵師の関心を集めた。島根県立美術館が所蔵する豊春の《浮絵阿蘭陀国東南湊図》は、西洋の港を描く図像を日本の錦絵として取り込んだ好例だ。同館は、西洋の銅版画に由来するとみられる細かな線の陰影表現と、異国の景観への江戸庶民の好奇心を指摘している。海外の方法を模倣するだけでなく、日本の印刷文化のなかで組み替える創造性がここにある。

浮絵の魅力は「正しい線」だけではない

透視図法は、平面に三次元の奥行きを示す便利な道具だ。だが、豊春の絵を設計図のような正確さだけで評価するのは惜しい。道を行く人の姿、視線を止める建物、遠くで小さく見える灯りが、見る者の注意を画面の隅々へ運ぶ。西洋の構図を採り入れながら、絵巻や名所絵につながる物語の感覚を失っていない。江戸の人が絵のなかを散策するように楽しめたと考えるのは自然だが、個々の鑑賞者の反応を直接記録する資料があるとまでは言えない。

錦絵という共同制作

今回取り上げる作品の素材は、紙に墨と色を重ねた木版画の錦絵である。原画を構想する絵師だけでなく、版木を彫る彫師、色を摺り重ねる摺師、企画と流通を担う版元の仕事によって成立した。多色摺り版画の量産と販売という仕組みがあったからこそ、街の光景や新しい視覚表現が広く届き得た。1枚の絵には、作家の名声だけでは説明できない江戸のメディア産業が息づいている。

歌川派を生んだ人

英国の大英博物館は豊春を歌川派の創始者とし、1760~70年代後半の浮絵制作と、1780年代以降の肉筆美人画への関心を記している。後継世代の歌川豊国は役者絵などで人気を広げ、歌川豊広は門人に歌川広重を育てた。さらに歌川国貞、歌川国芳らが活躍し、歌川の名は19世紀の浮世絵を語るうえで欠かせなくなる。ただし、師弟関係の系譜は多層的で、豊春から後代の画家まで表現が一直線に受け継がれたわけではない。

風景が「背景」から抜け出す

豊春以前にも名所や自然は描かれていた。したがって「風景を初めて描いた絵師」と断定することはできない。それでも、美術館の解説が強調するのは、建築物や屋外の景色に説得力ある奥行きを与えたことだ。人物を囲む舞台装置だった街路や遠景が、鑑賞者の視線を引く主題となっていく。その試みは、のちに発展した江戸名所絵、さらには広重の風景版画を見るための重要な歴史的接点である。

知られている生涯、まだ不明な生涯

出生地や初期の師系については、通説として流布する説明がある一方で、研究上の検討も続いている。大分県立美術館の研究紀要は、豊春の出生や師匠、活動歴には不明点が多いことを指摘する。本稿では生没年と画業の輪郭を軸にし、異説のある生地・修業経路を確定事項として記さない。作家の経歴を空白なく埋めるより、史料が示す範囲を正確に伝える方が誠実だ。

作品そのものを見てほしい

メトロポリタン美術館が収蔵する本作は、横大判の錦絵で、寸法は縦25.4センチ、横37.5センチ。作品番号はJP192。1914年にロジャーズ基金によって収蔵され、現在のオンライン目録では展示中ではないとされる。鑑賞の際は、まず手前の人々を見て、次に道の先へ視線を移してみたい。遠近法は難しい用語ではなく、見ている自分が町へ近づいたように感じさせる演出なのである。

公共財として残る画像

同館はこの作品を「Public Domain」と表示し、オープンアクセスの対象としている。豊春の没年は1814年で、日本における著作権保護期間もすでに終了している。ただし、作品の所有と著作権は別であり、オンライン画像の利用条件は各所蔵館の表示を確認するのが基本だ。Japan.co.jpの今回の「Art Choice」は、豊春が約250年前につくった版画そのものを紹介する。AIによる描き直しや新しい文字入れは行わない。

新しい視点を選ぶ

外国から渡ってきた見方を、江戸の町並みと人の営みに結び付けた豊春。彼の仕事が教えるのは、文化が発展するとき、伝統と新しさが必ずしも敵同士ではないということだ。通りの奥に集まる線をたどると、かつて芝居の開幕を待った町のざわめきまで想像できる。見慣れた場所が別の世界に変わる――その小さな驚きこそ、豊春の遠近法が今も持つ力ではないだろうか。

作品・所蔵情報

作者:歌川豊春。題名:《浮絵境町葺屋町顔見世夜芝居之図》(英題:Perspective Print (Uki-e) of the Theaters in Sakaichō and Fukiyachō on Opening Night)。制作:1780年ごろ。技法:木版多色摺り、紙。寸法:25.4 × 37.5 cm。所蔵:メトロポリタン美術館。作品番号:JP192。

出典・検証資料

本稿は美術館の作品台帳、展覧会・研究資料に基づく。出生地・初期修業について研究上の不確実性があるため断定を避けた。所蔵作品の現在の展示状況は同館の最新案内で確認されたい。

  1. The Metropolitan Museum of Art: Perspective Print, object JP192
  2. Shimane Art Museum: 歌川豊春《浮絵阿蘭陀国東南湊図》
  3. The British Museum: Utagawa Toyoharu biography
  4. Ōita Prefectural Art Museum research bulletin (study of Toyoharu)
  5. Bates College Museum of Art: Utagawa school history
  6. The Met: Shinobazu Pond by Toyoharu
  7. The Met: A Beauty Looking Down upon a Young Man Reading a Love Letter