最初の訂正――この作品は貞秀ではなく芳虎

載した三枚続は正確に同定できる。メトロポリタン美術館が所蔵する歌川芳虎「五箇国人物 呑飥之図」で、同館は1861年10月の作とする。三枚の色摺木版を横につないだ画面は、幅72.4センチ、高さ35.6センチ。アジア美術部門の作品番号はJP3248で、1959年にリンカーン・カースティンから寄贈された。同館のオープンアクセス対象で、デジタル画像はパブリックドメインと明記されている。

作者名を確かめることは細部ではない。歌川貞秀、芳員、芳虎らは、同じ数年間に同じ新市場を相手にした。外国商館、各国の服装、蒸気船、商人、軍楽隊、宴会、想像上の外国都市を次々と描いたため、似た英題や和題が複数の所蔵館で交差する。同じ版の別の摺りにも異なる英訳や年記が付く。「貞秀による外国人居留地風景」と一般化すれば、目の前の画像を実際に設計した芳虎が消えてしまう。

作品項目掲載画像について確認できた記録
和題「五箇国人物 呑飥之図」――メトロポリタン美術館作品記録の表記
英題People of the Five Nations Drinking and Eating (Gokakoku jinbutsu dontaku no zu)
作者・制作年歌川芳虎(活動期約1850~1880年)、1861年10月
形式錦絵三枚続、紙本木版色摺
寸法14 × 28½インチ(35.6 × 72.4センチ)
所蔵メトロポリタン美術館アジア美術部門、リンカーン・カースティン寄贈、1959年、JP3248
再利用条件パブリックドメイン/Met Open Access。ダウンロード画像は許諾料なしで利用できる

題名の周辺には、資料調査そのものを考えさせる差異がある。米国議会図書館が所蔵する同図の別摺は版元を山城屋甚兵衛とし、改印を酉12月と読み、dontakuを「日曜日」と英訳する。一方、今回の画像に対応するメトロポリタン美術館JP3248は「飲食する五箇国の人々」と訳し、10月とする。本稿は掲載画像の作品番号に従ってMetの記録を主に採用し、議会図書館の異なる記録も隠さず示す。作品目録は絶対不変の答えではなく、版面の印、別摺、先行研究を組み合わせた検証の成果だからである。

三枚の画面は何を見せようとするのか

芳虎は港沿いの屋敷の壁を外し、内部を見物できる舞台へ変えた。外国人の男女が飲み、食べ、煙草を吸い、語り合う。椅子に座る者も、二人で立つ者もいる。フロックコート、山高帽、ボンネット、裾の大きなドレス、鮮やかな模様の衣服は、人物を一目で「異人」と知らせる標識のように働く。背後には帆船、蒸気船らしい船、旗が並び、港全体が国際舞台へ圧縮されている。赤い欄干や瓦屋根は日本または中国風に見え、家具、服、食器が西洋の日常生活を宣伝する。

しかし空間は安定しない。床は不自然な角度で持ち上がり、柱の奥で室内が割れ、遠近法の線が一致しない。これは単なる「下手さ」と片づけられない。異なる視覚体系を翻訳した痕跡である。同構図の別摺についてのMet解説も、中国風の中庭、西洋版画に刺激されたと思われる衣服の陰影、背景を断片化するぎこちない線遠近法を指摘する。芳虎は外国の絵画空間を、日本の三枚続という既存の文法の中で読める形にしていた。

細部は観察に値するが、字義どおりには読めない。人物は実在の宴会の記録肖像ではない。顔や服だけで国籍を割り当てることもできない。「五箇国」は、米国、英国、フランス、ロシア、オランダという初期横浜絵の主要な条約国をまとめた政治的カテゴリーであり、港を動かしたすべての人々の国勢調査ではない。ここにあるのは会議録ではなく、社交の舞台装置である。

横浜絵は外国人を日本に「見せた」だけではない。条約権力、うわさ、海外新聞の図版、現地観察を、一般の買い手が手に取れる商品へ変換した。

「日本最初の異国との出会い」ではない

見出しにある「最初の出会い」には、歴史上の注意書きが必要だ。1853年まで日本が外の世界を知らなかったわけではなく、横浜も異文化を初めて知った無垢な漁村ではない。ポルトガル人、スペイン人の商人や宣教師は何世紀も前に来日した。長崎では中国・オランダとの貿易が続き、朝鮮通信使が列島を往来した。琉球王国、アイヌ社会との交易も地域世界を結んだ。世界地図、舶来書、蘭学、長崎絵は、実際に会ったことのない外国人や海外を想像するための語彙を人々に与えていた。

国立歴史民俗博物館は、近世日本が東アジアから孤立していなかったことを「四つの口」で説明する。長崎口では中国・オランダと通商し、対馬口では朝鮮と、薩摩口では琉球と外交関係を持ち、松前口ではアイヌの人びとと交易した。横浜開港資料館はさらに、長崎が貿易都市として開港した1571年から横浜開港まで、約300年の国際交流史があったと指摘する。

1850年代末に変わったのは、外との接触の有無ではなく、その政治制度、相手、規模、そして視覚的な流通だった。1853年、ペリー艦隊が浦賀に来航。1854年、日米和親条約が横浜で結ばれた。1858年の日米修好通商条約と、オランダ、ロシア、英国、フランスとの安政五カ国条約は、不平等な条件を含む開港貿易の制度を作った。横浜港は旧暦安政6年6月2日、現在の暦で1859年7月1日に開港。二つの波止場、運上所、倉庫、道路、商館、遊廓が急いで整えられた。

幕府は東海道の宿場・神奈川より横浜を好んだ。水路と関所で接触を管理しやすく、幹線道路から離すことで日本人と外国人の自由な往来を抑えられたからだ。こうして現在の「関内」――関所の内側――に、外国人居留地と日本人町が隣接しながら区分された。居留地は山手にも広がり、条約改正に伴って1899年に居住制限が撤廃されるまで独特の法的地理を保った。

1859年グレゴリオ暦7月1日に横浜が条約港として開港。
1861年横浜絵の短く激しい最初のブームの中で、芳虎の三枚続が刊行された。
500図超1859~62年、絵師31人が制作したと推計される横浜関係の異版数。
34人 → 約200人Metによる1860年の横浜の西洋人商人と、1862年ごろの西洋人居住者総数。

描かれた人口より大きかった版画ブーム

江戸の版元は需要をすぐに見抜いた。新開港場は庶民の好奇心を刺激するには都に近く、実際に自由見物するには遠く、また厳しく管理されていた。錦絵なら買い手本人より容易に関所を越える。スミソニアン所蔵品を中心にしたMIT Visualizing Culturesの「Yokohama Boomtown」によれば、1859~62年に31人の絵師と50軒を超える版元が500種以上の横浜図を制作し、総摺り部数は25万枚に達した可能性がある。

Metは画像の供給量と外国人人口の落差を示す。1860年の西洋人商人はわずか34人、1862年ごろの西洋人居住者全体も約200人だった。にもかかわらず、三枚続には多数の女性、子ども、軍隊、馬車、音楽家、使用人が並んだ。版画の中の外国都市は、現実の居留地より人口が多く、整然とし、壮観だった。

制作は共同作業である。芳虎が下絵を作っても、題材を選び、資金を出し、販売したのは版元であり、彫師が山桜の版木へ線を移し、摺師が主版と複数の色版を丈夫な和紙に見当に合わせて摺った。Metの浮世絵制作解説は、絵師、彫師、摺師、版元の四者を挙げ、多色摺では最大20枚ほどの版木を使う場合があったとする。三枚続なら調整はさらに増える。一人の作者の「作品」に見えるものは、流行へ応答する小規模なメディア産業でもあった。

題名の短冊、芳虎の落款、版元印、改印は、19世紀の小さなマストヘッドに近い。画像は新しい情報を約束したが、視覚的な快楽を通じて売られたニュースだった。服が誇張されるのは、国や人物の型を見分けさせるため。船が増えるのは、近代性を告げるため。食事、椅子、パイプが重要なのは、見知らぬ世界を生活習慣として想像できるようにするためだった。

現地取材、借用図版、意味のある「間違い」

横浜を訪れて写生した絵師もいた。それでも資料は現地観察だけではない。海外の新聞・雑誌が日本へ入り、長崎絵にはすでに外国人を表す型があり、大名行列や吹抜屋台の構図は未知の場面を整理する枠になった。したがって、横浜絵は事実か虚構かの二択ではない。対象からの距離が違う複数の情報源を積み重ねた画像だった。

たとえば貞秀「五箇国人物行歩図」は、150人を超える人物を空想的な行列へ詰め込む。スミソニアンの作品解説は、現地観察と欧米新聞・雑誌の図版を組み合わせた構成と説明する。そこには港の商業に不可欠だった中国人、インド人も描かれるが、彼らは「五箇国」には数えられない。別の異人屋敷内部図では、人物の出典をIllustrated London NewsFrank Leslie’s Illustrated Newspaperまでたどることができる。

芳虎の三枚続も同じ混合的な方法に属する。港は空想を横浜へ固定し、中国風にも見える中庭は一般化された外国商館の観念から来た可能性がある。衣服の陰影と奥行きは西洋版画を引用する一方、三枚続の形式、平面的な色面、装飾的な反復は江戸の視覚文化に残る。空間の「間違い」は、西洋の光学的な仕組みを試した痕跡であり、単なる未熟さではない。

目録の題名も翻訳の過程を見せる。議会図書館の「日曜日」という読みは、dontakuを外国由来の週のリズムへ結びつけ、Metの「飲食」という読みは画中の行為と表記された漢字を中心に置く。どちらにしても主題は余暇である。国際政治は、休日、杯、会話、食事という日常へ引き寄せられる。

五つの国旗が隠す、より大きく不平等な港

「五箇国」は包括的に響き、画面整理にも便利だった。しかし現実全体ではない。中国人商人、通訳、買弁、職人、労働者は横浜経済に不可欠だった。南アジア出身の雇員や船員も当時の図像に現れる。日本人の売込商、仲買、荷役、官吏、遊女、家事労働者なしに居留地は機能しない。横浜開港資料館によると、1898年の居留外国人約5,400人のうち約3分の2は中国人だった。それでも象徴的な題名を占めたのは五つの西洋条約国である。

もう一度、芳虎の前景を見る。上質な服の外国人が消費し、会話し、アジア系に見える人物は屋敷内で別の位置を与えられる。服装は人を分類するよう誘うが、個人の確かな身元は示されない。慎重に読めるのは構造である。想像上の西洋人余暇階級が中心に座り、それを支えた労働と仲介は十分には可視化されない。個人像が創作でも、階層秩序は記録される。

ジェンダーも安定しない。開港初期の外国人女性は非常に少なかったが、横浜絵は通りや応接間を女性で満たした。ドレス、帽子、母子像、家族生活は売れる異文化情報だった。女性を増やすことで、圧倒的に男性が多く一時的だった居留地を、定住した家庭世界のように見せられる。別の作品群は、港崎遊廓や異人との性的関係を見世物にした。開港場経済の中で働いた女性を、明るい「文化交流」にも異国情緒の装飾にも還元してはいけない。

開港は平和な祝宴だけでもなかった。領事裁判権、関税制限、条約上の特権は不平等な秩序を作った。1860年代には攘夷暴力と報復が続き、1862年の生麦事件と、その後の薩英戦争も、芳虎の楽しげな宴会図と同じ時代に属する。食卓を囲む五箇国は、港に停泊する船とともに安心できる対抗イメージを提供した。その調和は現実描写というより、願望であり商品だった。

時代が変わると、芳虎も主題を変えた

芳虎の生涯について確実な情報は多くない。Metは断定的な生没年ではなく、約1850~80年という活動期で示す。師は歌川国芳で、初期には国芳が得意とした武者絵や伝説を描いた。横浜が時代の視覚的主題になると、外国人、外国、港へ筆を転じた。

これは伝統を捨てたのではなく、歌川派の柔軟性を表す。武者を三枚に展開する訓練を受けた絵師は、外交官、蒸気船、クリノリンのドレスも同じ画面に組織できる。外国人の行列は大名行列のリズムを受け継ぎ、横浜港は伝統的な「八景」の一景になった。新しい内容は古い枠を通って入ってきた。

明治期の芳虎は技術変化を追い続けた。1872年の「東京築地舶来ぜんまい大仕かけきぬ糸をとる図」は、女性工員、繭を煮る湯気、スイス人技師の知識で導入された機械式繰糸設備を記録する。交通、鉄道、気球を描いた作品もある。1861年の中庭にある好奇心は、未知の仕組みを可視化し続けた長い制作活動の一部だった。横浜絵は芳虎の到達点ではなく、一つの出発点である。

流行商品からパブリックドメインの世界資料へ

物理的な三枚続はニューヨークの美術館へ渡り、そのスキャン画像は、作品自身が想像した世界的ネットワークを逆方向にも移動する。Metのオープンアクセスポリシーは、著作権保護期間を終えた作品画像とデータを、商用・非商用を問わず許諾や料金なしで利用できるようにする。だから2026年の本紙は、故人の様式を模した新作ではなく、実物の高精細画像を掲載できた。

パブリックドメインは「作者不明」「説明不要」という意味ではない。責任あるキャプションは、芳虎の名、作品名、制作年、技法、寸法、所蔵館、寄贈者、作品番号を記す。歴史的作品と「芳虎風」の現代イラストを区別し、読者が根拠を確認し原画像を取得できるよう作品ページへリンクする。法的自由は、歴史を曖昧にしてよい免許ではない。

デジタル化は比較も可能にする。米国議会図書館の別摺Metの摺りを並べ、横浜開港資料館「よこはま歴史画像集」で地域の横浜浮世絵をたどり、MITとスミソニアンの研究で個々の人物を海外新聞図版や都市図へ接続できる。一枚の美しい画像が、複数機関を横断する調査の入口へ変わる。

いま、物語の続きを見る場所

芳虎のJP3248はMetで「展示されていない」と記録される。以下の日本国内の展覧会も、この同じ摺りを展示すると告知してはいない。価値はそれぞれ異なる。絵図から開港場を復元する展覧会、神奈川を浮世絵で見る展示、そして9月には、幕末の横浜浮世絵だけでなく、五姓田派、明治絵画、水彩、輸出美術まで含む広い意味の「横浜絵」を問い直す企画が始まる。ここを混同しないことが重要である。

施設確認済み住所・電話公式サイト
横浜開港資料館〒231-0021 神奈川県横浜市中区日本大通3
代表:045-201-2100
閲覧室予約:045-201-2150
kaikou.yokohama-history.org
よこはま歴史画像集
横浜都市発展記念館〒231-0021 横浜市中区日本大通12
電話:045-663-2424
tohatsu.yokohama-history.org
開催中の絵図展
横浜市歴史博物館〒224-0003 横浜市都筑区中川中央1-18-1
電話:045-912-7777
rekihaku.yokohama-history.org
「横浜絵の深層」
横浜美術館〒220-0012 神奈川県横浜市西区みなとみらい3-4-1
電話:045-221-0300
yokohama.art.museum
2026年度展覧会日程
川崎浮世絵ギャラリー〒210-0007 川崎市川崎区駅前本町12-1 川崎駅前タワー・リバーク3階
電話:044-280-9511
ukiyo-e.gallery
アクセス・開館時間
メトロポリタン美術館1000 Fifth Avenue, New York, NY 10028, USA
電話:+1-212-535-7710
芳虎 JP3248
所蔵品検索

今後の展覧会、講座、鑑賞日程

公開カレンダーと申込ページは2026年7月18日まで確認した。「今後」は本稿公開日の7月21日以後を意味する。展示替えや中止の可能性があるため、出発前に必ず公式ページを再確認してほしい。横浜や浮世絵に関連する企画でも、芳虎の今回の作品が展示されるとは限らない。

日時企画参加・鑑賞条件
7月26日(日)まで
11:00~18:30
「神奈川の浮世絵―意外と知らないディープな魅力―」
川崎浮世絵ギャラリー
一般500円、高校生以下無料。発行日の7月21日(火)は振替休館で、22~26日に残りの会期がある。
9月27日(日)まで
9:30~17:00
「絵図で旅する幕末の横浜」
横浜都市発展記念館
約80点の絵図・地図で横浜村、都市計画、居留地、開港都市をたどる。一般800円。常設展と横浜ユーラシア文化館も観覧可。月曜休館(祝日は開館し翌平日休館)。
7月24日(金)~11月23日(月・祝)
10:00~18:00
毛利悠子「Recompose」
横浜美術館
無料。2024年ヴェネチア・ビエンナーレ日本館「Compose」を横浜で再構成する現代美術展。横浜と世界の往来が続く現在を考える企画。
8月1日(土)
14:30~16:00
講座「岩橋教章と横浜」
横浜開港資料館講堂
1,000円、定員40人、応募多数抽選。公式ページ記載の申込締切は7月24日17:00。
8月1日(土)~2027年2月11日(木・祝)コレクション展「海を渡った女性たち」
横浜美術館
一般500円、区分別割引あり。国境を越えて活動した女性作家を主題にする。休館期間と同時開催展のセット券条件を要確認。
8月1日(土)~11月23日(月・祝)「マリー・アントワネット・スタイル」
横浜美術館
V&Aが企画した国際巡回展。別途有料。11月23日までは同日券でコレクション展も観覧できる。
8月15日(土)
15:00
「絵図で旅する幕末の横浜」展示解説約45分、申込不要、特別展観覧料のみ。9月21日にも実施予定。
8月22日(土)
14:00~16:00
特別講座「絵図・地図で楽しくたどる幕末から戦後の横浜―関内を中心に」1,000円、定員40人、応募多数抽選。掲載された申込締切は8月5日17:00。
8月29日(土)
14:30~16:00
講座「幕末横浜の絵図」1,000円、定員40人、応募多数抽選。掲載された申込締切は8月12日17:00。
9月5日(土)~10月18日(日)
9:00~17:00
「横浜絵の深層―ジャンルか、イメージか、それとも輸出美術か」
横浜市歴史博物館
一般1,000円。ここでいう広義の「横浜絵」は、横浜浮世絵を位置づけつつ、五姓田派、明治絵画、水彩、輸出美術を中心にする。芳虎の掲載作品が出品されるとは限らない。
9月6・19・23日、10月4・10・17日
14:00
「横浜絵の深層」ギャラリートーク各約40分、観覧券が必要、事前申込不要、各回20人程度。
9月12・22・26日、10月3日
14:00~15:30
横浜絵、眞葛焼、近代横浜のアートビジネス、水彩画を学ぶ全4回講演会各回900円、4回一括3,500円。定員150人、事前オンライン購入制。締切は回ごとに異なり、最初は9月2日。

横浜絵を見るための五つの問い

問い確認する場所意味
誰が作ったか落款、絵師名、版元印、改印、所蔵館記録、別摺間の差。「浮世絵師」は版元主導の共同制作における一つの役割である。
何が観察されたか地形、商品、制服、船の形、文字情報、地図や古写真と一致する特徴。全体が空想でも、部分は歴史資料になり得る。
何が借用されたか西洋の陰影・遠近法、新聞図版、長崎絵の人物型、行列形式、室内の定型。借用は視覚情報が移動した経路を示す。
誰が中心か条約国の人々、裕福な消費者、男女、使用人、仲介者、見世物、画面から消えた人。「国際的」な絵は居留地の法的・人種的階層も再生産する。
買い手は何を欲したか珍しい服、食事、機械、旗、恋愛、危険、変化を整然と説明する物語。横浜絵は外国人生活と同じほど、国内市場の欲望を伝える。

部屋の中の世界、世界の中の部屋

芳虎の中庭は、透明な窓でも、偏見だけの壁でもない。情報、権力、好奇心が交差するスクリーンである。ある外国人集団が特定の日の午後に何をしたかより、江戸の買い手が外国世界をどう見たがっていると版元が判断したかを雄弁に語る。繁栄し、社交的で、流行の服を着て、技術と海で世界につながり、日本人の目で見物できる場所である。

だから不正確さそのものが歴史資料になる。食い違う遠近法は二つの絵画体系の接触を記録する。実際より多い外国人女性は、完全な家庭世界を想像したい欲望を記録する。「五箇国」は条約権力を記録する。目立たないアジア系労働は、公式カテゴリーに収まらない階層を記録する。欄干の向こうの船は、この部屋を海へ、海を世界へつなぐ横浜の主張である。

この画像は、7月21日号で扱う商工会議所、外国人クラブ、ジャーナリズム、国際コミュニティーの歴史を、条約港という起点へ戻す。会議室やクラブハウスが建つ前から、大衆版画は「国際的な部屋」を作り、そこに誰を座らせるか決めていた。2026年にも通じる問いが残る。誰が見え、誰が給仕し、誰が一国を代表して語り、誰が画面の外に置かれるのか。

パブリックドメインの横浜絵を尊重する最良の方法は、懐古的な壁紙として使うことではない。作者を名指しし、年を確かめ、借用元を追い、人口や条約制度と照合し、鮮やかさを楽しみながら階層を中立と思わないことだ。そのうえでもう一度、杯を持つ女性、パイプを持つ男性、欄干の向こうの船、三枚の紙の継ぎ目を見る。日本が初めて外の世界を見た瞬間ではない。自国が世界のどこに立つか、その新しい画像を大量生産し始めた瞬間なのである。

主な資料・さらに読む

編集部注:調査とイベント情報は2026年7月18日まで確認した。提供された3,888 × 1,939ピクセルのヒーロー画像は、MetのJP3248オープンアクセス画像と一致する。Metは1861年10月、米国議会図書館は別摺の改印を酉12月と記録し、dontakuの英訳も異なるため、本稿は両方を明示した。主催者が告知していない限り、日本国内の関連展でこの作品そのものが展示されるとは表現していない。歴史的人口の呼称は引用機関の当時の区分・表現に基づき、現代のアイデンティティー分類ではない。本号の為替表示は指定値をそのまま掲載し、UTCの更新時刻を日本時間の2026年7月19日4:07へ換算した。