鳥が鳴いている。そう思って見始めると、すぐに戸惑う。細い線でできた脚は頼りなく、首はばねのように曲がり、止まり木らしい横線の先には手回しのハンドルがついている。これは鳥の集まりなのか。それとも、鳥の声を出させる装置なのか。
今日のアートは、パウル・クレーが1922年に制作した《さえずる機械》。英題はTwittering Machine、ドイツ語題はDie Zwitscher-Maschineで、ニューヨーク近代美術館(MoMA)が所蔵する。[1] 日本語題は、東京国立近代美術館が公開する古賀春江の模写の作品名にも確認できる。[2] かわいらしさに近づいた目が、いつの間にか不安を見つける。その移り変わりを急がず味わいたい。
MoMAの作品ページで《さえずる機械》の原作画像を見る。冒頭の画像はクレーに着想を得たAI生成の編集用イラストで、原作の複製ではない。以下の観察は原作を対象としている。
ハンドルを見つけると、鳥が変わる
原作には4羽の鳥を思わせる姿がある。頭の高さも、くちばしの向きもそろわない。左の姿は上を向き、別の姿は首を落とす。整列した合唱隊というより、別々の調子で声を出そうとする者たちに見える。羽毛や筋肉を丹念に描かなくても、線の傾きだけでそれぞれの身ぶりが生まれている。
視線を右へ移すと、握れる形のハンドルに行き着く。鳥の奇妙な姿以上に、この部品が場面を変える。回す者がいれば、回される側がいるはずだからだ。しかし画面には操作者がいない。鑑賞者は、その不在の手を自分で想像してしまう。
下方には、奥行きを示す線で囲まれた桃色の区画がある。MoMAはここに罠の可能性を読み取る。[1] ただ、絵の細部をすべて一つの寓意に置き換える必要はない。線は説明図ほど明快ではなく、鳥も生物図鑑ほど確定していない。この決めきれなさが、不安を長持ちさせる。
軽やかな線には、手間が隠れている
ひと息で描いた落書きのように見える線にも、制作の工程がある。ここで重要なのが油彩転写だ。横浜美術館は、クレーの別作品《攻撃の物質、精神と象徴》の解説で、原画の線をなぞって別の紙へ写す技法を紹介している。写された線の粗い質感や、手の圧力、紙のこすれが生むむらにも注目する。[3]
この説明を手がかりに《さえずる機械》を見ると、輪郭から離れた黒い擦れも、単なる汚れとして片づけられなくなる。滑らかな線だけを選び取るのではなく、材料との接触で生じる痕跡を画面に残す。機械を思わせるものを描く行為そのものに、写し取るという間接的な操作が入り込んでいる。
ただし、転写をそのまま大量生産と同じ意味にしてはいけない。ここで見たいのは、手が完全に消えるのでも、すべてを直接支配するのでもない制作のあり方だ。線を導く意図と、紙や絵の具が返してくる結果。そのやり取りが、頼りなさと生々しさを同時に生む。
京都国立近代美術館の2011年展「パウル・クレー ―おわらないアトリエ」は、作品が物理的にどう作られたかを中心に据えた。館の説明によれば、クレーは1911年から作品リストを作り続け、制作方法も細かく記していた。[4] 夢のような画面を支えていたのは、夢想だけでなく、作業を観察し記録する姿勢でもあった。
音楽は聞こえないからこそ、気になる
クレーにとって音楽は、便利な比喩ではなかった。パウル・クレー・センターの年譜では、父は音楽教師、母は歌手で、若いクレーは音楽と絵画のどちらに進むか迷ったとされる。[5] 同センターが保管する資料には、演奏に使った楽譜やヴァイオリンもある。[7]
それでも、この絵から一つの旋律を聞き取ろうとする必要はない。長い首と短い首、高い頭と低い頭、張りつめた直線とほどける曲線を、音の長さや強さになぞらえて見ることはできる。しかし、どの音高で、どんな速さで鳴るのかは描かれていない。目は形を確かめられても、耳は確かめられないままだ。
クレーと音楽を論じた研究書の刊行予告で、編者トーマス・ガルトマンは、画家の造形への関心を形式や比例という観点から紹介している。また、ピエール・ブーレーズが《さえずる機械》を音に置き換えることに懐疑的だったとも記す。[8] 絵と音楽が深く関わることと、絵がそのまま演奏可能な楽譜であることは違う。
むしろ聞こえないことが、鑑賞者を働かせる。かわいい声を想像する人もいれば、きしみや叫びを思う人もいる。自分が補った音に気づいたとき、絵は見る対象であると同時に、自分の期待を映すものになる。
1922年の仕事と、その後の迫害
制作年の1922年は、クレーがバウハウスで教えていた時期に当たる。MoMAの経歴紹介によれば、教員として在籍したのは1921年から1931年。その後デュッセルドルフで教えたが、1933年にナチスによって職を追われ、ベルンへ移った。第一次世界大戦中にはドイツ軍に従軍したものの、前線では戦っていない。[6]
ここで年代を混ぜないことが大切だ。1922年の鳥たちを、後年の迫害を予言した図像だと断定することはできない。制作の時代と、作品が後に置かれた政治的状況は、関係を考えながらも区別しておく必要がある。
MoMAの来歴記録では、作品は1923年にベルリンのナショナルギャラリーが作家から取得し、1937年にナチスの「退廃芸術」政策のもとで取り上げられた。画商を経て、1939年10月14日にMoMAが取得している。[1] これは単なる所蔵先の変更ではない。公的なコレクションにあった作品が排除の対象となり、国境を越えたという歴史である。
日本で受け取られた線
日本との接点も、抽象的な親近感だけではない。東京国立近代美術館の所蔵記録には、古賀春江による《P.クレー作〈最後の雪〉(1927年)および〈さえずる機械〉(1922年)模写》がある。素材・技法は鉛筆、支持体は紙とされる。[2] 記録された模写の存在は、日本の画家がクレーの造形に向き合った具体的な痕跡だ。
ただし、この記録だけで、どの複製を見たのか、何を学ぼうとしたのかまでは決められない。写すという行為から確実に言える範囲を守ることで、受容の歴史はかえって手触りを持つ。遠い国の名作が、別の画家の紙の上で、一本ずつの線として試された。その事実を想像するだけでも、この作品を見る距離は変わる。
いま、誰がハンドルを回すのか
技術について考える現代の読者には、声を発するものと、それを動かす仕組みの関係が気になるだろう。クレーが今日の自動化や人工知能を予見したという話ではない。人間らしい表現を聞いたとき、その背後の操作や目的をどこまで意識するのか。これは絵から出発する、現在の私たちの問いである。
機械があるから自然が失われた、と結論を急ぐより、もう一度4羽を見る。それぞれの姿はまだそろわず、線はまだ震えている。装置に組み込まれていても、同じ部品には見えない。その違いを抵抗と感じるか、いっそう痛ましく感じるか。作品は答えを固定しない。
| 項目 | 作品情報 |
|---|---|
| 作者 | パウル・クレー(1879–1940) |
| 作品名 | 《さえずる機械》/Twittering Machine(Die Zwitscher-Maschine) |
| 制作年 | 1922年 |
| 素材・技法 | 紙に油彩転写、水彩、インク。台紙の縁にグアッシュとインク |
| 寸法 | 64.1 × 48.3 cm(MoMAの現行記載) |
| 所蔵・作品番号 | ニューヨーク近代美術館(MoMA)/564.1939 |
鑑賞の最後には、ハンドルをしばらく見ないで鳥だけを眺め、それからハンドルへ目を戻してみたい。部品一つで、同じ姿がどれほど違って見えるだろう。《さえずる機械》の不穏な音楽は、紙から鳴るのではない。見る私たちが、つい回してしまう想像の中で始まる。
- MoMA:《Twittering Machine》作品情報・来歴
- 東京国立近代美術館:古賀春江によるクレー作品の模写
- 横浜美術館:クレーの油彩転写技法
- 京都国立近代美術館:パウル・クレー ―おわらないアトリエ(2011年)
- パウル・クレー・センター:年譜
- MoMA:パウル・クレーの経歴
- パウル・クレー・センター:所蔵資料・音楽と自然の資料(2025年)
- クレー研究誌:トーマス・ガルトマン編、クレーと音楽(2020年刊行予告)
9月17日までに確認した美術館資料などに基づく。原作の観察と、現在の技術に結びつける考察はJapan.co.jpによる。
