日本画は、静かに眺めるだけのものだろうか。大きな画面で鑑賞者に働きかける絵画を追求した川端龍子(かわばた・りゅうし、1885~1966年)を、9月26日号の「本日のアート」に選んだ。[1] 色の対比や画面を動かす力に注目し、龍子の絵画から本号の表現を考える。

洋画を学び、日本画へ

龍子記念館の年譜によると、龍子は和歌山市に生まれ、洋画を学んだ後、1913年に渡米し、帰国後に日本画へ転向した。1928年に日本美術院同人を辞し、翌1929年に青龍社の樹立を宣言して第1回展を開いた。[1]

大田区文化振興協会は、龍子が大画面の力強い作品を制作し、「会場芸術」を提唱したと紹介している。[3] この言葉から考えたいのは、絵の大きさだけではない。作品が置かれる空間や、そこに集まる人々との関係までが、表現の課題になるということだ。

《小町屋敷》の青と黄色

本号で手がかりとするのは、メトロポリタン美術館が《小町屋敷》(英題 Komachi’s Residence)として収蔵する1918年の掛け軸だ。絹に墨と彩色で描かれている。同館の解説は、竹林の中の小屋を包む濃い青を夕暮れの影、明るい黄色を雲間から差す月光と読み解く。[2]

青と黄色が強く響き合うと、静かな住まいの情景にも緊張が生まれる。編集部は、この作品を色が視線を導く絵として捉えたい。明るい部分を見た後に影へ目を移すと、同じ画面の中に異なる距離感や時間の流れを感じ取れる。

同館は題名を小野小町の伝説と結び付けつつ、解釈にはさらなる研究が必要とも記している。[2] 小町の実際の住居を正確に写した風景と断定せず、文学的な連想を伴う絵画として見ることが大切だ。

大画面の迫力を、色と動きから考える

《小町屋敷》を、後年の大作と同じ規模の作品として扱う必要はない。静かな掛け軸に見られる色の働きと、広い会場で人に届く大画面の構想を並べて考えることで、龍子を単に豪快な画家という一言でまとめずに済む。

また、自然への関心をたどる場所として、東京・大田区の龍子公園がある。龍子が自ら設計した旧宅とアトリエが保存されており、制作と暮らしの環境に触れられる。[4] 絵の中の力強さを、身近なものを観察する時間とあわせて考えたい。

本号のニュースを結ぶ表現として

編集部が本号の挿絵で参照するのは、龍子の作品そのものの構図ではなく、色の対比や大胆な線が生む視覚的な力だ。バスケットボールの動き、鉄道復旧の現場、工業生産の広がりには、画面を横切る線や大きな色面を生かせる。

一方、農業研究や地域の暮らしを扱う絵では、植物や人の居場所に目を向ける。力強い表現を使う場合も、記事に登場する人々の日常を大げさな見世物にせず、内容を読むきっかけとなる画面を目指す。

本号の挿絵は龍子に着想を得たAI生成の編集用イラストであり、龍子の作品や実際のニュース現場を示す画像ではない。画家の原作については、下記の所蔵館の資料から、その時代や技法とともに確かめてほしい。

出典

  1. 大田区立龍子記念館:館の紹介・川端龍子略年譜
  2. メトロポリタン美術館:小町屋敷/Komachi’s Residence、1918年
  3. 大田区文化振興協会:ART bee HIVE vol.27(会場芸術・青龍社)
  4. 大田区立龍子記念館:龍子公園