鶴の長い首を目で追うと、手前に広がる松の枝に行き当たる。別の頁では、白く細い草の線が、画面の下からせり上がる月の大きな弧を横切る。形はすぐに分かる。それでも、見終わるまでには時間がかかる。神坂雪佳(かみさかせっか、1866~1942年)の『百々世草(ももよぐさ)』には、目を引く明快さと、目をとどめる複雑さが同居している。[1][2][3]

本日のアートは、この図案集の二つの図を入口に選んだ。大胆な輪郭、伸びやかな曲線、描き込まずに残す空間。そうした特徴を、単に「今見てもモダン」と片づけるのは惜しい。雪佳の仕事をたどると、絵の美しさを本や器、調度へと届けようとした、近代京都のもう一つの美術史が見えてくる。

一枚の絵であり、頁をめくる本でもある

『百々世草』は、1909~10年に京都の芸艸堂(うんそうどう)が出版した画集である。パナソニック汐留美術館の2022年展覧会作品リストには、1909年ごろの原画と、1909~10年刊行の版本が別々に記載されている。原画と、それを木版で届ける本とは、関係しながらも異なる作品の姿なのだ。[1][4]

米国の国立アジア美術館が所蔵する三冊本は、第1冊を1909年、第2・第3冊を1910年とする。同館の記録は、紙に墨、色、雲母を用いた木版印刷と、その紙表紙までを記載する。[5] デジタル画像では一つの平面に見えるが、本来は紙の厚みがあり、閉じたり開いたりする物でもあった。

クリーブランド美術館は、図が当初は購読者に一枚ずつ配られ、その後、冊子として再刊されたと説明している。[2] 画像だけを切り出して眺める時には、この届き方の歴史が見えにくい。頁をめくれば、前の図の印象が次の図に持ち越される。構図の工夫は、一図の内部だけで完結するとは限らない。

鶴を見る——細い松葉と、大きな白い形

クリーブランド美術館が「Cranes (Tsuru)」として公開する図では、三羽の鶴が松の枝の間から首を伸ばす。白い身体と黒い首、頭部の小さな赤が、細かな緑の松葉に重なる。[2] まず輪郭をとらえ、それから鳥と枝の前後関係に目を移すと、同じ画面の見え方が変わってくる。

Cranes (Tsuru)
Cranes (Tsuru) — 神坂雪佳、1909~10年。クリーブランド美術館蔵。Norman O. Stone and Ella A. Stone Memorial Fund. 1988.23.2.8. Open Access.

鶴だけを取り出せば、形の明快さが際立つ。しかし、松は単なる背景ではない。小さな線が幾重にも集まり、鳥の大きな面と異なる速度で視線を動かす。首の方向が互いに響き合う一方で、枝は身体の一部を隠す。すべてを見せないことで、画面の外や奥へと想像が続く。

ここでいう簡潔さは、細部を一律に減らすことではない。細かく刻む場所と、大きくまとめる場所を選び分けることだ。鶴の形が強く見えるのは、その周囲に別の密度が用意されているからでもある。雪佳の大胆さを、輪郭の太さや色数だけで測ることはできない。

月とススキ——何もない場所も画面をつくる

もう一図は、同館が「Susuki Grass in Moonlight (Obana ni tsuki)」と記録する作品である。月の大きな弧に、黒い茎と白くしなう草の線が重なる。[3] 鶴の図で感じられた密集とは違い、こちらでは線と線の間に広がる空間が、見る速度を緩める。

Susuki Grass in Moonlight (Obana ni tsuki)
Susuki Grass in Moonlight (Obana ni tsuki) — 神坂雪佳、1909~10年。クリーブランド美術館蔵。Norman O. Stone and Ella A. Stone Memorial Fund. 1988.23.2.9. Open Access.

月は、空に浮かぶ小さな丸として遠くに置かれていない。画面の下方を占めるほど大きく、その輪郭は草と交差する。一本の線を追えば草が主役になり、少し目を離せば月の面が前に出る。主役と背景の関係が、一度決まったままにならない。

余白も、白い紙が何もされずに残っている場所だけを指すのではない。この図では、色や階調のある地が、細い線を受け止めている。描かれたものが少ない場所にも、明るさ、広がり、間隔という働きがある。画像を縮小して全体を見てから拡大すると、面の構成と線の表情を行き来しやすい。

秋らしさを伝えるために、山も野も月見の人も描き足す必要はない。草と月の関係だけで、夜気や季節を思い浮かべる余地が生まれる。これは作品から読み取れる効果であり、作者の言葉として伝えるものではない。

京都の図案家が、琳派に見つけたもの

芸艸堂の略歴によれば、雪佳は京都に生まれ、四条派の鈴木瑞彦に絵を学び、その後、岸光景のもとで図案を学んだ。漆器や染織の原図、室内装飾にも仕事を広げている。[4] 絵画と工芸を分けて考えるより、その間を行き来する人として見る方が、活動の幅を理解しやすい。

パナソニック汐留美術館は、欧州で新しい美術工芸を視察した経験が、日本の装飾芸術を見直し、琳派(りんぱ)の研究を進める契機になったと説明する。[6] 海外を見ることと、古典に向き合うことは、雪佳にとって別々の道ではなかった。

琳派の流れをたどると、江戸初期の本阿弥光悦、俵屋宗達から、尾形光琳・乾山、さらに酒井抱一や鈴木其一へと、時代を隔てた作り手が現れる。同館は、雪佳が表現技法だけでなく、先人たちの活動姿勢にも共感したと位置づけている。[6] 古典の図柄を借りるだけでなく、暮らしに美を届ける仕事のあり方を引き受けた、という見方だ。

そう考えると、「伝統」と「新しさ」のどちらかに雪佳を置く必要はなくなる。過去の蓄積を知るからこそ、何を残し、どこを大胆に変えるかを選べる。今日の画面から感じる軽やかさの背後には、そうした選択の厚みがある。

図案は、人の手を経て暮らしへ届く

雪佳の意匠がどこへ向かったかは、作品名からも分かる。2022年の展覧会リストには、雪佳が図案を、神坂祐吉(かみさかゆうきち)が制作を担った《波に松喰鶴図卓》が載る。雪佳の図案と五代清水六兵衞の制作による《波の図赤楽茶碗》も記載されている。[1] 一人の画家の名だけでは見えない、作る人同士の関係がそこにある。

紙なら、頁の縁や折り目が構図に関わる。器なら、丸みや持つ向きが加わる。卓なら、物を置いた時にも図柄の一部が見える。図案を生活へ移すことは、平面の絵をそのまま貼り付けることとは違う。使われる物の形や、人の動きとの関係を考える仕事でもある。

芸艸堂は、創業時から染織、陶芸、漆芸のための図案家と協働し、木版摺の図案集を刊行してきたと説明する。[7] 出版社は作品を売る窓口であるだけでなく、意匠を複数の作り手や使い手へ届ける場でもあった。

現在の同社の『百々世草』紹介には、当時の版木を使い、現代の摺師が制作した「後摺」の版画であることが明記されている。[4] 図柄が同じでも、1909~10年の刊行物と後年の摺りは同一の物ではない。作者名に加えて、いつ、どのように作られた一枚なのかを見ると、版画の歴史はより具体的になる。

今日のニュースを、形から見直す

本日の紙面で雪佳を選んだのは、秋の植物だけでなく、港の生き物や競技の動きにも、その構成を考える方法が生きると感じるからだ。カニの脚の曲がり方、川岸の花の反復、踏み出す選手の重心。何を大きく見せ、どこを描かずに残すかによって、同じ題材にも違う入口ができる。

ただし、それは本紙による現在の解釈である。冒頭の鶴と秋草の画像は、雪佳の造形に着想を得たAI生成の編集用イラストであり、『百々世草』の一図ではない。本文に掲載した二つの所蔵作品画像とは区別してご覧いただきたい。

雪佳の魅力は、ひと目で伝わることと、何度も見直せることが両立する点にある。形を減らしても、世界まで小さくはならない。松葉の間の鶴、月を横切る草。その少ない手掛かりから、見る人の中に広い景色が立ち上がる。

鶴の図を所蔵館で見る月とススキの図を所蔵館で見るJapan.co.jp アートギャラリー