1716–1800伊藤若冲の生没年
30幅国宝『動植綵絵』
1766年ごろ『老松白鳳図』の制作年代
2021年国宝指定

奇想は、観察から生まれた

「こんな鳥は本当にいるのだろうか」。老松の枝に立つ白い鳳凰を見れば、まずそんな疑問が浮かぶ。細い羽の一本一本は手に取れそうなほど精緻なのに、描かれた鳥そのものは現実の生物ではない。江戸中期の京都で生まれた画家、伊藤若冲(いとう・じゃくちゅう、1716~1800年)の『老松白鳳図(ろうしょうはくほうず)』は、観察で得た生命の手触りを想像上の存在へと移し替える力を示す。

「老松白鳳図」はどんな作品か

皇居三の丸尚蔵館が所蔵する『老松白鳳図』は、国宝『動植綵絵(どうしょくさいえ)』を構成する一幅で、1766年(明和3年)ごろの制作とされる。絹本着色、縦141.8センチ、横79.7センチ。右上には旭日があり、老松には桐が添えられ、白鳳が枝に姿を見せる。絵の題名は「白鳳」だが、鳳凰は実在の鳥類名ではなく、吉祥の意味を帯びた霊鳥である。現代の自然史画のように一羽を識別する絵ではない。自然を深く見つめた画家の、寓意と構成を備えた絵画なのだ。

白い羽の下に、もう一つの色がある

白の表現は、単に白い絵具を表面に重ねた結果ではない。東京文化財研究所の光学調査によると、鳳凰の前面には画絹の裏側から黄土と胡粉(ごふん)による彩色が施され、その上で表から細密な白い毛描きと彩色が加えられている。絹の透けと光沢が重なることで、羽は薄いレースのような輝きを帯びる。桐の青い花にも顔料と染料を使い分けた工夫が確認された。精妙な画面には、材料を知り、手順を試す職人としての知恵がある。

錦小路の青物問屋から

若冲は京都・錦小路の青物問屋の家に生まれ、家業を継いだ。文化庁の文化財解説は、1755年(宝暦5年)に家督を弟へ譲り、画業に専心するようになったと記す。しかし、商いから完全に離れたという単純な伝記は、京都府の史料研究によって修正されつつある。若冲は隠居後も町年寄として地域運営に関わった。絵を描く人であると同時に、市場を支える町の人でもあった。

市場を守った、知られざる一面

京都府立京都学・歴彩館の資料ガイドによれば、1771年、錦小路の青物市場の開場をめぐって五条の問屋との争いが起こる。若冲は市場へ野菜を出荷する近郊の村々にも働きかけ、町奉行所との交渉に奔走したという。1774年に市場の再開へ至る経緯を記した『京都錦小路青物市場記録』が残されている。この行動を現代の言葉で「活動家」と決めつける必要はない。だが、植物や鳥を描いた画家が、植物を売る人々とその生活にも目を向けていた事実は見逃せない。

三十幅の宇宙――動植綵絵

『動植綵絵』は30幅の絹本着色画から成る連作で、完成までおよそ10年を費やしたとされる。鶏や小鳥、虫、魚、貝、花、野菜などが精緻に描かれ、写実と装飾が張り詰めた均衡を保つ。画面は現在の博物学図鑑とも、単なる吉祥画とも異なる。生き物の羽毛や鱗や葉脈を丹念にとらえながら、見る者の視線を導くために形や配置を大胆に組み直している。『貝甲図』のように貝類を題材にした作も含まれ、今回のJapan.co.jpの海の生物の発見記事とも、意外な接点がある。

美術館だけのために生まれた絵ではない

この大作は、当初から今日のような美術館展示のために制作されたものではない。若冲自身が京都・相国寺に寄進し、同寺に伝わる若冲筆『釈迦三尊像』とともに仏教儀礼の場を荘厳する役目を担った。1889年に相国寺から皇室へ献上され、2021年には国宝に指定された。作品が歩んだ経路を知ると、絵が美しい物体であるだけでなく、信仰と贈与と文化財保護の歴史をたどってきた存在だと分かる。

見えるものと、想像するものの境

白鳳の姿に若冲の技量が凝縮される。実在しない霊鳥を描くときでさえ、羽の重なり、木の肌、花の構造は、現実の観察を思わせる説得力を持つ。奇抜だから自由なのではない。見ることに時間をかけたからこそ、現実を離れた姿が成立する。大きな鳳凰と繊細な桐の花、その対比は画面に静かな緊張を生む。鳥の象徴的意味については多様な読みが可能だが、特定の政治的寓意が立証されているかのような説明は慎むべきだろう。

科学が見つめる江戸の色

2001~2008年度には、宮内庁三の丸尚蔵館(当時)と東京文化財研究所が共同で『動植綵絵』の光学調査を行った。蛍光X線分析などを用いて顔料の成分や裏彩色の技法を調べ、描画の仕組みを材料の面から明らかにしている。水銀を主成分とする赤色顔料、鉄系の色材、有機染料など、画家の選択は一つではなかった。かつて人の眼と手によって実現された華やかさを、現代の科学は別の角度から読み解いている。

再び三十幅を一堂に

皇居三の丸尚蔵館は、2027年2月4日から3月14日に国宝『動植綵絵』全30幅を一斉展示する特別展を予定している。館の案内では、国内で約10年ぶりとなる機会で、2021年の国宝指定後では初の全幅展示という。日程は2026年10月10日現在の公表予定であり、来館時には最新の公式情報を確認したい。壮大な連作をまとめて見ることは、個々の鳥や花だけでなく、生命をめぐる画家の構想全体を考える契機となるはずだ。

今日の絵は、若冲の原画ではない

このページの大きな画像は、『老松白鳳図』の正式な複製画像ではない。Japan.co.jpが、若冲の細密な羽毛描写や色彩の対照に着想を得て制作したAI生成の編集イラストである。実物の構図や細部、材質、色を正確に再現する史料として使うことはできない。原作の確認には皇居三の丸尚蔵館の作品データベースを案内する。また東京文化財研究所の高精細研究画像には利用上の条件があり、無断で転載できるものと扱わない。

小さなものを見る、その壮大さ

私たちがいま報じるのは、遺伝子解析によって従来一種と考えられてきた小さな貝に複数の系統が見つかったという研究である。若冲がその研究を先取りしたわけではないし、彼の絵は生物学的な証拠でもない。それでも、日常のなかで見過ごしがちな命に目を凝らす態度は、時代を越えて響き合う。見慣れた鳥の羽も、小さな貝殻も、よく見れば単純ではない。白鳳が老松からこちらを見つめるとき、問われるのは画家の奇想だけではない。私たちが世界をどれほど丁寧に見ているか、である。

画像の表示について / Image disclosure 掲載画像は原作の複製ではありません。原作の形状・色彩を確認する際は博物館の作品情報をご覧ください。

出典・参考資料

  1. 皇居三の丸尚蔵館「老松白鳳図」作品情報
  2. 皇居三の丸尚蔵館「動植綵絵」解説
  3. 文化庁 国指定文化財等データベース「動植綵絵」
  4. 京都府立京都学・歴彩館 資料ガイド「若冲と壬生菜」
  5. 東京文化財研究所「老松白鳳図」光学調査
  6. 東京文化財研究所「動植綵絵」の彩色材料
  7. 皇居三の丸尚蔵館・2027年「国宝 動植綵絵 いろどりの世界」
  8. 皇居三の丸尚蔵館 英語作品目録

一次資料・所蔵情報確認:2026年10月10日。2027年の展覧会は予告であり開催済みではありません。