梅の枝が、いつの間にか格子に見えてくる。丸い花は枝先を飾るだけでなく、縦へ流れる線のところどころを留める結び目のようだ。その隣では、斜めの帯を走る枝と、緑の地を刻む折れ線がせめぎ合う。同じ梅から、これほど違う秩序が生まれる。
古谷紅麟(ふるや・こうりん、1875〜1910年)の『梅つくし』を開くと、植物を描くことと、模様をつくることの間にある仕事が見えてくる。国立国会図書館の書誌によれば、京都の山田芸艸堂から1907(明治40)年2月に刊行された図案集で、図版24枚を収める。今日のアートに選ぶ理由は、懐かしい花の美しさだけではない。自然を見て、その形を選び、組み替え、使える意匠にする。その過程が、ページの上に鮮やかに現れているからだ。[1][2]
梅を見せながら、梅から離れる
国会図書館が公開する下の図版を、まず右側から見てみたい。枝は曲線を残しながら、ところどころ直角に近く折れ、花を囲む枠のようにも見える。濃い色の塊と細い縦線が交互に現れ、目は花を一つずつ追うより先に、画面を上下にたどる。梅と分かる要素を残しつつ、その配置が独自の運動を生む。

左側の図案では、細い白線が緑の面を折れ曲がりながら進む。そこを斜めに切る帯の中に、太さを変えた枝と花が置かれる。植物の不規則さと幾何学的な反復が、一枚の中で同居している。枝を一つ取り出せば植物画に近づくが、帯と地の関係まで見れば、すでに画面全体が模様になっている。
これは本稿による図版の読みである。画面上で銀色に見える地について、画像だけから顔料や金属材料を特定することはできない。それでも、明暗の違い、線の太さ、空いた面の広さが働き合う様子は確かめられる。自然を写す精密さとは別の、配置の精密さがある。
図案集という、持ち運べる発想
紅麟の仕事を理解するには、名画を一枚ずつ見る習慣から、少し離れる必要がある。図案集は複数の案を並べ、見比べ、発想を移すための本でもある。一枚の完成した眺めだけでなく、変形の可能性を読者に渡す。梅が続くからこそ、枝の向きや花の密度が変わったときの効果が分かる。
その背景には、衣服と出版が結びついた長い歴史がある。国会図書館の琳派に関する解説は、江戸時代の小袖本(こそでぼん)を、当時の装いを伝える図案集として取り上げる。尾形光琳(おがた・こうりん、1658〜1716年)にちなむ名を掲げた模様も広まったが、名称だけで本人の制作と判断することはできない。人気の意匠は、出版や商いを通じても展開した。[3]
ここで大切なのは、継承が一対一の模写だけで進んだわけではないという点だ。本を介して形が届き、別の作り手が選び直す。紅麟の図案も、そうした「形を伝える媒体」として読むと、手元でページをめくる行為に意味が生まれる。
明治の京都で、紙に定着した意匠
『梅つくし』の版元につながる芸艸堂(うんそうどう)は、1891(明治24)年、京都で創業した。自社の沿革によれば、山田直三郎が寺町二条で図案・図譜の出版を始め、1906年には合名会社芸艸堂となった。紅麟の本は、そうした美術出版の仕事の中から生まれた。[4]
木版による多色表現では、描かれた線や色を、そのまま紙へ移すわけではない。芸艸堂の工程説明では、線を担う版に加えて色ごとの版を彫り、摺りの段階で色や仕上がりを調整する。図案家の構想は、彫りと摺りの判断を経て読者の手に届く。平らに見える色面の背後にも、人の手を介した工程がある。[4]
ただし、この一般的な工程説明を、掲載図版の個々の制作条件と同一視してはならない。使われた版の数や色材まで、今回参照した書誌は明らかにしていない。むしろ注目したいのは、輪郭と色面が整理された本の形そのものだ。植物を再び描き直さなくても、形の組み立て方を比較できる。
紅麟の関心は草花だけに限られない。メトロポリタン美術館は、1903年刊の儀礼の飾りを描いた折本を所蔵している。植物のパターンと、過去の儀礼を視覚化する仕事。その両方を知ると、紅麟を単に「花柄の人」と呼ぶだけでは足りないことが分かる。[5]
「琳派」と「アール・ヌーヴォー」の間で
海外から紅麟を見る入口の一つが、ボストン美術館の公式ショップで扱われるノートカードである。その商品説明は、日本の装飾表現とフランスのアール・ヌーヴォーを結びつけて紹介している。これはショップによる作品紹介であり、特定の展覧会の開催を示す情報ではない。[6]
一方、芸艸堂の現代の作品集『古谷紅麟 草花模様』の紹介は、琳派ともアール・ヌーヴォーとも異なる独自性を強調する。同じ図案家でも、共通点を見つける説明と、違いに目を向ける説明がある。[7]
どちらか一つの呼び名に収めるより、実際の図版へ戻る方が面白い。枝のうねりには植物らしい伸びやかさがある。しかし、花の反復や、画面を切る帯は、自然の生育だけでは説明できない。そこには面を構成する設計がある。「何に似ているか」に加えて、「どのように動いて見えるか」を問いたい。
南極の画像が布になる時代に
今号のテキスタイルの記事にも、自然の姿を別の媒体へ移す仕事が登場する。JAXAとA-POC ABLE ISSEY MIYAKEは、観測衛星「しきさい」が捉えた南極の画像を、ジャカード織りで表現したジーンズの展示を発表した。遠い場所の観測情報が、身に着ける布の構造へと置き換えられる。[8]
須藤玲子とNUNOを取り上げるロサンゼルス郡立美術館(LACMA)の展覧会も、素材や技法の実験に目を向ける。紙に摺られた紅麟の図案と、現代の織物では、素材も技術も用途も違う。それでも、形を考える人と、それを実現する技術との関係を見つめる入口は共有できる。[9]
ここで結んでいるのは本稿の視点であり、現代の作り手が紅麟から直接影響を受けたという系譜ではない。梅の枝を模様へ、衛星画像を布へ。自然をそのまま運ぶことはできず、媒体に合わせて何を残し、何を変えるかを決める。その選択に、デザインの仕事が現れる。
花より先に、間隔を見る
紅麟の図案を見るとき、花の種類を当てる前に、同じ形の間隔に目を向けてみるとよい。次に、枝が画面の端でどう切れるかを見る。最後に、何も描かれていないように見える地の面積を追う。すると、静止した植物の集まりが、速度を持った構成へ変わってくる。
反復は必ずしも均等ではない。密集する場所と、ほどける場所がある。左右が同じでなくても、画面は釣り合う。こうした働きは、図案を壁の絵として眺めたときだけでなく、布の一部として想像したときにも考えられる。ただし、この図案が実際にどの製品に使われたかは、図版を見ただけでは分からない。
『梅つくし』には、1907年という確かな刊行の時点がある。それでも、ページを開いて始まる問いは古びない。自然の何を見れば、次の模様が生まれるのか。紅麟の花は、春の情景を伝えるだけでなく、見る側の視線の順序まで組み替えてくれる。
出典・資料
国立国会図書館の原資料・書誌、日本語の出版社資料、美術館の公式記録を参照。図版の構成に関する記述と現代作品との比較は本稿の考察。発言の引用や独自取材は行っていない。
