先に目に入るのは、人ではない。黒、赤、黄土色の円が画面の大半をふさぎ、その隙間から衣服の裾と足だけが見える。題名が「女学生」と教えなければ、歩く一人ひとりの年齢も表情も分からない。雨の日の帰路は、肖像ではなく群れの動きとして捉えられている。

雨は細かな空気ではなく、右上から左下へ走る長い斜線だ。傘の丸い輪郭と鋭い雨脚がぶつかり、静止した木版画に速度をつくる。大きな赤い傘が中央を押さえ、左の黒い傘が手前へ張り出す。奥の傘は重なりながら小さくなり、画面の外にも行列が続くように見える。

1915年大正4年、新版画が形を取り始めた時期の制作。
26.7 × 19.7 cmスミソニアン所蔵品の紙面寸法。
1884–1950オーストリア出身の画家フリッツ・カペラリ。
CC0所蔵館が高解像度画像の自由な再利用を認める。
日本語の正式題名は断定しない。 スミソニアンの作品台帳は英語で Student Girls Going Home in the Rain と記録する。日本語では「雨中女学生の帰路の図」など複数の表記が流通するが、同館が採用した公的な日本語題は確認できない。本稿は英語題を保持し、本文では説明として「雨中の女学生」と記す。

傘を人物の代わりに置く

この作品に、顔の演技はほとんどない。中央の人物は赤い傘に隠れ、左の人物も黒い傘の下へ消える。見る側は、裾の色、足の向き、傘の高さの差から歩調を推測するしかない。匿名性は欠落ではなく、画面を成立させる仕掛けになっている。

色数も抑えられている。赤と黒が強く対立し、未着色に近い紙の色と黄土色が間をつなぐ。傘の骨は放射線となり、雨の平行線と別のリズムを刻む。日常の道具を円、弧、線へ整理したため、風俗画でありながら抽象画に近い強さを持つ。

右下には「TOKYO 1915」の文字と印が見える。制作地と年を画面に残す一方、スミソニアンの台帳は彫師・摺師の氏名を掲載していない。現在確認できるのは、画家カペラリと版元S. Watanabe Color Print Co.の名である。

雨を描いたのではない。雨に押されて歩く集団を、円と斜線の衝突として組み立てた。

1915年、外国人画家と版元が試したもの

文化遺産オンラインの東京国立博物館作品解説によると、カペラリは1911年に来日したオーストリア出身の画家である。1915年、その作品が渡邊庄三郎(わたなべ・しょうざぶろう)の目に留まり、10点を超える木版画を制作した。同解説はカペラリを「新版画の最初の画家」と位置づけ、浮世絵と洋画の要素を含む新しい表現が、その後の方向を決めたとする。

渡邊木版美術画舗の公式沿革は、庄三郎が1909年に創業し、近代の画家と浮世絵の技術を結びつけた新しいオリジナル木版画を構想したと説明する。1915年にはカペラリ、橋口五葉と試作を始め、のちに伊東深水、川瀬巴水らが加わった。今日知られる「新版画運動」という名称は、こうした活動に後から与えられたものだという。

ここで重要なのは、カペラリ一人を「発明者」にしないことだ。高知県立美術館の解説が示すように、新版画は絵師、彫師、摺師の分業と、版元の企画・品質管理によって成立した。西洋出身の画家が図案を描いたという国際性と、日本の職人が版木と摺りへ変換した制作構造は、同じ作品の二つの側面である。

「新版画の誕生」を一枚で語る難しさ

美術運動に明確な誕生日はない。1915年の試作は重要だが、後年の川瀬巴水や伊東深水の作品まで一直線に決まっていたわけではない。カペラリの位置は、完成した様式の代表というより、版元が別の作り方を探していた出発期の実験者として見る方が正確だ。

東京国立博物館所蔵のカペラリ作品《傘》も1915年の多色摺木版で、文化遺産オンラインはその表現が新版画の方向性を決めたと評価する。ただし、同館作品の寸法は28.5 × 21.4センチで、スミソニアン所蔵品とは異なる。本稿は両者が同一の摺り、同じ版木による別摺り、または題名違いの同図であるかを断定しない。

この慎重さは作品の魅力を弱めない。むしろ、初期新版画の題名、摺り、所蔵履歴が複数の美術館で異なる形で記録されてきたことを示す。版画は一枚だけの絵ではなく、同じ図柄が複数の紙面に現れる媒体でもある。

所蔵館が開いた一枚

スミソニアン国立アジア美術館は、この作品をロバート・O・ミュラー・コレクション、アーサー・M・サックラー・ギャラリー所蔵、登録番号S2003.8.75として公開する。媒体は紙にインクと彩色を施した木版画。現在は展示されておらず、来歴調査は継続中と記されている。

作品画像にはCC0が付され、スミソニアンへの許可申請なしに複製、改変、配布できる。CC0は著作権上の制限を取り除く仕組みで、所蔵情報の正確さまで不要にするものではない。Japan.co.jpは作者、版元、所蔵館、登録番号を併記し、公開された全図をトリミングせず掲載した。

一世紀以上前の雨景が、今日の画面でも強く見えるのは、懐旧だけが理由ではない。人物を説明しすぎず、傘という反復する形に任せたからだ。カペラリと渡邊の1915年は、伝統を保存する仕事ではなく、伝統の工程を使って見たことのない画面をつくる試みだった。

取材時点の注記:本稿は2026年8月29日午後1時30分(日本時間)までに確認した所蔵館、文化遺産オンライン、渡邊木版美術画舗、高知県立美術館の公開資料に基づく。作者の意図を示す一次資料や、この作品に固有の彫師・摺師名は確認できず、構図と色彩に関する記述はJapan.co.jpの作品分析である。