白州で水素を語ると、話はどうしても水へ戻ってくる。南アルプスの森に降った雨や雪が地中へ浸み込み、長い時間をかけて磨かれ、ウイスキーの仕込み水や天然水になる。その同じ場所で今、水に電気を通して水素をつくり、その水素を燃やして工場の蒸気をつくる実証が進んでいる。
これは、燃料電池車のための水素ステーションとはまったく違う水素の使い方だ。グリーン水素パーク -白州- の主役は、工場の中で毎日必要になる「熱」である。飲料工場は、ボトルへ水を詰めるだけの場所ではない。衛生を守るために熱殺菌があり、洗浄があり、蒸気があり、温度管理がある。ウイスキー蒸溜所では、仕込み、発酵、蒸溜と、熱と水が製品そのものの個性に関わる。
脱炭素を電気だけの問題として考えると、こうした工場熱が見えにくい。電力を再生可能エネルギーへ切り替えることは比較的分かりやすい。しかし、既存のボイラで天然ガスを燃やしている熱需要をどう置き換えるかは、設備、温度、蒸気圧、運転の安定性、燃料価格を一つずつ解かなければならない。
白州の実験が面白いのは、そこへ正面から入ったことだ。水素を「未来の乗り物の燃料」としてではなく、「今日も工場で必要な蒸気をつくる燃料」として使う。派手ではないが、産業の脱炭素化では極めて現実的な問いである。
白州が選ばれた理由は、1973年も2025年も「水」だった
白州蒸溜所は1973年に竣工した。山崎蒸溜所の建設からちょうど50年後、サントリー第二のモルトウイスキー蒸溜所として誕生した。二代目社長でマスターブレンダーでもあった佐治敬三は、山崎とは異なる個性の原酒をつくる場所を求めた。
サントリーの公式史によれば、建設地探しで重視されたのは、ウイスキーづくりに適した水と、その水を将来にわたって育む自然環境だった。南アルプス・甲斐駒ヶ岳の麓、標高の高い森に囲まれた白州は、その条件に合った。
白州蒸溜所は現在も「森の蒸溜所」と呼ばれる。約82万m²の敷地を持ち、水、気候、木桶発酵槽、蒸溜釜などの違いが、山崎とは異なる原酒を生み出すとサントリーは説明する。
その隣には、1990年代に天然水の専用工場が整備され、現在のサントリー天然水 南アルプス白州工場がある。蒸溜所と天然水工場は、同じ地下水系と森に支えられている。サントリーは2008年から周辺を「天然水の森 南アルプス」として水源涵養活動の対象とし、現在の面積は約2,027haに及ぶ。
半世紀前、白州は「良い水があるから」選ばれた。2020年代には、その水を水素へ変えることで「良いエネルギーもつくれるか」が問われている。
山梨の水素は、白州から始まったわけではない
グリーン水素パークをサントリーだけの企業プロジェクトとして見ると、歴史を半分見落とす。技術の母体は、山梨県が米倉山で積み上げてきたPower-to-Gas、P2Gの研究にある。
P2Gは、再生可能電力を使って水を電気分解し、水素へ変換する仕組みだ。太陽光や風力は天候で出力が変わる。電気をその瞬間に使い切れない時、水素へ変えれば、分子として貯蔵・輸送し、後で熱や電力、工業原料として使える。
山梨県、東京電力、東レなどは米倉山で小規模なPEM水電解から実証を積み上げ、1.5MW級のP2Gシステムへ拡大した。NEDOの評価資料では、2021年6月から水素の製造、輸送、利用を通年でつなぐ社会実証を始め、システム効率74%という目標を達成したとされる。
そこで得た知見を「工場の中へ持ち込めるか」が次の課題になった。米倉山では電解装置と需要先が離れていた。白州では、電解装置を水素を大量に使う工場の隣へ置く。水素の輸送距離を短くし、工場の熱需要と再エネ電力を一つの制御システムで結ぶ。
白州の16MWは、米倉山1.5MWの単純な大型版ではない。P2Gを「研究サイトの装置」から「大口需要家の日常設備」へ変える実証である。
10社と山梨県――一つの会社では作れない工場
白州の設備は、サントリーが電解装置を買って設置しただけではない。山梨県と10社が参加するNEDOグリーンイノベーション基金の共同開発である。
参加企業は、サントリーホールディングス、東レ、東京電力ホールディングス、東京電力エナジーパートナー、カナデビア、シーメンス・エナジー、加地テック、三浦工業、ニチコン、やまなしハイドロジェンカンパニー(YHC)。
それぞれが異なる場所を担当する。電解膜、電力調達と系統制御、水電解設備、圧縮・供給設備、水素ボイラ、電力変換・蓄電、水素事業運営。水素は一つの機械ではなく、電気、水、化学、圧力、熱、制御をまたぐシステムだからだ。
この構造は、水素社会の難しさそのものでもある。天然ガスなら既存のパイプラインから燃料を買い、ボイラへ入れればよい。グリーン水素は、電気の調達から水電解、圧縮、貯蔵、配管、ボイラ、安全管理まで、新しい供給網を工場の隣につくる必要がある。
16MWは、なぜ「大きい」のか
16MWという数字は、発電所の出力ではない。水電解装置が水素をつくるために受け入れる電力規模である。サントリーと山梨県の発表では、24時間365日、定格で運転し続けると仮定した場合、年間約2,200トンの水素をつくり、約16,000トンのCO₂削減が可能とされる。
現実には、グリーン水素は「いつでも16MWで動かす」ことだけが目的ではない。使う電力が再生可能由来であることが重要で、太陽光や水力などの供給条件、電力価格、工場の水素需要に合わせて運転を変える。
特に太陽光は昼に増え、夕方に落ちる。工場の蒸気需要は製造計画で動く。この二つを同期させる制御がP2Gの核心になる。安い再エネが多い時に水素をつくり、需要が弱い時は製造量を落とす。必要に応じて貯蔵を使う。
設備を24時間フル稼働させれば、固定費を多くの水素へ分散できる。一方、高い電力や炭素強度の高い電力で無理に動かせば、「グリーン」でも「安い」でもなくなる。白州の実証は、最大出力より、年間を通じた賢い運転が重要になる。
なぜ天然水工場の「殺菌」が水素の最初の仕事なのか
飲料工場にとって殺菌は、製品の安全と品質を守る基本工程である。ボトル、配管、製造設備、製品処理では、安定した蒸気と熱が必要になる。こうした熱需要は毎日発生し、負荷もある程度予測できる。
水素事業から見ると、これは理想的な「アンカー需要」になり得る。燃料電池車が何台来るかを待つ水素ステーションとは違い、工場が生産を続ける限り、熱需要が存在する。水素設備の稼働率を設計しやすい。
サントリーの公式説明では、高効率・低NOxの水素ボイラを開発し、天然水工場で使う熱エネルギーの一部を天然ガスから水素へ置き換える。つくるのは蒸気であり、その蒸気が殺菌工程などに使われる。
ここに、水素の「産業熱」としての価値がある。電化が容易な設備なら、ヒートポンプや電気ボイラが合理的な場合もある。しかし既存の蒸気ネットワーク、温度、圧力、負荷追従、設備更新周期によっては、燃焼系を低炭素燃料へ切り替えるほうが現実的なケースもある。
水素を燃やすとCO₂は出ない。でもNOxは別問題
水素には炭素がないため、燃焼時に燃料由来のCO₂は発生しない。しかし、高温で空気中の窒素と酸素が反応するとNOx、窒素酸化物が生成される。
水素は燃焼速度が速く、火炎温度も高くなりやすい。だから「天然ガスボイラの燃料を水素へ変えれば終わり」ではない。バーナの混合、火炎安定、逆火、NOx、材料、安全弁、燃料圧力まで設計し直す必要がある。
白州の共同開発に参加する三浦工業は、2017年に100%水素燃焼が可能な貫流蒸気ボイラを商品化し、2021年には低NOx水素ボイラが東京都の低NOx・低CO₂小規模燃焼機器認定を受けた。2023年にはさらに改良した水素専焼ボイラでNOx 40ppm以下を達成した製品を発表している。
白州で使うボイラの詳細仕様を、これら既存市販機と同一だと決めつけることはできない。しかし、水素で蒸気をつくる産業技術が、白州の実証だけのためにゼロから生まれたわけではないことは重要だ。
- 燃料価格:天然ガスより高い水素を、どの支援と稼働率で競争可能にするか。
- NOx:CO₂は出なくても、高温燃焼による窒素酸化物を抑える必要がある。
- 負荷追従:製造ラインの蒸気需要変動へボイラが追従できるか。
- 再エネ連携:変動する再エネ電力と、水素製造・貯蔵・消費をどう同期させるか。
- 設備更新:既存天然ガス設備と水素設備をどの速度で置き換えるか。
- 水素の炭素強度:燃焼時だけでなく、製造電力まで低炭素であることを確認する。
ウイスキーの「直火蒸溜」に水素を使うという、もっと難しい問い
サントリーは2025年に発表した「グリーン水素ビジョン」で、白州蒸溜所における水素によるウイスキーの「直火蒸溜」を検討すると明記した。
この一文は、天然水工場のボイラより文化的に面白い。工場の殺菌用蒸気は、熱量と温度を安定して供給できれば、製品への影響を管理しやすい。ウイスキーの蒸溜は、熱のかけ方そのものが製造条件の一部になる。
ただし、2026年8月時点で、白州のウイスキーが水素直火で商用蒸溜されているとは公表されていない。サントリーの表現はあくまで「検討」である。
もし将来実現すれば、脱炭素化は「製品を変えずに燃料だけ変える」難題になる。火力、熱分布、釜の応答、運転方法、香味への影響を慎重に検証しなければならない。
ここに、日本の脱炭素化の一つの本質がある。古い技術を全部捨て、新しい電気機械へ置き換えるだけではない。伝統的な製造方法や品質を守りながら、熱源だけを変える必要がある産業も存在する。
「水から生まれ、水に還る」は美しい。だからこそ数字が必要になる
サントリーは水素を「水から生まれ、水に還るエネルギー」と表現する。企業理念との相性は非常に良い。水を大切にする会社が、水をエネルギーにも使うという物語は分かりやすい。
だが、水素の環境評価は物語だけで決められない。水電解には水が必要で、さらに電気が必要だ。化学式上、水素1kgをつくるには最低でも約9kgの水が原料として必要になる。実際の設備では純水製造や冷却などもあり、総取水量はシステム設計で変わる。
白州は、水源涵養を企業活動の中心に置いてきた場所である。だからこそ、水素製造に使う水も「豊富だから問題ない」で終わらせず、取水、補給、排水、森林、水源涵養を同じ水循環の中で評価する価値がある。
一方、電力側では、サントリーは山梨県の水力・太陽光などの再生可能電力と水資源を組み合わせることで、製造段階でもCO₂を排出しないグリーン水素を目指すとしている。
重要なのは「水素だからグリーン」ではなく、実際にどの電気で水を分解したかである。
2025年10月の実証開始――供給と需要が同じ敷地でつながった
2025年10月11日、グリーン水素パーク -白州- は実証を開始した。16MWの水素製造設備が完成し、実際にグリーン水素をつくり、隣接する天然水工場で使い始めた。
この「隣接」が重要だ。水素を遠くまでトラック輸送すれば、圧縮、容器、ドライバー、道路、荷役が必要になる。大口需要家の横でつくれば、その物流を大幅に短縮できる。
2024年の工事資料では、水素製造設備から工場側へ約2kmの水素ガスパイプラインを設ける計画が示されている。水素を製造し、配管で送り、ボイラで燃やし、蒸気として製造工程へ渡す。
これは、水素の「地産地消」の最も直線的な形である。再エネ電力も地域から調達し、水も地域にあり、水素も地域でつくり、需要も隣にある。
白州は「自家消費」から「水素を売る会社」へ進もうとしている
サントリーの野心は、自社工場の脱炭素だけでは終わらない。2025年6月に公表した「サントリーグリーン水素ビジョン」では、2027年以降、山梨県とYHCがつくる水素を、巴商会と連携して県内や東京都へ販売・物流する構想を示した。
そして2026年3月27日、その次の段階が制度上も具体化した。サントリー、YHC、巴商会のグリーン水素供給事業が、水素社会推進法に基づく「価格差に着目した支援」の対象として経済産業省に認定された。
認定計画では、YHCとサントリーが設立する製造SPCが白州工場隣接地で水電解により低炭素水素を製造する。水素は主に天然水の殺菌工程の熱源に使い、一部を巴商会を通じて周辺地域へ供給する。
支援期間中の供給量は年間1,607トン、事業期間は2028年4月から2055年3月。支援制度は、低炭素水素の基準価格と既存原燃料の参照価格の差を15年間支援する仕組みである。
ここで数字を混同してはいけない。現在の16MW設備が24時間365日フル稼働した場合の「最大2,200トン/年」と、2028年以降の認定供給計画「1,607トン/年」は別の数字である。前者は設備能力を示す理論値、後者は認定プロジェクトの供給計画だ。
なぜ15年も価格差を支援するのか
答えは単純で、水素がまだ高いからだ。天然ガスのように成熟した採掘、液化、輸送、パイプライン、取引市場がある燃料と比べ、グリーン水素は水電解装置、再エネ電力、圧縮、貯蔵、物流、安全設備へ大きな初期投資が必要になる。
需要家が「安くなるまで待つ」と言い、供給者が「大量に買う客がいないから設備を造れない」と言えば、市場は永遠に立ち上がらない。
価格差支援は、その鶏と卵を壊す政策である。長期間にわたり既存燃料との価格差を支えることで、供給者には投資回収の見通しを、需要家には価格の見通しを与える。
白州は、この制度の意味を理解しやすい例だ。ボイラを導入するだけなら技術実証で終わる。2028年から20年以上の供給計画へ移るなら、工場の製造計画、水素製造設備の保守、再エネ調達、販売契約まで「事業」として成立させなければならない。
水素は、工場熱のすべてを置き換えるべきなのか
ここでは、水素を万能解にしないことも重要だ。産業熱の脱炭素化には、電気ヒーター、ヒートポンプ、電気ボイラ、バイオマス、太陽熱、地熱、合成燃料など複数の選択肢がある。
低温の温水なら、高効率ヒートポンプのほうがエネルギー効率で優れる場合が多い。水素をつくるために電気を使い、さらに燃やして熱へ戻すより、電気を直接熱へ使うほうが変換損失は少ない。
一方、高温、蒸気、大きな負荷変動、既存燃焼設備との互換性、長時間貯蔵、再エネの季節変動などの条件では、水素が価値を持つ可能性がある。METIも、水素を電化が難しい熱利用やhard-to-abate分野の脱炭素手段の一つと位置付けている。
白州の価値は「工場熱は全部水素にすべき」と証明することではない。飲料工場という具体的な現場で、どの熱需要なら水素が技術的・経済的に意味を持つかを数字で示すことにある。
再エネの変動を、水素が「工場の安定」に変えられるか
太陽光は晴れた昼に強く、雲で落ちる。水力は比較的安定していても、季節や水量がある。工場は天候ではなく、生産計画で動く。
P2Gの本質は、この時間のズレを吸収することだ。再エネが多い時に電解装置を動かし、水素として貯める。工場は必要な時に水素をボイラへ送り、蒸気をつくる。
もし安い再エネが余る時間帯を利用できれば、系統側では出力抑制を減らし、工場側では燃料を蓄えられる可能性がある。一方、電解装置を長時間止めれば設備利用率が下がり、水素1kg当たりの固定費は上がる。
だから制御の最適点は、「再エネを最大限使う」「電解装置を最大限動かす」「工場需要を必ず満たす」の三つを同時に考える必要がある。山梨モデルP2Gは、まさにその統合制御を技術の核としてきた。
「水を売る会社」がエネルギーを売る意味
サントリーにとって、グリーン水素は設備更新だけではない。2025年のビジョンでは、水素の製造から物流、販売まで価値連鎖全体を担うとしている。これは飲料会社としては異例の一歩である。
天然水工場は、これまで水を商品として出荷してきた。将来は同じ地域の水と再エネから水素をつくり、エネルギーとして周辺産業へ供給する可能性がある。
もちろん、水そのものと水素はまったく別の商品で、安全規制、インフラ、契約も違う。それでも、「水源を守り、その水を価値へ変える」という企業の長い物語に、水素が自然につながるのは事実だ。
ブランド物語だけで事業は成立しない。しかし事業が成立した時、ブランド物語は強い意味を持つ。白州でつくった水素が、白州の天然水やウイスキーをつくる熱になり、さらに山梨県内へ売られるなら、エネルギーの地産地消が消費者にも理解しやすい形になる。
水素でつくったウイスキーは「グリーンウイスキー」なのか
将来、蒸溜工程へ水素を使ったとしても、一本のウイスキーの環境負荷は蒸溜所の燃料だけでは決まらない。大麦の栽培、麦芽製造、樽、熟成倉庫、瓶、物流、海外輸送までライフサイクルは長い。
サントリー自身も、2050年までにバリューチェーン全体でGHG排出実質ゼロを目指している。水素はその一部であり、すべてではない。
それでも、蒸溜というブランドの中心工程に低炭素熱を入れられれば象徴性は大きい。日本の高付加価値製造業が、品質や伝統を守りながらScope 1排出を減らす一つのモデルになり得る。
そのためには、味を変えないこと、運転を止めないこと、コストが長期的に耐えられることが必要だ。
白州で成功しても、そのまま全国へコピーできるわけではない
白州には、他の工場が簡単には真似できない条件がそろっている。水資源、再エネ、県の技術開発、隣接する大口需要家、広い敷地、企業の資本力、NEDO支援。
都市部の狭い工場には16MWの電解装置を置く土地がないかもしれない。再エネ調達が難しい地域もある。水素需要が小さければ設備稼働率が上がらない。ボイラの更新時期も違う。
だから白州の成果を全国へ展開する時、設備を同じサイズでコピーするのではなく、「需要量に合わせて電解装置とボイラを組み合わせる」「再エネ供給と需要を統合制御する」「必要機器をモジュール化する」という設計思想をコピーすることになる。
NEDOの開発計画も、数MW級の標準モジュールを組み合わせ、将来は数十MWから100MW級へ展開可能な技術を目指している。
白州の本当の実験は、「熱に水素を使う理由」を証明できるか
水素は、使い道が多いからこそ競争になる。製鉄にも使える。化学原料にもなる。大型トラックにも使える。発電にも使える。熱にも使える。
限られた低炭素水素を、どこで使うのが社会全体として最も合理的か。その答えは、電化のしやすさ、代替技術、価格、CO₂削減量、インフラで変わる。
白州は「飲料工場の蒸気」という、非常に具体的な用途を提供する。ここで水素が安定してボイラを動かし、再エネ変動へ追従し、天然ガスを置き換え、長期契約として成立するなら、他の食品、飲料、製薬、化学、洗浄、殺菌工程へ議論を広げられる。
逆に、電気ボイラやヒートポンプのほうが安く効率的な工程まで水素へ変える必要はない。
社会実装とは、水素を使う場所を増やすことではなく、水素を使う意味がある場所を見つけることでもある。
白州の風景が変わらないことが、成功かもしれない
白州蒸溜所を訪れる人が期待するのは、水素プラントの轟音ではない。森、鳥の声、冷たい水、発酵槽、銅の蒸溜釜、樽の香りである。
脱炭素設備が成功する時、ブランドの風景は大きく変わらないほうがよい。ボイラ室の燃料が天然ガスから水素へ変わり、敷地の隣で電解装置が動いていても、天然水の味やウイスキーの品質は変わらない。
工場にとって最良のエネルギー転換は、製品を変えず、製造を止めず、排出だけを減らすことである。
1973年に白州へ蒸溜所をつくった人々は、50年後にその水から燃料までつくるとは想像しなかったかもしれない。
しかし、水を選び、水を守り、水を商品へ変えてきた土地で、水をエネルギーへ変える実験が始まったことには、奇妙な連続性がある。
白州の水素実験が成功したかどうかは、「16MW」という数字だけでは決まらない。
再生可能電力からつくった水素が、毎日の蒸気を安定してつくり、天然ガスより高い価格差を縮め、品質を変えず、周辺産業にも売れるか。
その答えが出た時、白州は水素を「未来の燃料」から「普通の工場燃料」へ変えた場所になる。
1923年 サントリー創業者・鳥井信治郎が山崎で日本初のモルトウイスキー蒸溜所建設に着手。
1973年 佐治敬三が白州蒸溜所を開設。南アルプスの水と森林環境を生かす第二のモルト蒸溜所となる。
1996年 ミネラルウォーター専用の南アルプス白州工場が竣工。
2008年 蒸溜所・天然水工場の水源涵養エリアに「天然水の森 南アルプス」を設定。
2016~2020年 山梨県・東京電力・東レなどが米倉山でP2G技術を段階開発。25kW級から1.5MW級へ拡大。
2021年6月 米倉山P2Gで水素の製造・輸送・利用を通年でつなぐ社会実証を開始。
2022年2月 山梨県、東京電力HD、東レがやまなしハイドロジェンカンパニー(YHC)を設立。
2022年9月 サントリーと山梨県が白州へ16MW P2Gシステムを導入する基本合意を発表。
2024年2月20日 白州でP2Gシステム建設工事を開始。
2025年6月11日 「サントリーグリーン水素ビジョン」を発表。天然水工場の水素ボイラ、白州蒸溜所での水素直火蒸溜の検討、2027年以降の販売構想を示す。
2025年10月11日 グリーン水素パーク -白州- が実証開始。グリーン水素製造と天然水工場での利用を開始。
2026年3月27日 サントリー・YHC・巴商会の供給事業が、水素社会推進法の価格差支援対象に認定。
2026年末まで 再エネ調達、水素製造、蒸気利用を通じたエネルギー需要転換を実証。
2028年4月~2055年3月 認定供給計画の事業期間。支援期間中は年間1,607トンの低炭素水素供給を計画。
取材注記・主な資料
2026年8月9日午前0時50分(日本時間)までに確認できた公開情報を使用しました。16MW設備の「年間2,200トン」「CO₂16,000トン削減」は24時間365日運転を仮定した設備能力の説明で、2026年認定プロジェクトの年間供給計画1,607トンとは別の数字です。白州蒸溜所の水素による直火蒸溜はサントリーが「検討」として公表している将来構想であり、商用運転開始とは扱っていません。水素ボイラの個別型式も公表資料から確定できないため、三浦工業の既存製品と同一とは記載していません。
- サントリー:グリーン水素パーク -白州-、16MW P2Gによる実証開始(2025年10月11日)
- サントリー:Green Hydrogen Park Hakushu — “Born from Water, Returning to Water”
- サントリー:「グリーン水素ビジョン」発表(2025年6月11日)
- サントリー:YHC・巴商会との供給事業、価格差支援に認定(2026年3月27日)
- 山梨県:白州P2Gエネルギー需要転換実証
- NEDO:国内最大規模の水電解による水素製造拠点が稼働(2026年6月18日)
- NEDO:水素社会構築技術開発事業 中間制度評価 — 米倉山P2G
- サントリー:白州P2Gシステム建設工事開始(2024年2月20日)
- 三浦工業:低NOx水素燃料貫流蒸気ボイラの東京都認定(2021年)
- 三浦工業:水素専焼AN-2000BS、NOx 40ppm以下(2023年)
- House of Suntory:Hakushu Distillery history
- サントリー:Natural Water Sanctuary Minami Alps
- 資源エネルギー庁:水素社会推進法とhard-to-abate分野
