南米に生息するリスザルのウイルスが、なぜアフリカやアジアに分布する「旧世界ザル」の免疫遺伝子に近い特徴を持つのか。名古屋大学、東京農工大学、山口大学の研究グループが、リスザルサイトメガロウイルス(Saimiriine herpesvirus 4、SBHV4)のS9タンパク質を調べたところ、霊長類の主要組織適合遺伝子複合体(MHC)クラスI分子に非常によく似ていることが分かった。ヒトのMHCクラスI分子HLA-Aとは、全長の86.3%に相当する領域で60.6%のアミノ酸が一致した。研究成果は9月9日付の『Scientific Reports』に掲載された。[1] [2] [3]
驚きは「似ている」だけではない。S9遺伝子を霊長類のMHCクラスI遺伝子と系統解析すると、現在の宿主であるリスザルを含む新世界ザルではなく、旧世界ザルの配列、とくにCercopithecus属を含む系統とまとまる傾向が繰り返し現れた。ウイルスが進化のどこかで宿主由来の遺伝子を取り込んだ可能性を示す手掛かりである。だが、最終論文は慎重だ。どの霊長類から、いつ、どの分子機構でS9を得たのかは決定できないとしている。[3] [4]
MHCクラスIは、細胞が掲げる「中身の見本」
MHCクラスI分子は、多くの有核細胞の表面に存在し、細胞内で作られたタンパク質の断片(ペプチド)を免疫系に提示する。ヒトではHLA-A、HLA-B、HLA-Cなどが代表的だ。CD8陽性T細胞は、MHCクラスIに載ったペプチドを手掛かりに、ウイルス感染細胞などを見分ける。一方、ナチュラルキラー(NK)細胞もMHCクラスIの有無や状態を読み取る。
この仕組みはウイルスにとって大きな圧力になる。感染細胞がウイルス由来の断片をMHCクラスIで見せれば、免疫系に発見されやすくなる。そのため大型DNAウイルス、とりわけサイトメガロウイルスは、MHCクラスIの発現や免疫受容体との相互作用を操作する多様な遺伝子を進化させてきた。今回のS9は、その長い「免疫との軍拡競争」の中に置くと意味が見えてくる。
約190万のウイルスタンパク質から浮かんだ異例の一致
研究は、特定のリスザルウイルスだけを最初から狙ったものではない。論文によると、研究チームはVirus-Host DBのrelease 225に収録されたウイルスタンパク質約186万件を、ヒトゲノムGRCh38由来の全タンパク質配列と照合した。60%以上の一致が200アミノ酸以上続くという条件で372件が得られ、その中からSBHV4のS9が注目された。[4]
S9は344アミノ酸からなる膜タンパク質で、HLA-A(365アミノ酸)の315残基分に相当する領域が重なり、そのうち191残基が同一だった。一致率は60.6%。研究チームが同じ条件で調べた範囲では、ウイルスタンパク質とMHCクラスI分子の組み合わせとして最も広く、最も高い相同性だった。S9を他の既知ウイルスタンパク質と比べても、最も近いものの一致率は43.2%にとどまり、むしろ哺乳類のMHCクラスI系タンパク質との近さが際立った。[4]
配列だけでなく、形もHLA-Aに似ていた
研究チームはAlphaFoldを用いてS9の立体構造を予測し、ヒトHLA-Aや霊長類のMHCクラスI様分子と比較した。S9とHLA-AのTM-scoreは0.83、RMSDは1.98オングストロームで、全体の折りたたみがよく似る結果だった。とくにMHCクラスIに特徴的なα1、α2、α3ドメインに相当する構造が保たれ、α1とα2の間にはペプチド結合溝に似たポケットも予測された。[4]
ここで注意したいのは、「形が似ている」と「同じ働きをする」は別の主張だという点だ。今回の論文には、S9が実際にペプチドを結合すること、細胞表面でどの分子と結合すること、T細胞やNK細胞を変化させることを直接確かめた機能実験は含まれていない。構造は強い手掛かりだが、機能は次の研究課題である。
1988年、ヒトCMVでもMHCの「まね」が見つかっていた
サイトメガロウイルスがMHCクラスIに似た分子を持つこと自体は、今回が初めてではない。1988年、Stephan BeckとBarclay Barrellは、ヒトサイトメガロウイルス(HCMV)がMHCクラスI抗原に似た糖タンパク質をコードすることを『Nature』で報告した。後にUL18として知られる分子である。[5]
今回の論文は、UL18とHLAのアミノ酸一致率を約25%と紹介する。それでもUL18は、抑制性の白血球免疫グロブリン様受容体LIR-1(LILRB1)に強く結合し、免疫回避との関係が研究されてきた。これに対しS9はHLA-Aと60%を超える配列一致を示す。だからこそ「見た目の近さ」は異例だが、UL18で分かっている機能をS9へそのまま移すことはできない。[4] [5]
2015年にも、リスザルCMVは宿主の免疫遺伝子を取り込んだ証拠を見せた
リスザルサイトメガロウイルスのゲノムには、S9以外にも宿主免疫系との長い共進化を物語る遺伝子がある。2015年には、リスザルCMVとヨザルCMVから、SLAMファミリー(SLAMF)の免疫受容体に似た7種類の遺伝子が報告された。リスザルCMVのS1はSLAMF6のホモログで、リガンド結合に関わるN末端領域は宿主分子と97%のアミノ酸一致を示し、実験で細胞表面糖タンパク質として宿主SLAMF6に結合することも確認された。[6]
この先例は重要だ。大型DNAウイルスが宿主遺伝子を取り込み、免疫に関わる分子を自分の道具へ作り替えることは、抽象的な可能性ではない。ただしS9の場合、同じ獲得経路だったことも、同じ免疫回避機能を持つことも証明されていない。
最大の謎――なぜ新世界ザルのウイルスが旧世界ザル側に入るのか
リスザルは中南米に分布する新世界ザルである。一方、Cercopithecus属などはアフリカの旧世界ザルだ。もしウイルスが現在の宿主から最近MHC遺伝子を取り込んだだけなら、S9は新世界ザルの配列に近いと予想したくなる。ところが系統樹ではそうならなかった。
研究チームはまず126動物種とウイルスS9を含む配列群を比較し、その後、霊長類MHCクラスI配列を厳格に精選した。α1、α2、α3、膜貫通領域、細胞質尾部が正しい順に存在することなどを確認し、最終的に52配列とS9で系統解析を実施した。全コード配列を使った場合も、抗原ペプチド結合部位(PBR)を除いた場合も、S9は旧世界ザルMHCクラスI群、とくにCercopithecus属を含む群とまとまった。[4]
ただしMHCは、系統解析がとくに難しい遺伝子群でもある。病原体との競争で強い選択を受け、多型が長く種を越えて残る「trans-species polymorphism」、遺伝子重複、遺伝子変換、組換え、遺伝子の誕生と消失が重なる。論文でも組換えに由来するとみられる系統的不一致のシグナルが検出され、S9の枝は非常に長かった。したがって「旧世界ザルに近い」というシグナルは繰り返し確認できても、具体的な供与種を一つに絞ることはできなかった。[4]
LINE-1は魅力的な仮説だが、証拠は残っていなかった
宿主からDNAウイルスへ遺伝子が移る仕組みとして、LINE-1というレトロトランスポゾンの装置が注目されている。宿主mRNAを逆転写し、そのDNAコピーを別の場所へ挿入する仕組みが、ポックスウイルスなどで宿主遺伝子の取り込みに関与した例がある。[4]
もしS9も同じ経路なら、挿入部位の両端にtarget site duplication(TSD)と呼ばれる短い重複配列や、poly(A)配列などが痕跡として残る可能性がある。研究チームはS9周辺を探索したが、設定した条件を満たす真正なTSDも典型的なpoly(A)痕跡も見つけられなかった。長い進化の間に痕跡が変異で消えた可能性はあるためLINE-1経路を否定はできないが、今回のデータだけで証明することもできない。[4]
ここは、2025年に公開された初期のプレプリントより最終論文が慎重になった点でもある。査読後の論文が最終的に強調するのは「旧世界ザルMHC-Iとの系統的近縁性」であり、供与種、獲得時期、分子機構は未解決だということだ。
ウイルスそのものは、1980年から知られている
リスザルサイトメガロウイルスは新発見のウイルスではない。2015年のリスザル感染症レビューによれば、1980年にガイアナ産リスザルの唾液腺から最初に分離された。飼育コロニーでは広くみられるとされ、同レビューの時点ではこのウイルスに起因すると確認された臨床疾患は報告されていなかった。陰性個体を陽性個体と同居させると抗体陽性化したとの記録もあり、リスザル集団内での伝播は以前から知られている。[7]
だが、今回の研究が示したのは現在の感染症流行ではなく、ゲノムの中に刻まれた古い進化史である。研究者たちが問題にしている「宿主の壁」は、現在ヒトへ広がっているという意味ではない。東京農工大学の発表も、「もし」このようなウイルスが宿主の壁を越えた場合、よく似ているが完全には同じでない免疫分子が新宿主の免疫系とどう相互作用するのかを理解する基礎知見になる、と位置付けている。[1]
「似すぎた分子」を次にどう調べるか
次の焦点は、S9の機能である。細胞表面に発現するのか。β2ミクログロブリンと複合体を作るのか。ペプチドを保持できるのか。T細胞受容体、NK細胞受容体、あるいは別の免疫受容体に結合するのか。感染細胞でS9を失わせるとウイルスの増殖や免疫回避はどう変わるのか。今回の構造解析は、そうした実験を行う理由を強くした。
同時に、より多くの霊長類サイトメガロウイルスのゲノムが必要になる。現在のデータベースに存在しない中間的なS9様遺伝子が見つかれば、旧世界ザルとの関係や遺伝子獲得の時期を絞れるかもしれない。反対に、S9がSBHV4だけに孤立して存在するなら、この遺伝子の歴史はさらに珍しい出来事だったことになる。
宿主とウイルスは、敵でありながら遺伝子の記録を交換してきた
感染症は通常、「宿主対ウイルス」という対立で語られる。しかし進化の時間軸では、境界はもう少し複雑だ。ウイルスの配列が動物ゲノムへ残ることもあれば、宿主の遺伝子がウイルスへ取り込まれることもある。その断片が免疫回避や感染の持続に役立てば、何百万年もの選択の中で保持される可能性がある。
S9は、その交換の痕跡かもしれない。60.6%という数字は目を引くが、本当に興味深いのは、その分子が「誰から来たのか」が簡単には分からないことだ。南米の新世界ザルに適応したサイトメガロウイルスの中に、旧世界ザルMHCクラスIへつながる系統シグナルが残っている。
確定したのは、S9が例外的にMHCクラスIへ近い配列と立体構造を持つこと、そしてその進化的位置が現在の宿主だけでは説明しにくいことだ。機能、供与種、獲得時期、獲得機構はまだ開いている。だからこそこの研究は、結論ではなく、ウイルスと霊長類が長い時間をかけて互いの遺伝子と免疫をどう書き換えてきたかを追う、新しい入口になっている。
- 東京農工大学:リスザルのサイトメガロウイルスから霊長類の免疫分子によく似た特殊なタンパク質を発見(2026年9月11日)
- 名古屋大学:同研究成果、論文情報と研究代表者(2026年9月11日)
- Hondo et al., Scientific Reports:An exceptional viral MHC class I-like protein encoded by squirrel monkey cytomegalovirus(2026年9月9日)
- Scientific Reports論文PDF:配列・構造・系統解析、TSD探索、研究手法
- Beck & Barrell, Nature(1988):ヒトサイトメガロウイルスのMHCクラスI様糖タンパク質UL18
- Pérez-Carmona et al., Journal of Virology(2015):新世界ザルCMVが持つSLAMファミリー受容体ホモログ
- Endemic Viruses of Squirrel Monkeys(2015):リスザルサイトメガロウイルスの歴史と宿主域に関するレビュー
- 名古屋大学:本道栄一教授プロフィール(氏名読み・所属)
- 東京農工大学:水谷哲也教授プロフィール(氏名読み・所属)
- 山口大学:下田宙准教授プロフィール
- 名古屋大学:飯田敦夫助教プロフィール(氏名読み・所属)
編集注:S9の免疫機能、具体的な遺伝子供与種、獲得年代、LINE-1などによる獲得機構は今回の査読済み論文では確定していない。旧世界ザルMHCクラスIとの関係は「系統的近縁性」として記述した。ヒト感染や人獣共通感染症発生を示すデータはない。本道栄一(ほんどう・えいいち)、水谷哲也(みずたに・てつや)、下田宙(しもだ・ひろし)、飯田敦夫(いいだ・あつお)の氏名・読みと所属は各大学の一次情報で確認した。
