用語について:韓国の裁判所・報道機関は一般に「強制動員」「強制労働」と呼び、日本政府は「旧朝鮮半島出身労働者」と呼びます。故ミン・ムンシク(閔文植)氏が釜石で働き始めたのは1942年2月で、朝鮮で国民徴用令による労務徴用が実施された1944年9月より前です。本稿は「徴用」を全期間の万能な同義語にせず、原告の主張、裁判所の認定、政府の立場を明示して書き分けます。

裁判所は上告を終わらせられる。だが、61年前に何が解決されたかを巡る国家間の不一致まで、一つの判決だけで終わらせることはできない。

韓国大法院(最高裁)民事第2部は8月12日、事件番号2024Da288816で日本製鉄株式会社の上告を棄却した。故ミン・ムンシク氏の遺族に対し、計8000万ウォン、報道時の換算で約900万円を支払うよう命じた2024年の控訴審判決が維持された。遺族5人が起こした訴訟で、請求額は1億ウォンだったため、法的には原告一部勝訴である。

今回の直接の争点は、この問題を取り巻く巨大な政治対立より狭い。大法院は1942年の製鉄所について新たな証人尋問をしたのではない。1965年の日韓請求権協定を再交渉したのでもない。控訴審が日本製鉄の消滅時効の主張を退けたことに法理の誤りがあるかを審査し、誤りはないと判断した。その結果、韓国の司法制度内で賠償命令が確定した。

東京は、別の法的次元から応答した。外務省の金井正彰アジア大洋州局長は、在日韓国大使館の次席公使に対し、1965年協定によってこの種の請求権問題は「完全かつ最終的に」解決済みだという日本の立場を申し入れた。同じ日に出た民事判決と外交上の抗議は、同じ問いに答えたものではない。

8000万ウォン確定した慰謝料の総額
遺族5人2019年に提訴した原告
1942年2月9日~7月14日事件記録が示す釜石での期間
2018年権利行使の法的障害が除かれたとする年
8月12日判決が答えたのは、遺族の提訴が遅すぎたかどうかである。1965年協定について日韓共通の解釈を生んだのではない。

大法院が実際に決めたこと

遺族が提訴したのは2019年4月30日である。韓国の不法行為法は通常、被害と加害者を知った時からの短い期間と、行為時からの長い除斥期間を設ける。1942年から単純に数え、2019年の訴えを期限内とすることはできない。遺族側には、客観的な障害によって現実に権利を行使できなかった期間には、被告による消滅時効の援用を認めないという法理が必要だった。

一審は2022年2月、遺族を敗訴とした。権利行使を妨げる障害がかつて存在したことは認めながら、それが消えた日は2012年5月24日だとした。この日、大法院は別の日本製鉄訴訟で原告敗訴の下級審判決を破棄し、個人の慰謝料請求に道を開いた。ここから3年を数えれば、2019年提訴は遅すぎる。

控訴審は2024年、この判断を覆した。2012年判決は破棄差し戻しであり、先行訴訟の原告の権利を最終確定したものではない。その後も5年以上、訴訟は続いた。2018年10月30日、大法院全員合議体が日本製鉄に対する賠償命令を最終的に維持して初めて、一般の被害者が実質的な救済を期待できるほど法的見解が確定し、障害がなくなった。遺族はその約6か月後に提訴しており、3年以内だった。

8月12日の大法院は、控訴審の消滅時効判断に法理誤解はないとした。これは2023年12月に大法院が示した一連の判断とも一致する。2018年全員合議体判決までは、日本企業を相手に現実に権利を行使できない客観的障害があったという法理である。したがって2026年判決の新しさは、請求権協定について新理論を打ち立てたことより、確立した時効基準を再び適用した点にある。

問い8月12日判決の答え答えていないこと
提訴は期限切れかいいえ。障害は2018年10月30日まで続き、2019年4月30日の提訴は期限内。日本側がその法理や土台の2018年判決を受け入れるか。
確定額は請求1億ウォンに対し、慰謝料計8000万ウォン。誰が、いつ、どの仕組みで実際に支払うか。
上告で敗れたのは日本製鉄。大法院民事第2部が同社の上告を棄却。被告は日本国ではなく企業であり、日本政府への賠償命令ではない。
1965年解釈は決着したか韓国判例はこの慰謝料請求を協定の対象外とする。日韓両政府の国家間解釈は今も両立していない。

訴訟記録の「5か月」に縮められた人生

韓国の裁判資料が認定した事実によれば、ミン氏は21歳のとき日本へ連行され、岩手県釜石市にあった旧日本製鐵の釜石製鐵所で労務者生活を強いられた。期間は1942年2月9日から7月14日までと具体的に記録されている。ミン氏は逃亡し、その後は炭鉱などを転々とし、1945年に韓国へ帰国した。1989年4月に死去した。

遺族は、旧会社の行為が日本による不法な植民地支配と戦争遂行に直結する反人道的不法行為だったと主張した。家族から引き離され、保護や扶養の機会を奪われ、危険で劣悪な環境で働かされたため、重大な精神的苦痛を受けたという。求めたのは5か月分の未払い賃金の精算ではなく、人間の尊厳への侵害を理由とする慰謝料だった。控訴審は、行為の違法性、当時の年齢、労働期間と強度、被害、日本製鉄が現在まで責任を否定する態度などを総合し、8000万ウォンと算定した。

ここで書けるのは、原告の主張と韓国裁判所が採用した事実である。公開された判決概要は、ミン氏の毎日の作業、賃金台帳、宿舎、監視、朝鮮から釜石までの全経路までは示さない。日本へ渡った朝鮮人労働者全員が同じ募集経路だったとも書けない。歴史的な強制性を認識することと、個別記録の違いを無視することは別である。

特に年代が重要だ。朝鮮人労働者の日本への動員方法は変化した。1939年以降の企業による募集、1942年以降の行政の関与が強い官斡旋、そして1944年9月以降の国民徴用令による徴用である。ミン氏の移動は最後の制度より前だった。韓国では、植民地権力、行政圧力、欺罔、移動制限、就労環境によって、形式の異なる経路も実質的に強制的だったとして、三段階を広い「強制動員」の中で捉える。他方、日本の政府用語は、1944年9月以前の例を一律に「徴用」と呼ぶのは技術的に不正確だと重視する。

混同してはならない三つの言葉
  • 強制動員・強制労働:韓国の訴訟と被害者団体が、植民地下の強制的な労務制度を示すために用いる広い概念。
  • 徴用:朝鮮の民間労務に1944年9月から正式適用された、国民徴用令上のより狭い法制度。ミン氏の1942年という日付はそれ以前。
  • 旧朝鮮半島出身労働者:広い集団の全員が法的な徴用または強制連行だったとの前提を置かない、日本政府の現在の公式用語。

この違いは言葉遊びではない。全員を「徴用工」と呼べば、後の法的制度を過去へ投影する。逆に「労働者」とだけ呼び、植民地構造や遺族の主張を落とせば、韓国裁判所が認定した強制性が消える。正確な時系列は、二つの主張を名詞の中へ隠さず、検討可能にする。


釜石――近代日本の炉の中心で

この事件の舞台が釜石であることには、強い歴史的意味がある。釜石地域では1857年、洋式高炉の操業に成功した。明治政府は1870年代に官営製鉄所の建設を始め、1886年には田中製鉄所が持続的な民間製鉄に成功した。1934年、釜石は八幡などとともに国策会社の日本製鐵へ統合された。

鉄は鉄道、船、工場、都市をつくった。戦時には装甲、兵器、帝国の交通網もつくった。1942年、日本人男性が軍務へ動員され、総力戦経済は労働力を求めて朝鮮へ一段と深く入り込んでいた。21歳の朝鮮人青年と、日本産業史を象徴する北方の製鉄所が、その機構の中で交差した。

企業の歴史は1945年で終わらない。占領期の企業再編で旧日本製鐵は1950年に解体され、主要事業は八幡製鐵と富士製鐵へ分かれた。両社は1970年に合併して新日本製鐵となり、2012年に住友金属工業と統合、2019年に現在の日本製鉄へ社名変更した。

この系譜は別の入口の争いを生んだ。現在の日本製鉄に旧会社の責任を負わせられるか。韓国大法院は2012年と2018年、戦後日本法上の解散・再編を経ても、経済的実体と同一性を受け継ぐとして責任を認めた。先行する日本訴訟と会社側は異なる立場を取っていた。2026年の裁判部は、韓国判例のこの橋を新設したのではなく、その上を通った。


この訴訟を可能にした、前の訴訟

ミン氏の遺族は、別の4人が切り開いた道へ入った。ヨ・ウンテク氏、シン・チョンス氏らは1997年、旧日本製鐵の製鉄所での労働を巡って日本で提訴した。日本の裁判所は請求を退け、2003年に最高裁で終結した。原告らは2005年、ソウルで改めて訴えた。

韓国の一審・二審も当初は請求を退けた。しかし2012年5月24日、大法院は原判決を破棄した。日本判決の承認は韓国憲法秩序の核心的価値と相容れない、現在の会社は旧会社の承継主体と評価できる、問題の慰謝料請求権は1965年協定によって消滅していない、とした。差し戻し後のソウル高裁は2013年、原告1人あたり1億ウォンを命じた。

それから大法院で5年以上、事件は動かなかった。2018年10月30日、11対2の全員合議体が賠償命令を維持した。原告のうち、生きて最終判決を見たのはイ・チュンシク氏だけだった。この長い空白は後に時効法上の意味を持つ。2012年の暫定的勝利ではなく、2018年の確定判決を、一般の被害者が現実に訴えられるようになった日とする理由である。

1910~1945年 日本が朝鮮を植民地統治。

1942年2~7月 ミン氏が釜石で働き、逃亡後に炭鉱などを転々とする。

1965年6月22日 日韓基本条約と請求権・経済協力協定に署名。

1997~2003年 別の日本製鉄原告が日本で提訴し、敗訴確定。

2005年 韓国で改めて訴訟を起こす。

2012年5月24日 韓国大法院が原告敗訴判決を破棄差し戻し。

2018年10月30日 全員合議体が4人に各1億ウォンを認める。

2019年4月30日 ミン氏の遺族が提訴。

2022年2月 一審が消滅時効を理由に請求を棄却。

2024年 控訴審が逆転し、計8000万ウォンを命令。

2026年8月12日 大法院が日本製鉄の上告を棄却。


1965年――一つの文言、二つの法的構造

日韓は、朝鮮戦争と日本の植民地支配終結後、国交正常化まで約14年を費やした。1965年6月22日、日韓基本条約と四つの関連協定に署名し、請求権・経済協力協定は同年12月18日に発効した。

協定第1条で、日本は10年間に3億ドル相当の生産物・役務を無償供与し、2億ドルまでの長期低利貸付を行うと約束した。第2条が、有名な最終解決条項である。両国と国民の財産、権利、利益、両国と国民の間の請求権に関する問題が「完全かつ最終的に解決されたこととなる」と確認した。例外を除き、署名前に生じた事由に基づく請求権に「いかなる主張もすることができない」とも定めた。

合意議事録は、その対象を韓国側が交渉で示した「対日請求八項目」と結び付ける。そこには被徴用韓国人の未収金、補償金、その他の請求権が含まれた。韓国政府はその後、国内法をつくり、無償資金の一部を配分した。当初は動員中に死亡した人の遺族を中心に補償し、2000年代以降の法律で生存者や遺族への支援を広げた。

しかし条文に入らなかったものがある。植民地支配の違法性について、両国が共有する判断である。基本条約は過去の日韓間の条約・協定が「もはや無効」であるとしたが、いつから無効だったかについて日韓の理解は異なった。5億ドルは違法な植民地支配を前提とする賠償ではなく、協定上は経済協力とされた。半世紀後、その未決の前提が中心争点になった。

韓国大法院の多数意見日本政府の立場
原告が求めるのは、単なる未払い賃金ではなく、不法な植民地支配と侵略戦争に直結する不法行為についての慰謝料である。協定は国家と国民、相手国とその国民の間の請求権を広く対象とし、「完全かつ最終的」と明記している。
協定は主として財政的・民事的な債権債務関係の政治的解決であり、日本が交渉で認めなかった植民地支配の違法性を前提とする損害賠償は解決していない。合意議事録は被徴用韓国人の補償などを含む八項目を明示する。「慰謝料」という名称に変えても第2条の外には出ない。
ゆえに当該慰謝料請求権は協定の適用外で、韓国裁判所は承継会社に対して行使を認められる。ゆえに韓国は日本企業への執行を防ぎ、日本が国際法違反とみなす状態を是正する責任を負う。

2018年大法院の少数意見も重要だ。2人の裁判官は、協定がこの請求も対象にしたと結論づけた。条文、交渉経緯、八項目、韓国の国内補償法を一体として読んだからである。その考えでは、個人の請求権が国内法上の抽象的権利として消滅したとまで言えなくても、日本または日本国民を相手に裁判で行使することはできない。この区別は、日本政府高官が過去に述べた法的ニュアンスとも一部重なる。日本側は「個人の請求権そのものが消滅した」とだけ説明するのではなく、協定によって法的な救済を求められなくなったとの立場を示してきた。

つまり「個人請求権は残る」という一文だけでは争いは終わらない。権利は概念上残っても裁判上行使できないのか。それとも、そもそも協定に入らなかった別種の人権侵害請求なのか。韓国多数意見は後者を採り、日本政府は前者の構造を主張する。両者のどちらかを判断した、双方が受け入れる国際裁判所の判決はない。

「完全かつ最終的」は日本側の主張で最も強い文言である。韓国大法院多数意見は「この請求は初めから協定の中に入っていなかった」と答える。最終性より前に、範囲が争われている。

東京の抗議――正式だが、上告ではない

8月12日判決後、金井局長は在日韓国大使館の次席公使に、日本の一貫した立場を申し入れた。民事訴訟の被告は日本政府ではなく日本製鉄だが、国際法上の条約履行責任は国家にあるため、抗議先はソウルとなる。

日本政府は2018年以来、これらの判決が協定第2条に明らかに反し、日本企業に不当な不利益を与え、国交正常化後の友好協力関係の法的基盤を根本から覆すとしてきた。2019年には協定第3条を発動し、まず外交協議、その後に仲裁委員会を求めた。しかし委員選任が完了せず、仲裁委は設置されなかった。日本は国際裁判も選択肢に挙げたが、国際司法裁判所が本案を判断した事実はない。

この制度的空白は、書き方を左右する。「韓国判決は国際法違反だ」と書くなら、それは日本政府の公式見解だと明示しなければならない。中立的な国際裁判所の判示ではない。同様に「慰謝料請求は協定の対象外だ」というのは韓国で拘束力を持つ判例だが、日本が受け入れた条約解釈ではない。どちらも帰属を付けることが、正確な報道である。

また、外交抗議は上告ではない。外務省は韓国の確定判決を取り消せない。韓国の行政府も、私企業間の訴訟で大法院へ結論を命じることはできない。外交が扱うのは判決後の結果だ。誰が払うか、差し押さえた資産を売るか、韓国の財団が会社に代わるか、一件の判決で二国間関係全体を崩さないかである。


2023年の橋に載せられた重さ

尹錫悦政権は2023年3月、第三者弁済案を発表した。韓国政府傘下の日帝強制動員被害者支援財団が、被告日本企業の拠出を条件とせず、韓国企業などの民間寄付から2018年確定判決の判決金と遅延利息を支払う。発表当時に係属していた同種訴訟が後に原告勝訴で確定した場合も、財団が支給する予定とされた。

日本政府は、悪化した日韓関係を健全な状態へ戻す措置として評価し、1998年の日韓共同宣言を含む歴代内閣の歴史認識を全体として引き継ぐと確認した。一方で1965年の法的立場は変えず、日本企業の賠償責任も認めなかった。対象となった当初の原告の多くは財団から受け取ったが、判決で責任を負うとされた企業自身の支払いと謝罪を求め、拒否した原告もいた。

この案は安全保障、貿易、往来のための外交空間を広げたが、判決自体を消したわけではない。法的には第三者が債務を弁済する仕組みである。道義的な正当性は、債権者が加害責任を負うとされた主体以外からの救済を受け入れるかに左右される。実務上の寿命は寄付額に左右される。日本の外交記録によれば、2024年12月までに財団は21人へ支払ったが、新たな確定判決が重なるにつれ資金不足への懸念が強まった。

李在明政権は、李氏が野党代表時代に反対した枠組みを維持する意向を示している。2026年の8000万ウォン判決は、2023年発表が想定した「後に確定する係属事件」に当たり得る。ただし対象になり得ることと、実際に支払われることは同じではない。遺族の選択、財団の資金力、債務処理の法的手続きが残る。

もう一つは強制執行である。遺族側は控訴審勝訴後、日本製鉄が韓国で持つPNR株式について仮執行に基づく差し押さえ決定を得たと説明する。別の原告も、日本企業資産の差し押さえと現金化を長年進めてきた。売却できれば判決を直接執行できる一方、深刻な外交危機を招き得る。裁判所は債権者の申し立てと手続きで動き、政府は二国間関係を考えて動く。どちらの時計も速くない。


お金で終えられること、終えられないこと

8000万ウォンは司法上の救済額だが、法廷外で遺族が語ったのは金額だけではなかった。長男ミン・ビョンジョ氏は、父が生前に救済を求めて努力しても道がなかったと述べた。自分は父の名誉を回復するために訴訟を始めた、日本製鉄には判決を受け入れ、早期に謝罪と補償をしてほしい、と語った。

会社による直接支払い、財団による第三者弁済、裁判所による資産売却は、同じ元金を渡せても意味が大きく異なる。直接支払いは責任受容を示し得る。財団支払いは物質的救済と国家関係の安定を優先しつつ、会社の責任否定を残す。強制執行は司法の権威を実現する一方、外交対立を深め得る。債権者が、金額だけでなく「どの道を通った金か」を重視するのは不合理ではない。

日本側の懸念も8000万ウォンを超える。この請求類型が1965年の解決外なら、最終的であるはずの国家間合意が、増え続ける訴訟から日本企業を守れない。条約の信頼性と重複責任の防止が東京の論理の中心にある。原告側の中心は逆だ。自分たちが受けたとする不法行為を扱わなかった国家間の一括合意が、被害者個人を沈黙させてはならない。

両者を説明することは、歴史的・道徳的な立場があらゆる意味で対称だと装うことではない。朝鮮は植民地にされ、日本は植民地支配国だった。労働者本人は1965年交渉の席にいなかった。他方、現在の主権国家間の条約も、広報文ではなく法である。この問題が続くのは、歴史の非対称性と法的最終性が、現在に異なる要求を突きつけるからだ。


一つの制度では確定し、別の制度では終わっていない

今後は三点を見る必要がある。第一は弁済だ。日本製鉄が払うのか、財団が提示するのか、遺族が受け入れるのか、PNR資産への執行が進むのか。第二は判決の累積である。新たな事件のたびに、財団の資金と韓国の消滅時効判例が試される。第三は外交である。日韓双方が戦略的に重視する協力を保ちながら、確定判決の影響を抑え続けられるか。

8月12日判決には現実の法的効力がある。韓国では日本製鉄の上告手続きが終わり、8000万ウォンの債務が司法的に確定した。同時に、現金が必ず移動したわけではなく、日本政府は前提を拒み、両国は条約の共通解釈に到達していない。

これは矛盾ではない。裁判所、企業、原告、政府は、関係しながら異なる面に立つ。民事裁判所は国内法の下で私的当事者間の責任を決める。遺族は記憶と尊厳を求める。会社は承継、協定範囲、時効を争う。二つの国家は1965年に結んだ取引について相容れない説明を守る。

釜石の鉄は、別々の素材を一つの炉へ入れてつくられた。歴史はそれほど簡単には溶け合わない。ミン・ムンシク氏の5か月は、植民地行政、戦時産業、企業再編、国交正常化、半世紀を超える訴訟を通過して確定判決へ届いた。8月12日、一つの法的時計は止まった。ほかの時計は、まだ動いている。


取材ノート・主要資料

本稿は、原告の主張、裁判所の認定、日本・韓国政府の公式見解を区別して記述した。公開情報は8月13日午前9時52分(日本時間)まで照合。外貨換算は各報道時点の概算で、判決額そのものは韓国ウォン建てである。