2022年4月23日観光船「KAZU I」の沈没
26人乗客24人・乗員2人
20人・6人死亡確認/行方不明
2026年11月1日「海の電話」完成
「海の電話」は事故の沈没海域ではなく、知床半島の東側・羅臼町に設置された。体験談は報道機関が取材した証言に基づき、本紙が遺族に直接取材したものではない。

羅臼の海辺に、つながらない電話が置かれた

北海道東部、知床半島の東側に位置する羅臼町。峯浜(みねはま)漁港に近い砂浜に、小さな白い電話ボックスが立った。中にあるのは、回線につながっていない黒電話である。誰かの番号を押しても呼び出し音は鳴らない。それでも、この電話を必要とする人たちがいる。2026年11月1日、知床観光船沈没事故の犠牲者や行方不明者に思いを伝える「海の電話」が完成した。

設置に携わったのは、行方不明者の捜索を続けてきた羅臼町の漁師、桜井憲二さんと、家族を失った人たち、地元の漁業者ら約20人。4月ごろから半年余りかけ、海岸を整え、木製の小屋を仕上げた。大きな公的施設ではない。けれども、この場所が生まれるまでには、4年を超える時間が積み重なっている。

受話器を握った父親

完成の日、帯広市から来た男性が最初に受話器を取った。2022年4月の事故で、当時7歳だった息子と元妻が行方不明となった父親である。HBC北海道放送などが伝えた言葉には、会いたいという気持ちと、今も見つからない2人を思う痛みがあった。短いニュース映像のなかで、その声は特別な演説ではなく、いつかまた会話を続けたいという日常の言葉として響く。

父親は取材に対し、この場所で悲しみが消えるわけではないが、静かに2人のことを考えられると語ったという。ここで大切なのは、悲嘆から立ち直ったという結論を取材者が与えないことだ。誰かを失った人にとって、言葉にする時期も、沈黙を選ぶ理由も異なる。電話はそのどちらも許す。

線路は海へ向かって延びる

電話ボックスは高さ約2メートル。白い外壁と青い屋根、空を思わせる内装を持つと報じられた。中には黒電話のほか、椅子、テーブル、思いを書きとめるノートがある。「想いの駅」という名も付けられた。外には木でつくった線路が海へ向かって延びる。行方不明となった男の子が列車、とりわけ新幹線を好きだったことに由来するという。

駅にも線路にも、本来は行き先がある。しかし、ここに置かれた線路の先には海があるだけだ。訪れる人が自分自身の意味を見いだせる象徴であり、同時に、特定の家族の記憶から始まった、かけがえのない細部でもある。報道された事実を越えて、子どもの思いや願いを代弁することはできない。

4月23日、何が起きたのか

事故が発生したのは2022年4月23日。観光船「KAZU I(カズワン)」は乗客24人、乗員2人の計26人を乗せ、知床半島の西側、斜里町のウトロ港から出航した。知床岬方面への航行中、カシュニの滝沖で浸水し、沈没した。2026年11月現在の各報道によれば、20人が死亡し、6人が行方不明のままである。

羅臼町の「海の電話」は、船が沈んだ場所に建てられたものではない。知床半島を挟んだ東側の海岸にある。事故海域と慰霊の場所を混同しないことは、この話を伝えるうえで欠かせない。半島を取り巻く海はつながっていても、地理と事故の経過は正確に記しておく必要がある。

事故を「悲しい出来事」で終わらせない

運輸安全委員会は2023年9月に事故調査報告書を公表し、船首部ハッチの閉鎖状態、浸水の進行、荒天を踏まえた運航判断、事業者の安全管理体制などに重大な問題があったと指摘した。国の監査・検査の実効性も問われた。これは自然の厳しさだけで説明できる事故ではない。

追悼の場を紹介するとき、安全対策の問題を後景に押しやってはならない。家族が願うのは、大切な人に語りかけられる場所だけとは限らない。原因の究明、説明、再発防止、行方不明者の捜索は、それぞれ別の責任を伴う。電話ボックスの存在は、そうした責任が完了した証しではない。

捜索に関わった漁師が建設に参加した意味

桜井憲二さんは事故後、行方不明者を探す活動に関わってきた。完成の背景を語る地元報道では、桜井さんと父親らが相談を重ね、地元漁業者や住民が作業を担ったことが伝えられている。最初から大型の慰霊事業として進んだのではなく、人と人のつながりの中で形になった取り組みだ。

桜井さんは、事故から4年以上が過ぎても慰霊碑が建っておらず、見通しが立っていないとの認識を示した。これは関係者が完成時に語った状況であり、すべての行政計画や遺族の意向を網羅した調査結果ではない。慰霊碑を望むかどうかについても、遺族の考えは一様ではあり得ない。

岩手県大槌町の「風の電話」から

「海の電話」には、先行する日本の小さな追悼の文化がある。岩手県大槌町の庭師、佐々木格(ささき・いたる)さんが設けた「風の電話」だ。電話線につながっていない受話器を通じ、会えなくなった人に胸の内を語る。始まりは東日本大震災より前、親族を失った経験にさかのぼる。

2011年3月の東日本大震災と津波の後、佐々木さんはその電話を多くの人に開いた。訪問者のなかには、言葉を発する人も、受話器を持ったまま沈黙する人もいるという。大槌の電話と羅臼の電話は、同じ施設でも、同じ災害を記念するものでもない。喪失を抱えた人が言葉を置ける場所を、自分たちでつくるという発想を共有している。

追悼の形は、ひとつではない

日本には慰霊碑、墓、仏壇、灯籠流し、法要など、亡くなった人を思うさまざまな場と時間がある。海に向けた電話は、そこへ新しく加わった表現の一つとして考えられる。ただし、電話を通せば必ず気持ちが整理されるという心理療法上の効果が証明されたわけではない。遺族のすべてが利用したいと思うとも限らない。

むしろ大切なのは、誰かに話すことを強いないことだろう。写真を見つめる人もいれば、事故の場所に近づけない人もいる。追悼のあり方を外から採点しない姿勢こそ、この電話の静けさを守る。

地元の海を、報道の背景として消費しない

羅臼町は漁業と海に根差してきた地域である。新しい電話は、その日常が続く浜辺の近くにある。ニュース映像に映る海や空は魅力的だが、この場所は観光のために設けられた撮影用の小道具ではない。利用する人のための空間であり、地元の人が維持に関わる場所だ。

訪問可能な時間、駐車や立ち入りの条件、ノートの扱い、現地での撮影の可否などは、11月2日までに確認できた公表資料だけでは確定できなかった。読者に気軽な観光立ち寄りを勧めたり、正確なアクセス方法を推測で書いたりすることは避けたい。

家族の言葉を「物語」にし過ぎないために

父親が受話器を取った場面は、複数の北海道の報道機関が映像や記事で伝えた。本稿はその公開取材に基づくもので、本人に新たなインタビューをしたものではない。氏名、個人的な生活、事故後の日々について、報道で確かめていない事情を補うことはしない。

象徴性の高い出来事ほど、人は言葉や表情に都合のよい意味を見いだしがちだ。けれども、この電話は読者を泣かせるために置かれたのではない。語りかけたい人が語りかけられるように、関わった人たちが手を動かして設けたものだ。

4年半という時間が持つ重さ

2022年4月23日から2026年11月1日までは4年半余り。捜索に関わった人にも、事故の原因を調べた人にも、遺族にも、同じ長さの時間が流れた。しかし、時間が進むことと、待つことが終わることは同じではない。6人がなお行方不明だという事実は、事故が過去の資料の中だけに収まっていないことを示す。

完成式の報道で父親が語ったのは、悲しみが消えるという約束ではなかった。静かに考える場所ができたという感覚だった。ひとつの受話器ができることは限られている。それでも、限られているからこそ、過剰な機能を持たないこの場所に意味を見いだす人がいるのだろう。

受話器を置いたあとに残るもの

「海の電話」の線は、どこにもつながっていない。誰かから返事が来る仕組みもない。だが、そこには父親や漁師、地元の人たちが半年をかけた仕事の跡がある。木の線路、黒電話、書き残せるノート、波の音。目に見えるのは小さな設備でも、その背景には捜索と記憶の時間がある。

知床の事故から学ぶべき安全上の教訓は、社会が引き続き引き受けるべき課題だ。それと同時に、失われた人の名前を思い、話したかったことを口にする自由も守られなければならない。羅臼の浜辺に生まれたのは、事故を終わったことにする記念物ではない。まだ言葉を持つ人たちのための場所なのである。

出典・取材方法

北海道の報道各社による2026年11月1~2日の現地取材、運輸安全委員会の事故調査を伝える公的資料・報道、および岩手県の「風の電話」に関する資料に基づく文書取材。遺族・設置者への直接インタビュー、現地訪問は行っていない。

  1. 釧路新聞:羅臼の砂浜に「海の電話」(2026年11月2日)
  2. HBC北海道放送:遺族が語る「海の電話」(2026年11月2日)
  3. 北海道文化放送:完成式と捜索ボランティアの証言(2026年11月2日)
  4. HTB北海道ニュース:設置までの経緯(2026年11月1日)
  5. 時事通信:海の電話、父親と協力者の証言(2026年11月1日)
  6. 運輸安全委員会・国土交通省:KAZU I事故に関する安全管理上の教訓
  7. 共同通信配信:運輸安全委員会の2023年最終報告書を紹介
  8. 岩手放送:大槌町「風の電話」と佐々木格さん
  9. 東京工業大学・未来の人類研究センター:風の電話と記憶の継承