火山は岩石だけでなく、地下の水と化学反応によって驚くべきものを噴き出す。
1936年、硫黄が川を埋めた
昭和11年の知床硫黄山。北西側中腹の火口から流れ出したのは、一般的に思い浮かべる真っ赤な溶岩だけではなかった。融けた硫黄と熱湯がカムイワッカ川を下り、オホーツク海岸まで達した。気象庁の記録では、同年5月4日から10月末にかけ、溶融硫黄の噴出、熱湯と蒸気の爆発、間欠的な噴出、休止が3~6日周期で繰り返された。硫黄の総量は約20万トンと記録される。
川が硫黄で覆われた当時の記録写真は、この現象が単なる珍談ではないことを伝える。硫黄は火山の周りで結晶として見つかることも多いが、ここでは大量の液体となって地表に押し出された。地質学者が長く追ってきた問いは、なぜそれほど大量の硫黄が地下に存在し、しかも流動できたのか、という一点だった。
京都大学などが探った「地下の貯蔵庫」
京都大学は2026年10月15日、硫黄が生成・蓄積される地下の仕組みを調べた研究成果を公表した。論文自体は同年7月8日に国際誌『Journal of Volcanology and Geothermal Research』で公開されている。新しい噴火が起きたという発表ではない。
研究に参加したのは大阪市立自然史博物館の外来研究員、山本睦徳(やまもと・むつのり)らと、京都大学大学院工学研究科の柏谷公希(かしわや・こうき)准教授、小池克明(こいけ・かつあき)教授、Brenda Ariesty Kusumasari 博士後期課程学生、多田洋平特定研究員(研究当時)、兵庫県立大学の後藤忠徳教授ら。氏名の漢字と所属は大学・博物館の公表資料に基づく。
水の「指紋」が地下を教える
調査の重要な手掛かりは、河川水と温泉水に含まれる水素・酸素の安定同位体比だった。同位体比は、水がどこから供給され、加熱され、他の水と混ざってきたかを推定するための有力な指標である。研究者は、電位の自然分布を測る自然電位探査なども組み合わせ、火口付近の熱水循環と帯水層を解析した。
論文の要旨によれば、温泉水の涵養高度は海抜約860メートル、帯水層の深い部分は約176度と推定される。いずれも地下を直接見た測定値ではなく、観測結果を基にした研究上の推定である。地下には熱水の通り道と蓄積しうる場所があり、その化学環境こそが硫黄を理解する鍵になる。
硫化水素と液体の硫黄
硫黄は温度が上がると融ける。しかし、融ければ何でも容易に流れるわけではない。液体硫黄の粘性は温度や化学条件によって大きく変化する。研究では、硫化水素(H₂S)が関わる条件下で溶融硫黄が流動性を保ちやすくなる可能性に注目した。
熱水系での硫黄生成、地下での蓄積、そして水蒸気を伴う噴出という過程を一体として理解する試みだ。学術論文の表題が「Possible source and mechanism(考えられる起源と機構)」としていることは重要である。過去の噴火のすべての条件を直接再現・立証した、とまでは言えない。
江戸末期から昭和へ続く記録
気象庁が整理した有史の噴火には、1857~58年、1876年、1889~90年、1935~36年がある。1857年と1889年にも溶融硫黄の流出が記され、1890年には熱湯の噴出、1936年には周期的な活動が記録された。これらは一度きりの奇跡ではなく、同じ火山に繰り返し現れた特徴だった。
知床硫黄山は標高1,562メートル。気象庁によると、少なくとも約24万年前から活動が始まった安山岩質の成層火山である。山腹の爆裂火口と、長い時間をかけて形づくられた溶岩ドームや崩壊地形が複雑な地形をつくる。約4,000年前の山体崩壊は、のちの知床五湖につながる地形の歴史とも関係する。
世界自然遺産の風景を地下から読み直す
知床が2005年に世界自然遺産に登録された理由の中心は、流氷が支える海と陸の生態系のつながり、生物多様性にある。今回の研究が説明するのは、それと競合する別の価値ではなく、この半島の地形や温泉、水循環を形成してきた地質の時間である。
カムイワッカという地名は観光客に知られているが、火山性の熱水が流れる場所であることを忘れてはならない。温泉や火口の景観は地球内部の作用が地表に表れたものだ。研究成果は現時点での登山・観光の安全宣言でも、直近の噴火予測でもない。現地を訪れる際は最新の火山情報と立ち入り規制を確認する必要がある。
研究が示したこと、まだ示していないこと
今回の成果の価値は、かつて観察された驚くべき噴火を、同位体、地下の電気的性質、温度推定、流体の化学という検証可能な手掛かりで説明しようとした点にある。現在の火山内部を完全に撮影したわけでも、将来いつ再び硫黄が流れるか予測できるようになったわけでもない。
1936年の総噴出量について、京都大学などの発表は「10万トンを超す」と表現する一方、気象庁の活動史は「約20万トン」と記載している。両者は矛盾を断定できる数値ではないが、算定基準の厳密な比較には原資料の確認が必要だ。本稿では出典を分けて示した。
地球の意外な働き
溶融硫黄が海岸へ向かって川を流れた。驚くべき歴史を、地下水の小さな化学的手掛かりから読み直せることこそ、現代の火山研究のおもしろさである。火山は燃える山であるだけでなく、水を循環させ、鉱物をつくり、時に地表の風景を一夜で変える巨大な化学装置でもある。
知床の静かな山並みには、まだ知られていない地下の物語が眠っている。今回の研究はその一部を照らした。世界遺産の価値を守りながら、そこに働く力を科学的に解き明かしていく作業は続く。
本稿は公開論文、京都大学などの発表、気象庁の歴史資料を検討したもので、研究者への独自インタビューや現地観測は行っていません。
出典・参考資料
- Kyoto University / 京都大学 工学研究科 — 2026-10-15
- Original research — Journal of Volcanology and Geothermal Research
- Japan Meteorological Agency — Shiretoko-Iozan volcano
- Japan Meteorological Agency — Historical eruptions
- UNESCO World Heritage Centre — Shiretoko
- Osaka Museum of Natural History — Research release
