劇場の入口は、劇場ではない。
観客は下北沢駅東口の改札外に集合する。自分のスマートフォンとイヤホンを用意し、音声ガイドアプリを起動する。やがて「詩人」の声が耳元で始まり、人混み、商店街、路地、公園、線路跡地へと歩き出す。
daisydoze(デイジードーズ)のイマーシブシアター『猫町 NEKOMACHI』は、客席と舞台を分けない。下北沢の街そのものを舞台装置に変える作品だ。
「演劇を見る」から「街を歩く」へ
通常の舞台では、観客は照明が落ちると座席に座り、俳優が現れるのを待つ。
『猫町』では逆だ。観客が動かなければ、物語も進まない。
下北沢駅前で聞こえる詩人の声に導かれ、観客は実際の通行人と同じ道を歩く。商店の灯り、電車の音、自転車、信号、夜風までが舞台美術になる。
その途中で、青白い「猫」のようなパフォーマーが街の中に現れ、観客の視線を次の場所へ誘導する。
萩原朔太郎の『猫町』を、下北沢へ移す
作品の文学的な核は、詩人・萩原朔太郎(はぎわら・さくたろう)の小説『猫町』だ。
daisydozeは公式説明で、『猫町』を萩原朔太郎作品へのオマージュと位置づけている。舞台となる下北沢・代田周辺は、朔太郎本人と無関係な場所ではない。
世田谷区は、下北沢周辺にはかつて多くの作家、歌人、俳人が暮らし、萩原朔太郎や横光利一、森茉莉らがこの地域を題材に作品を残したと紹介している。
朔太郎は1933年、世田谷区代田に自ら設計した家を建てて暮らした。『猫町』や『青猫』に通じる都市への憧憬、違和感、見慣れた街が突然異様に見える感覚は、この土地の記憶と重なる。
「見えないものが、見えてくる」
daisydozeが作品の主題として掲げるのは「見えないものが、見えてくる」という感覚だ。
それは特殊効果で何かを出現させるという意味だけではない。
普段なら通り過ぎる階段、裏道、駅前広場、壁、暗がりを、物語の一部として見るようになる。観客の目が変わることで、街の意味が変わる。
同じ下北沢を歩いていても、観客と通行人では見えているものが違う。イマーシブシアターの面白さは、その二重構造にある。
下北沢はもともと「演劇のまち」だった
この作品が成立する背景には、下北沢の長い小劇場文化がある。
世田谷区の文化芸術振興計画は、本多劇場グループが下北沢に8つの劇場を展開し、日本の小劇場演劇を長年支えてきたと記している。
1990年には下北沢演劇祭が始まった。2026年2月には第36回を開催。区の公式案内は下北沢をそのまま「演劇のまち」と呼ぶ。
本多劇場、ザ・スズナリ、小劇場、ライブハウス、古着店、カフェが近接する街では、舞台芸術と日常生活の距離がもともと短い。
線路が地下へ移り、街に新しい「舞台」が生まれた
現在の下北沢を語るうえで、小田急線の地下化は欠かせない。
東北沢―下北沢―世田谷代田間の線路が地下化されたことで、地上には全長約1.7キロの線路跡地が生まれた。小田急電鉄はこのエリアを「下北線路街」として整備した。
世田谷区も駅前広場、緑地、小広場、駅間通路などの整備を地域住民とのワークショップを通じて進めた。
かつて鉄道が占めていた場所が、歩ける公共空間、商業施設、イベント空間へ変わった。
『猫町』が下北沢駅から世田谷代田まで観客を歩かせる構成は、この都市構造の変化そのものを使っている。
地下に残る「かつての線路」という記憶
The Japan Timesのレビューによると、観客は物語の終盤で、世田谷代田駅付近の地下空間へ導かれ、青い猫たちが歩く異界のような場面に到達する。
ここで重要なのは、下北沢の線路が「消えた」のではなく「地下へ移った」ことだ。
観客は地上の新しい街を歩いた後、地下へ降り、かつて地上にあった鉄道の記憶と出会う。
文学的な異界と都市インフラの歴史が、同じ場所で重なる。
イヤホンが「個人の劇場」をつくる
観客が自分のイヤホンを使うことにも意味がある。
街は公共空間だ。車も人も店内BGMも聞こえる。その中で、耳元には自分だけに聞こえる詩人の声が流れる。
同じ場所に数十人いても、音声を聞いている人だけが別の物語空間に入る。
音声ARを担当するON THE TRIPは、場所に紐づく音声体験を制作してきた。『猫町』では、位置と音声と生身のダンスが組み合わされる。
観客は「安全な客席」から出される
イマーシブ作品には、通常の劇場とは違う不自由もある。
公式案内は、ルートに階段や坂道があるため、未就学児、視覚・聴覚に不安のある人、歩行困難者、車いす利用者には参加を控えるよう求めている。
雨天でも基本的に実施する。台風など荒天時は中止の可能性がある。
こうした条件は、街そのものを劇場にする表現の限界でもある。誰もが同じようにアクセスできるブラックボックス劇場とは違い、都市の段差や天候が作品条件になる。
「ムーンアートナイト下北沢」の中の一作品
『猫町』は単独公演ではなく、「ムーンアートナイト下北沢2026」のメイン作品の一つとして上演された。
イベントは2026年9月18日から10月4日まで下北沢エリア全域で開催。巨大な月のインスタレーションや現代美術作品、東北沢駅屋上など、街の複数地点を使う。
主催には下北沢商店連合会、小田急電鉄、Startbahnが名を連ねる。
daisydozeの作品は、その中でも「観客自身が街を移動する」という点で、フェスティバルの回遊性を演劇へ変換している。
daisydozeは「場所」を脚本にする
daisydozeは、自らを「都市を舞台にイマーシブシアターをつくるクリエイティブチーム」と説明する。
作・演出は竹島唯、クリエイティブプロデューサー・衣装は近藤香。
実在する場所の歴史や神話を取り込み、ダンス、歌、演劇、インスタレーションを横断する作品をつくってきた。
『猫町』は第10作で、2026年には文化庁「SOIL」フェローシップに採択され、エディンバラ・フェスティバル・フリンジで国際市場向けのピッチを行うとしている。
「サイトスペシフィック」が意味するもの
『猫町』を別の街へそのまま移せるかと問えば、答えは簡単ではない。
脚本には下北沢駅、世田谷代田、朔太郎、旧線路、街路の形、人の流れが組み込まれている。
同じ俳優、同じ音声、同じ衣装を使っても、別の都市では同じ作品にならない。
これは「街を背景にした演劇」ではなく、「街そのものが構成要素になっている演劇」だからだ。
下北沢は、演劇を建物から解放できる街なのか
下北沢の小劇場文化は、長く小さな箱の中で実験的な演劇を育ててきた。
『猫町』はその実験精神を建物の外へ持ち出す。
観客は商店街を通り、通行人とすれ違い、電車の音を聞き、暗い道を歩く。演者と「普通の人」の境界も曖昧になる。
劇場が街へ広がった瞬間、下北沢が長年持ってきた文化そのものが舞台装置になる。
45分後、同じ街が少し違って見える
イマーシブシアターの成功は、巨大な舞台装置を見せることではない。
体験が終わった後、観客が帰り道で同じ路地を見たとき、その場所が少し違って見えるかどうかだ。
『猫町』は萩原朔太郎の幻想を借りながら、変わり続ける下北沢に「見えない過去」と「今いる人」を重ねる。
街は毎日、普通に存在している。
しかし45分だけ、その普通の街に猫が潜み、詩人が耳元で話し、線路の記憶が地下から浮かび上がる。
それが終わった後も、観客の側の見え方だけは元に戻らないかもしれない。
出典・参考資料
- daisydoze — 『猫町 NEKOMACHI』2026公式サイト。
- daisydoze — “Nekomachi — Cat Town” production page.
- MOON ART NIGHT SHIMOKITA 2026 — official festival site.
- イープラス — イマーシブシアター『猫町』公演情報・スタッフ。
- The Japan Times — “Poetry, history and performance entwine in Daisydoze’s immersive spectacle,” October 1, 2026.
- 世田谷区 — 「下北沢周辺の文士旧居跡」萩原朔太郎ほか。
- 世田谷区 — 第4期文化芸術振興計画(下北沢の劇場・演劇祭・音楽祭)。
- 世田谷区 — 北沢地域の主なお祭り「下北沢演劇祭」。
- 小田急電鉄 — 「下北沢エリアの線路跡地開発」下北線路街。
- 世田谷区 — 「小田急線上部利用の街づくりの取り組み」。
取材・確認期限:2026年10月6日午前8時05分(日本時間)。公演日程、約45分、下北沢駅東口集合・世田谷代田駅周辺解散、スマートフォン・イヤホン利用、萩原朔太郎『猫町』へのオマージュ、第10作という位置づけはdaisydoze公式資料で確認。下北沢の演劇文化・文士史・線路跡地整備は世田谷区・小田急電鉄の一次資料で確認した。作品内容の解釈はJapan.co.jpによる批評的整理。
今回のポイント
『猫町』は客席のない演劇。観客が下北沢から世田谷代田へ歩くことで物語が進む。
土地との接続
萩原朔太郎、下北沢の小劇場文化、小田急線地下化後の線路跡地という地域史そのものが作品素材。
注目点
イマーシブ演劇が街の文化をどう再発見させるか、そしてアクセシビリティをどう広げるか。

