能の舞台では、流儀は消えない。謡や型、演出の伝承を担うシテ方には観世、金春、宝生、金剛、喜多の五流があり、出演者はそれぞれの稽古と組織に属する。「渋谷能」が越えようとするのは、その違いそのものではなく、一つの年間企画で別々の流儀を見比べる機会が少ないという境界だ。

セルリアンタワー能楽堂が2019年度に始めた「渋谷能」は今年で8年目。主催者は「次世代を担う能楽師、劇的に舞う。渋谷に舞う。」と掲げ、若手能楽師の芸の研鑽と、観客が出演者を長く見守る関係づくりを目的に挙げる。2026年度は8月28日の第一夜を起点に、2027年1月、2月、3月へ公演をつなぐ。

ここでいう「流儀の垣根を越える」は、三流の演技様式を一曲の中で混ぜるという意味ではない。第一夜から第三夜までは各流儀の能として上演し、最終夜に五流の仕舞・舞囃子を並べる。違いを薄めるのではなく、同じ舞台とシリーズの中で輪郭を見せる構成である。

8年目2019年度に始まった次世代能楽師のシリーズ。
全四夜2026年8月28日から2027年3月26日まで。
三つの能金春流「加茂」、金剛流「葛城」、観世流「隅田川」。
シテ方五流千秋楽では仕舞と舞囃子に五流儀がそろう予定。
「若手」は、初心者という意味ではない。 主催者が次代を担う層として位置づける出演者は、すでに長い舞台歴を持つ。第一夜の中村昌弘は子方で初舞台を踏み、「石橋」「乱」「道成寺」「翁」を披き、重要無形文化財の総合認定保持者でもある。研鑽とは、公開の大舞台で芸を一段深めることを指す。

四夜を貫くのは、一つの主題ではなく選択権

今年度の三曲に共通テーマは公表されていない。共通するのは、出演能楽師自身が曲目を選ぶことだ。主役を任されるだけでなく、何を今の自分の課題として観客に示すかまで決める。

日程流儀・出演者曲目と構成
第一夜
2026年8月28日
金春流
中村昌弘(なかむら・まさひろ)
能「加茂」。御祖神と別雷神が現れ、五穀成就と国土守護の神徳を示す初番目物。
第二夜
2027年1月22日
金剛流
宇髙竜成(うだか・たつしげ)
能「葛城」(かづらき)。雪の葛城山を舞台に、山伏の祈祷で苦を免れた女神が大和舞を舞う。
第三夜
2027年2月26日
観世流
鵜澤光(うざわ・ひかる)
能「隅田川」。人買いにさらわれた子を捜す母が、その死を知り、亡霊を追う悲劇。
第四夜・千秋楽
2027年3月26日
シテ方五流
和泉流・野村裕基(のむら・ゆうき)
仕舞、舞囃子、和泉流狂言、クロージングトーク。各曲名と全出演者は未発表。

祝祭、雪、母の悲しみ——三曲が示す能の幅

「加茂」は神を主人公とする初番目物で、天女舞と雷神の舞働を通して、五穀成就と国土守護を祝う。第一夜の正式番組では、中村が前場の女と後場の別雷神、雨宮悠大が女と御祖神を勤める二神構成を採った。能楽評論家の金子直樹による解説に続き、上演予定時間は午後9時5分ごろまでと案内されていた。

冬の「葛城」は、白一色の雪景色と女神の大和舞を核にする。金剛流シテ方の宇髙竜成は、公益社団法人能楽協会の名簿で京都所属の重要無形文化財総合認定保持者として確認できる。第三夜の鵜澤光も観世流シテ方、銕仙会所属の総合認定保持者で、「隅田川」という母子の悲劇を選んだ。

祝言性の強い神能から静かな雪の女神、そして喪失の極点へ。三曲を並べると、能が「静かな古典」の一語では収まらないことが分かる。ただし、主催者はこの順番に統一テーマや物語的な連続性があるとは説明していない。本稿では、選ばれた曲の対照として読むにとどめる。

若手に舞台を与えるだけなら、一夜で終わる。曲を選ばせ、異なる流儀を一年かけて追い、翌年も見守る仕組みにすることで、「次世代」は継続する関係になる。

五流がそろう千秋楽で、違いを短く見せる

第四夜は、観世、金春、宝生、金剛、喜多のシテ方五流による仕舞・舞囃子と、和泉流狂言の野村裕基、クロージングトークを予定する。仕舞(しまい)は能の一部を、原則として面・装束や囃子を用いず、地謡を伴って舞う形式。舞囃子(まいばやし)は謡と笛、小鼓、大鼓、曲によって太鼓を伴い、舞のまとまりを見せる。

能一曲を通して比較するのではなく、舞の骨格が見えやすい形式を連ねることで、流儀ごとの身体の使い方や謡の違いに注意を向けられる。これは過去の「渋谷能」千秋楽でも用いられてきた構成だが、2027年3月の各曲名、五流の出演者、野村が演じる狂言の曲名は8月29日時点で公表されていない。

初めての観客を、解説だけで終わらせない

全公演の冒頭では金子直樹が演目を解説する。主催者は、あらすじと読み物を載せたプログラム、詞章(謡・台詞)も配布し、終演後には出演者が舞台を離れた言葉で感想や今後の意気込みを語るアフタートークを設けるとしている。

第一夜から第三夜には、出演者本人による事前講座も組む。公演チケットを提示すれば無料、チケットがなければ500円で、いずれも予約が必要。中村の講座は8月21日に実施された。宇髙と鵜澤の講座日程は未発表である。

同じ三公演には多言語字幕システム「能サポ」を導入する。貸出料は1台500円で台数に限りがあり、主催者は英語解説にも対応すると案内する。詞章を追う機能は初心者の理解を助けるが、端末がすべての席で利用できるか、対応言語の完全な一覧は示されていない。

渋谷駅から徒歩約5分、各夜午後6時30分開演

会場は渋谷区桜丘町26番1号、セルリアンタワー東急ホテル地下2階のセルリアンタワー能楽堂。渋谷駅から国道246号沿いに徒歩約5分と案内されている。各夜は午後6時開場、6時30分開演。

1回券はS席7,500円、A席6,500円、B席5,500円、学生席3,500円。学生席は座敷の自由席で、能楽堂だけが学生証を確認して販売する。未就学児の入場は受け付けない。第二夜の一般発売は11月22日、第三夜は12月25日、第四夜は2027年1月26日を予定する。

通し券とホテルの食事を組み合わせた券種も販売されたが、公式案内上の販売期間と第一夜での引換日はすでに過ぎている。今後の取扱いを示す更新は確認できないため、購入可否は能楽堂への確認が必要だ。

取材時点の注記:本稿は8月29日午後0時15分(日本時間)までに公表されたセルリアンタワー能楽堂、株式会社東急文化村、公益社団法人能楽協会、出演者所属団体の公式資料に基づく。Japan.co.jpは8月28日の第一夜を実見しておらず、主催者による公演レポート、来場者数、批評的評価も取材時点では公表されていない。